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養蜂家と蜜薬師の花嫁  作者: 江本マシメサ


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養蜂家は、義父とふたり暮らしを営む

 あれから一週間経った。アニャはまだ帰ってこない。

 なんでも、ツヴェート様の説得に時間がかかっているらしい。

 頷くまで帰らないと言って、粘っているようだ。

 ツヴェート様は元気になったようだが、まだ本調子ではないだろう。庭の手入れだって、もとからあの規模をひとりでどうこうしようだなんて無理な話だったのだ。

 もうしばらく、アニャは戻らないだろう。それまで、マクシミリニャンと楽しいふたり暮らしだ。


 目の前を、蜜蜂が通過していく。春よりものんびり見えてしまうのは、さすがに気のせいだろう。

 しかしながら、採蜜のピークは過ぎ去った。

 夏も盛りが過ぎると、養蜂家の仕事は蜂蜜を採ることから、蜜蜂を守る仕事に時間を割く。

 というのも、夏も終わりにさしかかると、天敵であるスズメバチの動きが活発になるからだ。

 残暑の季節から、秋の終わりまで、スズメバチに対し警戒が必要となる。蜜蜂を守るために、気は抜けないのだ。

 スズメバチ以外にも、警戒すべき点はいくつかある。

 夏は蜜が採れる花や花粉が少なくなるので、餌不足に陥っている可能性があるのだ。

 もしも、巣の中の蜜が少なくなっていたら、人工餌を与えないといけない。

 蜜蜂に与える餌は、実にシンプル。

 砂糖をお湯で溶かすだけ。深皿に入れ、藁を散らす。

 藁を入れるのは、蜜蜂がお皿に落ちて溺れるのを防止するためである。

 ただ、餌の与えすぎにも注意が必要だ。

 餌場が巣の近くにあることにより、蜜蜂は急ピッチで蜂蜜を作る。その結果、短い命をさらに短くしてしまうのだ。

 さらに、巣穴が蜂蜜でいっぱいになり、女王が子どもを産む場所がなくなるという。

 その辺の調節も、養蜂家の大事な仕事なのである。

 本来ならば、自然の花蜜を取って蜂蜜を作るのがいいのだが、仕方がない話だ。

 養蜂家がもっとも恐れるのは、蜜蜂が亡くなること。これだけは、絶対に避けたい。

 人工餌に付きまとう問題は、蜜蜂の急死や産卵場所の減少ばかりではない。

 一度、人工餌を与えてしまうと、純粋な蜂蜜ではなくなる。

 実家の養蜂園の蜂蜜もそうだった。夏は餌が不足するので、人工餌を与えていた。

 蜜蜂を守るためなので仕方がないが、少しでも砂糖が混ざった蜂蜜は加糖蜂蜜として売らざるをえない。

 加糖蜂蜜は花の蜜だけで作られた蜂蜜と比べると、味や風味はわずかに劣るのだ。


 実家で作っていた蜂蜜はおいしいと自信があったが、人工餌だけは止められなかった。

 そんな中で、山の養蜂に驚くこととなる。


 街で行う養蜂と異なり、山の養蜂は自然が豊か。

 そのため、花蜜不足で人工餌は与えなくてもいいようだ。

 ただ、絶対大丈夫というわけではなく、こまめな見回りは必要とのこと。

 この辺の話はアニャやマクシミリニャンに聞いていたものの、実際に目にすると感嘆してしまう。


 ふわふわとした黄色い花をつけるメドウスイート、薄紅色の可愛らしい花が特徴のピンク・ソレル、紫の花を咲かせるダスキー・クレーンズビルなどなど――色とりどりの夏の花が山にはいくつも自生しているのだ。


 街にないものが、ここにはたくさんある。

 満ち足りた毎日に、ひたすら感謝するばかりであった。


 一日の仕事を終え、くたくたな状態で家に戻る。 

 実家にいたころは、家の鍵がかかって中に入れなかったり、夕食がパンのひとかけらもないときがあったりと、さんざんだった。


 しかし、この家でそんなことは一度もない。それどころか、帰宅に気づくと扉を開いて家に招いてくれるのだ。


 勢いよく、扉が開かれる。


「イヴァン殿、おかえりなさい」


 フリフリのエプロン姿のマクシミリニャンが、笑顔で迎えてくれた。

 違う、そうじゃないと思いつつも、笑顔でただいまを返す。


「お風呂にするか? 食事にするか? それとも――」


 え、まだ何か選択肢がある?

 額に浮かんだ汗が、たらりと頬を伝って落ちた。


「お茶を飲むか?」


 第三の選択を聞いて、ホッと胸をなで下ろす。

 通常これは新婚夫婦の会話であるが、今、アニャは家にいない。ツヴェート様の説得をしている最中なのだ。

 そのため、俺はマクシミリニャンとふたり暮らしを継続している。


「お風呂にしようかな」

「そうか。もう、湯は張ってある」

「先に入っていいの?」

「ああ、入れ」


 一日の汚れを、毎日お風呂で洗い流せるなんて幸せだ。実家は大家族なので、ゆっくりお風呂に入ることなんてできなかったし。


 アニャ特製の蜂蜜石鹸で体を洗い、湯船にじっくり浸かる。

 一日の疲れがぶっとぶような心地よさだった。

 明日も頑張ろうと、改めて思った次第である。


 ◇◇◇


 まだ、アニャは帰らない。そんな中で、実家からの手紙が届いた。

 ツィリルをうちで引き取るという申し出に対する返信だろう。


 送り主は、十番目の兄、ツィリルの父ミロシュからだった。

 ドキドキしながら、手紙を開封する。

 そこには、想定外の内容が書かれていた。

 一度、家に帰ってこい。話し合いをしよう、と。

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