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養蜂家と蜜薬師の花嫁  作者: 江本マシメサ


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養蜂家の青年は、蜜薬師の花嫁の指示に従う

 ツヴェート様が倒れている。アニャと共に、傍に駆け寄った。


「ツヴェート様!! ツヴェート様!!」


 アニャが耳元で叫ぶと、微かに「うるさいねえ」という呟きが聞こえた。

 意識はある。

 カーテンを広げ、窓を開けるように指示される。

 外の明かりが差し込んだ中で見たツヴェート様は、恐ろしく顔色が悪かった。


「ツヴェート様、立てますか?」

「ううっ……!」


 意識はあるものの、どうやら朦朧もうろうとしているようだ。

 腹部に手を当てて、ガタガタと震えている。この症状は、いったいなんなのか?

 アニャはこちらを振り返り、早口で捲し立てるように叫んだ。


「イヴァン、井戸の水を汲んできて。それに、蜂蜜と塩を溶かすの。あと、濡れ手巾もいくつかお願い」

「了解!」


 アニャにはツヴェート様が今必要とするものがわかるようだ。俺はさっぱりなので、命令に従うばかりである。


「アニャ、持ってきたよ」

「ありがとう」


 アニャはツヴェート様を膝枕し、その辺に落ちていたであろう紙で顔を扇いでいた。

 どうやら、体を冷やさないといけないらしい。

 まず、水に浸して絞ってきた手巾は、首筋、脇の下、腿の付け根などに当てられる。

 この辺りには太い血管が通っているので、手っ取り早く体を冷やすことができるようだ。


「イヴァンは、ツヴェート様を紙で扇いでいて」

「わかった」


 体を冷やしたら、ツヴェート様の具合もよくなる。アニャの言葉に従い、力いっぱい扇いだ。

 アニャは蜂蜜と塩を溶かした水を、ツヴェート様に飲ませている。

 ゆっくりと嚥下している様子だったので、ひとまず安堵した。


「アニャ、ツヴェート様はどうしたの?」

「たぶん、塩分不足によるけいれんだと思うの」


 炎天下の中で作業すると、大量の汗をかく。水分補給は大事だが、それだけではダメなのだという。


「汗をたくさんかいて体内の塩分濃度が低くなると、危険な状態になるの。塩分濃度をさらに上げるために汗を余計にかく。その結果、脱水症になって、意識障害やけいれんが起こるのよ」

「塩分を摂取しないと、いくら水を飲んでも無駄になるってわけ?」

「そう」


 汗をたくさんかく日は、水をたくさん飲め。そんな話を耳にしたことがある。けれど、水を飲むだけでは意味がないようだ。


「アニャは本当に物知りだ」

「ただ、医学書を読んでいただけよ。夏は熱に侵されて倒れる人が多いから」


 人は夏の暑さが原因で、病気になってしまうらしい。

 この時季は、作業に熱中するあまり、倒れる人が多いようだ。


 今回、ツヴェート様は腹部を押さえ、足や腕が震えていた。さらに、噴き出る汗と顔色から、塩分不足によるけいれんではないかと判断したようだ。


「っていうか、医学書まであるんだ。外国語で書かれているんでしょう?」

「ええ。たまに、専門用語とかあって、読めない箇所もあるけれど」


 アニャの家には医学書も数冊置いてあり、時間があるときに勉強しているのだという。

 蜜薬での治療は民間療法ではなく、医学に基づいて行われているようだ。


「ちなみに、塩の他に蜂蜜を入れた理由は?」

「すぐに栄養分として吸収されるからよ。おまけに、蜂蜜は胃腸の負担にならない。病人にはうってつけなの」

「なるほど」


 ツヴェート様は一杯の蜂蜜水を飲みきった。


「ううん……!」

「ツヴェート様!」


 アニャの呼びかけに、ツヴェート様は反応を示す。

  うっすらと、瞼を開いた。


「ああ、とうとう、お迎えがやってきたか」

「ツヴェート様、違うわ。私、アニャよ!」

「アニャ?」

「ええ。イヴァンもいるわ」


 ツヴェート様は目をパチパチと瞬かせる。アニャが「お水飲む?」と声をかけると、こくりと頷いた。

 水差しに用意していた蜂蜜水を三杯飲み干し、ふーと息をはく。


「あんたらがここにいるとは思わなかったから、驚いたよ。てっきり、天に召されたのかと」


 どうやら、アニャがお迎えにやってきた天使に見えたらしい。その気持ちは、よくわかる。アニャの容姿は、宗教画に描かれていそうな天使に似ているのだ。


 ツヴェート様を抱き上げ、寝台へ運んだ。

 話を聞くと、やはり、炎天下の中で長時間働いていたらしい。


「水はしっかり飲んでいたから、大丈夫だと思ったんだよ」


 しかしながら、汗が止まらなくなり、おかしいと気づいたようだ。


「少し眠ったらよくなる、そう判断して眠っていたんだけれど――」


 寝台の傍らに水差しを置き、時折飲みながら睡眠を取っていたと。

 それなのに、いっこうによくならない。


「何か食べたほうがいい。そう思って台所へ向かおうとしていたところで、倒れたようだ」

「やっぱり、塩分不足だったみたい」

「なんだい、その塩分不足というのは?」

「人は塩分が足りなくなると、具合が悪くなるのよ」


 きちんと食事を取っていたら、塩分不足になることもないだろう。しかし、ツヴェート様みたいに、炎天下の中で食事も食べずに働いていたら、あっという間に塩分不足になってしまうようだ。


「前に、医者から、塩分はなるべく控えるように言われていたんだよ」

「たしかに取り過ぎは問題だけれど、ある程度取り入れないと大変なことになるのよ」

「そう、みたいだね」


 アニャはスープを作ると言って、台所のほうへと駆けて行った。

 置いてけぼりにされた俺は、ツヴェート様を厚紙で扇ぐ係を続ける。


「あんた、なんでそんなに薄汚れているんだい? 男前が台無しだよ」

「煙突から、この家に入ったんだ」

「そうだったのかい。迷惑をかけたね」

「そんなことないよ」


 ツヴェート様は小さな声で、ありがとうと呟く。どういたしましてと返したら、ぷいっと顔を逸らした。

 若造に助けられて、照れているのか。


「ゆっくり、休んで。あとで、庭の植物に水も与えておくから」

「ああ。そうさせてもらうよ」


 先ほどよりずっと顔色がよくなったツヴェート様を見ながら、ホッと安堵の息をはく。

  ひとまず、間に合ってよかった。

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