養蜂家の青年は、蜜薬師の花嫁に誓う
結婚するにあたり、教会で式を挙げることは通過儀礼とされている。
これまで、大勢の兄達の結婚式を祝ってきた。
何回も何回も繰り返せば、手順も覚えてしまう。
「まず結婚するには、お互いの意思を確認しないといけない。アニャは、俺と、結婚を、してくれますか?」
今更ながら、こんな質問をするのは恥ずかしい。けれど、ここでしっかり意志の確認をしておく必要があるのだ。
アニャは俯き、黙り込んだまま。
すかさず、アニャの両手を握って、懇願する。
「アニャ、お願い。俺と、結婚して!」
「でも……」
「心の底から俺が嫌いだったら、別に、そのまま黙り込んでいてもいいけれど」
「嫌いじゃないわ!!」
アニャが強く否定してくれたので、ひとまずホッとする。
だからといって、結婚を了承してくれたわけではないが。
「ここでアニャが結婚すると言ってくれないと、先に進めない」
アニャをしっかり見つめ、心の内が伝わるように話しかける。
「俺は、この先、アニャ以外の女性と結婚する気はない。だから、ここでアニャが結婚を受け入れてくれなかった場合は、ああ、生涯独身なんだな、で終わるだけ」
「そんな……わからないじゃない」
「あのね、アニャ。結婚したいと思える女性との出会いって、奇跡なんだよ。そうそう、あるわけではない」
これは、はっきり言い切れる。
結婚は、生涯に一度だけ。神の教えでは、基本的にはそうなっている。
死別した場合は再婚も認められているが、ふたり目の妻を娶る人なんてそうそういない。
俺にとって、アニャこそが運命の相手。最愛の妻となるだろう。
「イヴァンは、私の、どこがいいの? 見た目は幼いままだし、子どもは産めないだろうし、色気もないし、山奥に住んでいるし」
「アニャ、止めて。自分を、卑下しないで」
口にするたびに、アニャは知らないうちに傷ついているのだ。
もう二度と、そんなことを言って欲しくない。
「だって、だって、私――」
「俺は、明るくて、元気で、頑張り屋さんなアニャに惹かれたんだ。そんなアニャと、夫婦になって、一緒にいたいと思った。それだけじゃ、ダメ?」
アニャは弾かれたように、顔を上げる。
顔は涙やら赤面しているやらで、ぐじゃぐじゃだ。
そんなアニャを、世界一愛おしいと思った。
だから、ありったけの勇気をかき集めて、結婚してくれと頼み込む。
「アニャ、俺を、受け入れて。夫として、選んで。お願い」
あとはひたすら、頭を下げるばかりだ。
アニャにとっても、俺が運命の相手でありますように。そう願いながら。
「イヴァン、本当に、私で、いいの?」
「アニャがいいの」
「本当に、物好きで、変な人……」
力なく握られるままだったアニャの手が、俺の手をぎゅっと握る。その瞬間、顔を上げた。
アニャは、笑顔だった。
「イヴァン、私でよければ、妻に、してください」
「アニャ!!」
あまりの嬉しさに、アニャを抱きしめる。が、勢い余って、アニャを押し倒してしまった。
「きゃー!!」
「どわっ!!」
周囲はたんぽぽ畑だが、突然押し倒されたアニャは驚いただろう。すぐさま起き上がって、アニャに謝る。
「アニャ、ごめん!!」
「イヴァン、じゃれつく犬みたいだったわ」
そう言って、アニャはくすくすと笑う。
周囲のたんぽぽが、肩をふるわせるアニャに合わせてゆらゆらと揺れていた。
その様子があまりにも可愛くて、アニャの頬にキスをした。
突然の行動に、アニャは硬直する。
「今、な、なんで、キスしたの?」
「愛おしかったから」
「なっ……!」
たんぽぽ畑に寝そべったままのアニャに接近し、結婚式の誓約を囁く。
それは、いかなる場合においても、手に手を取って協力し合い、苦難も幸せも、共に分かち合おうという言葉であった。
アニャはこくんと、頷いてくれた。
「俺も、アニャに、誓う」
アニャの耳元にあったたんぽぽを摘んで、指輪に見立てる。それを、アニャの左手の薬指に嵌めた。
「今は、こんなものしかないけれど」
「ううん、ありがとう。嬉しい」
いつか、銀の指輪をアニャに贈りたい。
「そうだわ。指輪は、交換するのよね。私も」
アニャは起き上がり、たんぽぽを吟味し始める。その横顔があまりにも真剣で、笑ってしまった。
アニャは小ぶりのたんぽぽを選び、器用な手つきで指輪を作る。
そして、俺の指に嵌めてくれた。
「これで、私達は夫婦?」
「いや、まだ最後の儀式が残っている」
それは、結婚式において、もっとも重要なものであった。
「そんなの、あったかしら?」
「あるよ」
アニャの耳元に、そっと囁く。すると、彼女の頬は、熟れたリンゴのように真っ赤に染まった。
結婚式において、もっとも重要な儀式。それは、誓いの口づけである。
これは、誓った誓約を封じ込める大事な意味合いもあるのだ。
「え、キスって、唇と唇よね?」
「まあ、そうだね」
「ちょっと待って、心の準備をするから」
「どれくらいかかる?」
「一時間くらい?」
「あまりにも長い」
しかし、アニャの心の準備ができるまで、いつまでも待とう。
そう思っていたら、アニャが笑い始める。
「冗談よ」
そう言って、目を閉じた。
これは、心の準備が整っていると示しているのだろう。
ならばと、アニャの肩を掴んで、そっと接近する。
間近で見るアニャが、かすかに震えているのに気づく。
きっと、心の準備なんてできていないのだろう。
「アニャ、俺の心臓の音、聞いてみて。やばいくらい、バクバクいっているから」
「え?」
アニャは言われたとおり、耳を傾ける。だが、何も聞こえなかったと、不服そうな目で見てきた。
「心臓の音というのは比喩でして、えーっと、こんな感じです」
アニャの手を借りて、俺の胸に当てる。今度こそ、鼓動を感じたのだろう。ハッと目を見張っていた。
「イヴァンは、こういうのは慣れているのかと思っていたわ」
「キスするのも抱擁するのも、アニャ以外の女性にしたことなんてないから」
「そ、そうよね。ドキドキしているのは、私だけかと思って、恥ずかしくなっていたの」
「俺もだよ」
アニャはホッとしたように微笑み、目を閉じた。
彼女のことは、絶対に幸せにする。
そう心に誓い、ほんのちょっと触れるだけのキスをした。
今の俺には、これが精一杯である。
目を開いたアニャは、幸せいっぱいと言わんばかりの笑顔を浮かべていた。
この瞬間、俺たちは本当の夫婦となったのだ。




