養蜂家の青年は、甥や親友と再会する
アニャは号泣したので、化粧が崩れてしまったらしい。
川で顔を洗い、いつものアニャとなった。
「ごめんなさい。もしかしたら、イヴァンが子どもと結婚したとお友達に思われるかもしれないわ」
「気にしなくてもいいよ。アニャはアニャであることに変わりないから」
そんなことを話しつつ、下山した。
一ヶ月ぶりのリブチェス・ラズである。相変わらず、のんびりとしている。
アニャに想いを寄せるカーチャや、カーチャに想いを寄せるノーチェに見つからないよう、アニャとふたり頭巾を深く被った状態で村を歩く。完全に怪しいふたり組だが、これはトラブルを起こさないための自衛なのだ。
「あ、そうだ。アニャ、時間があったら、ツヴェート様のところにも寄りたいね」
「いいわね。欲しい刺繍糸もあるし」
ミハルとツィリルは、宿屋で待っていると話していた。もう、到着しているだろうか。
「少し早いかなーってアニャ、どうかしたの?」
「え? あ、えっと……。緊張しているの。イヴァンのお友達と家族に会うから」
「緊張しなくても大丈夫だって。ミハルは実家が商売しているから愛想がいいし、ツィリルは八歳の子どもだから」
「それでも、緊張するんだから!」
頬を染め、緊張した面持ちのアニャが可愛い。
いつもだったら本人に向かって「アニャ、世界一かわいー!」なんて言っているのに、なんだか恥ずかしくて言えない。
アニャに対する気持ちに気づいてからというもの、逆にぎくしゃくしているような気がしてならなかった。
これが恋だとしたら、あまりにも厄介だろう。
「イヴァンのほうこそ、おかしいわ」
「いや……なんていうか、アニャの緊張が、移ったのかもしれない」
「何よ、それ」
ミハルやツィリルが待っているかもしれないから早く行こう。そう言って、アニャは手を差し出してくれる。
これまでになく、ドキドキしながらアニャの手を握った。
手汗でびしょびしょな気もするけれど、こうしてアニャと手を繋いでいたら「幸せだな」としみじみ思う。
この時間が永遠に続けばいいのに。なんて考えていたら、背後から名前を叫ばれた。
「イヴァン兄~~~~~~~!!!!」
振り返った先に、ツィリルがいた。全力で、走ってくる。
「ツィリル!!」
走った勢いのまま、ツィリルは胸に飛び込んできた。想定以上の衝撃に、胃の中のものが戻ってきそうになったが、なんとか堪えた。
「イヴァン兄だ! イヴァン兄だーー!」
「ツィリル、よく後ろ姿でわかったね」
「わかるよ! ずっと、イヴァン兄の背中を見ていたんだから」
「そっか」
頭をぐりぐり撫でていると、嬉しそうに目を細める。ツィリルに可愛いと言うと怒るので、心の中でのみ思っておく。
「おい、ツィリル! いきなり走るなよ。危ないな」
あとからやってきたのは、ミハルだった。
「ミハル!!」
「おう、イヴァン。久しぶりだな」
感極まって手を広げたが、ミハルは胸に飛び込んでこなかった。
「なんでお前と抱擁しなきゃいけないんだよ!」
「そうだった」
これは、おそらくマクシミリニャンの影響だろう。知らぬ間に、他人と抱擁を交わす癖がついていたようだ。
「それよりも、背中に隠している嫁さん紹介してくれよ」
「別に隠しているわけじゃないんだけれど」
横にずれて、アニャを紹介する。
「彼女は、妻のアニャ。俺の、ひとつ年下で、十九歳」
俺もアニャも、ありえないくらい緊張していた。もしも、ミハルがアニャの見た目について何か言ったら、号泣してしまうだろう。
「よろしく。俺はイヴァンの大親友、ミハルだ」
「あ、えっと、よろしくお願いいたします」
ミハルはごくごく普通に挨拶し、会釈していた。
アニャが幼いと、驚く様子はない。ホッと胸をなで下ろす。
「アニャ、こっちは甥のツィリル。養蜂園では、よく仕事を手伝ってくれたんだ」
アニャは姿勢を低くして、笑顔で挨拶してくれた。ツィリルの頬が、赤く染まる。いっちょ前に、照れているようだ。
「ミハル、ツィリルも、お腹が減っているでしょう? 何か食べよう」
「賛成ー!」
「さすが、イヴァン。気が利くな」
村で唯一の食堂では、絶品のマス料理が提供される。
煮付けにバター焼き、塩焼きにニンニク焼きと、調理方法も豊富だ。
アニャは煮付けを、ミハルはバター焼き、ツィリルはニンニク焼き、俺はシンプルな塩焼きにした。
「いやー、まさか、イヴァンが妻帯者になるなんて、想像もしていなかったなー」
「俺も、結婚できるとは思っていなかった」
「する気がなかっただけだろうが! お前、街の女の子に、モテまくっていたからな!」
「は!?」
信じがたい顔でミハルを見るのと同時に、アニャがすさまじい顔をこちらに向ける。「ほら! 前に言ったじゃん!」みたいな表情で俺を見ていた。
「いや、モテていた覚えがないんだけれど」
「それは、お前が高速で街を歩いていたから、女の子は声をかけられなかっただけなんだよ」
「いやいや、ないない」
手をぶんぶん振って否定していたが、ツィリルも口を挟む。
「そういえば、養蜂園にやってきて、イヴァン兄を訪ねてくる女の人が、何人かいたよ。でも、おばあちゃんや、母さん達が、そういう人は追い返せって言っていたから、いつもイヴァン兄はいませんって、言ってた」
「何それ。ぜんぜん知らなかったんだけれど」
アニャの目つきが、だんだん鋭くなっていく。これまで散々、モテていたのはサシャのほうだと主張していたからだろう。
そんな状況で、ツィリルはさらなる爆弾を投下してくれた。
「あ、そういえば、ロマナ姉ちゃん、赤ちゃんができたんだってー」
隣に座るアニャのまとう空気が、一瞬にして凍るのを身をもって感じた。




