養蜂家の青年は、普段と違う蜜薬師の花嫁に戸惑う
朝――家畜の世話をし、皆で食卓を囲む。
いつもより時間が早いのは、今日はアニャとふたりで山を下りるからだ。
外でアニャを待っていたら、マクシミリニャンが追加で蜂蜜を持ってくる。
「すまぬ。これを、納品してくれないか?」
「了解」
なんでも、先ほど伝書鳩が飛んできて、なんでも屋さんから蜂蜜が完売したので追納してくれと頼まれたようだ。
「あれ、でも、一週間前にお義父様が持って行ったばかりでは?」
「なんでも、今年の蜂蜜はとんでもなくおいしいらしい。すぐに売り切れとなったようだ」
「へえ、そうなんだ」
マクシミリニャンは不思議そうな顔で見つめる。
「え、何?」
「いや、イヴァン殿のおかげだぞ」
「俺、何かした?」
「蜜蜂の世話をしただろう」
「したけれど」
「イヴァン殿のしていた蜜蜂の世話を、我々も取り入れた。その結果、蜂蜜の味がよくなったのだ。それに、客が気づいたのだろう」
「え、そういうことってある?」
「ある」
雄蜂の管理から、害虫の駆除、日よけを作り、スズメバチを徹底的に退治した。
その結果、良質な蜂蜜が仕上がったのだとマクシミリニャンは褒めてくれる。
「でもまあ、一番頑張ったのは蜜蜂だけれど」
「間違いない」
マクシミリニャンとアニャは互いに気づいていたようだが、なんとなく指摘する機会がなかったと。
「いや、夏の暑さや雨量によっても風味が変わるものだから、もうしばし様子を見ようと思っていたのだ。しかし、こうも明らかに売れることは、今までなかった。イヴァン殿の手柄だろう」
「そっか。お役に立てていたのならば、幸い、かな」
扉が開いた音が聞こえた。アニャの身支度が終わったようだ。
「イヴァン、ごめんなさい! 遅くなって」
「大丈夫、だいじょう――」
振り返った先にいたアニャは、いつもと違う雰囲気だった。化粧をしているのだろう。かなり大人っぽい。普段は十二歳くらいにしか見えないが、化粧をしたら十六歳か十七歳くらいに見えた。
「え、アニャ、どうしたの!?」
「あの、お化粧を、してみたの」
「え、嘘っ、きれい!!」
褒めたあと、アニャが「あまり見ないで」と頬を染めつつ言ったので、なんだか恥ずかしくなってしまった。
顔を逸らした先に腕組みしたマクシミリニャンがいたので、急に現実に引き戻される。
夫婦で照れている場合ではなかった。
「あの、お義父様、行ってきます」
「気をつけて行かれよ」
「はい」
アニャと共に、出発する。
相変わらず、山の急斜面を下りるのは辛い。こまめに休憩をしないと、バテてしまう。
休憩のたびに、アニャは俺に質問してくる。
「ねえ、イヴァン。お化粧、崩れていない?」
「大丈夫、きれいだよ」
「もう! そういうのを聞いているんじゃないの!」
肩を叩かれたが、ぜんぜん痛くない。むしろ可愛い。
いつもだったらそのまま伝えているが、今日はなんだか照れてしまう。アニャの雰囲気が、いつもと違うからだろう。
「イヴァン、どうしたの? 急に、黙り込んで。もしかして、叩いたの、痛かった?」
アニャの顔が眼前に迫り、顔を素早く逸らしてしまう。
誤解を生まないように、正直に話したほうがいいだろう。でないと、アニャが気にしてしまう。
「あ、あの、なんていうか、今日のアニャが、きれいだから、俺……緊張! そうだ。緊張しているんだと思う」
「な、なんで緊張するのよ」
なぜ、どぎまぎしてしまうのか。
これまでのアニャは、気軽に「可愛い」と言っていたのに。
「あ――!」
今になって気づく。俺はたぶん、初めてアニャを女性として意識したのだろう。
もちろん、これまでも可愛いと思っていたし、アニャのことは好きだった。
けれどそれは、甥や姪に感じる可愛いと同じような感情だったのだろう。
アニャを十九歳の女性として扱ってはいたものの、見た目は十二歳の少女である。脳内で混乱が生じていたのかもしれない。
「なんて、説明したらいいのかな」
年若い少女を女性として見てはいけない。そんな思いが、アニャへの感情を家族愛に変換していたのだ。
これまで散々、俺に対するアニャの態度が、「近所の気のいいお兄さんに対するもののようだ」と思っていた。
けれど、俺も無意識のうちにアニャを妹のように可愛がっていたのだ。
その点は、深く反省する。
アニャは見た目は幼くても、言動や考えはきちんとした成人女性そのものである。少女扱いするのは、失礼極まりないことなのだ。
そんな複雑な感情を、アニャに伝えた。
アニャはうるんだ瞳で、「よかった」と呟く。
どうやら、アニャを不安にさせていたようだ。
「私、ずっと、女として、見られていないのかと、思っていたの」
「アニャ、ごめん」
眦に涙を浮かべるアニャを、ギュッと抱きしめた。




