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養蜂家と蜜薬師の花嫁  作者: 江本マシメサ


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養蜂家の青年は、女達の争いに戦々恐々する

 あと一秒反応が遅れていたら、扉に激突して鼻血を噴いていたかもしれない。己の反射神経のよさに、心の中で感謝する。

 おそらく、扉を開いた彼女には、アニャしか見えていなかったのだろう。家族からもよく「あら、イヴァン、そこにいたの?」と言われるくらい存在感が薄い。もう、慣れっこだ。


「ノーチェ、久しぶりね」

「本当に。あなたは、相変わらず、月に一回村に下りてきていたの?」

「ええ、まあ……」


 アニャの声色がいつもより硬い気がする。もしかしたら、苦手な相手なのかもしれない。


「あのね、私、結婚したの」


 それはアニャの発言ではなく、ノーチェと呼ばれた女性のものだった。

 なんでも、土産屋さんの主人と結婚したらしい。それとなく、自慢げに語っている。


「十四歳も年上だけれど、鬱陶しい家族や親戚、子どももいないし、この近辺では一番お金持ちだし」


 土産屋さんはかつて、貴族向けに販売していた伝統工芸の売り上げで財産を築いたらしい。今は職人も少なくなった上に、貴族がやってくることはない。現在は昔の繋がりを頼り、なんとか生計を立てているようだ。


「ごめんなさいね、自慢みたいになってしまって。あなたも、そのうちカーチャと結婚するんでしょう?」

「カーチャとは、結婚、しないわ」

「どうして!?」


 それは、怒りを含んだ声だった。アニャはビクリと肩を震わせ、一歩後ろに下がる。


「カーチャは、アニャと結婚するから、私とはできないって言ったのよ!?」

「そんなの、知らないわ。私、一度もそういう話は聞いていないもの」

「酷いわ。カーチャも、あなたも!」


 どうしようか。ここで俺が出て行ったら、今以上に雰囲気が悪くなるような気がする。けれど、一方的に責められるアニャも気の毒である。


「私は、カーチャが結婚しないっていうから、年上の、財産ばかりが自慢の冴えない夫と結婚したっていうのに!!」

「ノーチェ、ちょっと、その、声が大きいわ」

「アニャのくせに、私に物申さないでちょうだい!!」


 ノーチェは手を挙げ、アニャを叩こうとする。これはまずいと、アニャとノーチェの間に割って入った。


 バチン! と、大きな音がした。頬に、鋭い痛みが走る。

 ノーチェは驚いた顔で、俺を見ていた。

 叩かれた頬はジンジンと痛むが、衝撃で帽子が取れなくて内心ホッとしている。


「あ、あなた、誰よ?」

アニャあひゃの、ほっとす」


 口の中を切っているので、上手く喋ることすらできなかった。なんて情けないのか。


「な、なんですって?」

ほっと……」

「イヴァンは、私の夫よ」

「なっ、どうして早く言わないのよ!?」

「ノーチェが結婚の報告をしていたから、話を折らないほうがいいと思って」


 ノーチェは赤毛で長身の美人だった。今は、親の敵のような視線を俺に向けている。美人が台無しである。


「どうはじめはひめましはひて……」

「アニャ、あなた、まともにお喋りもできない人と結婚したの?」

「ノーチェが頬を叩いたから、上手く喋れないだけよ」

「本当に?」


 俺が間抜けだったばかりに、アニャに恥をかかせてしまった。ふたりの間に飛び出すのではなくて、アニャの腕を引いて助ければよかったのだ。


「それよりもノーチェ。イヴァンに謝ってくれる?」

「なんでよ? この人が勝手に私の前に飛び出してきたのでしょう? むしろ、叩いた手のほうが痛いくらいよ」

「なんですって!?」


 これまで萎縮しているように見えたアニャだったが、今は目をつり上げて怒っている。

 なんていうか、ふたりとも、怖い……。


「他人に手を挙げたノーチェが悪いに決まっているじゃない! イヴァンは悪くないわ」

「この人がいなかったら、私は痛い思いをしていなかったんだから!」


 やめて~。俺のために、喧嘩しないで~。

 なんて言いたかったが、口の中は血の味が広がっていてそれどころではない。どこかに井戸か何かないのか。口をゆすぎたい。


「いいから、イヴァンに謝って!」

「うるさいわね! あなた、昔から生意気なのよ!」

「そのお言葉、そっくりそのままお返しするわ」


 喧嘩の仲裁なんて、できない。だから、アニャを抱き上げて逃走した。


「ちょっと、逃げるつもり!?」


 逃げるが勝ちである。

 ノーチェは追いかけてこなかったので、ホッとした。

 村を出て、山の入り口付近まで走る。


 横抱きにしていたアニャを下ろし、息を整えた。


「はあ、はあ、はあ、はあ……!」


 ふーーーーと深いため息をついたのと同時に、アニャは革袋に入れた水を差しだしてくれる。ありがたく受け取り、口の中をゆすいだ。


「イヴァン、頬を、見せて」

「あ、うん」


 アニャは酷く落ち込んだような声で「内出血しているわ」と言った。


「だったら、叩いた彼女も相当痛かっただろうね」

「自業自得よ」


 アニャはしばらく頬を冷やしたほうがいいと言って、麓の湧き水が湧いている場所へ連れて行ってくれた。

 そこに寝転がり、湧き水を浸した布を絞ったもので、患部を冷やしてくれた。

 冷たくて、気持ちがよかった。 


「ねえ、イヴァン」

「ん?」

「私、最初に会った奥さんに、結婚したって自慢したでしょう? なんていうか、ノーチェみたいに、嫌な感じだった?」

「そんなことはない。可愛かったよ」


 正直に答えたのに、「真面目に答えて!」と怒られてしまった。

 本当に、可愛かったのになあ……。

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