養蜂家の青年は、認められる
ツヴェート様の家から出てくると、アニャが駆け寄って胸の中に飛び込んできた。
弾丸のように勢いのあるアニャを、受け止める。
「イヴァン、大丈夫だった?」
「うん、なんとか。わかってもらえたよ」
「よかった」
アニャは腰に手を回し、ぎゅっと抱きついてくる。よほど、心配していたのか。
頭をよしよしと撫でていたら、ツヴェート様が出てきた。
慌てて離れようとしたけれど、アニャは離れない。ツヴェート様がわざとらしくごほん、ごほん!! と咳払いしても、アニャは空気を読まなかった。
「アニャや、いい加減、旦那から離れるんだよ。困っている顔が、見えないのかい?」
別にぜんぜん困っていない。なんだったら、あと一時間はこのままでもいい。
そう思っていたのに、アニャは離れてしまった。
「アニャ、悪かったね。あんたの旦那を、疑って」
ツヴェート様の言葉に、アニャはぶんぶんと首を横に振った。
「いいの。私が、イヴァンに相応しくなかったから、そういう風に、見えただけで」
アニャの声が震える。目も、潤んできている。これはよくない流れだ。
「アニャ――」
「アニャ・フリバル!!」
大地が揺れるのではと思うくらいの、どでかいツヴェート様の声に、アニャの涙は引っ込む。俺は逆に、びっくりしてちょっと涙目になった。
ツヴェート様は親指を立てて、ぐっと前に突き出す。そして、アニャへ言った。
「あんたの旦那、いい男だよ。大事にしてやりな!」
「も――もちろん!!」
それから、ツヴェート様は俺にも声をかけてくれる。
「イヴァン、アニャを頼んだよ」
ツヴェート様はポンと軽く俺の肩を叩いたが、拳をぶちこんだのではと思うくらい力が強い。
暗に、「アニャを泣かせたら殺す!!」というメッセージが隠されているように思えてならなかった。
その後、俺とアニャはツヴェート様の庭仕事を手伝う。染め物に使う植物を、ひたすらハサミでパチパチと断つだけのお仕事だ。
「そういえばあんた達、宿は取っているのかい?」
「いいえ、今からよ」
村の宿屋は、満室になることはないらしい。だから、飛び込みで行っても問題ないと。マクシミリニャンは「伝書鳩を使って、予約したほうがよい」と主張していたが、アニャは「大丈夫よ。宿は絶対に満室にならないわ」と言っていた。
マクシミリニャンはかなりの心配性なので、きっとアニャの言っていることが正しいのだろう。
「だったら今晩は、うちに泊まっていくといい」
「え、いいの?」
「ああ。泥んこの姿で宿に行っても、迷惑がられるだろう」
「あ、そうね」
ツヴェート様は風呂を沸かしてくるという。手伝おうかと名乗り出たが、採ったばかりの草花を縛って干しておく作業を言いつけられた。
アニャとふたり、草花縛りを行う。
「イヴァン、びっくりしたでしょう?」
「あ、うん。びっくり。染め物用の草花って、こんなに手に色を付けてくれるんだね」
指先が草色である。アニャは赤系の草花を採っていたので、手先が真っ赤だ。
「びっくりしたのは、手が草色に染まったことじゃないわ。ツヴェート様のことよ」
「ツヴェート様? 元気なお婆ちゃんだなとしか思わなかったけれど」
「イヴァン、あなた、本当に大物だわ」
軽く挨拶するつもりだったらしい。まさかあそこまでいろいろ物申すとは、アニャも想像していなかったようだ。
「アニャの、本当のお婆ちゃんみたいだね」
「そう、見えた?」
「見えた」
そう答えると、アニャは照れくさそうに微笑んだ。
作業が終わると、真っ暗になっていた。井戸で泥を落とし、手を洗う。
そのタイミングで、ツヴェート様が風呂が沸いたと知らせてくれた。
「先に入るといいよ」
「私はあとでいいわ。イヴァンが先にどうぞ」
「いやいや、俺よりもアニャが入りなよ」
「なんだい。譲り合っていないで、一緒に入ればいいじゃないか」
ツヴェート様の提案に「なるほど!」と言ったら、アニャにジロリと睨まれてしまった。
「え、でも、初めて会ったとき、一緒に入ったじゃん」
「あのときは、髪の毛を洗ってあげただけでしょう? 私は、裸じゃなかったし」
「いやいや、あれの延長みたいなもんだって」
「ぜんぜん違うから!」
アニャをからかうのもこれくらいにして。
ツヴェート様が「女の風呂は時間がかかるから、あんたが先に入ってきなよ」と背中を叩かれた。ありがたく入らせていただく。
風呂は離れにあった。古きよき、鋳鉄製のお風呂だ。火傷しそうなくらいのアツアツの湯が、満たされていた。
入浴を終えて外に出ると、ヒュウと冷たい風が吹く。春とはいえ、夜は冷える。
夜空を見上げたら、山の上より星が少なくて驚いた。こんなにも、夜空に違いがあるなんて。
煙突から、もくもくと煙が漂っている。肉が焼けるような、いい匂いが漂っていた。
家にお邪魔させてもらおうかと思った瞬間に、扉が開く。
「イヴァン、何をぼんやりしているんだい! 早く、家の中へお入り。風邪を引くよ」
「わかった」
怒られたのに、なぜか心が温かくなる。ツヴェート様は不思議な人だとしみじみ思った。




