養蜂家の青年は、鶏(いのち)と対峙する
朝――ツヴェート様に「イヴァン、来な」と呼び出される。
アニャの花嫁衣装について何か話すのかと思いきや、たどり着いた先は鶏舎。
卵を回収したあと、鶏舎の清掃を行う。
鶏の健康状態を確認し、外に出ようとしたところ、ツヴェート様に引き留められた。
「ちょっと待ちな!」
「はい?」
「あんた、鶏の解体、やったことないだろう?」
「な、ないです」
「教えてやるから、やってみな!」
「へ!?」
卵を産まなくなった雌鶏がいるらしい。ツヴェート様がビシっと指差す。
「俺が、鶏を、解体する、と?」
「そうだよ」
とうとう、この瞬間がやってきたのだ。
なんとなく、俺もやらなければいけないな、と思いつつも、言い出せずにいた。
普段、おいしく食べている肉は、もともとは生きていた命。
わかっていたものの、いざやれと言われたら抵抗がある。
すでに、銃で熊を仕留めたり、兎を罠にかけて皮を剥いだりした。
けれども、毎日顔を合わせ、「おはよう」だなんて声をかけていた鶏を自ら手に掛けるのは、訳が違う。
普段から、アニャに家畜に名前を付けるなとか、話しかけるなとか言われていた。情が湧くから。
大丈夫だなんて思っていたものの、今、酷く動揺している。
ちなみに、ツヴェート様も放し飼いで鶏を飼っていた。解体はお手のものなのだろう。
鶏を前にうろたえていたら、ツヴェート様に背中を強く叩かれた。
「早くおやり!」
「は、はい」
感傷に浸る時間など許してくれないらしい。個人的な感情はさっさと隅に押しやって、作業にかかる。
鶏の捕まえ方は、アニャから習った。
こう、やる気いっぱいに「捕まえるぞ~!」みたいな感じで接近すると逃げられてしまう。鶏も、自分の運命がわかってしまうのかもしれない。
私は掃除をしていますよ、鶏には興味ありません、みたいな空気をまき散らしながらゆっくりゆっくり接近する。
至近距離までやってきたら、顔を逸らした状態で、視界の端にいる鶏を素早く捕獲するのだ。
一歩、二歩、三歩――鶏に近づく。逃げる気配はまったくない。
藁を拾い上げるふりをして、しゃがみこむ。
そして、鶏の足へ素早く手を伸ばした。
鶏は羽をばたつかせ、こけこけと鳴いている。あろうことか、いつも「おはよう」と言ったら、「こけー!」と返してくれる雌鶏だった。これから解体するなんて、胸が痛む。
心の中で「ごめん」と謝罪しつつ、鶏舎の外に出た。
「じゃあ、鶏の解体方法を教えるから、自分でやってみるんだよ」
「はい」
なんていうかこういうのは一回見て覚えて、次から頑張ろう、みたいな流れになるのが普通なのではないのか。
いきなり、説明を聞きながら解体しろとか、厳しすぎませんか?
冬の寒さよりも、容赦ない。ツヴェート様、さすがすぎる。
鶏の解体は、雪の中で行われる。
ガタガタと、震えていた。寒さからくるものなのか、恐怖からなのか、よくわからない。
「まず、足を握った状態で鶏を逆さまにして、空いている手で、首を掴む。そのまま首を捻るんだ」
「うわああああ、うわああああああ」
「うるさい! さっさとやるんだよ」
「はい……」
このまま逆さ吊りも辛いだろう。
マクシミリニャンも言っていた。命を奪うときは、長く苦しませてはいけない、と。
「はあ、はあ、はあ、はあ――くっ!!」
バタバタと動いていた鶏は、しだいに大人しくなった。
いつまで経ってもガタガタ痙攣していると思いきや、俺の手が震えているだけだった。
以前、マクシミリニャンと兎を解体したときも、恐ろしかった。
けれど今回は、それ以上だ。
雪深いシーズンは、山に入るのは危険だ。だから、こうして家畜から肉を得なければいけない。
生きていくために、必要な行為なのだろう。
けれど、なんだか残酷なことをしているように思えて、怖くなった。震えが、止まらない。
「ツヴェート様、ごめん。なんか、情けなくて」
「いいんだよ。命を奪うんだ。それくらい、恐れてもいい」
ツヴェート様に励まされつつ、血抜きを行い、羽を毟って、内臓を抜く。
雪で鶏肉をもみ洗いし、なんとか解体は完了となった。
全身汗だくだ。全力疾走したくらいの疲労感がある。
これまで、アニャやマクシミリニャン、ツヴェート様は大変な思いをして、解体していたのだ。心から感謝したい。
そして、命の糧となる鶏にも。
解体した鶏は、アニャの手に託される。
骨はスープにするために煮込まれ、肉は煮たり、焼いたりしておいしくいただく。
羽根も、一枚も残さずに利用する。
ツヴェート様は羽根を染めて、髪飾りを作って売っていたそうだ。アニャは、釣りに使う毛針作りに使うと言っていた。
アニャと共に羽根を選別しながら、ぽつりと零す。
「俺、わかっているようで、ぜんぜんわかっていなかった」
「何が?」
「日々、命を奪って、生きているんだってことに」
毎日祈りを捧げて食材に感謝していたが、今まで見えていたのはほんの一部だったのだ。
「そんなの、最初からすべて理解している人なんて、いないわよ」
「でも、アニャはずっと、世話をしていた鶏を、解体して食べていたんでしょう?」
「ええ、そう。お父様からやれって言われたのは、十歳くらいのときだったかしら?」
「そんなに早かったんだ。十歳のアニャが受け入れられたのに、二十歳を超えた俺が、こんなに落ち込んでいるなんて」
「受け入れられるわけないじゃない」
「え!?」
「今も、怖いわ。できるならば、したくないわよ」
割り切って、作業だと思いたくないとアニャは言う。俺の反応は、ごくごく普通だとも。
「そっか。そうだったんだ」
アニャがぎゅっと抱きしめてくれる。
温もりを感じながら、奪った命を無駄にしないよう、精一杯生きなければいけないなと改めて思った。




