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27 酒母造り

 麹造りの次は、酒母造りである。

 では、酒母とはなにか?

 それを説明する前に、おさらいをしよう。


 しつこいようだが、日本酒とは米のデンプンを麹カビによってブドウ糖にし、ブドウ糖を酵母菌の力でアルコールにしたものだ。

 酵母菌なくして日本酒は造れない。

 その酵母菌を大量に培養したもの。それが酒母だ。

 酵母菌を造るのに、ざっと一カ月ほどかかる。

 実に気長な作業だ。


 現代日本なら、これを半分の二週間に縮める方法がある。

 それは日本醸造協会から協会酵母と乳酸菌を買ってきて、ドバドバとタンクに突っ込むのだ。こうすると、有害な雑菌が繁殖する余地がないほど協会酵母が繁殖し、更に乳酸菌が雑菌を殺すので、簡単に安全に酒母を造ることができる。速醸酛と呼ばれる方法だ。


 だが、この世界には日本醸造協会など存在しない。

 野生の酵母菌を使ってやるしかないのだ。


「山廃仕込みでやるぞ、ハルカ」

「それしかないわね。大変だけど、やるわよ!」


 山廃仕込み。

 それは協会酵母を使わずに酒母を作る方法の一つだ。


 まず、新しく蒸米を作る。その量は米全体の約一割。今回は百四十キロほどである。

 それを十分に冷やし、酒母タンクの中で麹と水とともに混ぜ合わせる。

 酒母タンクの大きさは、膝を抱えれば大人一人がすっぽり収まってしまうほど大きい。これは王都の桶職人にハイン村まで来てもらい、森の木で作ってもらったものだ。

 そんな酒母タンクを複数使って、酒母を仕込んでいく。


 酒母タンク内部の温度は、雑菌の繁殖を抑えるため、六~七度という低温でなければならない。

 そんな低温でも活動する〝硝酸還元菌〟という菌が『亜硝酸』を生成する。

 また〝乳酸菌〟の中でも低温で活動する種類が『乳酸』を作り出す。

 そして『亜硝酸』と『乳酸』の共同作用で、酒造りに有害な雑菌を殺してしまうのだ。

 この時点で、酒母の仕込み開始から、五日が経っている。


「さて。こっから酒母タンクの温度を、一日一度ずつ上げていくぞ」

「どうやって? 私の魔術を使う?」

「いや。あえて昔ながらの方法を使おう。暖気樽だ」


 暖気樽とは、取っ手のついた小さな樽である。これに熱湯を入れ、そして酒母タンクをかき回す。

 暖気樽越しに熱湯の熱が酒母タンク内部に伝わり、温度が上昇する。乳酸菌が乳酸をドンドン増やす。

 すると硝酸還元菌が死滅していく。

 次に乳酸菌も、自分が作った乳酸で弱って死んでしまう。


「自分が出した乳酸で死ぬ乳酸菌って……」

「まあまあ。おかげで酒母タンクの中は、雑菌が全くいない状態になったぞ」




 酒母の仕込みを始めてから十五日目。

 酒母タンク内部は温度上昇により麹カビが働き出し、ブドウ糖が増殖している。また米のタンパク質が分解され、アミノ酸になっている。酵母菌が育つには絶好の状況だ。


「勇者様、賢者様。頑張ってる?」


 昼頃、レイチェルが酒母室にやってきた。

 久しぶりに会ったが、相変わらず小さくて可愛い。


「頑張ってるぞ。ところでレイチェル、俺たちに用か? その革袋は?」

「ん。お母さんが二人のためにソーセージ焼いてくれた。あと秋に取ったリンゴも」

「おお、こりゃありがたい」

「いい匂い……あとでイライザさんにお礼言い行かなきゃ」


 俺たちは三人で酒母室の床に座り、ソーセージとリンゴをもぐもぐ食べた。

 時間も忘れて仕事をしていたので、生き返った気分だ。


「ところでイライザさんのお腹の調子はどうだ? 元気な赤ちゃん生まれそうか?」

「ん。触ると動いてるのが分かる」

「そうか。そりゃ元気だ。レイチェルは弟と妹、どっちが欲しい?」

「ちゃんと生まれてきてくれるなら、どっちでもいい」

「それもそうだ。レイチェルはきっと、いいお姉ちゃんになるな」

「可愛がる覚悟はできている」


 レイチェルは気合いの入った声で呟く。

 なにやら、こっちまで背筋が伸びてしまいそうなほど真剣だった。


「レイチェルは偉いな。俺らも頑張って酵母菌を育てないと」

「頑張って。お父さんとお母さん、ニホンシュを楽しみにしてた。私も飲みたい」

「……残念ながら、日本酒は大人じゃないと飲めないんだよ」

「しょんぼり」


 かわいそうに。レイチェルは悲しげな表情になってしまう。

 だが、いくらレイチェルの頼みでも、こればかりはダメだ。

 小さい頃から酒を飲んでいると、あのルシールとかいう不良シスターみたいになってしまう。


「あ、そうだ。完成した日本酒はダメだけど、酒母をちょっと飲ん見るか?」

「よく分からないけど、飲む」


 俺は酒母タンクの中身を、清潔なコップで少しだけ汲み取った。

 すると、ハルカが眉をひそめて俺を見た。


「ちょっとツカサ。それってレイチェルに飲ませて大丈夫なものなの?」

「まだ酵母菌が活発になってないから大丈夫だ。アルコールはゼロに近い。それに――」

「……甘い」


 一口飲んだレイチェルが、目を丸くしてコップを見つめる。


「え、本当? 私も飲みたい!」

「どうぞ、賢者様」

「ありがとうレイチェル!」


 ハルカも酒母をゴクリと飲み込む。


「あ、ほんとだ。甘い。麹カビがブドウ糖を作っているからなの?」

「そういうこと。そして、酵母菌の活躍はここからだ」


 いずれ酵母菌が増殖し、ブドウ糖を分解し、アルコールと炭酸ガスを作り出す。


「じゃ、私は帰る。二人とも、頑張ってね」

「おう。気をつけて帰るんだぞ」


 帰っていくレイチェルの後ろ姿は、初めて会ったときより大きくなっているような気がした。

 考えてみれば、俺たちがこの村に最初にきてから半年以上が経っている。

 あのくらいの歳の子なら、成長して当然だ。


「ところでツカサ、こんなの知ってる? 酵母菌って条件がよければ、二時間で二倍になるのよ」

「へえ、それは知らなかった。やっぱ、そういう学術的な知識はハルカのほうが凄いな」

「ふふん、どんなもんよ」


 数日後。

 酒母タンクからはプチプチと泡が弾ける音が聞こえてくる。

 炭酸ガスが沢山出てくるのは酵母菌が元気な印だが、こうなってくると作業をしている俺らが酸欠になる可能性もあるので注意が必要だ。

 俺とハルカは酒母タンクを棒でかき回しつつ、温度を管理し、味を見る。

 そして仕込みから一ヶ月後。

 たっぷりの酵母菌を含んだ酒母が完成した。

 いよいよ日本酒造りも大詰めだ。

 気合いを入れていこう。

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