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第五十五話 「白詰朔の幸福」

「うああうあうあうぇぇぇえん!」


 まるで子供のように泣きじゃくる栞の肩に手を置き、目をみつめ、「大丈夫だ、俺に任せてくれ」と言う。栞はひくっ、と泣き止んだ。


 音速より速く飛ぶジェット機から、爆弾のような塊が投下された。非衝撃超素材のジェット機は、すさまじい勢いで俺達の頭上すれすれで180度ねじ旋回し、空へ落ちていった。突風が駆け抜け、投下された塊が俺の腕へと飛び込む。ドッジボールの要領でキャッチするが、20mほど後ろまで地面を滑った。そこでようやく、止まる。


 キャッチ成功だ。


「さ、さく、今の……?」

「これが、栞への誕生日プレゼントだ」


 俺は受け取った小包を開く。それを見た栞が俺に駆け寄り、ぽかっと頭を叩く。痛いと言うよりは、柔らかい。


「てっ」

「やりすぎだよ、さくのばか! し、死んじゃったら、どうしよ、って……うぇぇぇぇえん!」


 さすがにやりすぎたか。


「栞、ほら」


 小包からハンカチを取り出す。「プレゼントだ。涙を拭いてくれ」

「うん……ひくっ」


 栞は、クローバーの刺繍の入ったそのハンカチを受け取り、涙を拭いた。


「えへ、ありがと。大事にするね」


 かわいい。


「でも、今度からあんなこと、絶対にしないでよ。ぜったいのぜったい」

「うん」


 俺は小包に手を突っ込む。「で、こっちが本題なんだけど」

「ほんだい?」

「ああ」


 小包から取り出されたものを見て、栞は目をまん丸にした。

 満開に咲き誇るシロツメクサ、すなわちクローバーが、幾重にも編み込まれた花輪。いや、それは花輪と言うよりも、シロツメクサの帽子、と言う方が適当だろう。


「これ……さくが作ったの?」

「ああ」


 そう言って、俺は花畑をちらと見、栞に目線を戻した。「栞への、誕生日プレゼントだ」


 栞はシロツメ帽を受けとると、嬉しそうに顔を輝かせた。


「こんなキレイな帽子、初めて」


 栞は帽子を手にとってくるくると回し、ほぉ〜とか、へぇ〜とか、わぁ〜とか、まるで初めてピアノに触れる小学生のような顔をして感心していた。


「かぶっていい?」

「そりゃもちろん」


 まさにわくわく、といった、それ以外に形容しようのない面持ちで、栞は慎重に帽子を被った。思わず俺も感嘆の息が出る。桃色の髪に、シロツメクサがよく映えている。


「ね、どう?」

「うん」


 俺がそう答えると、栞はむっと眉を寄せた。


「似合ってるよ」


 そう言うと今度は、ぱぁっと晴れやかな表情になった。


「すごく」

「えへ、えへへ」


 本当に嬉しそうで何よりだ。

 栞が一通り喜び終わった後、俺は切り出した。


「それでさ、栞」

「うん」

「栞に、言っておかなきゃならないことがあるんだ」

「………………?」


 そこで脳内に、あのときの流馬先生の言葉が蘇ってきた。



 ◇◆◇◆



「――――宗田さんが記憶を失った、“本当の理由”について、です」

「本当の理由?」


 先生は、神妙に頷いた。「以前私は、『ビルから飛び降りた際の物理的衝撃』が宗田さんの記憶喪失の原因だと言いました」

「――はい」

 ごくり、と唾を呑む。廊下の向こうの方から聞こえる誰かの足音が、やたらと大きく耳に響いた。


「けれどもそれは、違うのです」

「違う?」

「はい。宗田さんの記憶喪失は、物理的要因によるものではありません」


 言葉の真意を測りかね、眉を寄せる。


「精神的要因によるものなのです」

「……どういう意味ですか」


 先生は一瞬、苦そうな顔を見せた。


「宗田さんの心が、記憶を消したのです。苦しい現実から、逃れるために」

「記憶を……消した……!? そんなことが、そんなことが可能なんですか!?」

「はい。恐らく、宗田さんは、余りにも苦しい、辛いことに見舞われ、その現実から逃れるために、無意識に記憶を消した。過去にもそういったケースの記憶喪失は無数に存在します」


 そんな馬鹿な、と、耳を塞ぎたい衝動が襲う。そんな馬鹿なことがあってたまるか。

 だが、と、俺は、俺自身の記憶を探る。八年前、父さんが俺たちのマンションの部屋のベランダから飛び降りた。俺は、そのときの父さんの顔を、覚えていない。あれは、俺の、「死ぬ顔を見たくない」という潜在的な思いが、顔を消したのではないのか。推測だったその考えが、徐々に確信へと変わっていく。それが有り得るのならば、宗田さんの記憶がごっそり消えていたって、おかしくはない、ということにならないだろうか。


「でも、それじゃあ、どの段階まで宗田さんの記憶は残っていたんですか? 飛び降りた瞬間に、宗田さんの心が記憶を消去したって言うんですか」

「その通りです」と先生は断言した。「事実、そうなのですから、認めるほかありません」

「……どうして俺に、教えてくれたんですか」


 先生は眉を寄せた。当然のことじゃありませんか、と言わんばかりに。


「白詰くんは、あの子の恋人になるつもりなんでしょう? そして、彼女を支えていくつもりでもある」

「えっ」

「顔を見ていればわかりますよ。長年、様々な人を見てきましたから」


 そう言われても、と、俺はしどろもどろになる。そう簡単に思考を読まれたら、たまったものじゃない。


 動揺する俺を眺め、先生はふふっと柔らかく笑った。


「冗談ですよ」


 俺は眉をよせる。何が冗談なのか、どこからが冗談だったのか、わからない。はぐらかされたような気もする。「自分で考えろ」、と言われているような気もした。「自分で」、「考えろ」、と。


「では、私は回診の時間ですので、失礼しますが――――白詰くん、くれぐれもよく悩んで下さいね。あなたと宗田さんの人生に関わることですから」


 そう言って先生は去っていった。本当に、あの先生は、俺を悩ませてくれる。



 ◇◆◇◆



 精神的要因による記憶喪失。それが意味するのは、『栞の過去にとてつもなく凄惨な事件があった』ということ。


 事件、と聞いて思い出すのは、いつか栞が言っていた、『昔探偵が家に来た』ということ。あれは、僅かに残った過去の記憶なのかもしれない。心だって、完璧に記憶を消し去ることはできないだろうからな。


 栞と共に六陵高校推理探偵部で過ごしていれば、いつかは栞がその事件を思い出すかもしれない。もしくは、過去に栞と関わった第三者が、栞に危害を加えようとしてくるかもしれない。


 そのときに、俺は、どこにいる?


 俺は、栞に何をしてやれる?


 少なくとも俺は――――――栞が傷つけられるのを、指をくわえて見ているだけなんて、そんなのは出来る性分じゃない。




 ◇◆◇◆




「栞」


 呼び掛けると、栞は真っ直ぐにこちらを見た。澄んだ瞳。この瞳が汚れるところなんて、絶対に見たくない。この瞳は、汚させない。


「俺と一生、一緒にいよう」


 風が吹き、栞の横髪を揺らした。聞こえなかったのか、と思うほど、長い間栞は無反応だった。


「一生、俺と一緒にいてくれ」


 今度は栞の両手を握って言う。栞は、恥ずかしそうに目を伏せた。帽子が陰になり、少し紅くなった頬が覗く。

 柔らかそうな唇が、小さく動いた。最初に「う」の形、そして「ん」の形。そよ風に揺れる花畑が、俺達に祝福の拍手を送ったように聞こえた。


「――ありがとうな、栞」


 栞の手を握ると、生きとし生けるもののもつ生の暖かさが、伝わってくる。とくん、とくん、という、鼓動が伝わる。栞は間違いなく、ここで、この時間に、生きている。栞が何度も失いかけた命は、ちゃんと栞が抱き抱えている。


「あたしも、ありがとう、さく」


 栞は顔を上げ、微笑んだ。それはまるで太陽のようだった。



 ◇◆◇◆



 それから俺達は、花畑の横のベンチに腰かけたまま、他愛もない、だけど楽しい話をした。


「さくが気絶してる間に、先輩たちがおみまいに来たんだけどね」

「シーマンさんと、ダリアさんが?」

「うん、それでね、さくがベッドに寝てるのを見て、ダリアさん、『寝心地よさそうね』って言って、いきなりかけ布団めくってもぐり込んじゃったの! それで、『こんなのがあったら眠りにくいでしょう、クローバーくん』っていって、さくの腕についてた、えっと、『てんてき』を引きちぎっちゃって」

「ファッ!?」

「それでシーマンさんが怒っちゃって、向かいのからのベッドを指さして『そっちのベッドが空いているだろう!』って」

「あの人達はちょっとズレてるよな」


 俺達は、ひとしきり笑った。


「ところでさ、一つ気になることがあるんだ」

「なに?」目をぱちくりさせている。

「湯屋……銭湯の前で会ったときのことなんだけど」

「……うん」

「あのとき、栞は、ものすごい勢いで」といっても、すぐに追い付けたんだけど、「逃げてっただろ? あれは結局、なんでだったんだ?」

「……うー……」


 栞は子犬のように唸っている。


「……やっぱり、言わなきゃだめ……かなあ」

「個人的には、気になる」逃げられたのは、若干ショックだったしな。


「……あのね」若干気が乗らない様子で、栞は上目遣いを送ってくる。「笑わないで聞いてね?」

「ああ」


「あたし、まだ、――ができないの」

「え?」


 恥ずかしそうにうつむく栞は、もごもごと繰り返す。「つけられないの」


「つけられない、って――何が?」

「……ぶら、じゃー、が」

「ふーん、ぶらじゃー、を、つけられないのか……」


 俺は手に顎を乗せた。理解が遅れてやってくる。「えっ!?」


「ううん、あのね」耳まで真っ赤になっている。「つけられるの、つけられるんだけど、すっごく時間がかかっちゃって、お風呂から出た後だとね、みんなの邪魔になっちゃうから」

「ノーブラで?」

「うん、だから、恥ずかしかったの」


 うつむいている栞を見ながら、俺は思い返す。一回目に会ったときは、少し小さめのピンクのパジャマを、二回目は、制服を着ていた。どちらも、してなかったのか。……ふーん。


「わらわない?」

「うん」


 笑いはしない。ただ、一つだけ言うことがあるとするならば――


「記憶を失ってなかったら、ぶらじゃーの付け方くらいわかってたと思うんだけど……これから頑張らなきゃ」


 記憶喪失万歳。


「あれ」


 栞が何かに気付いたかのように、空を見上げた。「はべはぷぴろべ?」と呟く。

 何のことか、と思い、空を見上げると、そこには大きな煙文字が描かれていた。



『Have a Happy Love!』



 ジェット機はその文字群を特大のハートマークで囲み終えると、空の彼方へと飛び去っていった。顔がしわしわの老紳士にしては、殿守部さん、はしゃぎすぎじゃないのか? 超音速のジェット機でフィーバーするなんて、ああ見えて、中々ユーモアのある人なのかもしれない。


 なんてかいてあるの、と聞く栞に対し、俺は、「『お幸せに』、ってところかな」と教えてあげた。ひこうきってすごいんだねえ、あんなこともできるなんて、と栞は感嘆していた。俺達は、最後のハートが空に溶け込んでゆくときまで、緩やかな風のそよぐ中、穏やかな空を、ただただゆるりと見上げていた。




 ◇◆◇◆




 それから二日が経った。四月三十日。2050年の最新医術のおかげか、術後の経過は良好で、俺は無事退院する運びとなったのだ。


「本当にありがとうございました」


 流馬先生に深々と頭を下げる。「最初から最後まで、流馬先生にはお世話になりっぱなしで」

「いいんですよ。それよりも、彼女と仲良くしなければいけませんよ。ね」


 流馬先生は、入口のガラスの向こうで待っている栞に滑らかにウインクした。「長い付き合いになるでしょうし」

「はい」

「もう、ここへ戻ってきてはいけませんよ」

「はい」


 ガラスの自動ドアを出て、栞と一緒に、流馬先生にガラス越しにお辞儀をした。流馬先生は一回頷くと、背を向けて歩き去っていった。俺たちも、病院へ背を向け、歩き出す。




 ◇◆◇◆




 にしても皆、薄情だ。

 これだけ色んなことがあって、そうしてやっと俺は退院できたっていうのに、迎えに来てくれたのが栞一人だけ、なんて。

 別に寂しいわけじゃない。

 ただ、昔から、俺が入院したときなんかは、母さんは必ず退院のときには迎えに来てくれてたのが、今回はそうじゃなかった。だから、少し驚いただけだ。てっきり、来てくれるものだと思ってたから。

 断じて寂しいわけじゃない。


「えへへっ」


 隣で笑う栞は、「こうして一緒に歩いてると、楽しいね」と言った。それには同感だ。


「じゃ、またね、さく」

「ん、バイトは?」

「今日は休みなの」


 湯屋の前で俺達は別れた。名残惜しく手を振る。俺の作ったシロツメクサの帽子は、遠くから見てもやっぱり、栞によく似合っていた。まるで栞の周りだけが、ヨーロッパの、木造風車が回るひまわり畑のようにも見えた。柔らかに陽が注ぎ、風車は、ごうん、ごうん、と、ゆりかごのような安らかな音と共に回る。栞のかわりに、赤ちゃんを抱いた女性が、見えた気がした。彼女は笑っていて、それはもしかしたら、昔の母さんだったのかもしれないし、未来の栞なのかもしれない、と、ぼんやりと思う。ひまわりは全て、彼女たちを見つめて微笑んでいた。




 とぼとぼと俺は、歩みを進める。

 いやしかし、何を落ち込むことがある? 学校に行けば栞にはまた会えるし、家に帰れば大好きならぁめんだって待っている。母さんだっているし、もしかすると東郷さんだっているかもしれない。あ、そういや東郷さんに、土台をどうしたか聞いとかないとな。

 ただ、俺は、ついさっきまで病院にいたから気づかなかったのかもしれないが、なんだか少し、この世界に対する見方が変わっているような気がした。


 こんな幸福な世界にいたんだな、俺は。


 家に帰れば母さんがいて、らぁめんを啜る東郷さんがいて、好きならぁめんがあり、栞がいて、友達もいて、みんながみんなを支え合っている。

 幸せなのに、今、俺は、落ち込んでる。なんでなんだろうな。

 ひとえにそれは、俺達はまだまだ幸せになれる、ってことなのかもしれない。

 そうだよ。まだまだ片付いてない問題は沢山ある。栞の過去だってわかってないし、御簾川の夢の続きを見てみたいし、相模や越貝の夢だって、来集の夢も、そうだ。酉饗の恋の行方だって気になるし。

 それに、シーマンさんやダリアさん達と、これからどんな日々が待ち受けているのか。どんな事件が起こるのか。ちょっと怖いけど、気になってしょうがない。

 高校生活は始まったばかりだ。道のりはまだまだ、果てしなく長い。

 それなら俺は、肩の力を抜いて、のんびりとその道を、みんなで辿っていこう。

 そうすれば、今よりもっと、幸せになれる。そう思う。


「とりあえず今は、らぁめんでも食いたいな」


 我が家の前で立ち止まる。看板を見上げる。


 前までの暗い想いや、予め決められた筋書きなんかは、ぜんぶくしゃっと丸めて、放り投げてしまおう。


「ただいま、母さん」


 暖簾をくぐる一歩を、しっかりと踏み出す。そうすればいつだって、優しい声が、返ってくる。


 どんなことがあったって――


「おかえり、朔」


 ――俺達は、きっと、進んでいける。




 完


超能力高校生探偵:白詰朔の幸福の本編はここで完結ですが、気が向いたら番外編『六陵小話』を出していくかもしれません。

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