第五十二話 「狼」
荒れ狂う風雨の中を、二機のバイクが疾駆する。互いに牽制しあいながら、彼らはある場所へと到着する。
「ツウガワ高校っつったら……いつかの『死霊の呪い』の話の高校じゃねーか」
校門のプレートを見て、俺は眉をしかめた。なるほど死霊の正体は、“黒の走り屋”だったってわけなのか。プレートには、消えかけの文字で『通川高校』と書かれていた。
「さく、どうしたの? あの人追いかけないの?」
栞は、先に高校の敷地内に入っていった土台を見ながら言った。それから、あ、と声をあげる。「ここ、あの人たちのアジトだ」
「なんでそんなこと知ってるんだ?」
「あたし、あの人たちに掴まってて」
「……てことは……相模も一緒に?」
「うん。あ、でも、大丈夫だったよ」
栞が大丈夫でも、俺は大丈夫じゃない。あいつら……ますます許せない。
俺達はバイクを降り、校門をくぐった。校庭の中央に、土台が立っているのが見えた。闇に照らされ、どす黒く輝いている。
「栞は、ここで待っててくれ」
「…………うんっ」
土台は、近づいてきた俺を見て笑う。
「わざわざ死に急ぐなんて、とことんクソだなクソ坊主!」
「……言ってろ」
腕をまくった俺を見て、土台は手を上げて制した。
「まあ、待て……俺は準備万端じゃねぇって言ったろ」
「お前が準備万端になるのを俺が待つ道理はない」
「ヒーローの変身シーンを待つ敵を、少しは見習ってほしいもんだ」
土台は、俺を見据えたまま、すっと手を上げた。何故か悪寒が走る。何かとてつもなく危険なことが、起きそうな予感がする。
「来い……ゴキブリ共ォ!!」
視界が黒に染まった。土台の背後に、何万匹もの、黒く蠢くゴキブリ達が群がっている。そいつらは、土台の足場を作る。土台は、下卑た笑い声を上げる。
その時、どこかから、知らない男の声が聞こえた。
「土台さん!!」
校庭の奥の方から土台に向かって走ってくる、二人の男達。「すいません、土台さん! あの女に逃げられました! カメラも壊されました! ついでにコージも――――」
「黙れ」
男達は、その場で立ち止まり、栞の方を指差して喚いた。「あいつです! 土台さん!」
「黙ってろ」
「あいつを殺してください、土台さん! もうコージは、一生トイレに行けなくなったんですよ!?」
「――――俺に指図するな」
土台は、人指し指を男達に向けた。二人の表情が、絶望に沈む。ゴキブリ達が、二人に襲いかかった。
「大して金も持ってねぇヤツが、偉そうに言うんじゃねぇよ。てめぇらは――――もういらねぇ」
ザー……とゴキブリ達が土台の元へと戻っていった。男達がいた場所には、真っ白な骨が、夜空を見上げて転がっている。
「――ッ、とことん悪だな、お前は――――!」
「悪? ハッ、俺が悪? ふざけてんじゃねぇぞ、クソ坊主。悪ってのは、もっと分別があるもんだ」
「お前は、ここで消す、土台今男!」
俺と土台は、嵐の吹き荒れるツウガワ高校の校庭で対峙する。八年前から続いてきた、俺の恨み。それを晴らすのは――――今しかない。土台にとってもそうだろう。八年前から目障りに絡んでくる「クソ坊主」を消せる、最大の機会が、今だ。
「『闇黒弾丸』!」
ゴキブリの群れが俺に襲いかかる。咄嗟に鋼狼の防御壁を創る。飛び交うゴキブリ達は、まるで弾丸のように防御壁に突き刺さる。
「うォォォッ!」
ゴキブリ弾丸を受け止めながら、一歩、また一歩と足を踏み出す。弾丸の威力は増す一方で、足からは血が滲み出す。雨でぬかるんだ校庭に足をとられ、体勢を崩しそうになる。轟音を立てて落ちる雷が、闇を一瞬、照らす。
ビキビキッ、と、防御壁にひびが入った。
「まずい……ッ! 破られる……ッ!」
ひびはみるみるうちに大きくなっていく。新たに鋼狼を分泌するが、それもすぐにひび割れる。衝撃で、意識が飛びそうになる。貧血、か。
薄れゆく意識の中――――土台の高笑いが響く。
ああ――――また、あの時と同じだ。八年前と――――店をめちゃくちゃにされた時と――――らぁめんにゴキブリを入れられた時と。俺は、土台に、いつまで経っても勝つことが出来ない。いつまで経っても、俺は土台より弱いままなのか――――?
結局、勝つのは、土台、なのか――――
◇◆◇◆
「さくーーーっ!!」
意識が、水を吸うスポンジのように、戻ってくる。力が湧き起こり、血が全身を駆け巡り出す。
「がんばれーーーーっ!!」
栞の声が、心へと響く。あたたかな温もりが全身に行き渡る。
そうだ。俺には、守らなきゃいけない人がいるじゃないか。
こんなところで…………死ぬわけには、いかないんだ。
「ぬァァァァッ!」
防御壁が、少しずつその形を変えていく。
「いっけぇぇぇええぇ!!」
巨大な狼の形に変形した防御壁は、一気に弾幕を蹴散らした。弾幕の割れ目から、土台の驚く顔が見えた。
一歩一歩、土台へと歩み寄る。土台の周りにはまだ、数え切れないゴキブリがいる。最早、恐怖は影を潜めている。
「もう、終わりにしようぜ――土台」
「終わるのはお前だクソ坊主! 俺に勝つヤツは、この世に存在するはずがねぇんだよ! ――――『黒嵐』ッッ!!」
数えきれない程大群のゴキブリが、俺の周りを取り囲んだ。光が消え、闇が現れる。
「押し潰されて、闇の中で、苦しんで、死ねェェェェッ!!」
◇◆◇◆
あたしの声がさくに届いて喜んだのも束の間、今度はさくが黒いわさわさの中に閉じ込められた。金髪のひとが顎を上げて笑う。
「はっひゃひゃひゃひゃひゃァ! 闇の中は苦しいか!? 息もできねェだろう! 少しずつゴキブリに押し潰されていくか、窒息するか――――お前はどっちなんだろうなァクソ坊主!」
金髪のひとの声が、夜の闇に響く。雷の音が、それを増幅させているように聞こえる。
――――お願い、死なないで――――!
彼女がそう願ったのとほぼ同時に――――世界に光が溢れた。
◇◆◇◆
続いて鳴り響く轟音。迸る光。土台は、その眩しさに目を覆った。
雷が、目の前に落ちたのだ。
「なっ……!?」
薄目を開けると――――そこには、天へと掌を突き上げている男が、立っていた。先程までその男に群がっていたはずのゴキブリ達は、全て焼け落ち、地にもがいている。
「怖いもの……嫌いなものを克服する方法があるとすれば、それは一つだ。どれだけ嫌いでも、克服できる」
男の手が黒から肌色に変わる。そして瞬きの間に、また黒へと戻った。一つ違う所がある。その手は――――土台へと向いていた。土台はすかさずナイフを取り出す。
「――――この世から消せばいい」
男の手から、黒い巨大な狼が飛び出した。それは土台の横をすり抜け、ナイフを砕き、校舎を破壊した。呆気なく校舎は崩れ落ち、跡形もなくなる。
「俺の場合は、ゴキブリ。オバケ。そして――お前だ」
武器を失った土台に、男は歩み寄る。
◇◆◇◆
武器を失った土台に、俺は歩み寄る。拳を握りしめ、固める。
――――そして、殴る。
土台の腹を、頭を、頬を、腕を、脚を、指を、背中を――――。
一発は、心を傷つけられた母さんのために。一発は、極限まで追い詰められた酉饗のために。一発は、愛する弟を弄ばれていた、茲竹さんのために。一発は、倒れるまで殴られた、相模のために。一発は、捕らえられ、殺されかけた、栞のために。そして他の数えきれない殴打は――――ただ、土台への、俺の恨み。
何発殴ったのか、分からない。土台の顔が変形し、動かなくなり。
俺の意識は、スイッチが切れたかのように、飛んだ。
◇◆◇◆
ふわふわと浮かぶ意識の中で、俺は爽快感に満ち溢れていた。
やっと、土台を始末することができた。俺の人生から――――土台今男という害悪を、取り除くことができた。
しかし、その一方、俺の中には、妙な感情が生まれて始めていた。
郷愁?
いや、違う。
悲壮?
違う。
幸福?
――――まるで違う。
俺の中に渦巻いている感情は、とても一つの言葉で表現できるものではなかった。
だけど、何故か――――土台今男なら、この答えを、俺の感情を、知っているのではないか――――。
そう、思えた。
◇◆◇◆
次回からエピローグです。




