第五十一話 「朔と栞と破壊と再生」
「……支えてくれる人に、感謝しろよ」
俺は、コンクリートから鋼の腕を引き抜いた。がらがら、と、破片が散らばる。デルは、白目を剥いて気絶していた。
「待てよ、クソ坊主……まだ終わっちゃいねぇぞ」
後ろで、土台が立ち上がった。ゆっくりと振り向く。土台は、ぐったりとうなだれている相模の喉元に、ナイフを当てていた。さっきのナイフだ。
「はっはは……形勢逆転、てとこか。残念だったなぁ?」
土台は、慎重に、俺を正面に見据えながら俺の後ろに回り込んだ。俺も後ろを向く。屋上の入口が後方にある状態で、土台と睨み合う。
「これ以上、何をするつもりだ」
「逃げるんだよ。どうやら、お前には、俺のフルパワーでやらなきゃダメらしい。ここじゃ、それは出来ないからな」
「逃げられると思ってるのか」
風の吹き荒れる、六陵高校一年生棟の屋上。土台は、その入口の扉から離れた場所にいる。逃げられるわけがない。
――――なのに、どうして――――こんなに胸騒ぎがする?
「力、名声、平和、欲望。全てを満たすのは、金だ。俺がお前に勝つ理由はそこにある。クソ坊主、てめぇは俺に勝てない」
土台は、手を空に掲げ――――叫んだ。
「『RAVAGE』!!」
その瞬間、どこかで響いたエンジンの音が、瞬く間に接近し、耳をつんざく。
「あぶないっ!!」
ドン、という衝撃音が聞こえる。質量をもった物質と物質がぶつかり合う、破壊の音。何者かによって前方へと突き飛ばされた俺は、その、突然現れ俺を突き飛ばした「何者か」が、バイクに衝突し、空を舞うのを見る。
「宗田さんっ!!」
バイクに撥ね飛ばされた宗田さんが、宙を舞った。弧を描き、その身体が、柵を越える。手を伸ばす宗田さんの姿が、縁の向こうへ、消えてゆく。
「くっそぉぉぉおお!!」
地面を蹴る。後ろから土台の下卑た笑い声が聞こえた。またエンジン音が鳴り、目の前にバイクが立ち塞がった。後輪をギャリギャリと回転させ、唸りを上げる。『RAVAGE』の文字が、雨に濡れて光って――――
「……ん?」
何か、様子がおかしい。
「はっ……はっ……はぁ……! ざまぁ……ねぇなぁ……クソぉ……坊主ぅ……!」
やけに、静かだ。
次の瞬間、目の前のバイクが、俺に向かって飛び出してきた。だけど……これじゃまるで……
「ナマケモノ並だ」
とてつもなくのろい。俺は横に飛び退き、鋼化した拳を振りかぶり、殴る。バイクは、ゆっくりと空中でへこみ、砕け、粉々になって飛んで行く。奥で笑っている土台は、まだバイクが壊れたのに気づいていないようだ。 まさか、これは――宗田さんの能力、か!
空を見上げる。遠くに落ちる雷光も、心なしかその光度を落とし、風も弱くなり、雨も遅く、一粒一粒の形が、鮮明に見える。
「宗田さんっ!!!」
縁に乗り出す。宗田さんは、カタツムリのような速度で、けれども確かに、下へと落ちていくところだった。
――――助けられる!!
――――けど、ここは屋上だ。こんなところから飛び降りたら――俺はどうなる?
「ぐッ――――!!」
八年前の、あの光景が脳裏をよぎる。マンションのベランダから落ちてゆく、顔を闇色に塗り潰された、父。恐怖が――言い知れぬ恐怖が、俺の心に入ろうとしてくる。
「くそッ……何をビビってんだ、俺は!」
思い出せ!宗田さんと初めて会ったあの日を!あの時の俺を!
俺が、宗田さんを助けるんだろうが!
「うォォォォォォオオオッッ!」
縁から勢いよく飛び出す。静かに下降してゆく宗田さんを、しっかりと抱える。柔らかな温もりが、俺を励ます。生きている温もりが、心を支える。
「目の前で殺して、たまるかよォォォォ!!」
鋼化した足が地面にめりこむ。めきめき、と嫌な音がする。
――もう誰も死なせない!あいつらの思い通りには、させない!
「うァァァァアアアアッ!」
両足が悲鳴を上げる。遅く進む世界は、徐々に俺の足を痛め付けてゆく。
それからどれだけの時間が過ぎたのかは、分からない。宗田さんが、ようやく止まり、俺達は、地面へと膝をついた。
「や、やった……助かった……」
胸を撫で下ろす。「宗田さん、なんであんな無茶――――」
言いかけて、俺は息を呑む。宗田さんの顔から、生気が消えていた。
「そ……宗田さん……? おい……どうしたんだよ……」
宗田さんの頬に手を当てる。生物のもっていい冷気じゃない。まるで、死人のようだ。
はっ、と空を見る。雨粒はまだ、その形を俺に見せていた。
「宗田さん、能力を止めてくれ。俺達はもう助かったんだ」
応答はない。唇が――――白くなっていく。
「宗田さん……宗田さん! 発動を止めてくれ! 宗田さん! 聞こえないのか!?」
このままだと……宗田さんが、死ぬ!
「宗田さん! 起きてくれ! ダメだ、こんなところで死んじゃダメだ!!」
どうする……どうすればいい!?
宗田さんの顔からは、どんどん生気が抜けていく。遅くなっている世界の中で、俺しか宗田さんを助けることはできない。このままだと…………!
記憶を呼び起こす。能力を止めるためには、どうすればよかった! 思い出せ……!
能力を発動するには『夢』が必要だ。宗田さんの『夢』は、『白詰くんに認めてもらうこと』。宗田さんはそれを願ったから、能力が発動した。『鶴の恩返し』と同じく、宗田さんは俺に恩を返そうとして、身を擲って――――いや、今はそんなことを考えてる場合じゃない……!
『夢』を願って超能力が発動するのなら……!超能力の代わりに、俺が宗田さんの『夢』を叶えてやればいい!
「……けど、どうやって……?」
『宗田さんを認める』。そんなの、どうやったらいいんだ……?
そのとき、俺の記憶が蘇った。昨日の朝、俺の部屋で、宗田さんが言った台詞。紫色の録音機から俺の声を流し、宗田さんは言った。
『あたしはね、白詰くんのことが大好きなの。この声を聴いてたら、すごく安心するし、嬉しくなるの。白詰くんがあたしのこと呼んでくれてる、認められてる、って感じられて』
『この声』。つまり、それは……例の、『栞、愛してる』。
俺は急いで、胸ポケットから紫の録音機を取り出す。そしてそこで気づいた。ついさっき、デルの声をここに上書きしてしまった。万事休すだ。
「クソ……ッ!」
水たまりに拳をぶつける。叩き上げられた水飛沫は、地面すれすれを放物線状に滑空する。宗田さんの両頬に手を添えると、冷たい温度が伝わってくる。時間は無情に過ぎてゆく。
「宗……田…………さん……」
下唇を噛むと血が溢れた。顎を伝って、地面に赤の水溜まりが出来る。
「し……おり…………ッ!」
宗田さんの目が、ほんの少し動いた。
「栞……愛…してる」
頭の中で、『もっともっと、心の底から! うっとりと、聞いた相手が卒倒する感じで』と、来集の煽りが聞こえる。
「栞ッ!」
栞を力一杯抱きしめる。俺の体温が伝わるように、氷を溶かすように。力強く、あったかく、抱きしめる。水晶のような涙が、俺の瞳から溢れる。
「好きだ……ッ! ……頼むから、俺の世界から消えないでいてくれ……!!」
瞬間、世界の幕が開けたかのように、世界に音が溢れた。雨は激しく地面を打ち付け、雷が轟き、暴風が吹き荒れる。そのどれもが、俺たちを祝福しているように聞こえた。俺の腕の中で、氷が温度を取り戻していく。
「あれ……? 白詰くん……あたし……」
「……栞」
栞の肩を優しく掴み、俺はキスをした。唇の先と先が、ちょこんと触れる程度の、キス。だけど俺たちには、それで十分だった。
「……俺は、洒落たことは言えない。だから、陳腐だけどさ……栞のこと、好きだ」
「――――う゛ん゛」
ぽろぽろと、栞の頬に雫が滴る。
「頼むから、お願いだから……もう二度と、俺のために命を捨てる、なんてこと、しないでくれ。俺が、栞を、助けるから……“命の恩人”は、今日で終わりにしよう」
「――う゛ん゛っ」
「今日から、俺は……“栞の恋人”だ」
栞の両手を握り、まっすぐに目を見る。栞の目には、俺だけが映っている。
「俺のことを、好きでいてくれるか?」
「――――あたりまえだよっ……! あたしは……白詰くんが、だいすき…………っ!」
どばっと、涙腺が崩壊したかのように、栞はうえーんと泣き出した。「ひっく、ひぐっ……ありがどお、白詰ぐん」
「おい! クソ坊主!!」
上から落ちてきた声に目を向ける。屋上の縁から、土台が顔を覗かせていた。
「……何を……!?」
土台は、相模とデルを軽々と持ち上げると――――俺に向かって、順番に、思いっきり投げ落とした。物凄い速度で落ちてきた相模を、なんとかキャッチする。続いてデルもキャッチする。鋼化した脚にひびが入る。
「どういうつもりだ、土台!!」
「呼び捨てとは頂けねぇな、クソ坊主」
そして土台は、何の脈絡もなく、屋上から飛び降りた。
「『RAVAGE』!!」
土台がそう言うとともに、落下する土台を追うように、先程俺が壊したバイクの破片が虫の群れのように集まり、元のバイクの形に戻った。空中でバイクに跨がり、回転しながら着地する。
「言ったろ、クソ坊主。金さえあれば、なんでもできるってよ」
「……なんで、デルを落とした。……殺そうとした」
「もういいんだ、ソイツは」
真っ黒な笑みを浮かべる。「使い物になりゃしねぇ。また別の依頼人を見つけりゃいい話だ」
「だから殺そうとしたのか」
「ああ。何か悪いか、クソ坊主」
「デルを支えに生きてる人がいる」
ゆっくりと、腕をまくる。脚がぎしぎしときしむ。「それだけだ」
「俺をどうにかするつもりなら、また今度にしようぜ、クソ坊主。俺だって万全の状態じゃねぇ」
「ふざけんな」
「……そうムスんなって。また今度、ゴキブリを山盛り使って、じわじわと苦しませて、殺してやるからさ」
バイクのグリップを握る。マフラーから、煙が噴き出た。タイヤが回転し、地面を掴んで走り出す。
「逃げんなッ土台今男ォッ!!」
土台を追うように走り出す。一歩踏み出すごとに脚が軋み、血が漏れる。土台の高笑いが、どんどん遠くなっていく。校門に来たところで、俺は体勢を崩した。
「ク……ソッ…………!」
諦めかけて、目を上げたところで――――おかしなものが、目に飛び込んできた。
それは、文字だった。
次に、機械になった。
最後にはそれは、バイクになった。
『シロサクが困ってるときは絶対、俺が助けるからだぁ!! だって俺とシロサクは、親友だもんなぁ!!』
「……相模、お前は……ほんまもんのバカだよ」
俺の目の前には――至るところに『相模』と白く書かれたバイクが、植え込みの陰に立て掛けられていた。
そういえば、と、思い出し、ポケットから相模にもらった鍵を取り出し、そのバイクに差し込んでみると、エンジンがかかった。――――いける。
「白詰くんっ」
息せききらせた栞が、走ってきた。「あたしもっ……あたしも連れてってっ」
「ダメだ」
「なんで?」
「危ないからだ。土台は、平気で人を殺す。ちり紙を捨てるのと同じ感覚で、棄てる」
「でもっ……白詰くん、言ってくれたよ! あたしを守る、って」
栞の瞳は、まっすぐに俺を見ていた。俺は頷く。
「俺のことは朔、でいいよ、……栞」
ヘルメットを渡す。栞は俺の後ろに跨がり、雨の中を相模号のライトが照らし出し、『RAVAGE』を浮かび上がらせた。
栞の体温を背中に感じながら、グリップを回し、バイクを発進させた。最高速度で、土台を追いかける。至近距離まで近づいたところで、腕をまくる。
「『鋼狼爆走族』!」
タイヤ状の鋼狼の塊を飛ばす。一体が電柱に激突し、めきめき、と土台の進行方向に倒れ込む。
「ひゃっはははははァ! 残念だったなァクソ坊主! お前とはここでお別れだ!」
『RAVAGE』が先尖形に変形し、倒れた電柱をぶち破る。破壊された破片がふり注ぐ。
「しっかり掴まっててくれ、栞! ――――『鋼狼の爆走車輪』!」
タイヤ、ミラー、エンジン、マフラー、そして俺と栞を、すべて鋼化する。降り注ぐ破片は全て跳ね返り、俺達は瓦礫の雨を突破した。
「すごい! ね、ね、さく、もう一回やって、もう一回!」
栞は妙に興奮している。一瞬、緊迫していたのを忘れ、ふふっと笑いが漏れた。
次回で章完結の予定です。




