第四十八話 「交錯する想い」
「白詰くん、少しいいですか」
廊下に出ると、医師が待ち構えていた。俺に手招きし、俺達は人の少ない廊下の隅へ移動した。
「あのコはどうしたんですか」
「御簾川のことですか? どう、って――――」
「いえ、違います。自殺未遂の――宗田栞さん、ですよ。先程一緒にいたでしょう」
「ああ、宗田さんなら、ちょっと用があって学校に――――」
「白詰くん。私が聞きたいのは、そのようなことではありません。私が聞きたいのは、どうしてあなたたちが一緒にいたのか、ということです」
「ああ、それはですね――――――――」
俺は先生に、色々と聞かせる。先生は神妙な顔で話を聞いていた。
「なるほど。君はあのコの“命の恩人”としての自分を認めたんですね。それは素晴らしいことですが…………」
先生は鼻先を人差し指の横で押さえたまま、顔を上げた。
「それではいつか、皺寄せが来ますよ」
「皺寄せ」
「はい。あなたにとって彼女が愛らしい存在であるのと同様に、彼女にとってのあなたは敬愛の対象です。しかし同時に、あなたは“命の恩人”なのです」
「どういう意味ですか」
先生は俺に考える時間を与えてから、続ける。
「『鶴の恩返し』という童話を知っているでしょう。あの童話では、老年男性に助けられた鶴が恩を返すためにその老年男性の家へ機織りにやってきます。しかし、もしその老年男性の家の隣に住んでいるのが殺人鬼で、その老年男性の家に押し入って来たら、鶴はどのような行動に出ると思いますか」
「どのような、って……」
「私が鶴ならばこう思いますよ。『おじいさんを助けないと』……と」
鶴を助けた鶴の“命の恩人”であるおじいさんは、鶴によって恩返しされる。そういうことだ。
「君が本当に彼女のことが好きなのならば、君は彼女と対等な立場に立たなくてはいけません。いつまでもあなたが“命の恩人”のままでいると、いつか彼女は、平気であなたのために命を捨てるかもしれませんよ。彼女が危険に自ら飛び込んでしまうのです」
重い言葉が、俺にのし掛かる。確かに、その通りかもしれない。
「“恋人”ならばそんなことはないんですけどね」
先生は、少し冗談めかして言った。
――――“命の恩人”は恩を返される、か。
命の恩人は、恩返しされる。それで宗田さんが傷つくことがあるかもしれない、か。
…………よし。
俺は拳を握る。決意を固める。
この事件が片付いたら――――宗田さんに告白しよう。どう転ぶかはわからないが、どちらにしろ、“命の恩人”という関係性は、解消できるはずだ。
「それともう一つ、君に言っておくことがあります。まだ宗田さんには言っていないことなのですが」
「…………なんですか」
じ、と先生が俺を見つめる。俺はごくり、と唾を呑んだ。先生は、ゆっくりと、口を開く。
「――――宗田さんが記憶を失った、“本当の理由”について、です」
◇◆宗田栞◇◆
数時間前。
病院から出て酉饗津惟と別れた宗田栞は、自分が財布類を持参していない事実に気がついた。
これじゃあ電車でもどれない。
彼女は、暫し思考した後、線路沿いに歩き始めた。
あれだけ照っていた陽射しは弱くなり、雲が全天を覆っている。しかし、歩くのには適している。
――いそがなきゃ。
宗田栞は早足で歩く。その横を電車が走り抜ける。彼女を嘲笑うかのような一陣の風が彼女を揺すり、彼女は道に倒れ込んだ。膝の擦り傷から血が滲む。彼女は両手をついて、何度も、何度も立ち上がる。
――――津惟ちゃんの味方は、ここにいるんだって、みんなに見せつけるんだから。
歩き始めて一時間。あと三十分で西学園地区駅、というところで、宗田栞は妙な集団を目撃した。ぱつんぱつんの六陵高校指定制服を来た男四人ほどが、円形に並んで歩いている。
よく見ると、その中心部に人がいた。周りの男達は、その人を隠すように歩いていた。彼らの腕の隙間から見えた中心の男の顔を見て、宗田栞は息を呑む。
「相模くん……?」
それは確かに相模友久だった。だが、彼の顔は、殴られたかのように赤く腫れ上がっている。そして彼の両の腕は、彼の背中の辺りで縛られていた。
「あっ」
宗田栞は、男達の中に、もう一人見覚えのある顔を見つける。忘れようにも忘れられない顔。昨日らぁめんよつばでゴキブリを入れたラーメン鉢を白詰朱実に投げつけた、赤帽の男だ。もっとも、今は赤帽を被ってはいない。だが、遠目でも容易に判別がついた。
――赤帽の人と、仲間?
宗田栞は昨日、白詰朔から『ゴキブリ爆弾事件』のゴキブリ供給源は土台今男だ、ということを聞いていた。そして赤帽の男はその子分だ、とも。
――なんで、今?
このタイミングで赤帽の男が六陵高校の近くに現れた。しかも六陵高校の制服を着て。
――『無くした制服の捜索』。あの制服はもしかして。
宗田栞は、彼らの後をつけることにした。あの人たちは『ゴキブリ爆弾事件』の関係者だから、犯人のことを知ってるはず。もしかしたら聞き出せるかもしれない。あの人たちは六陵生じゃないはずなのに制服を着てるし。それに、相模くんを放っておくわけにもいかない。聞きたいこともあるし。だから、あたしは、尾行しなくちゃ。
――――尾行、なんて、本当の探偵みたい。
◇◆宗田栞◇◆
宗田栞はひょこひょこと電柱を出入りしながら尾行を続ける。幸いにも、前方を歩く男達は、時折相模友久を蹴って先を急がせる程度で、他のことには気を払っておらず、彼女には気づかない。
十五分ほど歩き続け尾行し続け、廃校舎の並ぶ薄暗い道、とある高校の校門前で、彼らは立ち止まり、その中に入っていった。宗田栞も慌てて後を追う。
高校と思しきその校舎群は大半が崩壊しており、人為的に破壊されたらしく、工事のときなどに建てられている簡易式トイレや小屋のようなものがあちこちにあった。そのどれもが蜘蛛の巣に覆われ埃を被っており、少なくともここ十年で使われたことはないのではないだろうかというほどの寂れ具合だった。
男達は校庭を横切り、唯一崩壊せずに残っている校舎の中へ入っていった。校舎は蔦に覆われている。
怖そう……だけど、……頑張らなきゃ。
津惟ちゃんのためにも。それに、白詰くんに認めてもらうんだ。
あたしは強いコなんだ、って…………認めてもらうんだ。
◇◆宗田栞◇◆
校舎の中は荒れ果てており、そこら中に蜘蛛の巣が張っていたり、穴が開いていたりした。弾痕までもがある。
男達は、とある部屋の前で立ち止まった。その部屋のスライドドアは不自然に新しく、目を引く。あるいはそれは、目印のためなのかもしれない。
男の一人が扉をノックした。赤帽の男だ。
「土台さん、いいですか」
少しして中から「入れ」と声が返ってくる。男達はうなずき、相模友久を連れて入っていった。宗田栞は扉に耳を擦り付け聞き耳を立てる。どうやら、土台という男が彼らのボスらしい。
「なんだ、そいつ。お前らそういうのが好みか」
「いや、違うんですよ。コイツ、いきなり殴りかかってきたんです」
相模友久の呻き声が聞こえる。
「どうして――御簾川っちにあんなことを」
「教えてもいいけどな。お前、名前はなんだ」
「…………俺は――――相模友ひ」
そこで唐突に彼の声が途切れ、何かが床に倒れ込む音、誰かが苦しげにもがく声、そして男達の下品な笑いとが続けざまに響いた。
「ふっ…………教えるわけねぇだろ? バカかてめぇ」
「ぎゃっははははは!! サイコーっす! 土台さん!」
「――あ――――――――ぐッ――――――――――」
相模友久の声にならない呻き声が聞こえる。一体何が起こっているんだろう。
しばらく男達の笑い声が続き、部屋の酸素がなくなったのかと思った頃、相模友久の声が聞こえた。それは、いつもの彼からは考えられないほど、真摯な声だった。
「お前達が『ゴキブリ爆弾事件』の犯人だぁ!!」
「あ?」
「だってそうだろ!? そうじゃなかったら、なんでゴキブリがここにいるんだ!! なんでお前らは六陵高校にいたんだ!! どうして御簾川っちに――――――石を投げたぁ!!」
「そう喚くなって。その質問には飽き飽きだ。俺は犯人じゃない。ただ単にゴキブリの動物管理能力者で、六陵高校の生徒に頼まれてるだけだ。今日の依頼はそうだっただけで、六陵高校に入ったのは今日が初めてなんだよ。つっても俺は入ってないけどな」
「土台さん、俺トイレ行ってきゃす」
「じゃあ、どうして――どうして六陵生がお前なんかにそんなこと頼むんだぁ!!」
「決まってんだろ。ソイツが高所得者層だからだよ」
「パワード…………?」
「超能力者くらい知ってんだろ? この世界を牛耳ってる、生まれながらにして優位な種族だ」
「だけど、お前だってそうじゃないか」
「俺は地道に金を貯めて、自力で超能力者になったんだ。でも世の高所得者層の大半は違うだろ。生まれながらにしてそういう家にいるんだ。勝ち組なんだよ。憂さ晴らしに誰かを陥れるのくらい、当たり前だと思ってやってる種族だ」
「そいつが、なんでお前らに頼んだんだ!!」
「俺はそういう仕事を請け負ってるからなぁ。高所得者層じゃ結構有名なんだぜ? “黒の走り屋”ってなぁ」
「仲間を――――低所得者層を裏切って、何が楽しいんだぁ!!」
「まぁ、そうムスんな」
――――ガラガラッ。
「あ」
「え」
「お」
宗田栞は部屋の中に倒れ込んだ。いつの間にか扉が開いたのだ。赤帽の男や、他の男達が、宗田栞を見て目をひんむいた。
「こいつ!」
赤帽の男が宗田栞を指差す。「らぁめんよつばで働いてた――――イカれ女!」
部屋の中には、何十匹ものゴキブリと、倒れ込む相模友久、その近くに立つ土台今男、宗田栞に指を向ける赤帽の男、そして二人の男が赤帽の男の近くにおり、もう一人、たった今扉を開けた男が、宗田栞を見下ろしていた。
◇◆宗田栞◇◆
「お前らは後でゴキブリプールの刑だな」
土台今男達に手首足首を拘束され、宗田栞は冷たいコンクリートの床に転がされた。相模友久が「宗田っち」と呻く。
「アジトの位置を知られたんだ、当然の罰だろ」
「土台さん、そこをなんとか」
「黙れよ」
土台今男は男達を睨み付ける。男達はひぃっと叫んで床に頭を擦り付けた。
「俺がお前らと組んでんのは、お前らを駒として使うためだ。制服着て石投げるだけの依頼にしくじってんじゃねぇよ能無しが」
「土台…………さんっ」
宗田栞が声を上げた。「土台さんに、依頼をしてるのは、なんていう名前の人なんですかっ! その人の名前が分からないと、津惟ちゃんが、津惟ちゃんが――――」
「なにちゃんだって? 聞こえねぇ」
「…………っ、酉饗っ、津惟、ちゃん、です!! 土台さんたちが渡した、ゴキブリ爆弾で、六陵高校で、事件が起こってて、津惟ちゃんは犯人に仕立てあげられてるんです!! 今日中に真犯人を探し出さないと、津惟ちゃんがっ、六陵高校をっ、追放、され、ちゃって――――」
「んなもん知るかよ」
土台今男は無抵抗の宗田栞を蹴り飛ばした。宗田栞は壁まで転がり、背を強打して停止した。鋭い痛みが宗田栞を襲う。
「宗田っち!!」
「お前ら、知り合いか?」
「だったらどうした!」
「いやぁ…………もしかしたら、いざっていうときに使えるかもなぁ」
土台今男は男達の方を見る。「こいつらあそこに入れとけ。あの、プレハブの」
「テニス部部室すか」
「あぁ、それだ」
「どうしてまた」
土台今男は不気味に微笑む。宗田栞は、背中を凍りつかせた。
「――――あいつを壊すには、一番使える」
◇◆白詰朔◇◆
「では、私は回診の時間ですので、失礼しますが――――白詰くん、くれぐれもよく悩んで下さいね。あなたと宗田さんの人生に関わることですから」
そう言って医師は去っていった。本当に、あの先生は、俺を悩ませてくれる。
――――さて、今はとりあえず、缶コーヒーだ。
俺は缶コーヒーを携え、御簾川の病室に戻る。左手に二本缶コーヒーを乗せ、片手だけで勢いよく扉を開く。
「待たせたなー御簾川! ちょっと先生と話し込んじゃっ…………て………………」
白詰朔の手から、缶コーヒーが滑り落ちる。缶コーヒーは、本来なら御簾川紗希が寝ているはずの、ベッドの下へ転がる。
「御簾……川…………?」
そのベッドは――――もぬけの殻だった。
◇◆御簾川紗希◇◆
「はぁ、はぁ…………んっ、はぁ」
御簾川紗希は、スーパーカーの飛び交う首都中心部を、繁華街の方へと走っていた。街行く人々は、彼女を見ると例外なく目を背けた。
いつの間にか空は曇り、今にも雷が鳴り出しそうだ。
「津惟が…………一人になって、平気なわけっ……ない」
御簾川紗希はひたすらに走る。
――――ごめん、白詰くん…………でも、やっぱり私の夢は、ちょっとだけ変わったよ。自分ひとりだけの音楽なんて、意味がないんだ。誰にも届かない言葉に、意味はないんだ。
津惟に届けなきゃいけないんだ。私は、津惟にこの思いを伝えなきゃいけないんだ。
私は、何一つもわかっていなかった。わかった気になってたんだ。
空が涙を溢し、落ちた雫が走る彼女の頬を濡らした。
◇◆白詰朔◇◆
「くそっ、あいつ……どこ行ったんだよ」
俺は病院を飛び出し、南竜飛線に乗り込んだ。あいつのことだから、どうせ酉饗の疑いを晴らすために飛び回ってるに決まってる。
「ほんと、根っからの委員長だよ、あいつは」
いつの間にか上空には暗雲が垂れ籠め、雨が静かに降り始めていた。縁起悪いことこの上ない。
「頼むから、無理すんなよ……二人とも」
酉饗を入れたら、三人か? ホント、頼むから――――死ぬのだけはやめてくれよ。
◇◆白詰朔◇◆
六陵高校に着く。どうやら今は昼休みのようだ。学校が雨天の昼休み特有の気だるさに溢れている。
「おっ、白詰!」
俺を呼ぶ声。来集だ。その隣には越貝もいる。
「これは……珍しい組み合わせだな」
「そんなこと言ってる場合じゃないぞ」
「せやせや!!」
二人は俺の肩をどん、と押す。
「水泳部部室だ」
「行ってみ」
「あ、ああ」
何だか分からないが、取り敢えず行ってみよう。水泳部部室といえば、最後のゴキブリ爆弾事件が起こったところだ。
俺は二人にありがとうと言って、その場を後にした。にしても、こっちではあんまり朝の集会について騒ぎになってないのか…………?
「…………行ったな」
「……せやな」
越貝泰作と来集蒼香は頷き合う。そして二人は、1―Eの教室へと入った。
教室の中にあった目という目が、一斉に二人を見る。
「おい、さっき白詰がいたよな」
「せやな」
サッカー部のチャラ男、渚翔と二人が相対する。
「あいつは犯人の何なんだ」
「さあな」
「そんなんうちらの知ったこっちゃないわ」
「前から目についてたんだよな、体育のときとか、音楽のときとかさ。正義漢ぶって目立とうとして。目立ちたがってんのがよくわかるんだよ。見ててムカつくんだよ」
「そんなヤツには見えないけどな」
越貝は渚に凄む。「白詰はそういうヤツじゃないけどな」
「せやで。じぶん勘違いしてんのちゃう? 白詰はあれがひゅるーりナチュラルやからな」
「なんだ。お前らは犯人の肩持つのか? お前らも追放されたいんだな」
「あのさぁ。さっきから言ってることがいちいちムカつくんやけど」
「は?」
来集は渚につかつかと歩み寄り、彼の後頭部を掴んで額を突き合わせた。
「うだうだ回りくどいこと言ってんちゃうねん。じぶんが目立てへんからって嫉妬してるんやろ? せやったらそう言うたらええやろ。まぁ、理由はどうでもいいにしろ――――白詰の方があんたの何倍もええやつやわ。それ認めーや。スパーッとオッケー、すんのがグッド、ってな」
「すんのがグッド」と越貝が復唱する。それと同時に来集は渚を突き飛ばした。彼はみっともなく尻餅をつく。
――白詰。こっちはうちらに任せてええ。だから、あんたは――――
――――お前は自分の信じることをしろ。それと、白詰。これだけは約束だ。破ったら縁切ってやる。
しおりんを――――
御簾川を――――
「――――傷つけたり、すんなよ」
◇◆白詰朔◇◆
水泳部部室前に到着する。そこには既に人だかりができていた。俺は人波を掻き分け掻き分け、扉に向かう。
「クローバーくん」
「ダリアさん……一体何があったんですか」
『捜査中』と書いてあるテープをくぐり、閉ざされた扉の前にいたダリアさんとシーマンさんの前に立つ。六陵高校推理探偵部にはこんな権力もあったのか。
「実は『無くした制服の捜索』について、同じ案件が三つ舞い込んできてな。どうやら、無くしたわけではなく、同一犯による窃盗の可能性が――――」
「そっちじゃないわよ、バカ。今、野次馬が騒いでるのは、こっち」
そう言ってダリアさんは、閉ざされていた水泳部部室の扉を開け放った。
俺の目に飛び込んできたのは――――異様な風景。
「こ、これは……なんですか!?」
――――水泳部部室は――――――めちゃくちゃに荒らされていた。




