第四十五話 「赤帽の男」☆
今回、本文中にアスペルガー症候群を揶揄するような言葉を用いておりますが、作者にアスペルガー症候群の方を揶揄する気持ちはありません。
もし御気分を悪くされた方がいらっしゃいましたら、深くお礼申し上げます。
以上を踏まえた上でお楽しみ下さい。
夕陽もとっぷりと暮れた午後八時。
あたしはせっせとお盆を運んで、白詰くんのところと店を行ったり来たりしていた。
鉢をいくつか割っちゃって、すごく落ち込んだけど、白詰くんが「それくらい問題ない。それより怪我、するなよ」って言ってくれたから、すっごく嬉しかった。
それ以外は特に問題なく仕事が進んで、白詰くんがレジを整理したりしてたから、あたしはしょっちゅう白詰くんを見れた。まあ、あたしはお盆運びだから、料理するところで白詰くんを見れるんだけど、料理する白詰くんと、レジを整理する白詰くんは、どっちも違うかっこよさがあったから、すっごくよかった。
こういうのは確か、両手に花っていうんだよね。違うかな。
また今度、笠懸先生か御簾川さんに聞いておこうっと。
◇◆宗田栞◇◆
白詰くんがまた料理するところに戻っちゃってあたしがため息を吐いてたときに、新しいお客さんが入ってきた。
一目見た感想は「こわい」。真っ黒な上着にとげとげの靴を履いてて、あんなので踏まれたら地球が泣いちゃいそうなくらい。
それで、まっかっかな帽子を被ってた。突き出たところが少し長い帽子。そのせいで顔がちょっと見えなかったから、深く被りすぎなんじゃないかなと思う。あたしはそんな人を見たことがないから、この人はあんまり帽子を被ったことがないのかな。
その人は店を見回して、あたしに目をつけると、ガッガッと歩いてきて、目の前のカウンター席に座った。
「この店に看板メニューはあるかい」
その人の声が案外優しそうだったから、あたしはほっとする。見た目が怖いだけで、本当は優しい人なんだ。
あ、いけない、質問に答えなきゃ。
「あ、えと、みつばらぁめん、です」
くしゃくしゃに詰め込んだ脳みその記憶の棚の中からそれを引っ張り出してあたしは答える。
「じゃあそれを一つもらえるかな」
その人は人差し指を立てた。あたしは頷いて、蒼香ちゃんに注文を教える。蒼香ちゃんは頷いて、大声で白詰くんたちに注文を伝えた。
「君は何年生なの?」
真っ赤な帽子の人が尋ねてきたから、あたしはしどろもどろになりながら、「まだ今日入ったばっかりです」って答えた。その人は眉をきゅーっと寄せた。やっぱりちょっとこわい。
「いや、君学生だろ? だから、俺が答えてほしいのは…………あーいいや、じゃあ質問を変える。君何歳?」
あたしは記憶の棚をこねくりまわす。あれでもない、これでもない、ってとっかえひっかえしてたら――――
「――――――チッ」
赤帽の人は顔を背けた。
「君もういいよ」
あたしはすごすごと身を引いた。赤帽の人は椅子をカタカタ鳴らしはじめて、「アスペかよ」って言いながらカウンターをとんとんとんと叩いた。
みつばらぁめんが出てくるまでがすっごく長く感じて、あたしはどこにいったらいいのかわからず、結局その人の前で手を結んで立ってた。何か考えようと思うと、さっき質問に答えられなかったことを思い出して胸が痛んだ。
そうだ、この人の言う「アスペ」ってどんな意味なんだろう。
これも笠懸先生か御簾川さんに聞いておこう。いっぱい聞かなきゃいけないことがあって大変だ。全部覚えてられるかな?
宗田栞がそんな思索に耽ることを彼が見越していたとは思えない。だが――――彼の上着の裾から一対の鋭い眼光が覗いていたことに、宗田栞が気づくことはなかった。
◇◆宗田栞◇◆
「みつば一丁ー!!」
白詰くんの声が聞こえて、あたしは白詰くんからお盆を受け取って赤帽の人に運んだ。
「おまちどおさまですっ、みつばらぁめんで……お間違い、ないでしょうかっ」
赤帽の人は首を捻ってあたしを見上げる。
「これが看板メニューってやつかい?」
「はい」
「ならいいよ、ありがとう」
いつの間にか赤帽の人は優しい声に戻ってた。さっきのは本当のこの人じゃなかったんだ。あたしが悪いんだろうなあ。
赤帽の人はさっさっと手を振る。空中にゴミでも浮いてるんだろうか。
「……ねえ」
空中って言えば、あたしと白詰くんって、厳密に言うと空中で会ったことになるんだよね。だってあたしはビルから飛び降りて、そのときに白詰くんに助けられたから。すごくロマンチックな響き。
「君」
そう考えていくと、どうしても気になるのが、あたしがどうして自殺なんてしようとしてたか、ってことなんだけど……世界には白詰くんがいるのに、どうして死のうとしたんだろ。よっぽど重要な理由があったのかな。
「……おい」
あ、そっか。あたしはあの日死のうとするときまで、白詰くんに会ったことがなかったんだ! だからあたしはビルから飛び降りて、白詰くんに会おうとしたんだ!
……あれ? なんか、順番がおかしな気が――――
「おい!! 聞いてんのか!!」
突然赤帽の人が大声を出したから、あたしは反射的に肩が跳ねた。店にいた他の人たちも少し驚いたみたいだったけど、赤帽の人を見るなり顔を下げた。
「下がれって言ってんだよ!! ッかんねえのかグズが!!」
びっくりしてあたしは後ろにジャンプする。ジャンプっていっても小さなジャンプだよ。
「人の話聞けねぇヤツが接客してんじゃねえよ……死ねや」
赤帽の人は、上着のポケットに手を突っ込んだ状態で、あたしを見上げ睨んでいた。
あたしは、赤帽の人が言った台詞を聞き逃してたんだ。だからこんなにこの人は怒ってるんだ。
あたしって……ホント、バカだなあ。
「すいませ……でした」
あたしは嗚咽を噛み殺して入り口近くの壁にお尻だけつける。
こんなところで泣きたくないから、必死で泣き虫を追い返す。あたしの心の中で泣き虫と嬉し虫がえいえいと闘う。いけいけ、ぷっぷか、どんどんどん、と応援していると、嬉し虫が泣き虫を押し倒した。やった、勝った!!
嬉しくなってあたしは自然に笑みがこぼれる。あたし嬉し虫強し!!
「ねえ」
声のした方を見ると、赤帽の人があたしを手招きしていた。あたしが自分を指差すと、赤帽の人は「そうそう」と言ったので、あたしは近寄る。
赤帽の人は、あたしの耳を寄せて言った。
「このスープを作った人を呼んでくれるかな。すごく美味しいからさ、直接聞いてみたいんだ、その……こういう味の作り方とか」
赤帽の人は後頭部を掻いた。
「僕はよく料理をするんだけどね、よく『愛情が足りない』って言われるんだ。この料理にはスープや麺から具材まで、全部に愛情が入ってる。だからその秘訣を知りたくてね。愛を込める秘訣って言えばいいかな」
赤帽の人が言うことはすごくよくわかる。あたしも、さっきみつばらぁめんを食べて、愛情のこもったすごく美味しいラーメンだなあって思った。うーんでもあたしの場合、白詰くんを意識してたから余計かな。
「わかりましたっ」
あたしはそう答えて、白詰くんのお母さんを呼ぶために白詰くんのところに行った。念のために白詰くんのお母さんに「スープでしたよねっ」て確認をとってから、赤帽の人の前に連れていった。
「あなたがこのスープを作った人ですか」
赤帽の人は音を立ててカウンターの席から立ち上がった。自然と店のみんなの視線が集まる。どんな会話が始まるんだろうと思ってどきどきしながら、あたしは二人を見つめる。蒼香ちゃんも。
「本当にすごいですね。よくこんなスープを作れるものだと思いますよ。私は未だかつてこんなスープを見たことがありません」
白詰くんのお母さんは「ありがとうございます」と言って恥ずかしそうに俯いた。照れることないのにな。
「いえ」
赤帽の人はおもむろに鉢を持ち上げた。
「……あれ?」
そこであたしは変なことに気がついた。
鉢にレンゲは刺さっていたけど――――ラーメンを食べる上で必ず使うはずのお箸は、どこにも見当たらなかったのだ。
赤帽の人は――――まだ何も食べてない。具材やスープはぎりぎりレンゲで食べられるとしても――――麺は無理だ。
これって…………どういうこと?
「褒めてるわけじゃない。俺は信じられないんだよ。こんなラーメンを作って平気な顔をしてる人間がこの世にいるってことを」
彼は目をカッと見開き、鉢に手を突っ込んだ。
そして勢いよく手を引き出すと――彼は何かを手に掴んでいた。
店がしん、と静まり返る。
宗田栞も、来集蒼香も、白詰朱実も、店内の客も、みんな息を殺した。
「見えるか? おら。見えんだろ」
彼は右手に持つそれを店のみんなに見えるように大きく掲げた。左手にはラーメン鉢を持ったままだ。
「これがらぁめんよつばの看板メニューのスープの具材だなんてなぁ、信じられるか? ああ俺は信じたくない。信じたくないが――――」
彼は大きく息を吸い込む。
それ以上言ってはいけない。直感的にそう感じた。
けれど、そう思ったときにはもう時既に遅く。
――彼は大きく口を開き、言った。
「みんな聞け!! そして近所のみんなに伝えて回れ!! 今までお前らが食っていたラーメンは!! ずーっと『旨い旨い』と言って食っていたラーメンは――――!!」
彼の右手が開かれ、そこにいた生物が白日のもとに晒された。
誰もが一目見ただけで、それと分かる、真っ黒な生物。そして、ここ最近六陵高校を賑わせていた生物。
――――その生物が、そこにいた。
――――――そして彼は、高らかに叫んだ。
「――――らぁめんよつばのラーメンは!! どれもこれも一つ残らず!! 真っ黒テカテカゴキブリまみれなんだってなァァァァアアッ!!!」
彼はゴキブリとラーメン鉢を白詰朱実に投げつけた。
◇◆白詰朔◇◆
スープが煮え立つ音と俺自身が奏でる包丁のリズムで厨房が賑やかになっていたとき、鉢が割れる音が耳に届いた。
「さてはまた宗田さんがやらかしたな」
そう呟き、俺はガスコンロを止める。まったく、母さんもいるんだから、ちゃんと見張っておいてほしいもんだ。
しかし、その瞬間、俺の耳をまったく予想外の音声がつんざいた。
続けざまに鳴り響く何個もの鉢の破壊音に、複数人の叫び声。
一つは宗田さん。もう一つは来集。それは分かったのだが――――
その他にも、十人ほどの人間が、金切り声を上げている。
異常だ。
俺はすぐさま厨房を飛び出して店内に乗り込んだ。
そこで目にしたのは、現実とは思えぬ風景。店内にいた女子供は泣き狂い、男が顔を真っ青にして、手から鉢を滑り落としている。足元に破片が散らばっているというのに、我を失ったように動かない。その中に吐瀉物の臭いが混ざり、店内の空気は変貌していた。
その中でも、一人だけ異彩を放つ人物がいた。カウンターの近くで立ち、黒笑を浮かべている。その目線の先には、ぐしょぐしょになった母さんが立っていた。足元に鉢の破片がある。
「母さんっ!!」
俺が母さんに駆け寄ると、赤帽の男は我関せずといった様子で飄々と歩き去る。何かをレジの上に残していったので、それをひっつかむ。
俺は目を瞠る。この紙には覚えがある。
「…………!!」
ぐしゃぐしゃ、とその紙を握り潰す。
「白詰!!」
来集が俺に叫んだ。「あいつが根も葉もないことべらべら言ってたんや!! みつばらぁめんにはゴキブリが入ってるって!! あんなん言いがかりや!! あの男は、みつばらぁめんを、みつばらぁめんを――――」
「……ああ」
俺はしっかりと頷き、紙を丸めてくずかごに放り込み店を駆け出た。
「来集、宗田さん!! 母さんを頼む!!」
のれんをくぐり俺は辺りを見回す。左方向にある十字路を左に折れる人影が見えた。
「――――絶対に許さねぇ」
あいつは、俺の前で、来集と母さんと宗田さん――――友達と家族と恋しい人を傷つけた。
「復讐だ」
らぁめんよつばのくずかごで、丸い紙切れがカラン、と揺れた。
その紙には『罪人ノ家』とでかでかと、悪意たっぷりに書かれていた。
◇◆白詰朔◇◆
曲がり角を曲がると、ヤツがいた。
ヤツは黒く光る大型バイクに跨がり、ヘルメットをつけていた。いくらヘルメットを被ったところで、その特徴的な髪色が隠れるわけはない。
もう一人、赤帽の男は、帽子を外しヘルメットを被ろうとしているところだった。
「――土台今男!! ヘルメットを外せ!!」
俺は跨がる男に向かって怒鳴る。そいつは俺を認めると、口を傾けゆっくりとヘルメットを外した。特徴的な金髪と、大きなピアスが露になる。
「よぉ……クソ坊主。いつ振りだぁ? あのババアを俺が殺そうとしてたとき以来か」
俺は歯を噛み鳴らす。
「一体どういうつもりだ、お前」
「何がだ」
土台はゆっくりとバイクを降りる。赤帽の男が呼び掛けたが、土台は無視した。
「なんで俺達の店を襲わせたんだ、ソイツに」
「あぁ……言ってやろうか? クソ坊主」
土台は挑発的に笑う。
「前回はただ気になったから寄っただけだったけどなぁ、今回は違う。れっきとした依頼だ」
「依頼……? 誰かに頼まれたのか」
「あぁ。“超能力者”様々だ」
「誰だ」
俺は土台を睨み付ける。土台は片眉を上げた。「あ?」
「……誰に頼まれたんだ」
「ふっ……うはっはは!! 俺が言うと思ってんのか? おめでたいヤツだな。用事はそれだけか…………クソ坊主」
土台はバイクから手を離し俺ににじりよる。
「土台さん、俺が片付けましょうか」
「いや、下がってろ」
片手で赤帽の男を制止する。
「俺がやる。場合に《・》よ《・》っ《・》て《・》は《・》生かして帰す」
「……まあ、土台さんが言うならいいですけど。殺さないんなら、早くしてくださいよ」
こいつらはおかしい。人間の根本から腐りきっている。
「一つ聞きたいことがある。どうしてお前はゴキブリを使ったんだ」
土台は口角を吊り上げる。
「嫌がらせには最適だろ。特に食事系はなぁ」
「……俺が聞きたいのはそういうことじゃない」
俺は、頭に浮かんだ考えを吐き出した。
「六陵高校のゴキブリ爆弾事件も、お前の仕業なのか」
土台は一瞬固まったが、わざとらしく首を回した。
「ゴキブリ爆弾事件ん? んなもんは知らねぇなぁ」
「……六陵高校で何かが起こってることは知ってるのか」
土台はふっと苦笑した。
「お前も人間程度には思考ってもんが出来るようになったんだなぁ。前は死ぬかもしれないと分かってて飛び込んでくるような能無しだったのになぁ」
「……いいから答えろ。事件が起こってることは知ってるんだな? 誰から聞いたんだ」
「――――そうムスんなよ、クソ坊主」
土台は苛立ちを露にして俺を睨んだ。反射的に俺の肩が跳ねる。突如八年前の恐怖が押し寄せる。
圧倒的な強者を相手にしている感覚。
「……お前の店の嫌がらせを頼んだ超能力者様々だよ。そいつが六陵高校の生徒なんだ。これで満足か、クソ坊主」
「――――ああ」
震える肩を押さえる。恐怖を気取られれば……殺される。
「お前の仲間に、ゴキブリを操る超能力者がいるだろう」
「そりゃ俺だ。ついでに言うとな、今回の依頼人は、よっぽど俺の能力を気に入ってくれたみたいだぜ。昨日も丸々一袋、ビニール袋にゴキブリを詰め込んでやった。色々、大人しくなるようにいいつけてなぁ」
土台は平気な顔をして言う。
「じゃあ、六陵高校のゴキブリ爆弾事件は、俺達の店に嫌がらせさせたお前の依頼人が仕組んだことなんだな?」
「それは知らねぇな。依頼人がそのゴキブリで何してるのかなんて、俺には関係ないことだ。俺はただ金をもらえればそれでいい」
土台はにやにやと笑みを浮かべている。ビニール袋入りゴキブリということは、もう疑いの余地はない。その依頼人が、今回のゴキブリ爆弾事件の真犯人だ。
「それで終わりか、クソ坊主」
「…………いや、終わりじゃない」
俺は腕をまくる。肌色の腕が月に照らされる。
「お前を殺す…………土台今男」
土台今男は俺の発言を笑い飛ばした。
「お前に人が殺せんのか、クソ坊主!! ラーメン屋でひたすらゴキブリラーメン作ってるだけのお前が!!」
「殺せる。お前を殺すのは簡単だ。俺には力がある」
「力がある、だぁ?」
土台は俺に歩み寄り、頭を鷲掴んだ。
「今にもチビりそうな表情してんだろうが。そんなヤツに俺が殺せるかよ」
土台は俺の横っ面を躊躇いなく殴った。頬骨に拳が激突し、俺はコンクリートに体を擦り付ける。
「ぐッ――――――」
土台は俺の呻きを嘲る。「じゃあなクソ坊主。運がよければ、明日また会えるかもなぁ」
「おら、行くぞ」
土台は俺に背を向けた。
「殺さないんですか」
「失禁して服を汚されるのはごめんだ」
「そういうもんですか」
「お前も殺るときには気をつけろよ。一番いいのは相手がトイレに行ったあとだ」
「さすがですね」
赤帽の男と土台今男は、そんなことを当たり前のように喋りながら、ヘルメットを被りバイクに跨がった。歪む視界の中バイクを見上げる。土台たちは俺に見向きもせず、『RAVAGE』と青く塗られた銀色のバイクを走らせ、夜の吉舎布に消えていった。
――――――クソがっ!!
俺は拳を骨に血が滲むまで握り締める。まだ俺は八年前のあの記憶をひきずったままなのか。
いつまでたっても、土台への恐怖は消えない。どんな強力な洗浄液を使っても、脳梁の裏側にこびりついたそのシミは、決して剥がれ落ちることはないのだ。
どれだけ強い力を手に入れても、心が相手を拒んでいては勝てない。
俺はそれを痛感した。
◇◆白詰朔◇◆
その後俺はらぁめんよつばに戻った。客は全員帰った後で、宗田さんが必死に母さんに笑いかけ、来集が店を片付けていた。
俺は母さんを居間に連れていってやり、布団をひいて寝かせた。母さんは少しの間うなされ、俺は出てきた汗をその都度拭いてやった。宗田さんは、しきりに母さんに呼び掛けている。大丈夫ですよ、あたしたちがいますよ、怖くないですよ、みつばらぁめんはすっごくおいしいですよ、とそういったことを繰り返し言っている。
「何が悪いんだろうなぁ……母さん」
ようやく寝静まった母さんの額を撫でながら呟く。
宗田さんは、少し困った顔を俺に向けた。宗田さんは純粋だ。
「宗田さんはずっとそのままでいてくれよ」……と俺はいるかもわからない神に囁いた。
◇◆白詰朔◇◆
「もう帰ってくれ、二人とも。今日は本当にありがとう……助かった。送ってやることはできないから、気を付けてな」
母さんを一人にすることはできないから。
二人ともその意図を汲んでくれたようで、何も言わずに席を立った。
店の入り口のところで、宗田さんが振り向いた。
「明日もまた来るからね、白詰くん!」
「……え? でも、もうこんなことがあったし、来ないでいいぞ? 明日は客なんて一人も来ないだろうし――――」
「あたしは、この店が好きだよ、白詰くん!! だからあたしは明日も来るよ!」
宗田さんはまっすぐに俺を見る。
「もちろん、白詰くんのことも――――好きだし」
来集がくるりと振り向く。真顔だ。
「うちももちろん来るで。革命軍に入るまでずっと来るて、もう言うてもうたし」
「二人とも――――」
俺は瞳が滲むのを押し留める。「本当に――――ありがとう」
「ええねんて。困ったときはお互い様や」
「うんっ!! それに、あの赤い帽子の人、あたしに嘘ついてたんだよ!!」
「そうなん?」
「うん! あのね、あの人、白詰くんのお母さんにお礼が言いたいって言ってたのにあんなことしたんだよ!」
雑談を始めた二人を、俺は外に押し出す。
「ほらほら、早く帰ってくれ、二人とも。夜道は暗いから、なるべく広い道を歩けよ?」
「「うん」」
「……じゃ」
「じゃあね、ばいばい! また明日学校でね!!」
「また明日会おか」
俺が見えなくなるまで手を振っていた宗田さんと、宗田さんのもう片方の腕をしっかりと引っ張って先導する来集を見送ってから、扉を閉めて念入りに鍵をかける。
一階の灯りを全て消し、俺は二階に上がる。俺の部屋から布団を引っ張ってきて、母さんの隣に寝転がる。
――――――もう絶対に、母さんを誰にも傷つけさせたりはしない。
俺は自分の無能さを恨み、そして自分を奮い立たせ、土台なんて恐くない、と童謡の替え歌を口ずさみながら、眠りについた。
この夜見た夢は、土台をピコピコハンマーでひたすら殴る夢だった。
久しぶりの愉快な夢に、俺は一筋の希望を見出だせたような気がした。
決戦の月曜日が始まる。




