第四十四話 「山茶花」
日曜日は続きます。
入り口近くに立っていた男は、東郷さんだった。彼の前に来集が座り込んでいる。
「――――うちを東郷さんの部下にしてください!!」
床に座り込んでいた来集は、その頭を床に擦り付けた。要するに、来集は、入口近くにいる東郷さんに向かって土下座している。
「……嬢ちゃん、どこで自軍を知ったのか知らねェが、お前さんはまだ自軍に入るにゃ若すぎる。耄碌じじいにキスできる年になってから出直しな」
東郷さんはそう言って顔を上げる。俺と目が合うと、困ったように肩をすくめた。
◇◆白詰朔◇◆
取りあえず俺達は、興奮しきった来集をなんとか抑え、事の成り行きを話してもらうことにした。東郷さんはいつものカウンター端、入り口に一番近い席に座る。その横に、俺を挟んで来集、宗田さんの順で並んで座る。
「東郷さんはうちの憧れの人やねん」
来集は拳を握りしめ、少年のように目を輝かせる。
「俺はそんな人間じゃあないんだがなァ」
東郷さんは頭をぽりぽりと掻く。
東郷さんはそう言うものの、あれだけたくさんの男たちから『親分』と呼ばれ慕われていた人が、憧憬を抱かれることがないような人物であるはずがない。
だけど、少し気になる。どうして来集は、東郷さんのことを知っていたんだろう。東郷さんはそこまで顔の広い人なのか?
「もしかして、自分のこと内緒にしてるんですか? 自分が、“革命軍”の幹部だってこと」
「“革命軍”……?」
宗田さんは眉をしかめる。宗田さんはまだその存在を知らないんだろう。だけど、この世界において、“革命軍”の存在は一般常識レベルの知識だ。
革命軍とは、世界各地でその縄張りを徐々に拡げつつある反新政府組織だ。その目的は、超能力者をこの世界からなくすということ。「なくす」という言葉に多少の含蓄があることから、内部では穏健派と強硬派の対立が起こっていると聞く。
東郷さんは、そんな組織の幹部だったのか。
「あァ、幹部って言っても、あれだ、日本吉舎布支部の、だからな。勘違いしないでくれよ」
東郷さんは手を振って訂正する。
「それは知ってます!! だからこそうちは、東郷さんの部下にしてほしいんです!! “熊帝”東郷丈助に会えたなんて、うちにとっては奇跡そのものなんです!!」
「出会いは奇跡だ。俺じゃなくても同じだよ。それになァ、嬢ちゃん。俺は今、『革命軍幹部の東郷丈助』としてじゃなく、『らぁめんよつばの常連客』として、開店前のらぁめんよつばにふらりと立ち入っただけなんだよ。そんな話を持ち出してくるのは、やめてくれねェかィ」
東郷さんの眉間に皺が寄せる。今までに見たことのない、不機嫌な顔だ。もしかすると、東郷さんは怒っているのかもしれない。
「な、なぁ来集、とりあえず今はそれくらいにしとかないか? 東郷さんがどういう人であるにしろ、今はただの客としてこの店に立ち寄ってるだけなんだから。それに、お前の面接、まだ終わってないしな」
俺は来集をカウンターから立たせる。
「東郷さん、宗田さんと少し話してやってて下さい。彼女、人付き合いが少し苦手なので」
東郷さんはオッと口をすぼめる、
「あんときの嬢ちゃんじゃねェか。学校じゃあ兄ちゃんはどんな様子だィ」
「えっ、ええと……」
俺は二人を残して二階に上がった。
許してくれ、宗田さん。今は一旦、状況を纏めないといけないんだ。接客練習と思って、東郷さんの相手をしてやってくれ。
東郷さんも喜ぶだろうし。
◇◆白詰朔◇◆
「じぶんと東郷さんはどういう関係なん」
俺の部屋でカウンター椅子に座った来集は、第一声にそう言った。
「さっき言っただろ、ただの常連客だよ」
「それだけちゃうやろ」
来集は鋭く切り込む。
「ただの常連客が開店前の店に入ったりせえへんやろ」
「そういう人もいるって」
俺は極力東郷さんに迷惑をかけたくないので、話を逸らそうと努める。
「そもそもなんでお前、革命軍なんかのこと知ってたんだ?」
「革命軍のことは誰でも知ってるやろ」
「いや、そうじゃなくてだな」
俺は両手を大げさに広げてみせる。
「なんで革命軍の幹部とかそういうことまで知ってるんだ、ってことだよ」
本来、反新政府組織である革命軍の内部情報は、外部に漏れることはない。革命軍にとって内部情報とは、自分たちの規模や目的を知られてしまう重要機密だからだ。
それをどうして一市民である来集蒼香が知っているんだ?
「うちのおとんが革命軍やったからや」
案外あっさりと、来集は告げた。それはもちろん先程の「内部情報」だったが、来集にとってそういうややこしいことはどうでもいいらしい。
「お前の父親が?」
「せや」
「だからって……革命軍の内部情報は重要機密だ、娘だとしても教えないだろ」
来集は頭を少し下げた。前髪が顔にかかり、奥の表情は読み取れない。
「うちのおとんは“豚”になってもうたんや」
「“豚”?」
来集は小さく頷く。“豚”が何を意味するのか、なんとなく察しがついた。
「「“生ニエ”」」
俺と来集の声が重なる。彼女の前髪が小さく揺れた。
通称“生ニエ”と呼ばれる新政府の無差別人体実験。その被検体に、彼女の父親は選ばれたのだ。
「おとんが連れてかれてから、家の机の中にあった資料を見つけたんや。そこに、革命軍についての色んなことが書いてあった。富田林支部の内部動向とか、視察命令書とか、人員構成表とかな。それまでおとんが革命軍やったなんて全然知らんかった」
来集の前髪は細かく震える。
「そんでな……色々それから革命軍のこと調べてん。おとんがどういうことしとったんか、知りたかったし……反新政府組織って聞いてたから、おとんを奪っていった新政府に、何か仕返しできるんちゃうかと思ってな」
正式名称を“生命活動に影響を及ぼす物質の実用演習”という“生ニエ”の被検体に選ばれて、未だかつて帰ってきた者はいないと聞く。
一体どのような実験が行われているのか、その全貌は明らかになっていない。ただ、『人体実験』と呼ばれるものに、安全が確保されているとは思えない。
今までに被検体に選ばれた人は八十万人を越えると言われている。もちろん、言うまでもなく、その全ては非能力者であり、先程言った“無差別人体実験”の範囲はその域を出ない。
「そんで、日本で一番勢力の大きい革命軍は吉舎布支部やって知って、絶対ここに入ろう思てここに来た。金がなかったから六陵高校に入ることになったけど、そんなんは問題やない。うちは吉舎布支部に入るためにここに来たんや。幹部の人たちを見つけるために、毎日そこらじゅうを歩き回っとった。今年から筋トレも始めてん。それは前にも言ったやろ」
来集は腕を組んだ。支部間での勢力関係なんて、本来は超重要機密だろう。さっき東郷さんは、『日本吉舎布支部の幹部』ということを、自分の地位を低く見させるために使っていたからな。
そもそも、俺にとっては、支部が存在していたことすら初耳なんだ。
「これも運命かも知れへんな、白詰。うちが六陵高校に来てなかったら東郷さんとは会えてない。もちろんしおりんがいなかっても会えてへんやろうし、あんたがおらんかっても会えてへん」
「確かにな」
「せやからな、白詰」
来集はずいっと俺に近寄った。瞳が野望に光る。
「これからここにお世話になることにするわ。毎日ここでバイトして、東郷さんに認めてもらう。それまでここ辞めへんからな」
「……怖いな」
怨念じみたものを感じるぞ。
「手段なんて選んでられへん。いつかうちは革命軍に入って、東郷さんの下で働いてみせる。そうじゃないと、おとんに向こうで顔合わせられへんわ」
そう言って来集は体勢を戻した。泣いているのかと思ったが、案外そうではなく、どちらかと言えば未来への希望に溢れた瞳を輝かせていた。
来集は独りなのだろう。母親がいるのかどうかは分からないが、先程までの話からしていないのではないだろうか。それでも来集は挫けることなく、大阪から飛び出してここまで辿り着いたのだ。
――――ひたむきに、たった一筋の希望にすがって。
「じぶんもちょっとは手伝ってな? うちの革命軍入り」
そう言って来集はいたずらっ子のような笑みを浮かべた。強い心の持ち主だ、と思う。
本来こういうヤツが推部に入って超能力を得るべきだという考えがよぎったが、考えてみれば、打倒新政府を目論む来集にとって、超能力者は恨むべき相手だ。彼女は超能力を得ることなんて望まない。
それとは違って、俺と御簾川と宗田さんは、超能力を得ることをあっさりと受け入れている。この違いはどこにあるんだろうか。
俺も超能力者に恨みがある。だけど俺の場合、そう思う心を殺してでも力を得る必要があった。来集の場合は、その心を殺すことは、自分の目的の喪失に繋がるのだ。
御簾川の場合は、今のところよくわからないが、超能力者に恨みがあるふうではない。非能力者の中では珍しい人物だ。
宗田さんの場合は、超能力者に対する恨みなんて、微塵も持っていないだろう。かつて持っていたのかもしれないが、今はそれを綺麗さっぱり忘れている。
――――ただ一つ言えることは、そんな俺達を見事に選び抜いたシーマンさんの選人眼は、驚くほど確かだということだ。そしてもしかすると、彼は来集のような人材をわざと選ばなかったのかもしれない――――つまり、推部入りを断りそうな人材を故意に選ばなかったのかもしれない、と思うと、あの小さくて間抜けなシーマンさんが、急に偉大な人物のように思えてくるもんだから、困ったものだ。
◇◆白詰朔◇◆
俺は来集のらぁめんよつば勤務を承認し、彼女を連れて宗田さんと東郷さんの待つ店エリアへと戻った。
来集は先程よりも落ち着いた様子で、東郷さんに向かって土下座するようなことはしなかった。ただ、しきりに喉の乾きを確認したり、靴を磨こうとしたり、あわよくば肩を揉んだりして東郷さんの気を引こうとはしていたが、東郷さんはそれをあまり気にしてはいないようだった。
「嬢ちゃんは、どこまで知ってるんだィ」
ふと、東郷さんが尋ねた。来集は笑顔で「東郷さんが日本吉舎布支部の幹部だってところまでです」と答える。
「誰に聞いたのか知らねェが、あんまり口外するなよ」
来集はこくこくと頷く。いつもの悪戯っぽい来集は影を潜めているようだ。
「それと言っとくけどなァ、俺はもう今は第一線からは身を引いてんだ。暴れるのはもう性に合わねェんだよ。昔の子分たちが慕ってるだけでなァ」
「ええんです」と来集。「うちは闘うのはホンマはしたないし」
「……そうか」
東郷さんは興味のないふうに返す。来集にとっては、本当に新政府を倒すことよりも、それに向かって努力している、ということの方が大切なんだろう。
「とっ、東郷さんは、ふだん、ど、どんなことをしてるん……ですかっ?」
緊張した面持ちで宗田さんが問う。端から見れば東郷さんは厳つい男だ。緊張するのも無理はない。
「俺はなァ、街をうろついて、ムカつく野郎を見つけたらとっちめてるんだ」
その言い方だと、土台今男たちがやってることと何ら変わりない。だけど、東郷さんがやっていることは、土台今男なんかとはまるで違う、正反対のことだ。というか、さっき暴れるのは性に合わねェとか言ってた気がするけど……あれは来集への嘘、か。
「人様に迷惑をかける不貞の輩はもれなくノックアウトってもんだ」
うはは、と笑う。「そしたらあいつら、勝手に付いてくるんだ。自分より強いヤツに付いていく習性があるんだなァ、そこらの野良犬と変わりゃしねェ」
「つまり……悪を正す正義の味方、ですね!!」
ぷふーと鼻息を荒らげながら宗田さんが言う。彼女の記憶は大半が失われている。故に、小さい子供と同じような思考回路になるんだろう。可愛い。
「そりゃあ少し違う。俺は何もあいつらの生き方を否定してるわけじゃねェんだ。俺は、あいつらの進んでる道を無理矢理へし折るようなことはしねェ。草むらん中を歩いてるヤツがいたら、その先に看板を立て掛けておいてやるだけだ。『真っ直ぐ行けば崖がある』ってなァ。その後どうするかは、そいつらの自由だ」
東郷さんには人が集まる。それは単に、彼が強いという理由だけではないだろう。
彼には、人を導くカリスマがあるのだ。支部の幹部になっているのも頷ける。
「さすがです、東郷さん!」
そう言って来集が胸ポケットからくしを取り出したので、東郷さんは黙ってそれを押し戻す。
そうしてしばらく四人で雑談をした後、東郷さんはらぁめんよつばを後にした。彼にとっては、来集の存在は少々頭を悩ませるものだったのだろう。
ただ、『彼女がらぁめんよつばに勤めることになった』と俺が告げても、東郷さんはらぁめんよつばに通うことをやめるとは言わなかった。いくら来集がいても、それとこれとは別だということなのだろう。嬉しい限りだ。
そして、二人をアルバイトに誘ったことを母さんに告げると、最初はおどおどしていた母さんも、二人と少し話をすると、すぐに打ち解け仲良くなった。母さんのGOサインが出たことで、本日付で二人はらぁめんよつばのアルバイトとして働くことが正式に決定した。
◇◆白詰朔◇◆
昼前かららぁめんよつばは勤務が始まる。それまでに俺と宗田さんと来集の三人は、居間に集って役割分担について話し合った。
結果から言うと、俺と母さんが厨房、来集が注文取り、宗田さんが盆運びになった。決め手は二人の集客力。男心をくすぐる女子高生が二人もいれば、土台今男の襲撃があったことなんてブッ飛ぶほど客足が付くだろう。宗田さんが盆運びなのは、さすがにしおりんに注文取りは荷が重いという来集の意見による。
エプロンの予備が一つしかなかったので、その一つを来集に、表に出ない俺の分を宗田さんに渡す。来集がにやにやとしていたが、見なかったフリをした。だってエプロンだぞ。おしゃぶりを交換したわけでもないだろう?
らぁめんよつばの営業時間が始まる。
俺は皆とお揃いでないエプロンをかけて、厨房に引っ込んだ。俺は具材担当、母さんはスープと盛り付け担当だ。
店内の二人はどうやらうまくやっているらしく、時折来集が盆を取りに来たりもしたが、大きな問題を起こさずに済んでいるようだ。
客足の引けてきた午後四時頃、俺は二人に順番にみつばらぁめんを用意した。宗田さんは、ちゅるちゅると美味しそうにらぁめんを啜り、一息ついてから仕事に戻った。そう言えば、宗田さんはらぁめんが好きだって言ってたな、と記憶を掘る。
だけど来集は、目の前に差し出されたらぁめんを見て、一瞬硬直した。
「どうした? 食わないのか?」
俺がそう問うと、来集は無言で首を振り、“焼豚”を頬張った。「あ」と言って俺が思い出したのと、彼女が口を覆ったのがほぼ同時だった。
「来集……大丈夫か?」
来集はうっすらと微笑んだ。
「へへ……この豚、うちのおとんやわ」
「何言って――――」
みつばらぁめんに涙が滴り、広がった。
来集の握る箸が揺れる。
来集は――――泣いていた。
一切の泣き声を出さずに泣いていた。
白い空の下に咲いた桃色の山茶花のように、美しく泣いていた。
「変やな……なんや知らんけど……おとんがうちにラーメンを作ったことなんて、ないはずやのに……」
来集は鉢の縁を握る。
「このラーメン……うちのおとんの味がするわ……どういう手品や…………」
俺は静かに腕を組む。
「『“おかえりなさい”あったかい家族の味。』……それがらぁめんよつばのらぁめんだからな。俺の母さんがいっつも愛情込めてスープ作ってるおかげだ」
「……なんやそれ……あほちゃうか」
来集はふふと笑う。それは、息をした瞬間にふと漏れ出た、春の息吹のような笑みだった。
「やっぱ運命やな、うちとあんたが会ったんは」
来集はそう言って俺を見つめる。涙に潤んだ瞳の奥に写る俺の姿は、くっきりと輪郭を描いている。
「あ、誤解せんといてな。別にあんたが好きとかそういうんじゃないから」
「分かってるよ」
「うちの目的はあくまで革命軍入りやからな」
「分かってる」
「そのためにあんたは利用させてもらうからな」
「分かった分かった」
「うちの一番憧れの人は東郷さんやからな。そこ勘違いしやんとってな」
「ああ」
来集はスープまで飲み干すと、エプロンの紐を両手で引っ張って、自分の持ち場へと戻っていった。
「さあて、俺も食うとするか」
俺は一人、いつものみつばらぁめんを食べる。
――――いつ食っても変わらず、ひたむきに美味いらぁめんを、俺はこれ以外に知らない。
まだまだ日曜日は続きます。




