第四十二話 「もがれた翼」
俺達は、酉饗に、追放を覆すためには酉饗の依頼状が必要だということを事細かに説明した。
「なるほどな」
酉饗は頷く。
「分かった。じゃあ、そういうふうに書くけど――その前に、少し話を聞いてもらってもいいか?」
俺達三人は目配せし頷いた。
「私も聞きたかった。どうして津惟が今回、こんな事件に巻き込まれることになったのか――その経緯を」
◇◆酉饗津惟◇◆
最初は偶然だと思った。
前日酉饗津惟が行った剣道部で、謎の意識不明者が出た。
何の疑問も感じずに、その日は陸上部へ行き、そしてそこで、五位鷺先輩に会った。
一目惚れだった。あんな気持ちになったのは初めてだった。 地面に足を付けているのに、絶えず10センチほど宙に浮いているような、ふわふわとした浮遊感。
これが恋だということに気づくのに、時間は掛からなかった。
しかしその翌日、彼が次の犠牲者となった。
訳も解らず涙が溢れた。
もう一生五位鷺先輩には逢えないのではないか――最後に彼が酉饗津惟に残した言葉が遺言だったような気がして、酉饗津惟はその遺言通り、女子テニス部へと向かった。
するとまた、そこで事件が起こった。しかも今回は、自分の見ている前で。
そこで酉饗津惟は、ある可能性に突き当たった。
自分がゴキブリを呼び寄せていたのだ、ということ。 自分が前日訪れた部活で、ゴキブリ爆弾事件が連続して起こった。偶然じゃない。ならばなぜ必然的にその事件が起こったのか。理由として考えられるのはたった一つ。
酉饗津惟が、一連の事件の犯人だということ。
自分でも知らないうちに、自分はゴキブリを呼び寄せている。関係の無い人、愛しい人、同じクラスの友達まで被害に遭った。
もしかしたら違うかもしれないと思い、水泳部に行っても、結果は同じだった。そして、呼び出された生徒指導室で酉饗津惟は確信した。
やはり酉饗津惟が犯人だ。
酉饗津惟は――
―――――――この学校にいてはいけない人間なんだ。
◇◆白詰朔◇◆
酉饗は、依頼状に名前を書き込み、ペンをしまった。「自分はそもそも、六陵に行くことが決まった段階で、死ぬべきだったのかも……なんて、そんなことを考えたりもしたな。今はもう、違うけど」
立ち上がりかけた宗田さんを、御簾川がどうどうと押さえる。
「でも、それは全部、自分の勝手な妄想だ。そうなんだろ? 紗希」
御簾川は力強く頷いた。「うん」
「酉饗の話を聞いてると、どう考えても酉饗は被害者だ。自分の行った先々で、事件が発生してるんだからな。名探偵コ○ンでも無い限り、誰だって逃げ出したくなるような状況だ」
それでも、自分がゴキブリ爆弾を設置したわけでもないのに、自分が犯人だと思い込んでしまったのは、一重に、酉饗が純粋だからなのだろう。
酉饗は、真犯人に脅されていたわけでもなんでもなくて、ただ自分の周りで事件が起こったというだけで、自分を責めていたんだ。
「一つ聞いときたいんだけど、お前は、管理人室の鍵の貸出表に、名前を書いたりしてないよな?」
「なんだ? それ」
酉饗は首を傾けた。
「いや、知らないならいいんだ。あーそれと、俺達がテニス部に捜査……じゃない、見学に行ったときに、お前が背負ってたビニール袋には、何が入ってたんだ?」
酉饗は顎に手を当てた。
「うーん……普通に、着替えだった気がするな」
「ならよかった」
ちゃんと筋が通っている。
これでもう、酉饗が犯人という線は消えたな。
「ファイアーフラワーは、ちゃんと預かっとくね、津惟ちゃん!」
宗田さんは依頼状を自分のカバンの中にしまった。宗田さんに預けるのは、少しばかり心配だな。
「おうっ、ありがとな」
酉饗は片手を上げて、爽やかな笑顔を返す。
俺達は、酉饗邸を後にした。
◇◆白詰朔◇◆
「じゃあ、私はここで」
歓楽街の途中で、御簾川は手を上げた。そう言えば、御簾川の家はこの辺だったな。
「決戦は月曜日。朝七時に推部集合ってことでよろしくね」
「そんな時間で大丈夫か?」
「大丈夫、問題ない。前の神託の儀式のときだって朝早くに来てたんだから、月曜に限って、先輩たちが早く来ないなんてことはないよ」
やけに自信たっぷりにそう言って御簾川は背を向け去っていった。後には、俺と宗田さんが残される。
「……じゃあ、家に帰ろうか」
宗田さんは俺を見上げ、こっくりと頷いた。
南竜飛線から西竜飛線に乗り継いで、吉舎布で降りる。
俺達は肩を並べて歩いた。夜道は暗く、足元は悪い。宗田さんは俺に寄り添うようにし、時折聞こえる犬の遠吠えに体をすくませた。
「家まで送るよ」
湯屋の前でそう申し出た俺を、宗田さんははっきりと断った。
「あたしはもう弱くないよ! あのときみたいに変な人たちが来たら、時間を遅らせて閃光みたいなスピードで逃げてやるんだからっ」
宗田さんはまたシャドーボクシングを始める。
「しゅっしゅっしゅっ! かみなりパーンチ!」
俺は肩をすくめる。
「まあ、そう言うんなら、気をつけて帰るんだぞ? 道に迷ったら、周りの人にちゃんと聞くんだぞ?」
「うんっ! じゃあ、また明日ね!」
宗田さんはぶんぶんと手を振って去っていった。いつの間にか、宗田さんも強くなったんだな。
いや、ひょっとすると、宗田さんは初めから強かったのかもしれない。 俺がそれに気づけないくらい、弱かったのかもな。
……そういや、明日は日曜だ。学校は無い。来集もそんなことを言っていた。類は友を呼ぶとは、よく言ったものだ。
◇◆◇◆
らぁめんよつばの扉を開けると、そこには意外な人物が立っていた。
「茲竹さん……! どうしてここにいるんですか!?」
そこに立っていたのは、茲竹桃娘。
元らぁめんよつばのバイトであり、俺の尊敬する人物の一人であり、ここ最近までよつばに勤めていた。
「君か。すごく久しぶりに……でもないわね」
茲竹さんは俺に向かって来る。
「新しい職場を教えに来たのよ。ここには随分お世話になったから」
暖簾をくぐり抜け、肩越しに茲竹さんは続ける。
「今となっては、私はこの場所にはいられない。だけど、いつかまた、会えればいいわね」
そのまま茲竹さんは立ち去ろうとする。俺は彼女の背中に叫んだ。
「茲竹さん!」
茲竹さんは、振り返ることなく歩を進める。
「いつか、このらぁめんよつばを、茲竹さんが後悔するような、『ここでずっと働いていればよかった』って悔やむような店にしてみせます! その時になって戻ってきても、絶対入れさせませんからね!」
それは俺の、回りくどい引き留めだった。
茲竹さんに戻ってきてほしい。
俺の中には、まだその感情が残っていた。 だけど、茲竹さんは、答えることなく、立ち去ってしまった。
俺はその後ろ姿を見送り―――――
出来るだけゆっくりと、入口を閉めた。
「本当に惜しい嬢ちゃんだった、とつくづく思うなァ」
東郷さんは眉を下げる。
「そろそろ、本気で新しいバイトを探さないとダメですかね」
テーブル席を片付けながら俺は言う。
「だなァ」
東郷さんは、寂しそうに厨房を見つめた。「若々しい人材が必要だ。皆がこの店にもう一度来たいって思えるような、な」
「俺じゃダメですかね」
「ダメだなァ」
結局は、東郷さんは、『嬢ちゃん』を見たいだけなんじゃないだろうか。
「そう言えば、東郷さんって、毎週水曜日は来ないですよね」
東郷さんは麺を箸に絡める。「忙しいからなァ」
「……茲竹さんの定休日って、水曜日でしたよね」
東郷さんの動きが止まる。
「……何が言いたいんだィ」
物凄い剣幕で、東郷さんが睨み付けてきた。それ以上は詮索するな、という無言の圧力。
「いえ……何でも」
俺は首を振り、作業に戻った。
このことは、俺の心の中だけに留めておくことにしよう。
東郷さんにも、きっと、何か事情があるのだろう。
――――――そうに違いない。
◇◆◇◆
それから夜になって店を閉め、俺と東郷さんは湯屋に行き、鼻唄を唄いながら帰って来た。
「あ~酔った酔った~ァ!」
東郷さんは、フルーツ牛乳で酔うはずはないのに、酔ったふりをした。千鳥足で夜道を歩く。俺もそれに倣う。
「うぃ~っく、てやんでいバーロー、ゴキブリなんざバッキャローだぃ」
空の牛乳瓶を夜空に突き上げる俺を見て、東郷さんはにやにやと笑った。
「そうそう、上手いじゃねェか」
途端俺の頬が火照る。
「だっ、騙しましたね!」
「お前さんだって騙そうとしてんだ、おあいこだろうよ」
「これはノリですよ! 馬鹿にしないでください!」
東郷さんは優しい目付きだ。
「俺は褒めてんだ、兄ちゃん。このスキルはいつか役に立つときが来る。いつかお前さんが社会に出たときになァ」
東郷さんは俺の頭をぽんぽんと叩く。
「馬鹿なセクハラ上司が、お前さんをコケにしたら殴るか? そんなことはしねェだろ? そういうときは、酒を呑ませて、ぐでんぐでんに酔っ払わせて、自分も酔ったフリして付き合ってやるんだ。そうすりゃ、そいつの弱いとこの一つや二つ、出てくるさ。人は弱いとこを知られるのに弱いからなァ。その後はそいつも、お前さんに強くは出られなくなる」
東郷さんはガッハッハと笑った。
「最悪辞めさせられるけどな!」
「じゃあダメじゃないですか!」
俺の反論に、東郷さんはひとしきり笑ってから答えた。
「そういう瞬間を、楽しめる大人になれよ」
家に帰りつき、東郷さんを見送り、自室で満天の星を眺める。
俺もいつか大人になる。
そのときに側にいる人が、今より少なくなるなんてことはあるのだろうか。
それを防ぐ方法があるとしたら、それはたった一つだろう。
「初心、忘るべからず、だな」
小学一年生にして、俺達は既に真理を学んでいる。いや……小学校の入学前に、それを学んだものもいるだろう。
俺は、その真理を今でも簡単に口ずさめる。
「友達百人できるかな……ってな」
案外簡単なところに、答えは転がっているものだ。
もしかしたら、今もどこかで誰かが探してる答えは、そいつのすぐ近くにあるのかもしれない。
灯台もと暗し。そう言うのは簡単だ。
でも案外、気づかないものなんだな。そういうのって。
俺は、安らかに一時の眠りにつく。
今日はいい夢が見られそうだ。と思ったが、この日は夢を見なかった。まあ、こういう日があってもいいか。
◇◆土台今男◇◆
「ほら……解放してやる」
蔦の蔓延るコンクリート造の廃屋に、彼はいた。
頭は鋭い金髪で、両耳には大きなピアスがぶら下がっている。
「ほら……飛べよ。ほら」
彼は金属製の小さな檻から小鳥をつまみ出し、剥き出しのコンクリートの上へ落とした。
「逃がしてやるって言ってんだよ、飛んで逃げろよ、ほら」
彼は錆び付いた窓を開く。冷たい風が流れ込み、小鳥の肌を刺す。
その先には、闇が広がっている。
「逃げたくねぇのか? あ? お前、生きたくねぇの?」
小鳥はぶるぶると震える。
小鳥には、逃げたくても逃げられない理由があった。
「――――――つまんねえな」
彼はチッと舌打ちし、小鳥に手を伸ばした。彼の金髪が揺れる。
その瞬間、小鳥が弾かれたように、窓に向かって走り出した。
窓の下まで辿り着いた小鳥は、痩せ細った足を懸命に折り曲げ伸ばして跳躍し、両腕を懸命に振って、飛び立とうともがいた。
しかし、小鳥は飛ぶことが出来ない。
なぜならば、彼女には“羽がなかった”からだ。
「そうそう、そういうのが見たかったんだ、俺ぁ」
彼は彼女に歩み寄る。彼女は逃げようと必死にもがく。
だが彼女は、難なく彼に捕らえられてしまう。
「翼を奪われたヤツが死ぬ前に見せる一瞬の輝きってのは、たまらなく綺麗だ……ぞくぞくするぜ」
そして彼は、彼女の体躯を手で握り、首元に親指を当てた。彼女は、瞳で懇願する。
――――――どうか生かしてくれ、と。
「じゃな」
彼は躊躇なく彼女を締め上げた。
めきめき、と言う音とともに、彼女の首があらぬ方向に折れ曲がる。
嘴からは泡が漏れだし、彼女の目は大きく見開かれ――
二、三度痙攣して、その生命活動を停止した。
土台今男は達成感に満ち溢れていた。 三ヶ月間、一日決めた数だけ全身の羽を抜き、そして今日、その小鳥を解放した。
本当のことを言えば、鳥が羽なしでも飛べるところを見たかったのだが……
「まぁアイツは目一杯苦しんで死んだし、よしとするか」
土台今男は手を組んで後ろに反り返った。
そのとき、目の前の扉が乱暴に開かれ、鍔の長い真っ赤な帽子を被った男が、息を切らせて入ってきた。
「土台さん!」
「なんだ」
土台は椅子に座り直す。
「アイツからまた依頼です! 今度はコイツに嫌がらせしてほしいと」
土台は赤帽子から差し出された紙を受け取る。土台はそれを見て、にたりと笑った。
「……ハハハッ! こいつは面白くなってきやがった! まさかこんなに早くまたコイツの顔を拝むことになるとはなぁ!」
赤帽子は不思議そうな顔をした。
「知ってる顔ですか」
「あぁ。そうか、お前はあのとき見張りだったな。じゃあ、今回はお前が行ってこい」
「土台さんはいいんですか? 行かなくて」
土台はフッと溜め息を漏らした。
「指名じゃない限り、俺はこんなチンケな依頼に参加したりしねぇよ。暴力なしの嫌がらせなんて、俺の趣味じゃねぇ。それに――」
土台は、不気味に微笑んだ。
「ゴキブリなんて、誰でも仕掛けられるだろうが」
土台が手を上げた瞬間に、窓からゴキブリの群れが入ってきた。それはたちまち土台にまとわりつく。
「俺はゴキブリの『動物管理』能力者だ。だが、何も別に、俺が直接ゴキブリを仕掛ける必要はない。アイツもそうしてるしな」
ゴキブリ達は、土台の身体をぐるぐると駆け回る。上下左右に、縦に斜めに、身体中を駆け回る。
「人にはそれぞれ役割がある。今回はお前が敵役だ。…………しくじってもいいけどな――」
土台が人差し指を上げると、一匹のゴキブリが赤帽子の上着のポケットに滑り込んだ。ポケットの奥で、一対の眼が妖しく光る。
「そんときゃ、俺が殺してやるよ」
そうして、土台今男は高らかに笑った。
久しぶりに顔を見たキャラが続々登場してきましたね。
物語もいよいよ大詰めってところです。
作者としては、久しぶりキャラを覚えてもらっているかどうか不安なところではありますが(-_-;




