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第三十六話 「井の中の蛙大海を知らず、されど天の高さを知る」

今回はとある事情により大長編です。とはいっても、中身はそれほどありませんので、あしからず。

 目が覚めると、そこは夢の中だった。前を見ると、土台今男が立っていた。


「よぉ。久しぶりだな」


 土台今男がひらひらと俺に手を振った。もう片方の手には、『罪人ノ家』と書かれた紙を持っている。


「いや、昨日会ったっけか。まぁそんなことはどうでもいいよなぁ」


 土台今男の横には、真っ黒な顔をした男が、生気なく立っている。暗黒にも思えるその顔には、何の表情も宿ってはいない。



「――――だってお前は今日死ぬんだもんよぉ」



 俺の腹を見ると、サバイバルナイフの切っ先が飛び出していた。ぶちぶちりと機械のコードが千切れるような音が響き、どろりと赤黒い液体が漏れる。

 後ろに、茲竹ここだけさんがいた。にやりと笑って、俺の顔に、土台から受け取った紙を押し付ける。俺の口に押し込める。俺は途端に息ができなくなる。

 真っ白い床に滴り落ちた赤黒い血液が、ポップコーンのように膨れ、ゴキブリに変わった。それは爆発的に増殖し、俺に齧りついた。かまれた肉体から滴る血が床に落ち、またさらにゴキブリが群れと化す。そのゴキブリたちは、俺の口から、『罪人ノ家』の紙を突き破って体内に入り、俺の内臓を食い荒らす。ゴキブリたちは、中でどんどん増殖してゆく。何十匹かのその群れは、腹と背の傷口から這い出す。

 俺は力の限り、声にならない叫びを、叫ぶ。


「お前の正義がどれほど偉いんだ。俺が自分の快楽に従い人間をいたぶるのと何の違いがある? あぁそうだろう、言わなくてもわかる。お前の気持ちが痛いほど」


 ナイフが引き抜かれるとともに、ボディブローが炸裂した。口や体から血とも虫とも分からないモノが飛び出す。嗚咽を漏らし俺は倒れた。土台がにじり寄る。


「俺とお前は同じだ。自分の心の赴くまま人を傷付け自己を正当化してるんだろ。この」


 土台は俺の髪を掴み上げ、しゃがみこんで俺に向かってひどく(いや)らしくにやりと笑った。


「“罪人”が」


 それが合図であったかのように、俺の意識は切れた。



 ◇◆白詰朔◇◆



 荒い息をあげながら、俺は布団から飛び起きた。

 俺はらぁめんよつばにいた。東郷さんが隣で寝ている。朝日が窓から射している。


 朝に見るには……ハード過ぎる夢だ。


 眉をしかめながら背伸びをし、隣の東郷さんを見る。

 ……ん? ちょっと待て、ここは俺の部屋だ。それなのに、何で東郷さんがここにいるんだ?


「東郷さん、東郷さん」


 俺は東郷さんを揺り起した。


「何だ、もう手前てめェは赤んぼじゃねェんだ、自分のクソは自分で始末しろってんだ」


 寝ぼけているのか、東郷さんはうにゃうにゃと口を動かす。


「東郷さん、どうしてここにいるんです」

「ん……? なんだ、お前さんか。ようやくお目覚めってわけかィ」

 東郷さんはゆっくりと体を起こした。頬に畳の跡が残っている。畳には涎の跡が残っている。


「お前さん、あの嬢ちゃんに助けられたんだ。後で礼言っとけよ?」


 東郷さんは、昨日の、俺が目を閉じた後のことを話してくれた。宗田さんは、起きない俺を助けるために、わざわざこのらぁめんよつばまで来て、先に戻って寛いでいた東郷さんを呼んで、ここまで担いでもらったらしい。昨日の夜遅くまで、宗田さんはここにいたんだそうだ。


「あんまりにも心配そうだったけどなァ、さすがに年頃の娘をそんな夜遅くまで引き止めるわけにはいかねェだろ? だから、俺が家まで送ってやったんだ。あの嬢ちゃん、終始お前さんのことを心配してたぜ。お前さんも罪な男だなァ」


 助けるつもりが助けられたなんて、皮肉だな。


「東郷さんはここにいていいんですか? 何か仕事があるんじゃ……」

「あァいいいい。別に俺にはそういうのはねェんだ。社会に入ってないほうがいいこともあるしなァ。それより、俺にそういう類の専門のヤツがいるんだが、そいつに聞いたとこ、お前さん、ただの貧血で倒れてたんだってよ」

「え!? 貧血で!?」

「あァそうだ。やっぱお前さんは、まだまだ貧弱ってこった」


 もしかしたら、あのときの、細胞変質メタモルフォーシス能力のせいかもしれないな。後で誰かに聞いておこう。シーマンさんより、ダリアさんの方が、そういうことは詳しそうだから、今日、ダリアさんに聞くかな。そういえば、ゴキブリ爆弾事件はどうなったろう。犯人は捕まったのか?俺にとっては初めての事件だから、犯人の逮捕には居合わせていたいけれど……それは無理かな。ダリアさんは、万能キャラっぽいし。


にィちゃん、学校へは行かなくていいのかィ? いい心がけだ」

「どういう意味です。俺はちゃんと学校には行きますよ?」


 東郷さんは不敵に笑う。


「コソコソやるより、堂々とやったほうがいいんだ。自分の中で折り合いが付くしなァ」

「あっ!!」


 時計を見ると、普段ならとっくに家から出ていなければいけない時間を、とうに通り越していた。


「と、東郷さん!! 知ってたんなら教えてくださいよ!!」

「いや何、俺はただ純粋に応援してるだけだ」


 よく分からないことを言う東郷さんに踵を返し、制服に着替えて仏壇に手を合わせ、母さんや家を直してくれている人たちに挨拶をして家を出た。

 しかも、今日日直じゃないか!! あーもう、ツイてねぇ!

 今日に限って遅刻するなんて!!



 ◇◆御簾川紗希◇◆



 四月十六日、土曜日。

 私は校門の前に立っていた。男子生徒の、奇異の目線を無視しながら、私はただ一人の人物が姿を現すのを、じっと待ち構えていた。

 時刻は七時の五分前。二十五分前の校門開放の時間からずっとここに立っているから、誰一人として見逃してなんていないはず。


「あれ、もしかして貴女(あなた)は」


 後ろから声がかかった。振り向くとそこには、五位鷺醍醐生徒会長。


「今年度の学年主席の……ええと……」

「御簾川紗希ですよ、会長」


 五位鷺さんの後ろから、有田先輩、続いて、歹奈良さんも姿を現した。


「おぉ、御簾川ちゃんじゃないの! しばらくぶりじゃないか?」と歹奈良さん。

「つい一昨日会ったばかりですよ」

「じゃあしばらくぶりだな」

「そうは言いません」

「御簾川ちゃん級のコに二日も会えないってのぁ、なかなかに苦しいところがあるんだぜ」


 私は歹奈良さんの話を聞きながらも、校門を通る人の顔を、一人も漏らさずチェックしていた。まだ来ていない。


「歹奈良くん、我々の本懐を忘れてはいけませんよ」と五位鷺さん。

「そうは言いますけどねぇ五位鷺さん。俺には、挨拶運動なんかよりも大事なものが、あるって気がしてしょうがないんですよねぇ」

「学生の本分は恋愛ではなく勉学です! 学業に切磋琢磨し、合格という名の勝利を勝ち取る! それが我々に課せられた使命なのです!」

「あっ、そっちの話っすか!?」


 それから私は、五位鷺さんたちに交じって、挨拶運動をした。これなら、特に奇異の目にさらされることもない。タイミングがよかった。


「いつもこういうことをしてるんですか?」


 右隣の歹奈良さんに聞く。「いやぁ、そういうわけじゃないんだよ、御簾川ちゃん。俺たち六陵高校生徒会の挨拶運動の担当は、土曜日と月曜日だけなんだ。週の初めと終わり。みんなが一番やりたがらない日だからこそ、生徒会の出番だ、って五位鷺さんは言うけどな? 俺は思うんだ、御簾川ちゃん。生徒会ってのは、そういう仕事を生徒にやらせることが、職務なんじゃないかって。生徒会が生徒より下の地位なんて、生徒会としての本質を見失ってる! 御簾川ちゃんもそう思うだろ! そう思うなら、俺と一緒に五位鷺さんに抗議してくれ! あの人すげぇ頑固でさぁ、ホントこう決めたらこう!!ってのがスゴイんだよ! だから何とかしてくれって! 御簾川ちゃんの言うことなら、あの人も聞いてくれるかもしれない!」

「どういう理屈ですか、それは」


 ふふふ、と私は笑う。


「私から一つ、カワサキさんに質問してもいいかな」


 左隣にいた有田先輩が、私の耳に口を近づけていった。


「あなたはどうしてここにいるの? まさか、ここに挨拶運動しに来たわけじゃないでしょう…」


 私は、鞄から昨日の水色の鳥打ち帽を取りだし、深く被った。


「――――――ゴキブリ爆弾事件の捜査です」


 有田先輩は何も言わずにしばらく私を眺めていた。


「成程、事件が起こる前に犯人を止めようとしてるわけね。つまり、あなたはここで犯人が登校するのを待ってる。あなたには、犯人が誰だか分かっている。結局結論が出たのね。それで、あなたの推理では、犯人は誰なの」

「それはまだわかりませんけど……一番怪しいのは酉饗津惟(とりあえちゅい)です。昨日あのあと、色々………証拠が出てきました。斯々然々(カクカクシカジカ)で」


「鍵、ねえ」


 有田先輩は考え込むように目を閉じた。「管理人室にある、持ち出された鍵の場所と人と時間が書かれた紙。事件当日の朝に酉饗津惟が鍵を持ち出した証拠、ね」


 有田先輩は、少し納得のいかなさそうな顔をした。私は、全ての証拠が津惟が犯人である可能性を示している今でも、やっぱり、心の中では、津惟が犯人だと認めたくはなかった。一つだけ、まだ納得のいかないことがあったからだ。それは、津惟が、白詰くんと栞ちゃんを事件に巻き込んだ動機。本当に津惟の狙いが部のトップ選手っていうだけなら、わざわざあの場所に栞ちゃんを連れていったことの意味が分からない。やっぱり、真犯人がいるんじゃないか……私は今もなおそんな淡い期待を抱いている。それに、真犯人が津惟じゃないとなると、一人怪しい人物が浮上してくる。本当に僅かな可能性だけれど。


「よ、御簾川」


 私に声をかけて通り過ぎていったのは、越貝くんだった。


「先輩、もし津惟が来たら止めておいて下さいね」


 私は有田先輩にそう言ってから、越貝くんの後を追った。越貝くんを呼び止める。時刻は七時ジャスト。


「ごめん、ちょっといい? もしかして急ぐ?」


 頭に浮かんだ僅かな可能性による昂りを抑えながら、私は越貝くんと話す。


「うーん、まあ、急ぐが……何か用か」


 越貝くんは背負っていた部活鞄を肩から下ろした。


「もしかして部活? どこ入ってるの?」


 平静を装う。


「野球部だ」

「そうなの、大変だね! もしかして朝練? いつからやってるの?」

「朝練は、入学式の次の次の日、だから、部活紹介があった日の次の日だな。部活紹介の日に、野球部に本入部したら、明日から朝練来いって言われてなあ。強くなるためには欠かせない」


 部活紹介の次の日、四月十三日水曜。剣道部部室の事件、つまり、第一のゴキブリ爆弾事件があった日だ。偶然だろうか。


「毎日行ってるの?」

「ああ、もちろん。今日までずっと休まず行ってる。一緒に入った奴らは、もう脱落し始めてるが」


 四月十三日から、今日まで毎日越貝くんは、朝練に行っている。

 ゴキブリ爆弾事件は、四月十三日から昨日まで毎日連続して起きている。

 ゴキブリ爆弾事件におけるゴキブリ爆弾は、毎日朝に設置されている。管理人室のあの紙によると、そうなるはず。つまり、これって……

 ……いや、でもまだ根拠が薄い。


「そう言えば、体育の時間に、よく津惟と並走してたよねー、あれは……どうして?」

「どうしてって……酉饗は、まあ何だ、あの……アレだしな」

「アレ?」

「俺にだって言いたくないことはある」


 有無を言わせぬ雰囲気を出して越貝くんは言った。怪しい。


「じゃあ、昨日六刃(りくじん)公園にいたのは? あれはどうしたの? 本当に越貝くんは、あの日、六刃公園で、何も見なかったの?」

「一体何だ、さっきから。俺にも言いたくないことはあるんだ」


 ここで引き下がったら意味がない。


「ねえ越貝くん、ゴキブリ爆弾事件は知ってるよね? 連日、運動部の部室でゴキブリが暴れまわって、みんながバタバタ気絶しちゃうっていう。あの事件の共通点って、知ってる?」

「いや、知らない」

「それはね、犯行のあった日の朝、ある人がその部室のカギを持ち出してるってこと」

「何でそれを俺に言うんだ」


 今から考えれば、あの管理人室の紙はおかしい。だって、犯人が本当に津惟なのなら、自分の名前をわざわざあそこに書いたりしないはず。だって、あんな風に書いてあったら、どうやっても自分が疑われるから。だけどあの紙に、津惟の名前が書いてあったということは。誰かが津惟を犯人に仕立て上げるために、わざと津惟の名前を書いたということ。

 そして、その犯人は、もしかすると、目の前の越貝くんかもしれない。と私は考えていた。条件がきれいに揃っている。


「それに、越貝くんは何でこんな時間に登校してるの? おかしいよね」

「どういう意味だ」

「これを見てよ」


 私は六陵超百科を取り出す。「私昨日の夜、家に帰ってから、運動部の部活動時間とか、調べてみたの。事件に関係あるかと思って。でね、さっき越貝くんが言ったことと、超百科の記述が、噛み合わないんだよね」


 バラバラっと六陵超百科を捲り、私は野球部のページを開いた。


「見えるよね、ここ。『一年生は五月まで朝練禁止』って」

「そ、それは……」越貝くんは下唇を噛む。怪しい。「顧問の……鬼星人の独断で、今年から、変わったんだ。練習させないと新入りは強くならんっていうのが、星野先生の言い分らしい。そうだ、その帽子、綺麗な色してるな」

「でも、おかしいよね」


 私は開いているページの下を指差す。「ここに書いてあるよ。『四月中は一年生は星野監督の練習を受けることは禁止』って。越貝くんだけは、そうじゃないの?」

「いや、それは、道具を持つ練習だけの話なんだ。俺たち一年生は、四月中はひたすら腹筋やら背筋やらスクワットやらうさぎとびやら、そういうことだけをやらされるんだ。文字通り、監督としての、野球の練習は受けないってだけだ」

「……筋は通るね」

「だから、一体何なんだ、さっきから。用が終わったんなら、俺はもう行くぞ」


 とても怪しいけど、証拠がないんなら犯人とは言えない。状況証拠も物的証拠も、何一つないんじゃあ……ん?ちょっと待ってよ、もし越貝くんがゴキブリ爆弾事件の犯人なら、越貝くんは今、物的証拠を持ってるはずだ。昨日話題にのぼった、あの物的証拠を! それを確かめればいい!


「越貝くんちょっと待って!」


 私は越貝くんの部活鞄を引っ張って越貝くんを止めた。越貝くんは再び部活鞄を肩に掛けようとしていたところで、持ち手を二人に持たれた部活鞄は、越貝くんの手から離れた。


「あっ、おい、何してるんだ!」

「この中身、見せてもらってもいい? ちょっと見たいものがあるの」

「何をだよ。というか、返してくれ。俺はそういうノリには、見た目に反して弱いほうなんだ。あんまり信じてくれる人はいないが。というか、その帽子、どうしたんだ? 昨日、被ってたか?」

「見られたら困るものが入ってるの?」

「いやそれ以前に、人のものを勝手に見るっていうのはどうかと思う」

「いけないことでも理由があるなら関係ないよねっ」


 私は素早く部活鞄を開いた。おいやめろ、という越貝くんを横目に、大急ぎで私は中を漁る。


「あ…………あった…………」


 ゆっくりと、中にはいっているものに刺激を与えないように、私は口の塞がれた青色のビニール袋を取り出す。不透明で中は見えない。傾けると、中から少しだけざざざ、という音が聞こえた。

 ゴキブリ爆弾事件で共通して使われた道具、ビニール袋!まさか本当に当たりだったなんて……! やっぱり、津惟は犯人じゃなかったんだ!

 まだ越貝くんが事件を起こした動機は分からないけど、この中に入ってるものを確かめれば、越貝くんが犯人だというのは明白!だって、この中に入っているのは……!


「言い逃れようのない物的証拠なんだから!」


 私は思いっきり、ビニール袋の口を引き裂いた。



「やめろおぉぉぉぉぉぉおお!!」



 越貝くんの叫び声とともに、ビニール袋から溢れだしたものは。


「………………あれ?」


 目を擦る。変わらない。


「えーっと」


 念のためもう一度擦ってみる。変わらない。


「気のせいかな……あ、太陽のせいかな」


 手で影を作って見る。変わらない。

 ザザザーと勢いよくビニール袋から溢れだしたものは…………ありふれた黄色い粉末だった。


「うわあぁぁぁぁぁああ!!」


 越貝くんは虎のようなスピードで、地面に散らばった粉末を集めた。散らばり落ちた粉末から、ひらりと一枚の紙が躍り出た。


「『秘密特訓メニュー』……?」

「やめろっ、見るな!」


 越貝くんは目にもとまらぬ速さで紙を奪い取る。


「……ナニコレ」


 何がなんだか分からない。え? 結局、越貝くんは、犯人じゃあなかったってこと?

 越貝くんは、観念したように丸刈りの頭をぐしゃぐしゃっと掻いた。


「……これを見られたからには……生きちゃおけないな」

「こっ、殺される!?」

「いや、違う」と言って越貝くんは力なく自分の顔を指差した。「俺がだ」

「何、どういうこと?」


 はあーと降参の溜め息をついた越貝くんは、重い口を動かし、事情の説明をしてくれた。その内容はこうだ。


 俺は朝、野球部の意向で朝練が出来ない代わりに、誰にも内緒で、一人で練習をしていた。放課後も、部活動が終わったあとは、六刃公園で走り込みをしていた。誰にも知られないように、隠れてやっていたという。ビニール袋に入っていた粉はプロテインの粉末で、秘密特訓メニューの紙を隠すために持っていた、というのだ。


「何でプロテインの中に入れたの……? ちょっとそこがよくわかんないんだけど」

「木を隠すなら森の中、と言うだろ」

「それは、ちょっと違うと思うけど」

「いや、同じなんだ、俺にとっては。どうやらこれは、全部説明しないと分かってもらえないか」

「ん? まだ隠してることがあるの?」

「ああ。聞いてもヒくなよ? 女子にこれを言うと、大抵のやつはヒくんだ」


 越貝くんは植え込みの縁に腰を下ろした。私もその隣に座る。


「俺は……筋肉が大好きなんだ」


 苦虫を噛み潰したような表情で、越貝くんは言った。


「えーっと、それって、どういう意味?」

「そのままの意味だ。俺は筋肉が大好きなんだ」


 ヒくためには情報量が圧倒的に足りない。「それは、どういう風に好きなの?」

「全てだ。強いて言うなら、僧帽筋と大腿筋か」

「肩と太ももってこと?」

「簡単に言えばな。だけど、俺が言いたいのはそういうことじゃない。俺は筋肉を見るのも、鍛えるのも好きなんだ。これを言うとナルシストだとか言われるから、絶対にバレないようにする必要があった」

「あー…………、なるほど、だから昨日六刃公園で私と会った時も、ついさっきも、その話になりかけた時に、どもったりしてたんだね」


 俺にも言いたくないことはあるんだ、と越貝くんは言っていた。あれは、秘密の特訓のことだったんだ。


「じゃあ、その秘密特訓メニューの紙も?」

「そうだ。これを見られてしまったら、俺が秘密特訓をしていることがバレる。それは嫌だったんだ。それに……ここまで来たから言うんだが、実はもう一つ、俺には、特訓を隠していた理由がある」


 頭を小突かれたような気がした。


「もう一つの……理由?」

「ああ。昨日、俺は御簾川に、御簾川の夢について聞いただろ。俺には夢がある。この高校の野球部を、全国大会まで連れていく、という夢が。そして、四月十二日の放課後、部活紹介の日だな、俺は野球部に直行した。これから俺がこの野球部を作り替えてやるんだ、と息巻いて」


 越貝くんはそこで、グラウンドの方へ目を細めた。


「井の中の蛙、大海を知らず。まさにその言葉がピッタリだ。俺は中学校でずっと持て囃されて、高校野球部ってもんを勘違いしてたんだ。あの鬼星人が、その事を教えてくれたよ。ここはお前が意気がる場所じゃないって。高校野球部は、今までとは比べ物にならんほど、過酷な練習をしてた。六陵超百科には、『一年生は五月まで朝練禁止』とあったろ。あれは、一年生がぶっ倒れるのを防ぐためらしい。鬼星人があまりにも練習させるから、旧PTAからストップがかかったんだ。二年生、三年生は、その過酷な練習に耐えて、全国大会で優勝するために命を削ってた。それでも六陵高校は今まで一度も県大会にベスト4にすらなれてないんだ。今までとは、本当に比べ物にならなかったんだ。そんな先輩たちの姿を見て、俺は、俺にできることをして、早く先輩たちに追い付かないといけないと思った。俺が本当に俺の夢を叶えるためには、その先輩たちより、何倍も何倍も練習しないといけない。何倍も何倍も練習してやっと、先輩達を越し、全国大会へ出場することを目標にできる。俺には、朝練をやらないで家で寛いでいる時間なんてない。そう思った。だから俺は、先輩たちが帰ったあとも、下校時間までは六刃公園で、その後は下校路で走り込みをしていたんだ。だけどそれが他の人にバレると、都合が悪かった」


「……どうして?」




「――――これは俺の夢だからだ」




 越貝くんは強く言い切った。その目は、憧れや夢を持った人のそれじゃなく――――

 ――――――――決意した人の()だった。


「昨日、御簾川と話していて確信した」

「え、私と?」

「そうだ。御簾川は昨日、俺が『御簾川に夢はあるか』と聞いても、『あるけど、言わない』と言っただろ。俺はそれを聞いて、妙に納得した。夢は、自分で秘めておくべきものなんだ。結局夢を叶えるのは自分自身なんだから」

「それは、考え方の一つで、別に全部の夢がそういうタイプっていうわけじゃないと思うけど」

「そうだな」


 越貝くんは深く頷いた。「だけどやっぱり、俺の場合は、御簾川と同じタイプだ。体を鍛えようと思っても、自分で鍛えないと筋肉はつかない。放っておけば誰かが自分に筋肉をつけてくれるわけじゃない。御簾川もきっと、自分でやらなければ叶わないような夢を持ってるんだろう?」


 私は中指で小さく頭を掻く。「まあね」


「だから俺は、誰にもバレないように、練習をしていたんだ。思わぬ形で、御簾川にだけはバレたが……」


 越貝くんはイタズラっぽく肩を上下させ、言った。


「誰にもバラすなよ?」

「もちろん」

「あ、それとこのプロテインは弁償してもらうからな」

「えー!? あ、ちょっと待って、その袋を調べたのには、こっちにも事情があって!」


 事情を説明する。


「なるほど、さっきから言っていたな、ゴキブリがどうとか、事件がどうとか。俺を犯人だと疑ってたってことか」

「その件は本っ当にごめんなさい! てっきり越貝くんが犯人だと思って」


 私は両手を揃え謝る。


「それはいいけれど、こっちとは別問題だ。このプロテインは高かったんだ」

「いや、でも、そうだ、そのプリントの隠し場所を変えたらいいんじゃない? プロテインの中とかじゃなくて、普通に、ファイルの中に入れておくとか、小さいサイズの金庫を買って、その中に入れて持ち歩くとか」

「これはプロテインの中だから意味があるんだ。これは、早く筋肉を鍛えて先輩たちに追い付くための、一種呪(まじな)いのようなものなんだ」

「なるほど……げん担ぎってことね。筋肉を鍛えるものの中に、秘密特訓メニューを入れておいた。さっき言ってた『木は森の中に隠せ』っていうのは、そういう意味」

「御簾川は飲み込みが早くて助かる。まあそういうことだ」

「でもやっぱり、他の場所の方が安全だと思うんだけど。まあ、越貝くんがそう言うんなら、そこに入れておいてもいいのかもね。だけど、誰に見つかっても文句は言えないよ? そんなところに隠してたら」

「その時はその時だ。そういえば御簾川、生徒会と挨拶運動なんかしてたのか」

「あっ」思わず声が出た。そうだ、私は津惟が来ないかどうか見張ってたんだった。早く戻らないと。


 私は越貝くんに軽く礼を言ってから、校門まで戻った。五位鷺さんと歹奈良さんは変わりなくそこにいたけれど、有田先輩がいた場所には、代わりに白詰くんがいた。


「よ」


 白詰くんは軽やかに笑った。額には汗が残っている。さっきまで走っていたことが推測できる。どうしてこんなところにいるのか、白詰くんに聞いてみたところ、白詰くんは、登校してきたところを有田先輩に捕獲され、『酉饗津惟が来ないかどうか見張っていて』と言われたらしい。有田先輩の行き先は白詰くんも知らない。

 私たちは、二人で津惟が来ないかどうか見張ることにした。


「だけどどうして酉饗を見張ってるんだ? 新しい依頼でもあったのか? 例の鳥打ち帽まで被って」

「そうじゃないの。また、栞ちゃんも揃った時に話すね」


 私は無言で鳥打ち帽を被り直す。白詰くんは、その様子を見て自分も鳥打ち帽を被らないといけないと思ったのか、エナメルバッグから緑の鳥打ち帽を取り出して被った。

 栞ちゃんは、既に校門を通過している。それは私が確認した。ついでに、宇治川先輩も、栞ちゃんと同じくらいに登校した。宇治川先輩も栞ちゃんも、私には気づかずに通りすぎていった。栞ちゃんくらいは、呼び止めてもよかったかな。

 それにしても、津惟が来るのが遅すぎる。今までの事件での共通点、朝の仕掛けと酉饗津惟の関係から、津惟が朝にゴキブリ袋を仕掛けているのは、まず間違いないはず。唯一偽造の可能性があるのはあの鍵の持ち出しを書いた紙の名前だけど、それだって確実にはどっちとも言えない。毎日津惟は朝、それぞれの部室にゴキブリ袋を仕掛けていたはずなんだ。なのに、その連続性が、まさか今日に限って崩れるの?いや、そうは考えにくい。だけど津惟が来ないのはなぜ?

 私は少しイライラしてきた。何で津惟は来ないの?いくらなんでもあり得ない。

 今日に限って遅刻するなんて!!

次回は5000字くらいにしたいと思います。

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