第三十五話 「鉄の拳」
結局、いくら探しても、事件に関係ありそうなものは何一つ見つからなかった。
仕方なく、帰ろうとしたところで……有田先輩と会った。
「先輩、一人ですか」
「カワサキさんこそ、一人ね。今まで捜査していたのね」
先輩は鞄を背負い直す。「結局、酉饗津惟が犯人じゃない証拠は、見つかったの?」
私は穏やかに否定する。「でしょうね」と先輩は言う。
「それ以外の犯人は、考えられない」
「あの、津惟がエア・リードの社長令嬢だって、どうやって調べたんですか」
「知りたい?」
先輩は挑発的に笑う。「あなたたちのクラスの担任の先生、篠木つくね先生から聞いた。『酉饗津惟について教えてほしい』って言ったら、一発だったけれど。ああ、それと、その時ついでに、あなたたち――――白詰朔と、宗田栞と、御簾川紗希、についても聞いてきた。新入部員なんだから、少しくらい探っておくのはいいと思ったんだけれど、いろいろと面白いのね、あなたたち。それぞれちょっと変わった六陵高校への入学理由があって。大抵はお金がなくて来たっていう人がほとんどなんだけど……。あなたの入学理由を聞いて、私はてっきり、あなたと酉饗津惟は、お互いの事情を知った上で、友達になっているのかと思っていたけれど……今日の様子からして、そうではないみたいね」
「どういう意味ですか」
「それは、自分がよく分かっているはずだと思うのだけれど……」
有田先輩は少しあきれたように言った。
「――――あなたと酉饗津惟は、境遇が似ているもの」
つくね先生の口の軽さに驚きだ。
◇◆御簾川紗希◇◆
管理人室に女子テニス部部室のカギを返しに行った。
「今日は大忙しだなぁ」
女子テニス部部室のカギを私から受け取った管理人さんが、そのカギを撫でながら呟く。
「そんじゃあ、ここにサインしてね」
管理人さんが、たくさんの紙が挟まれたバインダーに鉛筆を添えて差し出す。
「何ですか、これ」
「誰がどのカギ持って行ったかとか、いちいち管理しなきゃなんないんだよねぇ。君、さっきこのカギ持って行ったとき、これに名前書いてくれんかったでしょ。タタターて走ってっちゃうから、驚いてねぇ。君が戻ってきてくれんかったら、どうしょうかって、思ってたところでねぇ」
管理人さんは頭をパリパリと掻く。
私は、とりあえず管理人さんの言う通りに名前を書いた。
「もう19:30だねぇ。早く帰んなさいね」
私はさりげなく、その紙を覗き見る。カギを借りた人と日時、そのカギを返した人と日時が記されたものみたいだ。
一つの項目が目に留まった。今日の朝、七時ごろに津惟が女子テニス部部室のカギを借りた記述があったのだ。津惟は、七時二十分ころにまた返しに来ている。
「これって……! 管理人さん、この、今日の朝の七時ごろのこと、覚えてます!?」
管理人さんは首を傾げた。「この時間帯は、他の部活の子たちもカギを取りにくるころだからねぇ……」
私は、一つ下の紙、もう一枚紙を捲る。同じような記述が、一昨日の剣道部部室、昨日の陸上部部室のカギについても書かれていた。
「これは……もう確定、なのかな」
津惟が訪れた部活で連続発生したゴキブリ爆弾事件。事件の日の朝、津惟はその部の部室のカギを借りていた。そしてゴキブリ爆弾事件はすべて部室で起こり、ゴキブリは袋によって持ち込まれ、袋からゴキブリが出てくるのを、第二の被害者、陸上部トップの五位鷺醍醐が、事件後ゴキブリたちが袋を持ち去るのを、私が目撃している。第三の事件時、津惟は女子テニス部部室に謎のビニール袋を持ち込んでいる。津惟はゴキブリに襲われても気絶してなかった。犯人は超能力者の類である可能性が高く、津惟は金持ち会社、エア・リードの社長令嬢。金持ちなら誰しも、超能力を持っていてもおかしくない。そして一連の事件の被害者となった部のトップ選手については、津惟はトップ選手に恨みがある。つまり、動機が津惟にはある。
「これでもし、次に水泳部で事件が起こったら……部のトップ選手が、犠牲者になったら」
疑わしいなんてものじゃ済まない。
津惟は六陵高校の邪魔者として、追放されるだろう。過去に六陵高校に赴任してきた能力者の校長がそうだったように、本来、六陵高校にとって超能力者は、忌み嫌われる存在なんだから。
◇◆白詰朔◇◆
俺と東郷さんは、例の銭湯に来ていた。俺の家のガス設備は、昨日の襲撃によって跡形もなく破壊されていたらしく、直るには数日かかるらしい。らぁめんとかはガスコンロを使えばどうにかなるものの、風呂だけは、この銭湯にお世話になるしかないらしい。
赤富士を眺めながら俺は思考を巡らす。家のガス設備が昨日の土台今男たちの襲撃によって破壊されていたのだとしたら、俺が冷水の風呂に入るより前に、土台たちは家の裏手のガス設備を破壊していたことになる。つまり、俺がもう少し銭湯に行くのを遅くしていれば、母さんがあんな目に遭うことは無かったということだ。
「いや、でも八年っていうと長いだろ? きっと勝手に壊れっちまったんだよ。むしろ今までもってた方が、不思議なくらいさ。ガスなんていつ壊れてもおかしかねェ」
東郷さんはわしゃわしゃっと俺の頭を撫でた。
「でも、偶然にしては、タイミングがよすぎますよ」
「偶然をなめちゃァいけねェ。適当に整ってるように見える世界なんてのァ、みーんな偶然からできてんだからなァ。人はそれを必然だとか運命だとか、奇跡だとか言う。お前さんの家のガス野郎は、竜巻なんざに壊されたくなかったから、手前で先に壊れてやろうって気になったとかな。まァ、考えてどうなる訳でもねェだろ」
東郷さんの胸筋に、大きな傷痕が縦にのびていることに気付いた。一体、この人はどんな人生を送ってきたんだろう。
「東郷さんと父さんは、どこで知り合ったんですか?」
「んー………どこだったかなァ。ぶらりと酔って入った呑み屋で、大暴れしてたお前さんの父を取り押さえたのが最初だったっけなァ………なにしろ、二人とも酒ェ入ってたもんで、そんときのことはよく覚えてなくてなァ。まァ、理由なんざどうでもいいことだ。結果俺たちは親友になって、今もずっと、アイツを支えてやってる。それが理想だ」
「東郷さんが、俺の父さんを支えてる……?」
「あァ、そうさ。前にも言ったろ、お前さんらの父は、家族が大好きなヤツだった。どんな理由でアイツが死を選んだのか知らねェが、家族を残して死んでいったってことは、俺にその世話をしてやってくれ、って頼んだようなモンだろ? 俺はそれに応えて、支えてやってんだ」
東郷さんは、何の見返りもなく、ただひたすらに、父さんと親友だからという理由だけで、俺たちを守ってくれている。そんなことをしていて世の中で生きていけるのだろうかと思うほど、俺と同じくらい東郷さんはお人好しだ。
「……99、100。よし、上がるか」
俺たちが風呂から上がったのは、それから十分ほど後だった。ふーと長く息を伸ばし、東郷さんは湯から上がる。俺もそれに続いた。東郷さんにフルーツ牛乳をおごってもらい、一息に飲み干す。ゴキュゴキュ、という心地よい音とともに、俺たちは空の瓶を突き上げた。
「「美味いっ!」」
番台のお婆さんに軽く会釈して、俺たちは湯屋を出た。
そこに、昨日と同じく、宗田さんがいた。
「あ、えーっと……こんばんは」
俺は笑顔を作って挨拶する。多分、他の人から見ると限りなくぎこちない笑顔だったろう。宗田さんは風呂から上がった直後らしかったが――――
「何だィ、知り合いかィ? おォ、えらく可愛こちゃんじゃねェか。彼女かィ」
東郷さんがにやにやと笑う。宗田さんの頬がボッと燃えた。
「ち! 違いますよ、東郷さん! この子は、俺のクラスメイトなんです………って、宗田さん!?」
宗田さんは脱兎のごとく逃げていった。
「追え、兄ちゃん」
東郷さんが俺の背中を押した。「こんな時間に女の子を走らせるんじゃねェ、追いついて、家まで送ってやれ。大丈夫、俺は構うな」
俺は少し転けそうになりながら、宗田さんを追った。頑張れよ、と東郷さんが背後で声援を送った。
小さな背中を追って、怖がられない程度のスピードで、俺は宗田さんに追いついた。
「宗田さんっ、ちょっと待って」
俺は宗田さんと並走する。宗田さんは足が遅いので、俺の歩いてる速度と同じくらいのスピードで、足をせこせこと走らせていた。最早足が遅いレベルの問題じゃなくなってる気がするけど、可愛いからよし。
宗田さんはふうふう言いながら、速度をゆるめ、停止した。宗田さんは昨日と同じく、くるくるの髪の毛をハムスターのように濡らし、薄いピンク色の可愛らしい動物柄のタオルを首にかけていた。ただ、昨日とは違って、宗田さんはあのパジャマではなく、六陵高校の制服を着ていた。そして手には、木桶を持っていた。昨日と同じく、宗田さんは胸の辺りを押さえた。
「なっ、何でこんなところにいるのっ?」
「うん、家のガス回りが全部ダメになっちゃってて、風呂に入れないんだよ。だから、昨日からそこの銭湯に通ってるってわけ。別に宗田さんを追いかけ回してるわけじゃないんだ」
「そ、そうなの?」
少し安心したのか、宗田さんは木桶を持つ手の力を緩めた。
「宗田さん? その木桶ってさ、宗田さんの? 昨日はそれ、持ってなかったよな?」
俺は木桶を指差す。昨日湯屋で聞こえた木桶の音は、この桶のものだったのか。宗田さんはパッと手を後ろに回し木桶を隠した。
「う、うん、これはね、昨日、あのお風呂やさんに忘れてっちゃってて、他の人が使ったりしちゃって、それでね、そのっ、あたしっ、その………」
宗田さんは妙に動揺している。
「俺とお揃いだ」
俺がそう言うと、宗田さんの耳たぶはみるみるうちに熱を帯び、その熱が顔にまで達したかと思うと、宗田さんはぱくぱくと口を動かした。
「俺の母さんもな、結構ドジなんだ。忘れ物とかしょっちゅうでさ。勘違いも多くて。だから、別に気にしなくていいと思うぞ? 桶を湯屋に忘れたことくらい。それより、2050年にまだ木桶を持ってる人がいたことの方が、俺は驚いたなぁ。俺もそういうのが好きなんだよ。アンティークって言えばいいのかな」
「……ほんとう?」
宗田さんは安心したようで、嬉しそうににっこりと笑った。
「そういえば、昨日はなんであんなに一目散に逃げてったんだ? 今日もだけど」
「あっ」
宗田さんはバッと胸の辺りを押さえる。
「何か理由があるんだったら、教えてくれよ。昨日は『こんな恰好で合うなんて……』って言ってたよな? だけど、今日は昨日とは違って、制服だし、昨日とは恰好が違う。本当は、他に何か理由があるんじゃないのか? 逃げる理由が、あるんじゃないのか?」
「――――――っごめんなさいっ!!」
宗田さんは俺に背を向け、走り出した。その時、宗田さんの目の前を歩いていた男の集団と、宗田さんがぶつかり、宗田さんは地面に倒れた。
「おいおいお、ぬんだお前ぇ」
宗田さんとぶつかった男が、宗田さんを舐めるように見る。へへへ、と周りの男たちがニヤつく。
「おいお、どうすんねぉ、俺の服汚れつまったずゃなぇのぉ。弁償してくれんだらぉなぁ?」
ヒッ、と宗田さんが息をのむ。
「行こう、宗田さん」
俺は宗田さんの手を取り、起き上がるのを手伝う。こういうタイプにかかわると、ろくなことがない。
「ぬんだぁ、まさか逃げるわけじゃなぇだらぉなぁ? 俺のこのジャケ、うん百万もしてんだよぉ。それを知らんぷりなんてしなぇよなぁ?」
へははは、といやらしく笑う。
「そんな金、あるわけないだろ。服を汚したのは悪かった。けどな、女を転がせておいて、何の詫びもないヤツに百万なんて大金は出さない。おまえらがどこから来たのかは知らないけどな、もうちょっとマトモなしゃべり方を身に着けて、自分の地元からやり直してこい。ここはお前らみたいなのがいていい場所じゃないんだ」
「えぁあ?」
先頭のその男が周りの男たちに目くばせすると、男たちは無言で俺たちを取り囲んだ。
「お前、ここがどういうトコだか、わかってなぇみてぇだなぁ。ここは吉舎布だ。もともと都市部にいた人間の子孫がいる。それがどういうことだか分かるだらぉ! 超能力者たちにのけ者にされたのが俺たちだよぉ! 俺たちは、もといた場所を追い出されってんだよぉ! ここは俺らがいていい場所じゃなぇって!? 俺たちはここにしかいらりなぇんだよぉ! お前えだってそうだらぉ! ここにいる時点で分かっつる! お前だって、世界に必要ない人間だらぉ!」
「……もう一度言ってみろ」
「えぁあん?」
「もう一度言ってみろって言ってんだ!」
俺の右拳がソイツの左頬をとらえ、ソイツは地面に倒れ伏した。取り巻きの連中がざわめく。
「誰が世界に必要ない人間だって!? 超能力者だとか非能力者だとか罪人だとか、立場だけで争うなんて、バカバカしいと思わないのか! お前らも俺も、非能力者だからとか罪人だからとか、それだけの理由で世界から必要ないなんて、そんなわけないだろ! この世界にいるってだけで、それが存在理由じゃダメなのかよ! 世界がそれくらい単純にできてれば、誰も悲しまないで済むのにっ!」
もはや誰に叫んでいるのかもわからず、俺は叫んだ。あえて言うならば、俺は世界に叫んでいたのかもしれない。非能力者だから差別され、罪人だから差別される。そんな世界に、俺は叫んでいた。
「タタんじまぇえ!」
ソイツがそう言うと同時に、俺の近くにいた男たちが、俺に襲い掛かってきた。多勢に無勢、俺はあっという間に地面によこたわっていた。何度も蹴られ殴られ、体中が痛み、動こうにも動けない。
「この女ぁどうするか、お前に決めっつもらおうくぁ! そのいち、俺らの仲間になって、一生俺らのために尽くす! そのに、人間棒叩きになって、めつゃくつゃになぶられる! そのさん、原型がなくなるくらぇに蹴りつぶす! そのよん、お前と一緒にビルの上から」
「――――――やめ……ろ……!」
俺は腹を押さえ立ち上がる。視界がぼうっと霞み、足元が見えない。ぐらぐらりと、世界が揺れる。何度も崩れ落ちそうになりながらも、辛うじて俺は、宗田さんの前に立つソイツに立ち塞がった。
「させ……ない。俺の、目の前で、宗田さんを、失わせは、しない」
「何ぃ?」
ソイツは片眉を吊り上げる。俺は片目を押さえながら、ソイツを見据える。どくん、どくんと、鼓動が加速してゆく。血が俺の体内を、出口を求めるように駆け回る。本能が、逸る。
「俺は、少しばかり、お人よし、なんだ……。目の前で、人が、傷つくことには、耐えられなくてな。特に、宗田さんみたいな、弱い人が傷つくのは、イヤなんだ。俺は、俺にとっての、正義を貫く。おまえたちにとっては悪、だけどな」
「何がいいたぇんだよ」
「俺もよくわからないけどな。これが本当に正義なのかどうか、正直言って、俺にもわからない。けど、俺にはマモリタイモノがある。家族に友達、そして幸福。一度手に入れたものを、救った命を、目の前で失いたくない。結局、俺は、お人よしというよりは、怖がりなんだよ。目の前で失いたくない、それだけなんだ」
ドン、という爆発音に近い音が鳴った。目の前の男は、あたりを見回す。
ドドドドと脈打つ血流が、昂奮と共に俺の右腕に集中してくる。今までに味わったことのない感覚に、俺は不安とともに昂揚した。なんだ、この感覚は? 俺に、何が起こっているんだ?
右腕をみると、血流の集中で、燃えるような紅色に染まっていた。と、次の瞬間、俺の腕は、みるみるうちに、付け根の方から、異変が起こった。
俺の腕は、俺の腕でなくなっていたのだ。
鉄のような、腕の形をした物体が、そこにはあった。曲げることも、伸ばすことも出来ない。夜の光を浴び、ただ攻撃的に光っているのみだ。
――――これは、もしかして、俺の能力なのだろうか。『細胞変質』。それが俺の能力であったはずだ。能力の発動条件……シーマンさんが言っていた。『自分の夢を心に強く思い浮かべるのだ。そうすれば、自然と超能力が共鳴するかもしれない』。俺はあの時、神託の間で、何を願った?『俺はーーー守りたい!! 近くにいる大事な人を、守りたい!! もう誰も傷つかないように、もう誰にも傷つけられないように、俺は守りたい!!』。俺はそう願った。俺の、宗田さんを守りたいという思いに共鳴して、超能力が発動したということだ。
これが、俺に与えられた力。みんなを守るために、俺に与えられた、天からの力!!
「世界よりも先に俺は、目の前で倒れている人を救う!! それが、俺の、“正義”だ!!」
曲がらない腕を振りかぶり、俺は男の下顎に一撃を放った。ゴキン、という鈍い音とともに、素手で殴ったときとは段違いのスピードで、男は吹っ飛んだ。
「ウワアァァァァァ! ァッァァァァアアアア!!」
男の顎は、醜く砕け、見る影もない。
「助けてくらぇぇぇぇぇぇえ!!」
わめく男を支えるようにして、男たちは退散していった。アスファルトに飛び散った血飛沫は、俺が男を殴った地点から放射状に延びていた。
世界が傾き、俺は地面に倒れ込んだ。ガラン、という音と共に、鉄の腕も地面に転がる。俺の腕内でわめく血は、音もなく解放され、心臓へともどってゆく。俺の腕は、いつのまにか元に戻っていた。といっても完全な元通りではなく、発動前の紅色とは打って変わって、真っ青だった。
「し、白詰くん!」
宗田さんが俺に駆け寄る。白詰くん、白詰くんと叫ぶ。ぐるぐると、目の前の宗田さんが回転する。
あ、違う。宗田さんが回ってるんじゃない。
世界が回っているんだ。
俺はゆっくりと瞳を閉じた。




