第三十四話 「親分」
言葉を失う私に対し、有田先輩は意外そうな顔をした。
「その様子だと、もしかして、知らなかったのかしら」
目を瞑ったまま、有田先輩は言った。「酉饗津惟が、超能力者側の人間だってこと」
「どっ、どういうことですか……?」と栞ちゃん。
「そのままの意味よ。酉饗津惟は元々、超能力者側の人間なの。彼女は航空会社エア·リードの社長令嬢で、つまりは、本来この高校に来るはずのない、大金持ちの類いの人物。けれど暴力事件のせいで、彼女は六陵高校に来ることになった。だからこそ余計に、その暴力事件の関係者、つまり酉饗津惟が暴行を加えた、部のトップの人間を、毛嫌いしている、と考えられる」
エア·リードといえば、航空業界では知らない人のいない超大手だ。今や日本の航空機の98%を、エア·リード製のものが占めていると言われている。
「そこから、酉饗津惟は、自分が六陵高校に来てしまった恨みを、見境なくトップ選手に向かって吐き出した。剣道部、陸上部、女子テニス部と、自分が行った部の人ばかりを狙っているのは、目についたトップ選手は、例外なく排除するってことじゃないかしら」
なるほど有田先輩の推理には、矛盾が無いように思える。だけど、それじゃああの時の、ゴキブリにやられてうなされていた五位鷺さんに泣きすがっていたのは、何だったの?
あれも全部、津惟の演技、だったの……?
◇◆白詰朔◇◆
「よォ、兄ちゃん」
いつもの席に、東郷さんが座っていた。俺は静かに、カウンター横の丸椅子に腰を下ろす。店前の石畳を叩く靴音が店にこだまする。母さんは厨房にいるようで、厨房からは換気扇の音が聞こえる。
「えらく早い時間に来たんですね、今日は」
俺がそう言うと、東郷さんはわざとらしく肩をすぼめた。推測だが、東郷さんは、俺たちの家が荒らされたのを聞き及んで来たんじゃないだろうか。
「無性にラーメンを食いたくなるときがあるだろ、今がそのときだ」
ニヤリ、「虫の報せってやつだ」と笑う。
「それにしても、酷い有り様でしょう、この家。昨夜、でっかい竜巻が発生したもんで」
「――――それは一人だったのかィ」
一瞬の沈黙。
俺は降参し、溜め息をついた。
「三人ですよ。一人が見張りでもう一人はカメラ、最後の一人が実行犯、ですかね」
「一人でここまでやったのか。そいつらは、いつ頃来たんだィ」
「昨日の夜、俺が銭湯に行っている間に来ましたよ」
「成程なァ」
東郷さんはおもむろに立ち上がり、通信機を取り出した。誰かに電話をかけている。
「誰に電話したんですか?」
俺が聞くと東郷さんは笑った。「自軍の者に、手伝いを頼んだんだ」
「手伝い、ですか」
東郷さんはまた席に座り、話を再開させる。
「もうあれから八年、か」
東郷さんは目を細めた。「もしかすると、あのときと同じヤツが来たのかィ」
「同じですよ。どこからか、俺たちがここにいるって聞きつけたらしくて、しつこい竜巻ですよね。粘着竜巻ですよ」
東郷さんの顔に影が射した。
「あの時、俺がもう少し早く」お前さんらに気が付いていればなァ、と呟く。「粘着野郎なんざァ、この拳一本で振り払えたってのに」
厨房で、カシャカシャと食器をいじる音が鳴っている。
「……東郷さん、少し聞きたいことがあるんですけど」
「何だィ」
東郷さんは柔らかな声で答えた。
「東郷さんは、どうしてこんなに俺たちによくしてくれるんですか? ただ倒産と友達だった、って理由だけのようには、思えませんよ。東郷さんに、家族に借金を残して死んでいった男の家族を世話焼く理由なんて、もう無いんですから、俺たちに気を遣わなくてもいいんですよ? 俺は“罪人”なんですし、下手をすれば、今度は、東郷さんが狙われるかもしれませんし」
「見くびって貰っちゃァ困るなァ、兄ちゃん。俺はお前さんに心配される謂れは無いんだが」
厨房から母さんが出てきて、東郷さんのカウンターにみつばらぁめんときなこもちを置いた。「有難う」と東郷さん。
「お前さんらの父親と俺が、親友だった。それだけじゃァいけねェのかィ? ………俺には、それ以上の理由が無いんだがなァ」
東郷さんはらぁめんを勢いよく啜った。
「食うかィ」
東郷さんは蓮華に一杯スープを汲み、俺に差し出した。「そう染みっ垂れた面してると、運の巡りも悪くなっちまうからなァ。コイツを飲みゃァ、お前さんは元気になるだろ」
俺は静かに受け取って飲んだ。芳醇な香りが口の中に広がり、俺を溶かした。
「やっぱり人間笑ってんのが一番いい。なァ、朱実さん」
母さんは盆を持って微笑んでいた。「そうねぇ」
安らぎも束の間、らぁめんよつばの扉が開け放たれ、俺たちが和んでいるところへ、筋骨隆々の男集団が押し寄せてきた。俺たちを取り囲むように、その男たちはめいめいに武器を構えている。ハンマーやつるはしなどだ。
「何だ、お前ら」
俺は息を止める。「うちの店に何の用だ」
緊張している俺とは対照的に、東郷さんは呑気な声を上げた。「おーう、遅かったなァ! 罰金貰ってもいいところだ」
「親分!」と男たちが言い、あっという間に東郷さんに群がった。口々に東郷さんの安全を喜んでいる。
「東郷さん、これは……?」
怪訝に東郷さんを見ると、東郷さんは笑顔を振りまいた。
「こいつらは俺の仲間だ、少しの間この店に居させて貰う」
◇◆御簾川紗希◇◆
「それが本当ならば、今すぐ酉饗津惟を止めなくてはいけないのではないか」と宇治川先輩。
「どうして?」と相槌先輩。
「酉饗津惟は、今頃次の標的に狙いを定めているかもしれないではないか」
「確かに、酉饗津惟の行動を見ておく必要はあるけれど、止める必要はない」と有田先輩。
「何故だ」
「さっきカワサキさんが言った通り、酉饗津惟はまだ確定的な物的証拠を残していないから」
「カクテーテキ……? それって、確か、シャキシャキのやつですよね?」と栞ちゃん。
「それはカクテキだよ、宗田さん!」
「もしかして……もうひとつ、事件が起こるのを待つ、ってことですか」
私がそう言うと、有田先輩は頷いた。
「だが……ダリア、君は先程保健室にいた時、犯人はもうこれ以上罪を重ねはしないと、次の事件は起こらないと、そう言っていたではないか。私達が動き出したことによって、犯人はもう動けない、と」
「あれは嘘」
と有田先輩は言った。「あそこで私が『明日もう一度事件が起こる』と言ったら、酉饗津惟は警戒して事件を起こさない可能性があったから、ああ言っただけ。むしろ私は、もう一度事件を起こして欲しかったから、ああ言ったの」
「津惟を騙すために、わざと気付いていないフリをした、ってことですか」
「そうなるね」
栞ちゃんはおろおろと私達を見比べている。宇治川先輩は有田先輩の口元を見つめている。相槌先輩は間抜けに口を大きく開けている。有田先輩は、私を眺めていた。
「津惟は犯人じゃありませんよ」
「それは明日分かることだから」
「…………確かに、そうですね」
「犯人は明白だと思うけれどね」
「津惟以外の誰か、でしょうか」
「……ええ、そうだといいわね」
火花が散る。
私は荷物を持って立ち上がった。もうやってられない。
「帰るのなら、一つ頼みがあるのだけれど」
「……何ですか」
栞ちゃんがすすすと私の後ろに隠れた。「ケンカ、やめようよぉ」と小声で言う。
「今日、酉饗津惟がどこで部活動をしているのか、調査をしてきて欲しい。明日の被害者は、その部のトップ選手だろうから。それとついでに、私達推部は、ゴキブリ爆弾事件の調査を諦めた、って言っておいてもらえると、酉饗津惟も犯行に移しやすいだろうから、そう言ってもらえるかな」
「嘘をつけってことですか、私に」
「酉饗津惟が犯人じゃないって信じているなら、何の支障も無いはずだけれど」
私は返事をせずに、推部部室を後にした。
◇◆白詰朔◇◆
東郷さんの仲間、という人達は、早速作業に取りかかった。作業、というのは、店の復旧作業だ。
「さっき電話してたのは、あの人達だったんですね……」
「あァ、そうだ。いつまでもこんなボロボロな店じゃァ、開店出来ねェだろ? 店直すんなら、自軍の若いのにやらそうと思ってな。心配しなくても、腕は確かだ。明日の朝には、綺麗サッパリ元通りになってるさ」
「それはありがたいんですけど……あの人達、何者なんですか? 東郷さんのこと、“親分”って呼んでましたけど」
東郷さんは腕を天井に向かって伸ばす。
「あいつらは、元々、街を荒らし回ってたチンピラたちだ。俺が見つけて、ちょっと躾けて、育ててんのさ。俺は別に“親分”なんかじゃねェけどなァ」
「東郷さんって……そんなにすごい人だったんですね」
驚きを隠せない。
「おいチビっ子! 親分を馬鹿にすんなよ! 親分はなァ、俺たちをまるで息子のように育ててくれた、恩人なんだよ! 凄い人どころじゃねェ、親分はブッ飛んでんだよォ!! 分かったか、ドこんちくしょう!」
誰かがそう叫んだ。つられて周りの男たちがそうだ、そうだと叫ぶ。
「うるせェお前ら、早く自分の持ち場に戻れ!! ブッ飛ばすぞ!」
東郷さんがそう言うと、男たちは慌てて作業を再開させた。
「慕われてるのねぇ」と母さん。
「ちょっと頭は悪ィですけどね、こんな奴らでよければ使ってやって下さいよ、朱実さん。コイツらは馬鹿ですからね、人が喜んでるとこ見ると、本当に馬鹿みたいに、自分のことのように喜びますから。犬みてェに尻尾振りますよ。好きなように使ってやって下さい」
「東郷さん」
俺は東郷さんに話しかける。
「何だ、どうしたィ」
東郷さんは俺に向き直る。
「一体どうして、ここまでしてくれるんですか? 別に俺たちは、東郷さんにここまで頼んだわけじゃないのに、一体どうして――――」
「さっきも言ったろ、兄ちゃん」
東郷さんは、にやりと笑って立ち上がった。
「俺とお前さんの父親は、親友だった。それだけじゃァいけねェのかィ?」
そう言いきる東郷さんを見て、俺は、俺の父さんという人間が何なのか、よく分からなくなってきた。俺と母さん、白詰朔と白詰朱実を残して、八年前、借金を残してマンションから投身自殺した父さんは、一体何を考えて死んだのか。借金苦から逃れるためだと俺は思っていた。だけど案外、違うのかもしれない。もしかすると父さんは、自分の死によって、借金を償うつもりだったのかもしれない。自分が死ねば、借金は消えて無くなる。父さんは、そんな夢物語を心に描いていたのかもしれない。
お人好しにも、俺はそんなことを考えた。
◇◆御簾川紗希◇◆
「あっれー、紗希じゃないかー」
津惟は間延びした声でそう言った。自分がゴキブリ爆弾事件の犯人と疑われているなんて、全く考えていないようだった。
津惟は、水泳部に来ていた。と言っても、この時期はプールに入れないので、走り込みをしていたところだったのだけれど。津惟になんで水泳部に来ているのか聞くと、津惟は『いろんなとこ行ったほうが、なんか、いいしなっ』と笑った。
「そんなにいろんなところに行きすぎてるから、犯人なんかと間違えられるの!」
と言いかけた心を、すんでのところで抑えた。
「とっ、酉饗さん」と栞ちゃんが切り出した。「あの、ゴキブリ爆弾事件のことって、何か知ってる? あたしたちはもう調査を諦めたんだけどっ、そのっ、犯人が、誰とか」
「え? いやー、知らないなー。それより、二人とも、水泳部興味ないか? 今は基礎練ばっかだけど、泳ぐと楽しいぞー」
「津惟はなんでそう色んな部活に行くの? てっきり、女子テニス部に決めたものだと思ってたんだけど」
私の言い方が少し怖かったのか、津惟はたじろいだ。「さっき言っただろ? いろんなところまわったほうが、楽しいって」
「でも」と栞ちゃん。「『女子テニス部に入るのは五位鷺さんの遺言だから』って……言ってたような、気がするんだ、けど」
「そーいや言ったなぁ、そんなこと」
津惟はニカッと笑った。ひどく乾いた笑いに見える。
「そういえば、紗希は運動の経験ってあるのか?」
あまりに唐突で露骨な話の転換に、私は思わず眉をしかめる。「昔、ちょっと飛込を齧った程度だけど」
横を見ると、栞ちゃんも不思議そうな顔をしていた。私と目が合う。
「じゃ、練習があるから行くなっ」
そう言って津惟は駆けていった。
「………………………」
取り残された私たちは、ぽつんと、津惟の背中を見送った。
怪しい。
ミスリードかと疑うほど、怪しい。
あそこまで怪しいと、逆にもうあきれてくる。
「……飛び込み、上手なの?」
ぎこちない顔つきで、栞ちゃんは言った。
そのあと、私たちは、今日の事件の現場となった、女子テニス部部室のある部室棟に向かった。部室棟は、一階建てのプレハブで、実習棟のすぐそば、運動場と六刃公園に挟まれている。
事前に寄った管理人室から預かった女子テニス部部室のカギを、鍵穴に差し込む。扉は音もなく開いた。
あらかた捜査しても、犯人に繋がりそうな証拠は出てこなかった。
「……そういえば、栞ちゃんはどうして部室にいたの? 確か、女子テニスの練習を見学するって話だったはずだけど」
「あ、それはね、酉饗さんに言われて―――」
そこで栞ちゃんは固まった。
「……津惟に?」
「……うん。酉饗さんが、見学してるより、実際にやったほうが、テニスの面白さが伝わりやすいから、そうしよう、って話になったの。それで酉饗さんに、部室まで案内してもらって。そこには白詰くんもいたんだけど」
ふーん、と私はあいまいな返事をする。それが本当なら、津惟が犯人だと仮定した場合、津惟はわざわざ犯行現場まで栞ちゃんを連れてきて、そこでゴキブリ爆弾を作動させたってことになる。つまり、津惟はわざわざ被害者を一人増やした。しかも、白詰くんや相槌先輩のいる前で。
これは、津惟が犯人なら、有り得ない行動だ。栞ちゃんや白詰くんを巻き込む理由がない。
やっぱり、津惟は犯人じゃない。だけど、それを証明するためには、まだまだ証拠が足りない。
「今、思い出したんだけど」と栞ちゃん。
「なに?」
「酉饗さんがあたしをここまで連れてきてくれた時、酉饗さん、何かよくわかんない、ビニール袋持ってたの」
ビニール袋。確か、さっきの推部部室での話し合いのときに、犯人がゴキブリを持ち込むときに使ったとされるものも、袋だった。
そして、私が見た袋も、ビニール袋だった。
「関係ない、って思うんだけど……もしかしたら、本当に……」
栞ちゃんの言いたいことは、いやというほど分かった。だけど私は、まだ信じられなかった。明朗快活で気さくなお調子者で、男勝りの津惟が、犯人だとは思いたくなかった。だけどこうして調査を続ければ続けるほど、津惟にとって不利な証拠ばかりがどんどん出てくる。本当の犯人なら、ここまで証拠を残すのは、逆におかしいような気がするんだけど……
私は、栞ちゃんを先に家に返した。そろそろ下校時間になるからだ。栞ちゃんは、心配そうに私を見ていたけど、やがて諦めたのか、すごすごと帰っていった。
ゴキブリたちが走り去っていった六刃公園を捜索することにした。チャイムが鳴って、下校を促す放送が入っても、私は何か、津惟の無実を証明する証拠がないか、探し続けた。
そして私は、“境界の噴水”のところまでやってきた。フェンスで両断され、水が噴き出すことのない、噴水だ。
ベンチに人影があった。丸刈りの男子だ。どこかで見たような気もする。というか、よく見知った人のような気がする。
「越貝くん?」
私がそういうと、越貝くんは振り返った。
「御簾川か。どうした、こんな時間に」
「それはこっちのセリフよ。どうしたの、こんな時間に」
「なぁ、御簾川。知っているか」
越貝くんは質問に答えず喋り出した。何を?と私が聞くと、越貝くんはうつむいた。
「……いや、やっぱりいい。なんでもない」
「何、気になるじゃない」
「いや、御簾川に話しても、どうなることでもないからな」
越貝くんはそう言った。そう言うなら、最初から言い出さなければいいのに。
「御簾川には夢はあるか」
「夢?」突然の質問に、私は目をしばたたかせる。
「あるけど、言わない」
越貝くんは少し考え込んだあと、そうか、と深く頷いた。
「夢って、そういうもんだな」
越貝くんが何を言おうとしているのか、よくわからないけれど、私には、越貝くんがどうにかして話を逸らそうとしているように思えた。
「ねぇ、越貝くん。変なこと聞くんだけど……ゴキブリって、見た?」
越貝くんは眉を寄せる。「ゴキブリ? ゴキブリって、あの、普通にゴキブリか」
「うん」
越貝くんは顎に手を当てた。「今年はまだ見てないな」
「……そ、だよね」
「俺はもう帰る」
そういうと越貝くんは立ち上がった。草と土と、汗の臭いが湧く。男らしい臭いだ。
「越貝くん」
私がそう呼びかけると、越貝くんは振り向いた。「何だ」
「野球部、頑張ってね」
越貝くんは、少し眉を寄せたあと、うつむきながら「ああ」と言い、走り去っていった。




