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第三十三話 「いつだってここにいるさ」

 放課後。

 二つのベッドには栞ちゃんと相槌先輩、ソファーに白詰くんが寝ていた。

 暫くうなされていた白詰くんが、虚ろな瞳を開いた。


「うッァァァァァァァァァアアアアッッ!!」


 びくん、びくんと白詰くんの体が跳ねる。「アイツがッ、アイツがッ、アイツが来る!!!」


 昨日の五位鷺さんと似たような反応だ。


「宇治川先輩、そっちはどうですか」


 相槌先輩の顔を覗き込む宇治川先輩に声をかける。「ダメだ、起きる気配が無い。よっぽど、ショックだったのだろうな」

「二人とも、こっちに来て」


 私たちは有田先輩に近づいた。「どうしました」

 言ってすぐ気づいた。栞ちゃんが目を開けていたのだ。


「栞ちゃん、大丈夫? どこか痛いところとか、ない?」


 栞ちゃんはこっくりと頷いた。「あたし、どうして、ここ、えっと……」

「気絶したんだよ、栞ちゃん。ね、いきなりで悪いけど、栞ちゃん。気絶する前、何があったのか、覚えてる?」

「覚えてるよ。うーんと、ガサガサってした、黒いものがあたしの服の中に入ってきて、気持ち悪くなっちゃって、そしたら……目の前が真っ暗になっちゃって」


 栞ちゃんは涙を滲ませた。


「それはゴキブリではなかったか? ソーダ」

「ゴキ、ブリ、ですか?」

 栞ちゃんは不思議そうに宇治川先輩を見上げた。「それって、なんですか?」

「これは驚いた。ゴキブリを知らないのか、君は。ゴキブリというのはだな、虫だ。何万年もの間、人間を精神的に脅かし続けている、悪魔の権化のような生物だ」


 栞ちゃんは首をかしげる。


「まぁおそらく、君の見たものはゴキブリで間違いないだろう。それより、君はそのゴキブリをどこで見たのだ?」

「女子テニス部の、ロッカーの中です。一番奥の」

「それは、誰のロッカーなのか分かるか?」

「相槌先輩のものよ」と有田先輩が言う。「それくらい、調べておかないと」

「と、いうことは……犯人は、相槌先輩を狙ったということか」

「有田先輩の、予想通りですね」


 私は感嘆の溜息を洩らした。ほとんど手がかりもない状態から、ここまで予測するなんて、凄すぎるんじゃないだろうか。


「推理、と言ってほしい。私たちは推部の一員なんだから」


 少し不貞腐れたように、有田先輩は言った。「どちらでもいいことだけれど」


 あっ、と宇治川先輩が驚いた声をあげた。どうやら、相槌先輩が目を覚ましたようだ。


 私たちは動揺する先輩をなだめ、事件についての話を聞き出した。どうやら先輩は、部室の様子を見に入ったところで、白詰くんがゴキブリに襲われているのを見つけ、悲鳴をあげながらゴキブリたちから逃げたところを、ゴキブリたちに追撃された、ということらしい。私が見た黒く蠢く物体というのは、そのあとの逃げて行ったゴキブリ、だったんだろう。


 私は、相槌先輩に聞き込みを続ける先輩たちをよそに、白詰くんの顔を覗き込んだ。よっぽどゴキブリに襲われたのがショックだったのか、息苦しそうにうなされている。


「白詰くん?」


 話しかけても反応しない。私が白詰くんに話しかけているのに気付き、栞ちゃんが近づいてくる。


「白詰くん」


 栞ちゃんがゆっくりと話しかける。白詰くんはゆっくりと目を開けた。


「宗田……さん……?」


 白詰くんっは重々しく口を開いた。「大丈夫……だったのか」


「……うん、ごめんね」


 栞ちゃんはそういってほほ笑んだ。何、この二人、やっぱり付き合ってるの?


「君達、そろそろ出てってくれないかい」

 椅子に座る笠懸先生がそう言った。「もう起きたんだろう? 保健室は休憩所じゃないからね、用のない人には出て行ってもらわなきゃならないんだよ」

「だからといって、用のある人がいるようには見えないのだが。用がある人がいないのなら、まだ寝かせておいてくれてもいいのではないか? 先ほどまで気絶していたものたちなのだから」


「用がある人ならいるよ。いつだってここにいるさ」


「それは、笠懸先生のことじゃないですか」と有田先輩が言う。「誰もいないときにはよくベッドで寝てると聞いてます」

「じゃあ、十(ぷん)だけ許してあげるよ。十(ぷん)経ったら、さっさと出ていきな」

 笠懸先生は、そうやってあからさまに話題を変えた。椅子の上で脚を組んで、うたた寝を始めた。


 私たちは、白詰くんが正気に戻るのを待ってから、保健室を出た。



 ◇◆白詰朔◇◆



 今でも信じられない。というか、思い出したくもない。

 カサカサで、テカテカで、ワラワラのゴキブリの大群が、俺の服の中を這いずり回ったなんて。

 思い出すだけで……また気絶してしまうかもしれないから、やめておこう。


「あ」と俺は声を上げた。前を進むダリアさん、シーマンさん、御簾川、宗田さん、相槌先輩が振り返る。


「俺、家の手伝い、しなきゃいけないんです。すいませんけど、今日はもう、帰っていいですか?」

「構わないが」とシーマンさんが言う。「体調はもう、大丈夫なのか」

「バッチリですよ」と俺は強がりを言った。正直に言うと、大嫌いなゴキブリに襲われたせいで、足がガクガクとみっともなく震えていた。けれど、そんなことを言うのは俺の尊厳に関わる。


「それじゃあ、また明日」


 そう言って俺は推部の皆と別れた。階段を駆け降り、レンガの道を通って校門を抜け、坂を駆け降りた。時間的には夕方くらいなのか、夕日が俺を照らす。


「そう言えば、結局、超能力使ってないな」


 西学園地区駅にたどり着き、ホームのベンチに座って、俺はそんなことを呟いた。


「それにしても、俺はどうしたっていうんだ」


 最後尾列車の座席に座り、呟く。


「あのとき、俺は急に足が曲がらなくなったし、それに、なんかこう、宗田さんが傷つくのを不自然なくらい嫌に思った」


 宗田さんの件に関しては、宗田さんと最初に会ったときもそうだ。まぁあの場合は、宗田さんが死のうとしてたから助けたんだけど。


「宗田さんのことになると、なんか俺、普通でいられない、というか……必要以上に取り乱すんだよな」


 吉舎布の地に降り立ち、俺は呟く。


「これって、もしかして……」


 恋、なのか?


「あぁっ、いやいや、ちょっと待てよ俺」


 湯屋の三叉路を通りすぎる。「いくら何でも、都合が良すぎるんじゃないか? ただ単に俺は、お人好しなだけだ。そうだろ。別に、恋愛感情とか、そういうのは、無いだろ」


 商店街を通り抜ける。「でも、アレだな、俺はもう既に、宗田さんに告白されてるようなもんだし。それに、さっきの保健室のときも、なんか、宗田さんの顔を見たら落ち着いたし、それに、俺は、宗田さんに、本当の俺を見てほしい、とか、そんなことまで、言っちゃってんだよな」


 俺は今朝、神託の間で、『一人の人間として評価してもらいたい』、なんてことを口走っていた。


「…………じゃあ、やっぱ、これって……」



 恋、なのか。



「……こっ()ずかしいなー、なんか」


 誰に言い訳するのでもなく、俺は辺りを見回した。赤くなっている頬が、誰かに見られていないか、チェックしておきたかったんだろう。

 そして、数分歩いたのち、俺たちの家、『らぁめんよつば』の姿が見えた。看板から扉、窓まで、全てが昨日の土台たちによって壊された、そのままになっている。入口には、『本日閉店』の看板が立て掛けられていた。


「これは……風評被害は、免れられないな」


 俺は覚悟を決め、らぁめんよつばの暖簾をくぐった。

 そこには、母さんが俺の帰りを待ちわびているはずだから。

 だけど、俺の予想は外れた。

 そこにいたのは、母さんだけではなかったのだ。



 ◇◆有田千鶴◇◆



 私たちは、クローバーくんと別れ、推部の部室、つまり、実習棟三階の第三音楽室に戻ってきた。相槌先輩は、今日は推部にしとく、と言って私たちに付いてきていた。この前先輩がこの部室に来たのは、いつのことだったろう。そんなことを考えながら、私は長椅子に座った。

 シーマンがいつもの王様椅子に座る。


「結局、犯人は誰なのだ」


 シーマンが私にそう聞いてきた。相槌先輩が、私の隣に座る。「そうそう、それは私も気になる」


「もう、分かってるんですよね」


 カワサキさんが、疑うようにそう聞いてきた。恐らく、カワサキさんにはまだ犯人の目星がついていないんだろう。無理もないかな、だって、その可能性は、カワサキさんには考えにくいことだろうから。


「本当は、クローバーくんもいるところで言いたかったのだけれど……先に帰ってしまったことにはしょうがないわね」

「そ、それって、誰なんですか?」


 ソーダさんは興味津々といった様子だ。

 早めに言ってしまって眠りたい。今日は、覚えることが多くて疲れたから。



「酉饗津惟よ」



 ぽっ、と息を吹くように軽く、私は言った。



 ◇◆御簾川紗希◇◆



 犯人は超能力者(パワード)だ、と津惟は言っていた。


『だって、あんなにたくさんのゴキブリを、ロッカーに纏めて置いてたんだぜ? それに、今回、相槌先輩を襲うまで、ゴキブリたちは逃げなかった。どう考えても、普通のゴキブリじゃあり得ないだろ?』


 確かにそうだけど、何でそれだけで超能力者(パワード)って分かるの?


『きっとゴキブリたちに催眠術か何かかけて、命令してたんだ。相槌憂子を仕留めるまで、戻ってくるな、って』


 確かにそうかもね。


『いやむしろ、それ以外はあり得ないよな』


 うんうん、と津惟は頷いた。




「それに、津惟は、五位鷺さんが被害に遭ったときに、ひどく動揺していたんです」

 有田先輩は、私の言葉に慎重に耳を傾けている。「確かに、その様子は私たちも見たけれど」

「けれど、何ですか。どうして津惟が犯人だって思うんです」

「六陵高校推理探偵部に入り、探偵として部の活動をするからには、心得ておかなければいけないことがあるの」


 先輩は急に話を変えた。


「1.観察力と注意力を養い、常に周囲から情報を得ること。2.精神と肉体を研鑽錬磨し、不測の事態に備えること。3.情報を疑うこと。このくらいが、探偵の常識。あなたにはこれが出来ているかしら」

「それは……」


 言葉に詰まる。そんな話は聞いていないのだから出来るはずはないと言うのは簡単だけれど、有田先輩の口調には、有無を言わせないものがあった。


「三つの事件には共通点があるって、前に言ったわよね。あれは酉饗津惟のこと。私の調べによれば、事件が起こった部には、前日に必ず酉饗津惟が訪れていた」


 先輩は白い紙を取り出し、それに四月十一日(月)から十五日(金)までの日付を書いた。

 青いペンで、十二日(火)に『剣道部』、十三日(水)に『陸上部』、十四日(木)に『女子テニス部』と書き、赤いペンで、十三日(水)に『剣道部部室』、十四日(木)に『陸上部部室』、十五日(金)に『女子テニス部部室』と書いた。

 青色が酉饗津惟の動き、赤色が事件の順番だと先輩は言う。


「一日ずつずれて、見事に一致しているでしょう? きっと、それぞれの部で一番上手い人を見極めてから、犯行に及んだ。この一日のタイムラグは、ゴキブリの仕込みのせい」

「でも、その、それって、もしかしたら、偶然、なのかもしれないですよ」と栞ちゃん。

「確かに、ソーダの言う通りだ」

「そうですよ。これって、ただの状況証拠じゃないですか。これだけで、津惟が犯人って決めつけるのはおかしいですよ」

「その通り」


 そう言うと、有田先輩は目を閉じた。


「酉饗津惟がどうしてこの学校に来たのか、その理由を知っているかな」


 その言葉は私に向けられたもののようだった。有田先輩が、瞼の下から私を見ている。


「酉饗津惟は、中学時代に暴力事件を起こしたの。その当時、酉饗津惟の所属していた陸上部で、一番上手かった選手を、袋叩きにした。そうして酉饗津惟は退学になり、どの高校に受験を申し込んでも断られ続け、行くところが無くなった酉饗津惟は、六陵高校の入学条件をクリアし、この高校へと入学した」


 六陵高校の入学条件。それは、“あらゆる高校から見放されていること”。


「同級生の評判は最悪。『完全にバカ』とか『周りの空気を読まない阿呆』とか。陸上部では、落ちこぼれでこそなかったものの、トップの集団からはいつも差をつけられていた。それが嫌だったのか、ただ単に腹が立っただけだったのか、とにかく、そうして酉饗津惟は事件を起こした。相手の子は大きな怪我こそ無かったらしいけれど、それ以降は試合に姿を現すことは無かった」


 一息つく。「前例がある以上、酉饗津惟には動機がある。以前と同じく、酉饗津惟は、部のトップを潰そうとしているのかもしれない。それが酉饗津惟という人なの」

「うんうん、なるほどねー……って、えーーっ!? え、あの子が犯人だったの!? あの子が、皆をゴキブリで襲わせたの!?」


 相槌先輩は今更のように驚いた。


「それは違いますよ」


 力強く、私は言う。「まだたったの五日ですけど、私は、あの子とずっと友達なんです。あの子のことは、先輩より知っています。断言するなら、津惟は『ゴキブリ爆弾事件』の犯人ではありません」


 有田先輩は目を開けた。首を傾げる。


「ふうん……どうして?」

「津惟は、とっても真っ直ぐな子なんです。いけないことをしてる男子がいたら、それを怒ったり、困ってる人がいたら、助けてくれたり、倒れてる人がいたら介抱してあげたりする、優しい子なんです。それに津惟は、嘘を吐けるような子には思えません。どちらかというと、津惟は、自分が嘘をついたら、そのことをずーっと後悔する、そんな子だと思うんです」


「――――私はあなたの意見を否定するつもりは無いけれど」たしなめるように私を見る。「真っ向から肯定してあげることもできない。だって、それが私たちの部活動だから」


「その通りだ」


 宇治川先輩が、急に口を挟んできた。「六陵生を助ける者としての役割を遂行する。それが、私たちに与えられた超能力(パワー)の代償だ。安いものだろう。ダリアの言う通り、私たちは、『ゴキブリ爆弾事件』の犯人を突き止め、六陵高校を沈静化せねばならない。そのためには、喩え、ミス・カワサキ、君の友だとしても、犯人ならば罰せねばならない」

「だけど、今の状態で、津惟が犯人だとは、やっぱり言えませんよ。状況証拠と動機だけなんて、根拠としては弱すぎます! せめて物的証拠か、アリバイが無いと、無理ですよ」


 それ以上の反論が出来なくなったのか、有田先輩は押し黙ってしまった。


「そういえば」と相槌先輩。「物的証拠、で思い出したことがあるんだけど、あのゴキブリって、どうやってあの部室に入ったの? うん、そこが一番疑問」

「犯人が、袋に詰めて持ってきたらしいの」と有田先輩。「五位鷺さんは、ゴキブリが袋から出てきたところを見たらしくて。それが、『ゴキブリ爆弾事件』の名の由来なんだけれど」


 それを聞いて、私は、家族団欒の食卓の上で、ゴキブリがぎゅうぎゅうに詰まったポテチの袋が破裂して、ゴキブリが飛びかかってくる姿を想像した。実際はもっと凄まじいものだったんだろうけど、想像しただけでも身の毛がよだつ。


「となると、つまり、五位鷺さんはゴキブリが袋から出てきたのを見ているわけですね? と、いうことは……」


 私は栞ちゃんを見る。「栞ちゃん、もしかして、ゴキブリが袋から出てきたところを見たんじゃない?」


 栞ちゃんは目をぱちくりさせた。


「確か、今日の事件で一番最初にゴキブリを見たのって、栞ちゃんだったよね? ロッカーでゴキブリを見たとき、何か袋を見なかった?」


 うーん、と栞ちゃんは唸った。「覚えてないよ」


「相槌先輩は、見ませんでした?」

 相槌先輩は腕を組んだ。「あ、そう言えば、それ、見たかもしれない。何か袋っぽいのでしょ。うん、それね、あのゴキブリたちが運んでいってたよ」

「ゴキブリたちが運んでいった、というのは、一体どのような意味なのですか」と宇治川先輩。

「そのまんまの意味かな。部室からゴキブリの群れが出たとき、ガサガサって、ビニール袋みたいな音が聞こえたの。あれが多分、そうなんじゃないのかな。うん、多分、いや、絶対そう」


 その証言を聞いて、あれ、と思った。そういえば私も、その袋を見た気がする。ということは、証拠の袋はゴキブリたち自身によって持ち去られたのか。


「やっぱり」と有田先輩が納得した口ぶりで言った。「この事件には、超能力者(パワード)が関わっている可能性が高いわ。どう考えても、ゴキブリたちの動きは、統率されすぎてる」

「ということはやっぱり、津惟の推理は合ってるじゃないですか。自分が犯人なら、自分の手の内を明かすはずがないですよね。じゃあ、やっぱり、津惟は犯人じゃないですよ」

「残念ながら、そうとは言い切れない。何故なら、それも“嘘”の可能性があるから」

「どういう意味ですか」


 有田先輩はまた目を閉じた。「酉饗津惟は、あなたのその心理を利用して、自分が犯人ではないと信じ込ませようとした可能性がある。だってあなたは、酉饗津惟がどんな人物か、まだ知らないから」

 先輩は続ける。「私の捜査で、酉饗津惟に関する、驚くべき事実が判明した。あなたが私よりも酉饗津惟のことを知っているというのなら、もちろん知っているんでしょうけど」

「えっ、それって、何ですか」と栞ちゃん。宇治川先輩と相槌先輩も、うつむきながらも有田先輩の話を聞いている。



「――――酉饗津惟は、超能力者(パワード)側の人間よ」

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