第二十五話 「クローバー」
今回は長いです。
◇◆白詰朔◇◆
第三音楽室前廊下に辿り着く。幸いこの辺りは人通りが少なく、人影はない。眼前には、三枚の肖像画、ベートーベン、リスト、シューベルトの、所謂イケメン寄りの作曲家のものが掛かっていた。
これが動く、というのはどういうことなんだろうか。肖像画の、何が動くんだ。絵そのものか。中で動くのか。飛び出してくるのか。ただ額だけが動くのか。そこらへんはよく分からない。
いや、ちょっと待てよ。こうは考えられないだろうか。
肖像画の話は、人をこの肖像画から遠ざけるために推部が広めた嘘で、本当はこの額の裏に何か大事なものが隠されているという可能性。
有り得ない話じゃない。掛軸の後ろに隠し通路があるのは忍者屋敷の鉄板だ。いや、ここは忍者屋敷じゃないけれど。もしかすると、パワースポットへの隠し通路か、それに準ずる何かが隠されているのかも。
俺は恐る恐る手を伸ばす。箱を開けようと手を伸ばしたパンドラはこんな気持ちだったのだろう。
「何をしている」
声のした方を向くと、チビ男即ち宇治川海山が短い腕を体の後ろに回して立っていた。仁王立ちだ。
「それには触るな。そこから今すぐ離れるんだ」
チビ男は毅然とした態度で言う。俺はゆっくりと肖像画から離れた。
「……我が六陵高校推理探偵部に何か用か。依頼なら聞くが」
一瞬、この肖像画について聞こうかと思ったが、やめた。チビ男が、これだけ俺を肖像画から離したがっているということは、この後ろに重要な何かがあると言っているようなものだ。いちいち聞いても、答えてはくれないだろう。
「六陵高校七不思議の一つ、『六陵高校内にある超力場』について聞きに来ました。この噂は、チビ……宇治川さんの言う、六陵高校推理探偵部に入れば超能力を手にすることができる、というのと何か関係があるんじゃないですか?」
宇治川さんは驚きに目を瞠った。「なぜそれを」
「――――推理です。確証はありません」
俺と宇治川さんはしばらく睨み合っていたが、向こうがふっと息を漏らした。
「ふっ……あはははははっはは!! 面白いな、君は!! 六陵高校推理探偵部の部長である私に向かって『推理』を垂れるとは……やはり、私の目に狂いは無かったようだ」
「目、といえば宇治川さん。宇治川さんの能力は、目に関するものなんじゃないですか?」
「何?」
宇治川さんは自分の眉を押さえた。「それも、推理か」
「いや、というか、『心が見える』なんて言ってる時点で、その、何ですか、心眼とかその類いの能力なのかな、と思いまして」
宇治川さんはきょとんとしていたが、弾けるように笑いだした。
「ははは、やっぱり君は面白いな! 君は何か思い違いをしているようだ」
「……何です」
「―――――心は確かに存在するのだよ、胸に!」
そう言って宇治川さんは自分の胸の中央左寄りを人差し指で突いた。「私の言ったことを、何かの比喩だとか、そういったものだと思っているのだろう。だが、そうではない。現実に、心は存在するのだよ、各々の胸の中に! 私はそれを物理的に見ているのだよ」
宇治川さんが何を言っているのか、すぐには理解出来なかった。理解が遅れてやってくる。
心は存在する。それが何を意味するのか。
「昨日、ダリアから観念論の話を聞いたろう。『この世界の全ての物質は精神から創られている』という、あの理論だ。そこから、パワースポットは精神によって創られているという話になったんだったな。では、その観念論の対義語となる理論は知っているか」
俺は黙って首を横に振る。
「唯物論、だ。君に分かるよう言うならば、『精神は物質から創られている』という理論だ。片方が栄えれば、相対するものも栄える……近年の観念論の復興に伴い、唯物論も勢いを取り戻したのだ。まあそんなことはいいとして、私が言いたいのは」
前で腕を組んだ。腕が短いので、肩をすぼめる形になっている。
「唯物論と観念論をごちゃまぜにした、物心論だ。簡単に言うならば、『物質は精神によって構成され、精神は物質によって構成されている』という理論だな。昔からこの理論はある。この世界の物質と精神はお互いがお互いを創り、どちらにも実体があるのだ。私はこの理論を支持している」
どうしてですか、と俺は問う。
「なぜって、それは推理すれば分かるだろう。私には心が物質として見えているのだ。即ち私には、物質を構成する精神が、物質として見えている。私には、物質も精神も、両方が見えるのだ。物質はそのままの形で、精神は物質の形で、見ることができる。君にも、精神は見えるはずだ」
「……え? 俺もですか? 俺も、宇治川さんみたいに、精神が見えてるっていうんですか」
何を言い出すんだこの人は。精神が見えるのは、宇治川さんの超能力のおかげだったんじゃなかったのか?超能力すら持っていない俺に、精神なんてものが見えるわけがない。
「確かに君にも見えている」
宇治川さんは断言した。「私より見えている量は少ないが」
「……俺には精神とか、心なんてものは見えませんよ、宇治川さん。だってそれは、宇治川さんは、自分の能力があるから、心が見えるだけで、俺には能力が無いですもん。そもそも、心ってものが実体としてあるってこと自体、信じられないですし」
「君には自分の心が見えるだろう」宇治川さんは言った。校舎の喧騒が波を引いていく。
「それが精神の実在を示すことの、何よりの証拠だ。自分の心があれば、少なくとも自分の世界には、精神が実体として存在すると思えるだろう」
「……難しい話ですね」
俺は頭を掻いた。宇治川さんが高らかに笑う。
「まぁいつか、分かる時が来るだろう。『世界には精神が実在する』ということが。第一、そうでなければ、精神によって創られた超力場の存在が成り立たないのだよ」
本当に難しい話だ。
「宇治川さん。昨日、俺は御簾川や宗田さんと比べて心が弱いって言ってましたけど、どれくらいが入部条件に見合った心の強さなんですか? 基準がよく分かりません」
「ああ、その話ならば、気にする必要はない。私が見込んだ君なんだ、入部条件はほぼ満たしている。あとは君が自分の夢を固めるだけだ」
「気になりますよ。というか、入部条件に夢を固めることが必須なのはどうしてですか。ただ単に、強い心を持った人と超力場とが共鳴するっていうだけなら、夢は関係ないでしょう」
「いや、関係はあるのだ」と言い切る。
「強い心………それがどんなものだか、君には分かるか。何者をも退ける超能力を手にするに相応しい者が持つ心。すなわちそれは、君達ディスパワードを迫害し続ける、超能力者が持っている心だ」
八年前の、俺を掴み上げ、落として蹴りつけた、あの金髪ピアスの男のことが脳裏に過った。彼らを雇い、そして俺たちを痛め付けることを、エンターテイメントとして楽しんでいた超能力者は、どんな心を持った者だったのだろう。自分たちのいいように社会の仕組みを変えた超能力者たちは、どんな考えでもって俺たちを懲らしめていたのか。
とても同じ人間の所業とは思えない。
「欲望を持つ心。それが超能力を得ることの出来る心なのだ。貪欲な者が能力を得る。それが現実なのだ。元々金持ちの者が超能力者になりやすいのは、そういうことがあるからだ。『超能力を手に入れたいと思う者に超力場は共鳴する』。それだけの、至極単純明快な話なのだ。求められれば応えたいと考える心は超力場にもある。求める者が能力を得る。それだけの話なのだ」
「超力場にも感情があるって言うんですか? それはさすがに言い過ぎだと思いますけど」
ハハハ、と宇治川さんは照れ臭そうに笑った。
「今言った『心』は、比喩だ。超力場は強い心を持つ者、即ち強欲な者の心から創られたのだから、強欲な者に超能力を与える。筋は通っているだろう」
強欲にならなければ超能力は得られないということか。そして、夢こそ欲望の象徴だ。だから超能力を得るには、夢を固めることが必須。そして。
「……六陵高校推理探偵部の中には、超力場があるんですね?」
顔を見ると、宇治川さんは朗らかな笑顔を浮かべていた。
「信じる者には、神の加護がいつかもたらされる。君の夢が明確なものになったその時、また六陵高校推理探偵部に来るといい。その時は、超力場が、君の夢と呼応し、夢の手助けとなる超能力を授けてくれるだろう。その時を楽しみにしているぞ。……君の名は何と言ったか」
「白詰朔です」
「そうか。では……そうだな、クローバーとでも呼ぼうか。シロツメクサ……幸福の象徴である、いい名だ。君は他の人の気持ちがよく分かる、人を助けることに適した心の持ち主だ。いつか君と共に六陵高校の皆を救うことが出来るようになる日を、楽しみにしているぞ」
「……ありがとうございます」
なぜだか、俺は、とても嬉しかった。
ついこの前まで、もう顔も合わせたくないと思っていたチビ男改め宇治川さんに認められて、他の誰に褒められるよりも暖かい気持ちになった。
廊下に射し込む陽光が、宇治川さんの左頬を、撫でるように照らしていたせいかもしれない。
もしかしたら俺は、この部活に入れば、幸福になれるのではないか。そんな気がしたのだ。
「ダリア」
白詰朔が立ち去り静まり返った第三音楽室前廊下に、宇治川海山の勝ち誇った声が鳴る。
「今のは完璧だっただろう、これでクローバーはじき、我が六陵高校推理探偵部に入る。その後の活動が楽しみだ」
「そうかもね」
第三音楽室の入り口の扉が開き、中から有田千鶴が姿を現す。
「他の二人はどうなっているの。私がいなかったときに、あの子と一緒に来たっていう」
「ああ、ミス・カワサキとソーダか。彼女たちは何もせずとも、勝手にこの六陵高校推理探偵部に戻って来るだろう。ミス・カワサキは夢を固め、ソーダはクローバーに追随する」
「追随ってどういう意味」
有田千鶴は顎に手を添え、考える振りをした。
「最初に会った時は気づかなかったが、ソーダはクローバーに惹かれている。彼女はクローバーを妄信的に信頼している。クローバーさえこの六陵高校推理探偵部に呼び込めば、ソーダが来るのは自明の理。という意味だ」
「……疑問に感じていることがあるんだけれど……どうしてそんなに、ソーダという人を推部に入れたがっているの」
「ダリアはまだソーダに会っていないのだったな。簡単に言えば、ソーダは純粋なのだ。いい意味でも悪い意味でも、彼女は何も知らない。世の中というものを、全く知らないのだ。強きに従い弱きを救う。本能的にそうしてソーダは生きている」
「だから推部にはうってつけの人材というわけね。成程」
確かにそれならば、お助けを生業とする推部にはもってこいの人材だ。
「あんな者は滅多にいない。純粋無垢の真っ白で美しい心を持った、まさに十年に一人の逸材だ。少し気になることもあるのだが」
「気になる事?」
「ああ。ソーダの純粋無垢な心の背後に、暗黒が渦巻いていたのだ。どうも抽象的な表現になってしまうが、その暗黒が、白の背後にとぐろを巻いて鎮座している。少しつつけば漏れだしそうで、しかもこちらの動きを覗き見て出てくる機会を探っているようでもあった。あれは一体何なのか、私の能力をもってしても見えない。だがその点をもってしても、ソーダは我が六陵高校推理探偵部にとって必要な存在だ。そのためにもクローバーには、己が夢を固めてもらわなくてはな。その部分に関しては、運任せということになるが、まぁ、どうにかなるだろう」
「適当ね」
有田千鶴は腕にかけていたセーターを腰に巻いた。
「ところで…………最近、校内で気絶するのが流行ってるのを知ってる?」
◇◆御簾川紗希◇◆
「どうだった、御簾川っち! 俺たちの演奏は!」
汗が窓からの光に照らされ金色に輝く。相模友久は飛びっきりの笑顔を見せた。
「……よかったと思うけど」
これが相模だけの演奏なら、思いっきりけなすこともできたんだけれど、歹奈良さんを含む上級生がいる手前、批判は出来ない。心にもないことを口に出し、御簾川紗希の心に小さな針がちくりと刺さった。
「御簾川ちゃん? 俺が見る限り、御簾川ちゃんは俺たちの演奏が気に入らなかったんじゃねぇのかな?」
歹奈良弦はそう言っていたずらっぽく笑う。
「……そうです」
「いいね、素直な子は嫌いじゃないなぁ、俺。けどね、御簾川ちゃん」
歹奈良さんはコードを弾いた。Cmだ。
「見てる人が楽しんでくれて、俺たちエンターテイナーは輝くんだ。ちょっと言い方は悪いけどね、御簾川ちゃん。喜んでくれなきゃ、俺たちは楽しく弾けないんだよ。まぁ、落ち込んでる人を喜ばせてやるのが本分だから、これはただの言い訳なんだけどな」
歹奈良弦は少し悲しそうな笑顔を浮かべた。御簾川紗希は会釈をし、椅子から立ち上がった。
「じゃ、私はこれでおいとまします。さっきお話を頂いた、五位鷺さんにも有田さんのお話を伺いたいですし」
「じゃーな、御簾川っち! よければまた、聞きにきてくれよぉ! 俺も昼休みにはここで練習してるからぁ!」
相模友久の声を背中に受けながら、御簾川紗希は職員棟一階の保健室へと向かった。
太陽はじりじりと、空を北上しつつあった。
◇◆宗田栞◇◆
来集蒼香は宗田栞の帰還を待ち侘びていた。
「お帰りしおりーん! 寂しかったでこいつぅ! うちを置いてどっか行ったら、心配するやろー? ただでさえしおりん、危なっかしい所あるんやから!」
すごくハイテンションな蒼香ちゃんがあたしの肩をつかんで頬を掴んで軽く引っ張った。
「あれ、蒼香ちゃん、どうしたの、機嫌いいね」
「うちが機嫌悪いときなんてあるかー? 無いやろ?」
それは無いけど。
「それで、出ていく前に白詰らと一緒に話し込んどったやん。あれは、何、三角関係とか、そういうアレで?」
「え? 違うよ、あれは、『どの部に入るか、もう決めた?』とか、それぐらいの話で……」
「何や、そんなことかー。てっきりドコンドコン修羅場ってるんかと思っとったのになぁ」
修羅場。凄そうな名前だなぁ。
「なぁ。白詰本人に、ちょっとちらつかせてみたらええんちゃうかな」
蒼香ちゃんは声を落とした。
「え? 何を?」
思わず間の抜けた声を出す。
「いや、昨日は、日曜に告白しぃって言ったけど、やっぱ女子から告白すんのって、屈辱やんか。やっぱ女なら男から告白されてナンボっていうか、それが女のステータス、みたいなアレ、あるやん? やからな、白詰に、自分から告白させるように、それとなくなんか、ちらつかせるって言うか……」
「えぇ? それを、あたしがやるの? 無理無理、無理だよぉ! だって、あたし、まだ白詰くんとほとんど喋ったこと無いし、接点だって全然無くて……」
「そんなこと無い、無理なこと無いって! 接点だってほら、アレがあるやん、体育の授業のとき、あの鬼星人から助けてもらったやん! あの時のお礼、まだ言ってないんちゃうん?」
「保健室で言ったよ」
「いやいやいや、そんなんじゃ全然足りへんねんって! もっとこう、どかーんと一発でかいの落としたらな、ああいうタイプの男はよって来ぉへんで! もっとこう、エレガントな感じで行かなあかん! ズバーっと!」
「ズバーっと……?」
どういうことだろう。ズバーっと……?
「そう、ズバーっと! 今からでも遅くない、もう一回昨日の体育の授業のときのお礼、言っといたほうがええで! ほら、噂をすれば影、白詰戻ってきたで!」
右を見ると、白詰くんが名前を呼ばれて驚いたのか、目を白黒させて立っていた。
行ってき、って蒼香ちゃんに言われて、あたしは白詰くんの前に立った。あたしは話しかけるどころじゃなくて、体の底から溢れてくる緊張を、沸騰しないように抑えるので精一杯だった。
「どうしたの、宗田さん」
柔らかにあたしを包む、優しい声がかけられた。
次回も昼休み回です。魔の昼休み……デス。




