第二十二話 「ゴキブリの次に幽霊が嫌いだ」
夢を見ていた。
俺は地面に寝ていた。
起き上がろうとするが、大地に縛られ、動けない。
暗闇の中から、中学の担任の先生と茲竹さんが現れた。二人は手にナイフを持っている。
「罪人め」
誰かが囁いた。
二人が、ゆっくり、ゆっくりと、俺に近づいて来た。足音を忍ばせ、辺りの様子を伺いながら。
「差別されると分かっているなら、死んだ方がいい」
二本のナイフが、俺の身体にめり込んだ。
俺は叫び声を出すことすら叶わずーーー
そのままゆっくりと、絶命した。
そして硬い金属が打ち付けられる音が、俺を蝕んだ。
◇◆◇◆
俺は二階の自室で目をさました。身体中が沈むように重く、起き上がるのに一苦労した。
茲竹さんが辞めた。
未だに俺はその事実を認識出来ないでいた。八年間ずっとらぁめんよつばのバイトとして馴染みだった彼女が、俺が六陵高校生だったというそれだけの理由で、らぁめんよつばを辞めた。
「六陵高校の何が悪い」
知らずに俺はそう零していた。
時には個性的で高圧的な先生がいたりもするがーー
六陵高校は、そこらの高校よりは良い環境だ。
それを他の奴らが、「最貧民層が通う学校だ」と何だと騒ぎ立てて。
『財産唯一主義』は、俺たちをひどく脅かしていた。
◇◆◇◆
四月十四日、木曜日。制服に着替え、らぁめんを啜り、歯を磨き、顔を洗う。髪を整え、仏壇に手を合わせる。
居間にある父さんの仏壇には、父さんの遺影が無い。もしその写真が外部に出た時に、借金取りに見つかってはいけないからだと母さんは言うが、実際の理由は違うものだと俺は考えている。
母さんは俺に父さんの顔を思いださせたくないんじゃないだろうか。自殺の時の絶望の表情を思い出してトラウマにしてほしくないからか。若しくは、俺に父さんのような、借金を残して死ぬような人間になってほしくないからか。
そして、母さんは、父さんを忘れたいのかもしれない。
今日も俺は、一人店の準備をする母さんに行ってきます、と言って家を出る。
今日は早く家に帰ろう。俺はそう決心した。これからは茲竹さん抜きで、俺と母さんで店を回していかないといけないんだ。
◇◆◇◆
1-Eの教室に着くと、何やらざわついていた。俺は相模に、何かあったのか、と聞く。
「また担架で運ばれたんだぁ!」
どうやら、今朝朝練をしていた男子生徒が担架で運ばれたらしい。
「また、って言うのはどう言うことだ?」
「昨日も運ばれたんだよ、剣道部の女子が! 体育の授業で見学してた剣道部の二年生が、突然泡を吹いて倒れたんだぁ!」
「恐いだろ」
横の通路に越貝が腰を下ろした。
「昨日の生徒は、何かを視たって噂だ。視てはいけない何かを」
「幽霊だぁぁぁぁぁ!」相模はわざとらしく恐がった。
「やめてくれ、そういうのには弱いんだ」
腕を組み寒がる素振りを取った俺を見て、相模は愉快そうに笑った。
「何だシロサク、幽霊が恐いのかぁ?しっかりしてそうに見えて、まだまだおこちゃまだなぁ!」
相模に悪気は無いんだろうが、その言い方はどうも気に触る。
「ゴキブリの次に幽霊が嫌いだ」
「俺は脂肪が嫌いだ、ある意味」越貝はそう言って二の腕をつまむ。と言っても越貝の二の腕は筋肉だらけで、脂肪がついているようには見えない。
「タイサクは筋肉が好きなだけだろぉ?? 筋肉フェチだからなぁタイサクは!!」
相模は高らかに笑った。教室内でそう言うことを声高にいうのはどうかと思ったが、当の本人ーー越貝は、何故か嬉しそうに顔を綻ばせていた。
「相模もフェチくらいあるだろ」越貝は頭を掻く。
「そんなのないぞぉ!」
「……俺もないな」
俺はささやかな嘘をついた。フェチというと語弊があるが、俺はスレンダーが好みだ。
そう言えば、六陵高校推理探偵部兼生徒会のダリアさんは、理想的なスレンダーだった。スレンダー好きが一万人集まれば、全員がダリアさんを胴上げして歓喜するくらいの、夢のようなスレンダーだった。また会いたいものだ。
「あ、フェチってわけじゃないけど……俺は持ち物には全部名前を書かないと気がすまない性質なんだ!! 」
相模は自分のエナメルの中から筆箱を引っ張り出し、鉛筆を手に取った。周りの六面にはもちろん、上部の六角形の所にまでも大きく「相模友久」と書いてある。
「どうだぁ、すごいだろ!!」と相模は豪語した。
言っちゃ悪いが、バカ丸出しだ。
その後、つくね先生が来て、朝のホームルームが始まり、そして終わった。物事は始まれば終わるものだ。
「あ、それとねみんな」
教室を出ていく直前、つくね先生は軽やかに言った。
「にっくきワル教師、星野臣人は私が責任を持って成敗しておきましたからねっ!」
ピースしてウインクを決めたつくね先生を、俺達はポカーンと見つめた。
その発言の意味が分かるのは、三時間目のことだった。
◇◆◇◆
三時間目、体育。
星野臣人ーー『鬼星人』は、可哀想なほどに意気消沈していた。
それはもう、そうとしか表現出来ないほど、可哀想なほどに。
「さっさと走れ、お前ら。二十周だ」
けれど、言い方が緩くなっただけで、運動量自体はさほど変わってはいないようだ。
昨日の保健室の先生やつくね先生に、よっぽど強く言われたのだろう。昨日のあの授業は、一年生の最初の授業にはキツすぎたもんな。
俺達は体育委員の酉饗と星井に続いて走り出す。走り出して一分もすると、俺達は自然と足の速さ順にならんでいた。越貝や酉饗が上位層、俺に相模、御簾川は中くらいで、宗田さん、来集は最下位層だ。来集は宗田さんの速さに合わせているのだろうか、余裕げに宗田さんに話しかけている。宗田さんはその度に一生懸命に首を縦や横に忙しなく振っていた。
「よっ、白詰。ペース落ちてるぞー」
酉饗が俺を追い抜きながら言う。酉饗に続いて、越貝も俺を追い抜いた。ひたすらにただ黙々と走っている。
「俺だって……やればできるんだよ、酉饗!」
俺は急速にスピードを上げた。酉饗は息を一つも乱さず、ぴったりと付いてくる。越貝は息を乱しつつも、俺達の後ろに付いていた。
「ちっちっち……こういうのはあれだぜ? その……すぐには出来ないっていうアレだよ、アレ」
「一朝一夕、じゃない?」前を走っていた御簾川が言う。酉饗はそれだそれ、と御簾川を指差した。
「一朝一夕のもんじゃないんだ。何日も何日も努力を積み重ねて、やっと皆に認めてもらうまでに速く走れるようになるんだ。舐めて掛かってもらっちゃ困るぜ」
「『やればできる』は劇薬だ」越貝が言う。「生前、ノムさんも言っていた。この言葉に甘えるなよ、白詰」
「それじゃあなっ!」
酉饗と越貝は俺を軽々と追い抜いていった。すると、前を走っていた御簾川が減速し、俺に近づいて来た。
「全然関係ない話しても、いい?」
「……いいけど……ちょっと待て、息整えるから」
俺は減速し、息を整える。ふぅふぅ。
「……何?」
「昨日推部に行ったでしょ。六陵高校推理探偵部に」
「何でそれを」
「津惟に聞いたの。『昨日の夜白詰と会った』って。推部に行ってたんでしょ?」
御簾川は風になびく髪をかき揚げた。柔らかな髪が風に揺られ色香を醸した。「どこまで聞いたの?」
「どこまでって……何て言えばいいのか。……今度来るときは、覚悟を決めてからだって言われたな」
「じゃあほとんど同じところだね。ねぇ、あの言葉、どう思った?『六陵高校推理探偵部に入れば超能力が手に入る』っていうの」
あんまり御簾川が自然に『超能力』という言葉を発したので、俺は面食らってしまう。
「おい、誰かに聞かれたらどうするんだよ、もう少し声を落とさないと」「それもそうだね」
俺と御簾川は、肩が触れるか触れないかぐらいの瀬戸際の位置まで近寄って並走した。鬼星人やクラスメートの視線を感じる気がするが、気にしたら負けだ。
「……正直に言って全然信じられない。証拠が無いし。宇治川海山とダリアさんっていう生きた証拠がいることにはいるけど、もしかしたら宇治川海山とダリアさんはこっち側の人間じゃなく、パワード側から送り込まれた、それこそ本物の探偵なのかも知れないし」
出来るだけ小声で俺は言う。御簾川は訝しむように眉を寄せた。
「ダリアさんって誰?」
そう言えば、ダリアさんは一昨日、部室にいなかったな。御簾川と宗田さんはまだダリアさんに直接会ってはいないのだ。
俺はかいつまんでダリアさんの事を説明した。
「有田千鶴って言ったら、二年生の学年首席だね」
「え!?」
俺も驚いたが、言った本人の御簾川も相当驚いたようで、眼前に唐突にチャップリンが出てきたような顔をしていた。
部活紹介の時の軽音部を率いた生徒会役員の歹奈良弦もそうだが、ボタンを三つ開けたりしているような人が生徒会役員なだけで驚きだというのに。
「そうかぁ、そんな人まで六陵高校推理探偵部にいたなんて」御簾川は減速し、歩きながら爪をくわえた。
「六陵高校推理探偵部は、やっぱりただの部活じゃない。どうやら、調べてみる必要がありそう」
「こらお前ら、何をくっちゃべってる。口を動かす前に体を動かせ」
鬼星人が木の棒を無気力に振り回しながらいった。
「じゃ、また後で」
そう言って御簾川は加速していった。俺は汗だくで走っている宗田さんと御簾川を見比べ、人間っていうのはつくづく面白いな、と半ば呆れた。
◇◆◇◆
十分休憩をのんびり着替えに費やした男子達は、女子達に茶目っ気を含んだ疎みを受ける。これはどこの学校でも同じなのではないだろうか。
「男子遅すぎだー! それでも漢かー!」
酉饗や御簾川の女子グループが、最後までだらだらと着替えていた煉城や星井、相模をどつく。てて、と言い相模は苦笑した。「酉饗っち、ちょっと痛いぞ」
「白詰くん、ちょっといい? さっきの話の続き」
俺は御簾川に手招きされ、廊下の外へと出た。宗田さんと御簾川が並んで立っていた。
「次にあの部活に行くまでに、あの部の事を調べておきたいよね」
俺は頷く。最強のスレンダー、ダリアさんがいる六陵高校推理探偵部に、俺は興味を抱きはじめていた。一体あのチビ男やダリアさんは何者なのか。本当にあの二人が能力者なのなら、二人の能力は何なのかなど、様々な疑問が湧いて出る。
宗田さんも、こくりと頷いた。森のリスが木の実を食むようだ。
「だよね。それで、まずはあの部の部員について調べようと思うんだけど……六陵超百科の部活紹介ページには、宇治川海山、有田千鶴の他に、相槌憂子っていう人の名前が書いてあるんだけど、栞ちゃんに白詰くん、この人の名前って聞いたこと、ある?」
御簾川は六陵超百科のそのページを開きながら言う。俺達は揃って首を振った。「昨日は見てないな」
「……だよね。じゃあその人についてはまた後で情報を集めるとして、白詰くん、有田千鶴さんは、どんな様子だったの?」
「やたらと目を瞑ってたな。それに、目の前で急に寝た」あの時はスレンダーに気をとられていたけれど、よく考えれば、あの行動はおかしい。それが個性なのかもしれないけど。
「宇治川海山さんは胸を無闇に見てきたよね。あの人達の持ってる超能力に関係があるのかな?」
「それが分かれば、あの人達が本当に超能力者なのかどうかも、証明できるかもな」チビ男は、ただ単に、大きな胸が好きなだけかもしれないが。
「それに、『我が六陵高校推理探偵部に入れば超能力が手にはいる』なんて言ってたけど、どうやって手に入れるのかさっぱり分からないよね」
「超力場は、入れば超能力が手にはいるんだから、もしあの部室自体が超力場なんだったら、入っただけで能力が手にはいるんだし、おかしい……よ」と宗田さんは自信無さげに言った。
「宇治川海山が言うには、入っただけじゃ無理らしいけどな」と俺が付け足す。
「でもあの言い方だと、あの入部申請用紙に名前を書いた後じゃないと超能力は手に入れられないらしかったよね」
「だな」
俺は顎に手を当てる。やっぱり、宇治川海山と有田千鶴、もしくはそのどちらかが、パワード側からの送り者なのではないだろうか。その場合真の目的は分からないけれど、パワースポットに俺達を連れていき、俺達を超能力者にさせる。自分たちの持つ莫大な金を使って。
だとするとこれも、パワード達のエンターテイメントの一環かもしれない。
「あの……そろそろ行くね」
宗田さんはそう言ってそそくさとその場を後にした。御簾川が着けている腕時計を覗き見る。授業開始一分前だ。
「……何だかんだ言って、栞ちゃんも謎だよね」
御簾川は宗田さんの後ろ姿を見送りながら、ぽつりとそう言った。
「体育とかの実習系の授業以外の、所謂机の授業の時は、個別授業だよね」
その通りだ。
宗田さんは、最初の自己紹介の時言っていた通り、俺達と共に学問系の授業を受けることは無かった。
未だに宗田さんは、その理由を話そうとしない。友達の来集にさえ言わないのだ。
そう言えば、とそこで俺は全く関係ないことを思い出した。今週の日曜日、俺は来集にらぁめんよつばに来てくれるよう言った。あの約束をしたのは二日前の火曜日だ。
六陵高校に入ってからというもの、時間の流れがひどくゆったりしたものになっている。
毎日が充実してしょうがないのだ。いい意味でも。
「……そうだ、御簾川。昨日の体育の時、俺を庇ってくれたんだろ?ありがとうな」
俺は忘れない内にお礼を言った。それ以前に、本当は昨日のあの後すぐ礼をしておくべきだったんだけれども。
「いいよ、そんなの。私は私の中の筋を通しただけ」
その台詞を聞いて、成程そうかと思った。
御簾川は、茲竹さんに少し似ているのかもしれない。どちらも、与えられた仕事への真剣さは、惚れ惚れするほどだ。
ただひとつ違いがあるとすれば、茲竹さんの目標がお金を貯めることだったことだ。御簾川がどういう目的であんなことをしたのかは知らないが。
「胴上げをされたのは初めてだったんだよ?あれは結構、ビックリした」
本当に胴上げされていたのか。
「悪くなかったよ」
御簾川は気恥ずかしそうに笑った。
評価·感想待ってます!




