第二十一話 「茲竹桃娘」
家に帰った俺を待っていたのは、突然の悲報だった。
「茲竹さんが、辞めた」
俺は居間で、母さんの言葉をオウム返しに呟く。店の時間が終わった後、母さんに大事な話があると言って告げられた内容だった。
「何で。……なんでなんだ? 急すぎる」
俺が問い正しても、母さんは黙ったままだ。
「元々雇う予定だったんだろ? それが何で今更――」
「母さんのせいだと思う」
母さんはそう言ってうつむいた。どういうことだよ、と俺は問う。
「母さんが余計な事言ったから」
「何て言ったんだよ? わざわざバイトまで辞めなくちゃいけないような事って何なんだ? ……俺と母さんの二人だけじゃ、この店は回していけないのに、そんなこと茲竹さんだって分かってたはずなのに!」
俺は喚いた。目の前にいる母さんに対してではなく、無責任にバイトを辞めた茲竹さんに向かってだ。
「今日は元々、休みのシフトだったでしょ」
そう言って母さんは、事の次第をぽつりぽつりと話し始めた。
◇◆◇◆
昼のニ時頃、茲竹桃娘は店へとやって来た。どうやら、昨日のバイトの時に忘れ物をしていたみたいだった。忘れ物は、彼女がいつも大事に首に掛けていたロケットペンダントだった。
「そう言えば息子さん、どこの高校に入学されたんですか?」
茲竹桃娘は厨房に落ちていたロケットを拾い上げて首に掛け直し、何気なくそう訊いた。茲竹桃娘にとってそれは、一種の社交辞令だったのだろう。そこで白詰朱実は、ごく自然に息子の高校を教えた。すると茲竹桃娘の顔が見る見るうちに青くなっていった。
「わ、私…おいとまします」
茲竹桃娘は素早く厨房を出て行き、レジの机に何かを書いていたかと思うと、身を翻して店から出ていった。不思議に思った白詰朱実は、レジの机の上にあるメモ帳に、乱暴に書かれていた文字を読んで息を呑んだ。
◇◆◇◆
「これがそのメモ」
そう言って母さんは一枚のメモを取り出した。そこには、取り乱した乱暴な文字で、こう書かれていた。
「辞めさせて頂きます。 茲竹桃娘」
「どういうことだよ……これ」
俺はそう言ってメモを手に取る。口ではそう言ったものの、茲竹さんがこんな行動に出た理由は、明白だった。
俺が六陵高校生、すなわち罪人であるとわかったからだ。
「……」
罪人は世間から邪魔者扱いされ、超能力者からも非能力者からも差別される。そんなことはもう分かっていたはずなのに。
俺はメモをぐしゃぐしゃ、と握り潰した。それでも俺がそのメモを破り捨てたりしなかったのは、俺がお人好しだからなのか、それとも臆病なだけなのか。
いや、お世辞にも今の俺は、お人好しだとは言えなかった。
これを破り捨てたりしたら、茲竹さんが何をしに戻ってくるか分からない。罪人の家族を差別しない理由なんて、どこにも無い。罪人は、いつどこで殺されそうになっても、道行く人からは白い目で見られるだけだ。俺達がいるのは、そう言う世界だ。
俺の中にあったのは、ただひたすらに、家庭崩壊への恐怖だけだった。
◇◆◇◆
八年前。
父さんが飛び降り自殺をしてしばらく経った頃、家に借金取りがやって来た。毎日のようにマンションにやって来るその借金取り達は、お前の夫の借金はお前のもんだ、なんて訳の分からない理論武装をして、扉を蹴り続けた。
「全部お前らが悪いんだよ!」
若い金髪耳ピアスの借金取りがそう言って扉を一蹴りした。母さんは部屋の隅で縮こまり、ガタガタと肩を震わせていた。
思えば、俺のよく分からないお人好しは、その頃からだったのかも知れない。2042年のその年に、弱冠八歳であった俺は、無謀にも、包丁を手に単身借金取り達の前へと飛び出した。
「おいおい、何しに来た坊主。お前じゃ一銭にもならねぇよ」
「こやつ包丁を持っておるが」とスーツ姿の老年男性が言う。ひどくこの場所には不釣り合いで、ただの観客のような雰囲気を纏っている。
「おいチビ、んなムスんなって」と金髪耳ピアスの借金取りが言った。そいつは俺の髪を鷲掴んで、俺を自分達の目線の位置まで持ち上げた。俺は包丁を振り回すが、かすりもしない。周りの二人が、それを見てさも可笑しそうに笑った。
「人を殺した事もねぇチビが、包丁なんて持つんじゃねぇよっ!」
金髪耳ピアスは俺をマンションの廊下へと叩きつけた。それとほぼ同時に俺は脇腹を蹴られ、血の塊を吐き出す。
「自殺願望かよ? 包丁なんて持ってよぉ!?……まぁいいや、今すぐ死ね、お前」
金髪ピアスは無表情で俺を蹴りつけた。他の二人も俺を蹴る。
高い音の鳴る革靴が、八歳の俺を瀕死に追い込むのに、そう時間はかからなかった。薄れゆく意識の中で、鮮明に思い出せるのは、そのときの金髪ピアスの、心から楽しそうな顔だ。
◇◆◇◆
俺は辺りを見回した。俺の右側にある窓から光が射しこみ、その壁際の机の椅子に母さんが座って、俺に聴心器を当てる医師を見ている。俺は柵の無い黒く変色したベッドで黄ばんだシーツを纏い寝ていた。ベッドの左の引き出しの上にある空のバスケット。壁についたいくつかのスイッチ。眼前の他のベッドを覆い隠す埃の付いた白いカーテン。そして極めつけは、この場所特有の消毒液の臭い。
俺は病院の一室で検査を受けていた。
「非常に危ない所でしたね」
担当の医師が聴心器を外しながらそう言う。
「白詰くんの体力が足りていなければ、手術は成功しなかったでしょう」
「ありがとうございました、先生」
母さんがそう言ってお辞儀をした。医師は顔を上げるよう促す。
ですけどね白詰さん、と医師は言う。
「このままでは、二人とも無事では済みませんよ。医師として言わせて頂きますが、早くあのマンションを去ったほうがいいでしょう」
「でも、あそこを去っても、あの人達はきっとどこまででも追ってきます。私達が逃げ切れるはずがありません!」
そんなことはないですよ、と医師は母さんをなだめる。
「ああいう手合いは、よくうちの病院にも運ばれて来ますが、どうやらああいう人達は、お金を巻き上げることよりも、相手を痛めつけることに悦しみを感じているらしいのです。一人がいなくなれば、他の人を探し金を貸していたぶる。それだけで給料が支払われるらしいのです。パワード達のエンターテイメントのような物なんですよ。借金を取りに来る際、時折、一名だけ堅い服装をした人がいるでしょう。あれは見学に来たパワードなのです」
医師は苦虫を噛みつぶしたような顔を見せた。
「だけど私達が逃げれば、他の人達が犠牲にならなければいけないんでしょう!?」
白詰さん、と医師は母さんをまるで赤ちゃんをいなすかのように言った。
「貪欲にならなければいけません」
「貪欲に?」母さんは問う。俺もベッドから頭をもたげた。
「私達ディスパワードは、貪欲にならなければいけません。パワードがそうであるように。他人の幸福よりもただひたすらに、自分の幸福を求めなくてはいけないのです」
その言葉はおよそ医師が発すべき言葉ではないように思えたし、俺の信条であるお人好し精神ともまるで異なっていた。
だけど結局の所、この世界で生きて行くためにはそうするしか無いのだろうか。
他人の幸福を捨て、自分の幸福を求める。
それが現実なのだろうか。
結局それから俺達は、長い間父さんと共に住んだ、吉舎布二丁目のマンションを後にした。
そしてそれから、俺達の家の扉が蹴られることは無くなり、母さんが部屋の隅で震えることも無くなった。
◇◆◇◆
それから俺と母さんは、ここでらぁめん屋を開き、俺と母さんと茲竹さん、三人でずっと頑張ってきたっていうのに。
「こんな所で裏切るのかよ…ッ!」
くそ、と俺は俺をなじる。これは絶対に、俺が引き起こした惨劇だ。あの最後の受験の日に、俺はなんとしてでも受験を成功させ、六陵高校に入学することがないようにしなければならなかったのだ。
例え、女子中学生が目の前で死のうとしていても。
ここは元々、そういう世界なのだ。
「朔、大丈夫?」
母さんが心配そうに言った。大丈夫な訳が無いだろ、と俺は怒鳴る。一体誰に文句を言えばいいんだ。
「朔のせいじゃないからね?母さんが口を滑らせたのがいけなかったの」
「分かってるよ、母さん」俺は頭を抱える。「これは、俺のせいでも母さんのせいでも、ましてや茲竹さんが悪い訳でもない」
俺は長く息を吐いた。
俺は畳に拳を突き立てた。どすん、という低く鈍い音が居間に響く。
全ては超能力のせいなんだ。憎むべきは超能力を生み出した、この世界だ。
俺は歯を軋ませた。
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