第84話:カルチャーショック
軍隊蜂に見守られながら、無事に拠点にたどり着くと、すぐにニャン吉が飛び出してくる。
「ニャー! ニャッ!?」
出迎えようとしてくれたみたいだが、フィアナさんとロベルトさんに驚いて、すぐに逃げ出してしまった。
相変わらず、臆病な性格ではあるものの、自分の意思で出てきてくれたことが嬉しい。
あの様子を見る限り、もう後ろ脚の怪我は心配いらない様子だった。
後は軍隊蜂の機嫌を損ねないように、花に配慮することを意識させれば、ニャン吉も普通に生活することができるだろう。
軍隊蜂に囲まれていた時はどうなることかと思ったが、無事に問題が解決しそうで何よりだと思った。
「今のは魔物だったんでしょうか」
「はて? 一瞬のことでわかりませんでしたが、猫のように見えましたな」
あまりにも唐突なことだったので、フィアナさんとロベルトさんは首を傾げているが。
「きゅーっ! きゅ?」
一方、時間差で出迎えてくれたウサ太は、人見知りするような性格ではない。
誰? と言いたげな表情を浮かべて、二人のことを興味深そうに眺めている。
そういえば、フィアナさんとロベルトさんには、まだウサ太がいることを伝えていなかったな。
敵だと勘違いされたら困るので、先にウサ太を紹介しておこう。
「こいつはうちで飼っているウサ太です。ある程度の言葉は理解しているので、仲良くしてやってください」
「きゅっ! きゅーっ!」
おう! よろしくなっ! と言わんばかりに、ウサ太は片方の前脚を挙げて、堂々とした態度を取っていた。
それを見たフィアナさんとロベルトさんは、二人で顔を合わせている。
「人間の言葉を理解するほど知能の高い魔物、ですか。それはとてもすごいことですね」
「きゅ~」
「おやおや、フィアナお嬢様の言葉で照れているみたいですよ。本当にすごい魔物なのではないでしょうか」
「きゅ~」
「今度はロベルトの言葉に照れたみたいです。これだけ反応してもらえると、ちょっと親近感が湧いてきますね」
早くもウサ太の愛らしさのおかげで、魔物のいる生活が順調に定着しようする中、俺は裏庭の方から多くの視線を感じたので、ゆっくりと確認する。
そこには、トレントの爺さんからリンゴを採取するアーリィとクレアの姿があった。
「トオルがお客さんを連れてきたみたいだよ」
「そうね。師匠以外の人が来るなんて、珍しいこともあるのね」
「……」
そうだね、と言わんばかりに、トレントの爺さんが葉をガサッと揺らす。
その音でフィアナさんとロベルトさんも気づいたのか、衝撃的な光景を目の当たりにしたように、二人は見事に固まってしまった。
この世界の常識を考えると、思わず二人が息を止めてしまうのも、無理はない。
トレントが果実を採取させてくれるなんて、世にも奇妙な光景であり、絶対に考えられないことなのである。
なんといっても、冒険者ギルドでフィアナさんはこう言っていたのだ。
『トレントは特殊な花粉で幻覚を見せて、獲物を捕食する魔物です』
おまけに『サイレントキラー』と呼ばれていることも口にしていたのだから、とんでもないほどギャップのある光景である。
まさにこれが、カルチャーショックと言えよう。
「……」
「……」
その衝撃の凄まじさは、言葉を発することができない二人の姿がよく物語っていた。
今後も二人の想像できないことが起こりそうなので、この山に住む先輩として、アーリィとクレアにも手助けしてもらうとしよう。
まずは自己紹介をするため、俺はアーリィとクレアを手招きした。
「屋敷で簡単にお伝えしましたが、改めまして……。拠点の手伝いをしてもらっている冒険者のアーリィと、見習い魔法使いのクレアです」
「Cランク冒険者のアーリィよ。こんな場所で紹介されるのも、変な感じだけどね」
「私はクレア。魔法の特訓中だよっ」
二人が挨拶した後、今度はフィアナさんとロベルトさんを紹介する。
「こちらはフィアナ・ルクレリア公爵令嬢と、ロベルト・ミュラー男爵だ。このあたりのことを詳しく調査するために、しばらく行動を共にする予定だ」
「あっ、はい。ご紹介いただきました、フィアナ・ルクレリアです。短い期間になると思いますが、よろしくお願いします」
「同じくロベルト・ミュラーと申します。私はフィアナお嬢様の付き添いみたいなものですので、お気になさらず」
キョトンッとした姿から一転して、スカートをつまんだフィアナさんは、貴族令嬢らしく優雅な礼をした。
一方、ルクレリア家を立てるためか、ロベルトさんは控え目な挨拶に留めている。
その姿を見たアーリィたちは、意表を突かれたみたいで、ポカンッとしてしまった。
「ああ、貴族の方なのね。どうりで綺麗な服を着ていると思ったわ。……えっ?」
「んんっ?」
「きゅっ?」
疑問が遅れてやってきた二人と一匹の魔物である。
いや、ウサ太は真似しているだけか。
こちらも普通に過ごしていたら、接点を持つことがない相手だけに、驚くのも無理はなかった。
「ねえ、トオル。どういうことなの? 普通は貴族と一緒に帰ってくることなんて、考えられないことよ。しかも、ここは小さくても山。おまけに軍隊蜂までいるわ」
「俺もそう思うが、軍隊蜂のことや盗賊たちのことを相談したら、ルクレリア家と協力することになったんだ。だから、アーリィもうまく付き合ってくれ」
「そんなことを言われても、私とクレアは貴族と関わった経験がないのよ。急に言われても困るわ。それにね、貴族に失礼な行為をしたら、大変なことに……ちょっと待って。すでに失礼な態度を取ってるんじゃ――」
「まあまあ、いったん落ち着いてくれ。そのあたりは理解のある方たちだ。ほらっ、クレアを見ればわかるぞ」
アーリィが取り乱す中、クレアは何かに気づいたみたいで、フィアナさんの元に近づいていった。
「あっ、冒険者ギルドにいたお姉さんだー」
「まあっ! 覚えていてくれたんですね」
「うんっ。トオルが持ち込んだリンゴの値段が高くて、一緒にビックリしたもんねー」
「そうでしたね。トレントの果実があれほど納品されると思っていなくて、驚いてしまいました」
意外に問題がないとわかった瞬間である。
子供ということもあってか、早くもクレアはフィアナさんと打ち解けていた。
そんな二人に押し出されるようにして、ロベルトさんが近づいてくる。
「アーリィさんでしたね」
「は、はいっ!」
「私はもともと平民でしたから、あなたのお気持ちはよくわかります。今回は周囲に目がありませんので、身分など関係なく、気軽に接してください」
「えっ、あっ、はいっ。頑張ります」
……頑張らなくてもいいという話だったのでは? と思っていると、ロベルトさんの背後にいる軍隊蜂が警戒を強めた。
きっとアーリィの様子が変なことに気づいて、ロベルトさんが何かしたと勘違いしたんだろう。
羽音を強く鳴らすことはないものの、ジト目を向けられていた。
そのことに気づいたアーリィは、恐る恐る様子をうかがっている。
「あ、あの~……」
「おや、どうされましたかな?」
「なんだか、軍隊蜂に嫌われてません?」
「老いぼれの魅力を感じた彼らが嫉妬しているだけですよ。ハッハッハ」
ブーンッ ブーンッ ブーンッ
そんなことはないと否定されるかのように、再びロベルトさんは強く警戒されてしまう。
これには、さすがに動じない性格のロベルトさんも、白旗をあげるしかなかった。
「アーリィさんは、どうやって軍隊蜂と仲良くなりましたかな? 先ほどからずっとこの調子でして……」
騎士団を率いた経験はあっても、魔物とはうまくやれそうにないロベルトさんなのであった。




