第111話:緑のローブ
アーリィとクレアに収穫を任せて、イリスさんを拠点の中に招いた俺は、彼女の話に耳を傾けていた。
「軍隊蜂の縄張りを見回ってきたけれど、異常は見られなかったわ。サウスタン帝国側に取り残されていた軍隊蜂とも合流を果たして、今ではすっかり元通りね」
「はあ~、それはよかったです」
イリスさんの報告を聞いて、俺は安堵のため息がこぼれる。
国境付近に花を咲かせるため、軍隊蜂に種植え作業を頑張ってもらっていたのだが、どうやらうまくいったみたいだ。
これで本当にもう、軍隊蜂の縄張りは正常化されたことだろう。
「軍隊蜂の生活が守られて何よりですが……このあたりにも影響が出始めているんですよね。最近、花を世話する軍隊蜂がかなり増えたんですよ」
今までアーリィとクレアに花の栽培を手伝ってもらい、拠点周辺の管理に力を注いできた。
しかし、最近は至るところに軍隊蜂が飛び回っているので、花の栽培を手伝う必要がなくなってきている。
その分、クレアは魔法の練習に時間を費やしたり、アーリィはバラ園に力を注いだりしていた。
「もともと軍隊蜂は、他者の力を借りて花を栽培することはないの。トオルさんたちの力を借りていたのは、イレギュラーなことに対処しようとした結果なのかもしれないわね」
異世界に初めて訪れた時、花の栽培を手伝うことで、俺は軍隊蜂と親睦を深めることができた。
あの頃、軍隊蜂がかなりピリピリしていたことを考えると――。
「軍隊蜂も幸せな時間が取り戻せて、何よりですね」
同じ山に住む仲間として、嬉しい気持ちで胸がいっぱいだった。
「私が調査した限りだと、しばらく大きな問題は起こりそうにないわ。軍隊蜂を分断させる行為は、かなりの歳月を重ねて、秘密裏に行なわれていた可能性が高いの。現実的に考えて、もう一度同じ行動は取れないはずよ」
「それならよかったです。でも、軍隊蜂の縄張りを抜けられる謎のローブがありましたよね」
「私もそのことが気になっていたのだけれど……。未使用品を見つけたから、一ついただいてきたわ」
そう言ったイリスさんは、自身の荷物袋から緑色のローブを取り出した。
ゴードン伯爵が着用していたローブと、まったく同じものである。
あの時はゴードン伯爵が魔物と化して、よくわからなかったが――。
「ほのかにミントの香りがしますね」
清涼感のある香りが鼻をくすぐった。
「緑色のローブを着用して、草木が揺れているように錯覚させていたみたいよ。そこにミントの香りを合わせることで、人間のニオイがかき消されて、軍隊蜂に認識されなくなったんだと思うわ」
おそらく花の香りを好む軍隊蜂は、葉から強い香りを発するミントに興味がないんだろう。
俺もミントを含めたハーブの葉をいくつも採取しているが、彼らは気にした様子を見せなかった。
「ローブの話を聞くと、サウスタン帝国が魔物の研究をしていたと裏付けることになりますね」
「ええ。怪しい研究もしていたみたいだから、今後はもっと詳しい情報を集めるつもりよ」
ゴードン伯爵の使っていた『魔血薬』のことを思い出せば、イリスさんが言いたいことは想像が付く。
女神様として、禁忌の領域に踏み込んでいる研究を止めなけれならないと考えているに違いない。
さすがにそんな大きな出来事に首を突っ込むことはできないが……と思っていると、アーリィとクレアが皿を持ってやってくる。
その上には、綺麗に切られたいくつものリンゴが置かれていた。
「はい、師匠。採れたばかりのリンゴよ」
「ありがとう、アーリィちゃん」
「皮はね、私が剥いたんだよっ」
「そうなの!? クレアちゃんは偉いわね~」
アーリィとクレアを前にすると、先ほどまでの真面目な雰囲気から一転して、イリスさんはただの過保護なお姉さんになってしまう。
「どれもおいしそうね」
「うんっ。でもね、おすすめはこれだよ。一番蜜が多いの」
「じゃあ、それをもらっちゃおうかなー」
デレデレしているお姉さんの間違いかもしれない。
本人たちが楽しそうなので、余計な口を挟むつもりはないが。
そんな二人の間に入るつもりはないのか、難しい顔をしたアーリィは、俺の方に近づいてくる。
「師匠との難しい話は終わったの?」
「確認しておきたかったところは聞き終えた感じだな。アーリィも聞かなくてよかったのか? 軍隊蜂の縄張り調査依頼に参加して、気になることがあっただろう?」
「もう忘れたわ。この世の中にはね、覚えておかない方がいいこともあるの。情報次第では、命を狙われる危険だってあるんだから、用心するべきよ」
「それはそうだが……。この場所で俺とイリスさんが話す分には、絶対に外部に漏れないと思うぞ」
「油断大敵よ。リーフレリア王国の領土内に、軍隊蜂を利用したサウスタン帝国が侵攻をしていた話なんて、ぜっっったいに聞かない方がいいもの」
国境付近で何が起きていたのか、しっかり記憶しているようで何よりだ。
彼女が街中で口を滑らせないことを祈るばかりである。




