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絶対に被害者面で私を冷遇したい婚約者とその本命 VS 絶対に被害者面で制す私 ファイッ  作者: 星 羽芽


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07




 そんな日常が続く、ある日のことだった。


「……今日はご機嫌だね?」

「えぇ、昨日両親からいい話を聞いてね」


 私が笑って答えると、リュカは「よかったね」と穏やかに微笑んだ。

 その何気ないやり取りが心を安らげる。胸の奥に小さな燈火が灯るような、そんな感覚だった。


 そしてその日の昼休み、私を訪ねてクラスの教室の扉を叩いたのは、思いもよらぬ人物だった。

 ジュリアンでもマリーベルでもリュカでもない。立っていたのは、最高学年に籍を置き、生徒会長も務める第三王子殿下、その側近を務める先輩だった。


 平素は滅多に下級生の教室に足を踏み入れることはない。誰もが息を呑み、呼ばれるのが誰かと固唾を呑んでいた。


「──セリーヌ嬢。ご同行を」


 名指しされた瞬間、空気がひときわ揺れる。驚きと困惑が入り混じった視線が一斉に突き刺さり、背筋に熱を帯びた。

 私はすっと立ち上がり、礼をしてから静かに彼の後に続く。


 連れて行かれたのは学内の食堂、二階席。

 そこは王族と準王族、そして彼らが許可した者しか足を踏み入れられない特別席だ。


 生徒会室は書類の管理の関係上、生徒会役員以外の入室は禁じられている。だからこの二階席に呼び出されたのだろうが、ここは人目につく。

 ……私にとっては好都合だが。


 側近に先導されて階段を上がる私の姿に、食堂に集まった生徒たちの視線が釘付けになる。囁き声が波のように広がり、好奇と疑念とが入り交じった熱を帯びて押し寄せてきた。

 あの場に立つのが羨ましいと憧れる者もいれば、何故あの子が、と訝しむ者もいるだろう。


 私が二階のフロアに足を踏み入れた直後、別の側近に先導されやってきたのは、ジュリアンとマリーベル。

 王族からの招待とあって浮き立った笑みを浮かべていたが──私の姿を認めた瞬間、二人の表情がぴたりと止まった。微笑みに滲む喜色が消え、ほんの一瞬、眉が寄せられる。

 ──なぜ、彼女がここにいるのか。

 そんな疑念が、痛いほどはっきりと顔に浮かんでいた。


 私は、にこりと笑った。

 その笑みの下で、胸の奥に冷たい愉悦が静かに広がっていく。


 二階席の空気が、ふいに張り詰めた。

 入口に控えていた従者が恭しく告げる。


「──殿下、ご到着です」


 磨き上げられた革靴の足音が、静かな空間に規則正しく響いた。

 現れたのは第三王子殿下。長身をまっすぐに伸ばし、王族の特徴である青銀の髪が陽光を受けて輝いている。


 私もジュリアンもマリーベルも、同席していた側近と揃って立ち上がり、深く礼を執る。椅子の軋む音すら咎められそうな緊張感の中、王子殿下はゆるやかに歩み寄り、席に着いた。


 最初に口を開いたのは殿下だった。


「──近頃、学園内で妙な噂が囁かれていると聞いた。ヴァルトハイム公爵子息とその従妹殿が、婚約者を不当に虐げているのではないか、と」


 その言葉を聞いた途端、ジュリアンとマリーベルの顔色が変わる。血の気が引き、言葉を探すように唇がわなないた。


「殿下、それは誤解で──」

「ほんの行き違いにございます! 決してそのようなことは」


 必死に取り繕おうとする声。しかしすぐさま、殿下の側近が一歩踏み出し、冷ややかに言い放った。


「許可されてもいないまま口を開くな。殿下の御前だ」


 短い言葉に圧がこもり、二人は凍りつくように口を閉ざした。マリーベルの肩が小さく震え、ジュリアンは苦々しげに唇を噛む。

 私は静かに俯き、目線を落とした。


 殿下は静かに視線を巡らせた。厳しいが、公平を欠く色はない。


 ──第三王子殿下は責任感のある、正義感の強い御仁だ。


 ただ正義を振りかざすだけの未熟な若者ではない。

 将来国王の座につく兄の為、玉座からは目が届かない場所を見渡す目となるべく、己の立場を弁え、周囲に目を配り、力を正しく使おうとする人物だ。

 だからこそ、こうして噂が耳に入れば、真偽を確かめずに放置することはなさらないだろうと踏んでいた。


 念には念を入れて、生徒会室前の意見箱に筆跡を変えて一筆投じておいたし。


 その小さな種火は、殿下の耳に届き、今こうして事態を動かしている。

 思ったよりも早くに動き出した殿下の正義は、私の計算にどれほど寄り添ってくれるだろうか。


 殿下は組んだ指を卓上に置き、穏やかに続けた。


「我が学園は王国の未来を担う者を育てる場だ。貴族同士の私的な軋轢が、学び舎の秩序を乱すことは許されない。よって、事実を明らかにする必要がある」


 ジュリアンとマリーベルは固く身を強張らせ、必死に笑顔を貼り付けようとするが、その余裕は完全に失われていた。


 ジュリアンは一度深く頭を垂れ、発言の許可を求める。王子が頷くと、彼は整えた笑みを浮かべて口を開いた。


「セリーヌ嬢とは、確かに些細な行き違いがございました。外から見れば、あまり良好な関係には見えなかったかもしれません。しかし……私は彼女を大切に思っております。これはあくまで婚約者同士の問題。この先二人で、時間をかけて関係を築いていくもの……。殿下がお気になさるようなことではないと存じます」


 選んだ言葉は丁寧で、表情も誠意を装っていた。だが、張り詰めた声の端々には焦燥がにじむ。


 確かに、彼の言い分は一理ある。貴族同士の婚姻や関係性に王族が強権を振るって介入することは、歓迎されぬどころか反発を招く恐れがある。私的な婚姻は、基本的に家同士が決め、外部が干渉するものではない。


 しかし。

 王子殿下は、視線ひとつ動かさず、静かに告げた。


「その理屈は理解できる。だが、この件は複数の生徒から陳情が上がっている。学園の風紀に関わる問題だ」


 短くも重い言葉が、場を一層重苦しいものにする。ジュリアンの額に汗が滲み、マリーベルは必死に視線を泳がせた。

 殿下は続ける。


「更に──この国の貴族は我が臣下であり、臣民だ。全ては王家の庇護下にあり、王国法によって等しく護られている。不当な扱いを受ける者があれば、裁定を下さねばなるまい」


 低く通る声が、食堂に響いた。

 王子殿下の視線は冷徹ですらあったが、それは決して激情ではない。理と義の双方を踏まえた、正統な王家の立場からの言葉だった。彼の言葉は「干渉」ではなく「保護」として響く。


 ジュリアンは口を噤むしかなかった。彼の論は「私的な婚約」で押し切る狭い範囲の理屈にすぎない。だが殿下は、その上位にある「公的な秩序」と「王家の庇護」を掲げた。比べるまでもなく、その重さは歴然だった。


 私は俯きながらも、心の中で小さく口角を上げる。


 殿下が軽く指を動かすと、傍らに控えていた側近が即座に反応し、一通の書類を恭しく差し出した。

 殿下はそれを受け取り軽く一瞥してから、ひらりとこちらへ向けて掲げる。


「ヴァルトハイム公爵とフロルベルク子爵の間で交わされた、婚姻に関する契約書だ」

「──っ」


 ジュリアンの喉から、掠れた声が漏れる。


 本来、婚約や婚姻の契約書とは、あくまで両家の間で取り交わされる密約に近いものだ。血統や財産、権益が交錯するからこそ、外に出ることはほぼ無い。にもかかわらず、王子殿下はそれを手にしている。


 ……昨日。私が学園にいる間、王家の使者が我が家を訪ねてきたと父から聞いた。


 殿下は紙面を指で軽く叩きながら、条文の一部をなぞり読むように声を落とす。


「随分と勾配のある内容だな。利益の面で言えば、確かに子爵家が経済的支援を受けてはいる。しかし、それを踏まえてもあまりに一方的で、従属的だ」


 淡々とした口調が、かえって冷たく響く。


 我が家が公爵家に借金でもあったのであれば、その形に私の身柄を預けることは認められるだろう。だが、両家の間にそんなものはなかった。

 今は公爵家からの支援を受けているが、それは婚約によって新たに結ばれた契約だ。しかも、公爵家から持ちかけられた条件だそうだ。父から願ったわけではない。

 だが、その条件を理由にし、公爵家が私を縛り付けている。


 もはや対等な契約とは呼べず、従属を強制する鎖そのものだった。


 その指摘に、ジュリアンはすぐさま口を開く。声はわずかに裏返っていた。


「あ、あくまで関係が解消された場合にのみ執行される条件です。婚姻が正式に結ばれれば、問題になることは決してなく……」


 必死の弁明。しかし、殿下の眼差しは揺るがない。


「その『解消』を許さぬよう、徹底して縛りをかけているからこそ、問題なのだろう」


 低く静かな一言が落ちると、食堂にいた者たちは息を呑んだ。

 誓約書の条文には、婚約を解消する際、子爵家が多大な賠償を負う旨が記されている。明らかにこちらの財政を加味した上で、払えないと判断する額だ。

 どうにか解消しようと無理をすれば、子爵家は早晩没落することになる。


 殿下は視線を巡らせ、静かに言い放つ。


「婚姻は家門を結ぶ契約であり、軽々に解消を認めないのは理解できる。……だが、だからといって一方だけに過剰な責務を負わせる理由にはならぬ」


 殿下の視線が、再び書面へと落ちる。指先で条文の一部を軽く叩きながら、淡々と告げた。


「この条文には──公爵家側に対する罰則が記されていない。つまり、公爵家が一方的に解消を申し出た場合、責を問われぬということだ」


 つまり公爵家側からなら、いつでも、いかなる理由でも解消が可能──そう読み取れる内容だった。

 この婚約は、表向きは相互利益の為の約定でありながら、実質的には子爵家が公爵家に従属を誓う一方的な誓約に等しい。


 ジュリアンの顔が見る見るうちに青ざめていく。彼は必死に口を開こうとするが、喉がうまく動かないのか、かすれた声しか出てこない。

 マリーベルでさえ、さすがに動揺を隠し切れず、きゅっと唇を噛みしめて俯いた。


 殿下は構わず続ける。


「このような契約は、王国法に照らして妥当とは言えまい。少なくとも、王家はこの誓約書を以て、公平な婚約と認めることはできない」


 その言葉は、ただの事実認定でありながら、宣告にも等しかった。

 王子が"不当"と断じれば、それだけで世論は揺らぐ。公爵家の権勢すら、容易に揺さぶられる。


 私は、そっと息を吸った。

 これで──彼らの築き上げた歪な関係に、王家の光が当たる。逃げ場は、もうない。




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