後半 50
翔は、公開された情報の中に、成瀬勉という、学の父親の名前を見つけて、どうするべきだろうかと頭を働かせた。
そうしていると、美優が口を開いた。
「翔、何かあったの?」
「ああ、その……」
ただ、ドクターがいるところで、緋山春来として過ごしていた時の話をするわけにもいかず、翔は困ってしまった。
そうしていると、ドクターは軽く笑った。
「私は、冴木さんの様子を見てくるよ」
何か察したのか、ドクターは気を使うように、その場を離れた。
それから、翔は少しだけ間を空けた後、話し始めた。
「俺が緋山春来として過ごしていた時の同級生、成瀬学の父親、成瀬勉の名前があるんだ。成瀬勉は、インフィニットカンパニーの幹部で、麻薬の売買などをしているそうだ」
そう言うと、美優は複雑な表情を見せた後、何か決心した様子で、口を開いた。
「実は、翔に言っていなかったことがあって……昨日、翔がいない時、ここに来た人と話をして、その中には学君もいたの」
「どういうことだ?」
「誰にも会わないって言ったのに、ごめんね。その時に会ったのは……あなたが、緋山春来として過ごしていた時の同級生達なの」
それから、美優は、昨夜あったことを話した。
その内容は、隆、朋枝、学、奈々、結莉の五人が、TODのことを知ったうえで、絵里や浜中と一緒に行動しているといったものだった。
「内緒にしていてごめんね。これを話したら、翔が私の前から消えてしまう気がして……」
「謝らなくていい。それに、改めて言うが、俺は緋山春来として生きることになったとしても、美優のそばにいる」
「うん、そうだよね」
そうして、嬉しそうに笑う美優を前に、翔は絶対に美優を守ろうと、改めて心を決めた。
「ただ、隆達までTODにかかわっているというのは……結局、巻き込んでしまっているんだな」
「隆君達は、考太と同じなんだと思う。それだけ、みんなにとって、緋山春来という存在が、特別なものなんだよ」
「……そうなのかもしれないな」
緋山春来として過ごしていた時、周りから何を言われても、自分が特別だと思うことはなかった。ただ、自分がそう思わないだけで、周りは自分のことを特別だと思っている。そう認識したうえで、周りに合わせるといった形で、自分のことを普通だと主張することはしなくなった。
ただ、本心としては、周りが勘違いしているだけだろうと思っていた。そして、自分がいなくなったところで、何も変わらないとも思っていた。
しかし、緋山春来が死んだことになってから一年が経った今も、多くの人に影響を与え続けている。その事実は、自分が特別だと自覚するには十分だった。
そのうえで、翔は学のことを改めて考えた。
「学の父親が、学に薬を渡していたという話も気になる。だから、学の家へ行きたいと思っているが……」
「行こうよ! 私も一緒に行く!」
美優が即答してきて、翔は苦笑した。
「そうすることで、俺が緋山春来だと知られるかもしれないなんて不安があったが、全部消えた。知られたら知られたでいいか」
自分が緋山春来だという情報が、どんなリスクを招くかは、今もわからない。そのため、学のことを心配しつつ、何もしない方がいいだろうと消極的な考えを持っていた。
ただ、美優の言葉を受けて、翔は決心した。
「今から、学の家へ行ってみる。ただ、美優はここに残ってほしい」
「え、何で?」
「美優はここに残って、冴木さんのそばにいてほしい。というのも、ドクターさんを連れていきたいんだ」
「ドクターさんを?」
「さっき、学の父親が学に薬を渡していたと話してくれただろ? こんな状況になって、万が一のこともあるかもしれない。だから、何かあった時、すぐに対応できるよう、ドクターさんを連れていきたいんだ。その間、美優には冴木さんを見ていてほしい」
そう言うと、美優は納得した様子で、頷いた。
「うん、わかった」
「それじゃあ、俺は早速、ドクターさんにお願いする」
そして、翔はドクターに事情を話したうえで、一緒に来てほしいとお願いした。それに対して、ドクターはすぐに承諾してくれた。
「何かあった時、すぐにここへ運べるよう、私の車を使おう。それでいいよね?」
「はい、ドクターさんがそう言うなら、任せます」
「それじゃあ、早速行こうか。美優ちゃん、今日は休みにしているから、誰か来ても無視していいからね。あと、何かあったら、すぐ連絡してね」
「はい、わかりました」
そうして、翔はドクターと一緒に、学の家に向かった。
それから、それなりに時間がかかったものの、翔達は学の家の近くまで来た。そして、道を塞ぐように止められたキャンピングカーを前に、ドクターは車を止めた。
「もしかしたら、絵里ちゃんがいるのかもしれないね」
「ここで車を降りましょう」
「うん、そうだね」
そうして、翔達は車を降りると、キャンピングカーの横を通り抜ける形で、学の家に向かった。そして、学の家を前にしたところで、翔は違和感を持った。
「記者などが殺到して、大騒ぎになっていると思っていましたが、静かですね」
「多分、絵里ちゃんが何かしたんじゃないかな?」
「それに、ドアが開いたままになっていますね。中で何が……」
そんなことを話していると、何か大きな衝撃音のようなものが聞こえてきた。そのため、翔は警棒を取り出すと、勢いよく腕を振って、それを伸ばした。
「ドクターさん、入りましょう」
「うん、お互いに気を付けよう」
そうして、翔達は警戒しつつ、家の中に入った。その際、玄関で靴を脱ぐべきか迷いつつ、靴を履いたままの方が何かあった時にすぐ対応できるだろうと、そのまま中に入った。
すると、また大きな衝撃音が響き、翔は足を速めた。そして、リビングに入ると、一気に集中力を高め、そこで何が起こっているのか、理解するというより、感覚で把握した。
今、最優先で対応するべき相手は、成瀬勉と思われる人物だ。この場の状況から、勉がデーモンメーカーを使っているのは明らかだ。そう認識したうえで、翔は勉に意識を集中させた。
「誰か……学を助けて……」
その時、ドアの近くに倒れていた結莉が、弱弱しい声でそんなことを言った。その様子を見て、翔は結莉の前に立つと、穏やかな表情を結莉に向けた。
「わかったよ。後は僕に任せて、結莉は休んでよ」
「……春来?」
結莉はそう言った後、気を失った様子だった。
「何だおまえは!?」
そう言うと、勉は翔に迫ってきた。それに対して、翔は他の人に危害がないよう、軽く移動した。
そして、翔は冴木から習った合気道の技術を使い、勉の攻撃を受け流した。すると、勉は勢いよくキッチンに突っ込んだ。それにより、キッチンが壊れただけでなく、勉も怪我を負ったように見えた。
しかし、デーモンメーカーによって痛みを感じていないのか、勉はすぐに立ち上がった。
「ドクターさん、そいつの相手は、自分がします。その間に、みんなを安全な場所にやってくれませんか?」
「いや、さすがにそれは難しいよ。それより、筋力を向上させることは、必ずしも強くなるというわけじゃないから、彼をどうにか止めよう。彼はデーモンメーカーを普段から使っているわけじゃないみたいだし、自滅させることは簡単なはずだよ。私は、必要な物を持ってくるから、それまで相手をしていてくれないかな?」
「わかりました。さっきみたいに、攻撃を誘導します」
そう言うと、翔はさらに集中力を高めた。すると、勉だけでなく、誰がどこにいて、何がどこにあるかといった、この空間の情報を完全に認識することができた。それは、悪魔やケラケラを相手にした際などにも持った感覚だが、それがより研ぎ澄まされて、勉の身体の状態がどうなっているのかもわかった。
ドクターの言った通り、勉はデーモンメーカーによって向上した筋力を、上手く扱えていないようだった。また、ただ腕を振るといった行動しか取っていないため、それをよけるのは簡単だった。
そして、勉は乱暴に身体を動かすたびに、自らの身体を傷付けているようだった。それは、何かにぶつかって怪我を負うというだけでなく、筋肉や靭帯、さらには骨にも影響が出ているように感じた。というのも、恐らく骨が折れた音であろう、あまり聞きたくない音が響くこともあったからだ。
これまで、悪魔やケラケラを相手にしてきたからか、相手の攻撃を誘導しつつ、回避や防御に専念するといったことを、翔は徹底することができた。それだけでなく、警棒を相手の目の前に突き出すことで、距離感を狂わせるといったことも意識した。これは、可唯を相手にした時に覚えたことで、それにより、勉の無駄な動きを誘った。
そうして、しばらくの間、勉を相手にした結果、勉はその場に倒れた後、どうにか身体を動かそうと、もがき始めた。ただ、勉が起き上がることはなかった。
「ありがとう。十分だよ」
そう言うと、戻ってきていたドクターが勉に何かを注射した。すると、少しして、勉は動きを止め、そのまま眠ってしまった。
「これで良かったですか? もっと身体を傷付ける前に止めたかったんですが……」
「これで良かったというより、これしかできなかったが正解だよ」
ドクターの言葉に、翔は複雑な思いを持った。
勉は、デーモンメーカーによって筋力を向上させた。ただ、そうして得た筋力の使い方がわかっていなかったため、動けば動くほど、自らの身体を壊していった。
これは、車やバイクでも同じことだ。ある日突然、高性能な車やバイクを渡されたとして、それを乗りこなせる人は極少数で、ほとんどの人は事故を起こすだろう。それは、性能を使いこなす技術がないことが理由だ。
デーモンメーカーによる筋力の向上も同じで、ただ適当に腕を振ったり、相手を掴んだり、掴んだ相手を投げ飛ばしたり、そうしたことだけで相手を圧倒できる力が得られる。勉は、そんな認識を持っていたようだが、それは違った。
そうした攻撃は、隙が大きいだけでなく、身体への負担も大きいものだ。結果、勉は自滅した形だった。
ただ、その事実は、デーモンメーカーを使っても、身体を壊すことなく、その力を利用できている、ケラケラや悪魔の危険性を改めて認識させるものだった。
その間、ドクターは、倒れている人に呼びかけて、反応があるかどうかを確認した。すると、絵里だけがドクターの言葉に反応して、すぐに目を覚ました。
「ドクター?」
「良かった。絵里ちゃんは大したことないみたいだね。動けそうなら、手伝ってくれないかな?」
「何でここにドクターがいるのよ?」
「翔君が、何か起こっているんじゃないかと心配して、それで一緒に来たんだよ。まあ、詳しい説明は後でするよ」
そうしたことをドクターが言うと、絵里がこちらに目を向けて、自然と目が合った。その瞬間、絵里は何か察した様子だった。
「不思議ね。この前会った時は気付かなかったけれど、今、はっきりと気付いてしまったわ」
「あの……」
「まあ、その話も後の方がいいわね。ドクター、何をすればいいのかしら?」
絵里は、翔が緋山春来だと気付いた様子だった。ただ、今はまだ追及する気がないようだったため、翔もそれに合わせて、特に話さなかった。
「無理に動かすのは良くないし、とりあえず応援を呼びつつ、ここで応急措置を済ませるよ。翔君、車から必要な物を持ってくる必要があるから、一緒に来てくれないかな?」
「はい、わかりました」
それから、翔とドクターは足早に車まで戻ると、指示されたものを持って、また学の家へ向かった。
「まず、結莉ちゃんは頭部を強打したようだから、布団を用意して、そこに寝かせてほしい。学君達は、何か薬を過剰に摂取させられたようだから、胃を洗浄するよ」
それから、ドクターは、医師を目指している人をはじめとした、ライトのメンバーに連絡して、何人か来てもらうようにお願いした後、翔と絵里に指示を出していった。そして、翔と絵里はその指示に従う形で、ドクターを手伝った。
ドクターの手際は良く、学、学の母親、結莉という三人を相手にしているにもかかわらず、並行して治療を進めていった。そうしていると、途中でライトやダークのメンバーが数人やってきた。その中には、医師を目指している人もいたため、十分な人手を確保できた。
「翔君、心配かもしれないけど、ここはもう任せて大丈夫だよ。だから、誰かの車かバイクを借りるなどして、先に戻ってよ」
「え?」
ドクターの不意な言葉に、翔は戸惑ってしまった。
「どういうことですか? 自分が戻ったところで、冴木さんに何かあった時、自分だと何もできませんが……」
「違うよ。美優ちゃん、かなり無理しているから、一緒にいてあげてよ。多分、今もずっと不安で……正直言うと、冴木さんより心配だよ」
そう言われて、翔は美優のことを改めて考えた。学の家へ行くと言った時、美優は一緒に行きたいと言った。というより、これまで、美優は何度も翔と一緒にいたいと言ってきた。
ただ、危険だからとか、冴木と一緒にいてほしいとか、そんな理由で、今も美優と一緒にいない。そんな自分を振り返って、翔は自分が何か間違っているのではないかと不安になった。
「翔君が来てくれて、それもドクターも連れてきてくれて、本当に助かったわ。そうしてくれなかったら、今頃、私達は無事じゃなかったでしょうね」
絵里は、穏やかな表情で、そう言った。
「いや、絵里ちゃん達がすぐここに来たおかげでもあるよ。ここに記者が殺到していないのは、絵里ちゃんのおかげだよね?」
「私は私のできることをしただけよ。まあ、今回は本当に助かったわ。でも……」
絵里は、様々な思いを持っている様子で、複雑な表情を見せた。
「あなたは、あなたが今するべきことを優先しなさい。それで……今度こそ、大切な人を守れるといいわね」
その言葉を受けて、翔は思わず胸に手を当てた。
「はい、必ず守ります」
美優のこと。春翔のこと。それだけでなく、みんなのこと。様々な思いを胸に、翔はそう伝えた。
それに対して、絵里は笑顔を返した。
「私も話したいことがあるけれど、さっき言った通り、話はまた今度でいいわ。だから、美優ちゃんと一緒にいてあげて」
「はい、わかりました。それじゃあ……誰か、バイクか車を貸してくれないか? ドクターさんの家に置くことになるから、後で取りに行く手間ができてしまうが……」
「だったら、俺のバイクを貸してやるよ」
二つ返事といった形でバイクを借りることができ、翔は鍵を受け取った。それから、まだ意識の戻らない学と結莉に目をやりつつ、外に出た。
そして、借りたバイクに乗ると、翔はその場を後にした。




