後半 49
結莉は、絵里を待たずに一人で学の所へ行きたいという思いと、そんなことしないで絵里を待ち続けるべきだという思い、二つの思いが繰り返し浮かんでは、葛藤し続けていた。
普段、結莉が一番意識していることは、常に冷静でいることだ。
人が何か失敗する時は、大抵焦っている時だ。今この瞬間にしかできないことなんて、ほとんどない。だから、何かしたいと思った時、それをすぐにするのではなく、本当にそれをするべきかどうか、一旦時間を置いて考えるべきだ。それが、結莉の軸ともいえる考え方になっている。
そのため、結莉が何かする時は、常に冷静な判断が伴っている。そして、最終的にするべきだと結論を持ったうえで、行動するようにしている。
当然、そうした形で行動したことの中にも、失敗はある。ただ、そのことで反省したことはあるものの、後悔したことはなかった。
冷静に考えて、自分の中でするべきだという結論を持った時点で、結莉にとって、それは絶対にする必要のあるものだと決めている。そのため、それで失敗しても、これもいい経験だったと受け入れていた。
小学生の時、春来や春翔にひどいことをした経験も、反省はしているものの、後悔はしていない。それは、あんなひどいことをした結莉のことを春来と春翔が受け入れてくれたからだ。だから、今でもあんなことしなければ良かったなんて考えは一切ない。
ただ、そんな結莉にも後悔はある。それは、自分がしなかったことについてだ。
結莉は、生徒会選挙を通して、春来のことを好きになった。ただ、そんな自分の好意を伝えることは、それこそ焦った時にする、衝動的な行動そのものだと決め付けた。
春来と春翔が両思いだということは、見ていてすぐにわかった。それに、奈々も春来に思いを寄せていた。そうしたことを冷静に考えて、春来に自らの思いを伝えるなど、結莉にとってはありえないことだった。
ただ、春来と春翔が亡くなったことを知った時、かなわない恋だったとしても、自らの思いを春来に伝えるべきだったと強く思った。そんなことをしても、何の意味もない。冷静に考えて、そんなことはわかっているのに、ただただ結莉の中に、春来に思いを伝えれば良かったという後悔だけが残った。
そうしたことを考えていたら、結莉は今すぐにでも学の家へ行きたいという気持ちがドンドンと大きくなっていった。同時に、今の自分が冷静でないということを強く意識して、どうにか気持ちを落ち着かせようとした。
そうして少しだけ時間を置いた後、結莉は絵里にメッセージを送った。その内容は、絵里を待たずに一人で先に行くといった報告だった。
結莉は、いつでも家を出られるように準備していた。そのため、絵里にメッセージを送った後、すぐに家を出た。
自分が冷静でないこと。そんな状態で、ただただ自分のしたいことをしていること。そんな初めてのことをしている自分が信じられなくて、結莉は混乱しているような状況だった。ただ、足を止めることはなかった。
何で、自分はこんなことをしているのだろうか。その答えは、もう見つけている。ありえないと思って、気付かないふりをしていたものの、とっくに気付いている。それは、春来に対してできなかったことだ。
学のことが好き。そんな自分の中にある思いに向き合った時、結莉はいつも冷静になれなくなってしまって、だから冷静でいるために、そんな自分の思いと向き合わないようにしていた。
ただ、冷静でいられなくてもいい。今から自分がすることで、後悔することになってもいい。学のために、自分ができることをしたい。そして、何より自分の気持ちを学に伝えたい。そんな強い思いを胸に、結莉は学の家を目指して走った。
運動はそこまで得意じゃないため、すぐに息が上がってしまった。それでも、結莉は足を前に進ませた。そうして、学の家のすぐ近くまで来たところで、足を止めた。
絵里の言った通り、学の家には記者らしき人が殺到していた。そして、家から誰も出てこないようで、記者達は怒声ともいえるような口調で、誰か出てこいといった声を何度も上げていた。それを目の当たりにして、結莉は改めて事の重大さを理解した。
そのうえで、結莉は決心を固めると、スマホを使い、学にメッセージを送った。これまで、学から一切返信がないため、このメッセージが届いているかどうかはわからない。ただ、届いてほしいと強く願った。
それから、結莉はゆっくりと足を進めていった。そうして、記者達に近付いたところで、結莉は口を開いた。
「邪魔です。どいてください」
強い口調でそう伝えると、記者達は結莉に顔を向けた。
「これから、学と一緒に特別講習へ行くんです。邪魔しないでくれませんか?」
特別講習は午後からのため、今すぐに行く必要はない。ただ、とにかく学を連れ出そうと思った時、理由など、どうでも良かった。
「君は誰?」
「ああ、学君の同級生かな?」
「だったら、何か話を聞かせてくれないかい?」
「今、テレビで流れていることは知っているよね?」
記者達は、ここまで来たものの、何の情報も得られていないのだろう。そうした中、学の同級生と思われる結莉が来たわけで、何でもいいから話が聞きたいといった形で、必死な様子だった。
「何なんですか? 学から、色々と話は聞いていますけど、あなた達に話す必要はないですよね?」
そう伝えると、記者達の目が変わった。それは、まるで獲物を見つけたかのようだった。
「何を聞いているのかな? 是非、教えてくれないかな?」
「事実を知りたがっている人が大勢いるんだよ。その人達のためにも、知っていることを聞かせてよ」
「多少だけど、情報の良し悪しによっては、報酬も出せるよ?」
そんな記者達を相手に、こちらの想定通りだと感じつつ、結莉はそのまま進めることにした。
「だから、あなた達に話すことはありません。もういいです。特別講習には一人で行きます」
「いや、待って! 何でもいいから、話を聞かせてよ!」
結莉がその場を離れようとすると、記者達はどうにか結莉を止めようと、囲もうとしてきた。ただ、結莉は、そうした記者達をよけつつ、無理やり進んだ。ただ、そうしていると、不意に腕を掴まれた。
「おい、待てよ!」
「こっちは知る権利があるんだよ! 知っていること全部話せよ!」
結莉の態度に苛立ちを持ったのか、記者達は優しい口調から、攻撃的な口調に変わった。そして、腕を掴まれた以上、結莉は動けなくなってしまった。ただ、少しは学の家から距離を取ることができて、これならいいだろうという思いもあった。
先ほど、結莉は学にメッセージを送った。その内容は、結莉が記者達の気を引いている間に、逃げてほしいといったものだった。
どうにか家から出てくれれば、絵里などが学達を匿ってくれるだろう。そんな考えを持ちつつ、結莉は記者を相手にしながら、学の家を注視していた。
ただ、家から誰も出てこないのを確認したうえで、結莉は二つの考えを持った。
一つは、既に学達がここを離れ、家に誰もいない状態だというものだ。それなら、こちらはどうにか学達と連絡を取るか、行方を捜せばいい。
ただ、もう一つ、学達が今も家にいる場合、こんな状況でも外に出られないほど、深刻な状況になっているのかもしれない。そんな不安を持つと、結莉は記者達を突き飛ばすようにして離した後、学の家に駆け寄った。
「結莉よ! 学、中にいるの!? いるなら外に出てきて!」
記者達が大勢いる中、家を出るなど自殺行為だ。ただ、家の中で何か取り返しのつかないことが起こっているとしたら、とにかく外に出てきてほしい。そんな思いを胸に、結莉は叫んだ。
しかし、そんな結莉の呼びかけに対しても、反応はなかった。
そうしている間も、記者達は結莉への質問を繰り返した。もしかしたら、恋人なんじゃないかなんてことも言われた。ただ、そんなものは全部無視して、結莉は学に向けた言葉を叫び続けた。
その時、クラクションが鳴り響き、結莉だけでなく、記者も驚いた様子で言葉を失った。
そして、そこに止められたキャンピングカーから、絵里が出てきた。
「結莉ちゃん、無茶し過ぎよ? でも、おかげで予定よりも早く来られたわ」
絵里は、ゆっくりと近付いてくると、スマホを記者達に向けた。
「あなたは……」
それから、絵里は順番に記者を名指しした後、その人が取材を通して行った犯罪について説明していった。
立ち入り禁止の場所に入ったこと。相手の同意もなく、その人が話したことを記事にしたこと。盗聴したこと。暴力を振るったこと。そうしたことを伝えたうえで、その証拠があることも都度示していった。
「これらの情報は、いつでも公開できるようになっているわ。それだけでなく、ここで私に何かあっても、自動で公開されるようにしているわ。だから、そうされたくなかったら、この場から消えてくれないかしら?」
絵里は、それこそ女王様のように、ここにいる誰よりも偉く、自分の気分によって、ここにいる全員をどうとでもできるといった態度だった。そして、それは嘘や大げさでなく、実際にここにいる全員をどうとでもできる力が絵里にはある。そうしたことを記者達は理解しているのか、怯えている様子だった。
「あと、ここであったことが何かしらかの形で記事になったり、また別の記者が来たりしても、連帯責任という形で、ここにいる全員の情報を公開させてもらうわ。ただ、そんなこと、私はしたくないのよ。だから、そうならないよう、みんなで協力し合ってほしいわ」
「ああ、はい。わかりました」
「みんなもわかりましたよね?」
「はい、わかっています」
そうして、記者達は絵里の言うことを聞く形で、この場からいなくなった。
そして、絵里と二人きりになり、結莉は頭を下げた。
「絵里さん、ごめんなさい」
「それは、何を謝っているのかしら? 結莉ちゃんがしたいと思ったことをしたことについて、私は何も悪くないと思っているわ。それとも、結莉ちゃんはしたくないことをしたのかしら?」
そう言われて、結莉は首を振った。
「いえ、自分のしたいことをしました」
「だったら、それでいいわ。おかげで、さっき言った通り、私も予定より早く着いたわ。それで、今の状況はどうなっているのかしら?」
「はい、実は……」
それから、結莉は何度も連絡したり、呼び掛けたりしたものの、誰も家から出てきてくれないという、今の状況を伝えた。それに対して、絵里は深刻な表情を見せた。
「早く来て良かったわね。結莉ちゃん、学君に通話できないか、試してみて」
「え、でも……」
「いいから、試してみて」
そう言われて、結莉は学と通話を繋ごうとした。しかし、学が出ることはなかった。
ただ、そこで絵里は深刻な表情を見せた。
「聞こえるわよね?」
「え?」
質問された時は、意味がわからなかった。ただ、耳を澄ませてみると、かすかに着信音のようなものが聞こえた。それは、学のスマホが家の中にあることを示していた。
「学は家の中にいるってことですか?」
「それを確認するためにも、中に入るわよ」
「中に入るって……誰も出てきてくれないんですよ?」
「インフィニットカンパニーが用意した電子ロックを使ってくれているおかげで助かったわ。この電子ロック、大きな欠陥があって、ビーさんから託されたハッキングツールを使うと……」
絵里がそう言った直後、学の家の電子ロックが解除された。
「こうやって、簡単にロックを解除できるのよ」
そのことに驚きつつ、学の家に入ることができる状況になった瞬間、結莉はただただ学に会いたいという思いで一杯になった。
「学!」
「結莉ちゃん、待って!」
結莉は絵里の制止を聞くことなく、学の家に入った。そして、鳴り続けている着信音を頼りに、ドアを開けた。
そこはリビングで、学と、学の母親の姿があった。しかし、二人とも床に倒れていた。
「学!」
結莉は、何も考えることなく、学に駆け寄った。
「結莉ちゃん、危ないわ!」
そんな絵里の声が聞こえた直後、結莉は衝撃を受けて、吹っ飛ばされた。
「おまえ達は何だ?」
学に注目していて気付かなかったものの、リビングの中にはもう一人、男性がいた。
「あなた、成瀬勉ね? 学君達に何をしたのかしら?」
「おまえ達に話すことなどない」
そう言うと、勉は絵里の方へ近付いた。そして、絵里の首を掴むと、テーブルに投げつけた。
「あなた、デーモンメーカーを使っているみたいね」
絵里は、咳き込みつつ、そんなことを言った。そして、結莉の方へ視線を向けた。
「結莉ちゃん、私が時間を稼ぐから、早く逃げて」
「嫌です! 学を置いて、逃げたくありません!」
「私達だけじゃ、何もできないわ。誰でもいいから、助けを呼んできて」
「嫌です!」
「とにかく冷静になって、私の言うことを……」
そうした会話を許すことなく、勉は絵里を掴むと、床に叩きつけた。その結果、絵里は気を失ってしまったようだった。
そして、勉は結莉に顔を向けた。
絵里の言った通り、結莉が勉を相手にしたところで、何もできないだろう。だったら、どうにかここから逃げて、助けを呼ぶべきだ。
しかし、学に何があったかわからない以上、今すぐに対処しないと、手遅れになるかもしれない。そんな思いから、結莉は逃げることなく、学に近付くと、学を守るように両手を広げた。
「学! 起きて!」
そして、どうにか学が起きてくれないかと、声を上げ続けた。しかし、学が目を覚ますことはなかった。
そうしている間に、勉は結莉に近付くと、絵里にやったのと同じように、首を掴んだ後、壁に投げつけた。その際、結莉は頭を強く打ち、意識が遠のいていくのがわかった。
「誰か……学を助けて……」
結莉は、自分がどうなるかなど関係なく、ただ学の無事を祈った。とはいえ、そんな願いがかなうことはないのだろうとも思った。
その時、結莉の前に誰かが立った。
「わかったよ。後は僕に任せて、結莉は休んでよ」
遠のく意識の中、そんなことを言われた。視界がぼやけていて、目の前にいるのに、その人が誰なのかわからない。ただ、結莉は自然と口が開いた。
「……春来?」
ここに春来がいるなんて、ありえないことだ。そう思いつつ、結莉は、その名前を口にした。
そして、結莉は目の前の人物が誰か確認できないまま、意識を失ってしまった。




