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TOD  作者: ナナシノススム
後半
277/284

後半 43

 翔は、美優と冴木がいる部屋を出た後、痛めた腕をドクターに見てもらっていた。

「腫れがあるけど、骨折とかはさすがにないかな。ただ、念のため、骨折していないか確認するよ」

「お互いにグローブを付けた状態で、パンチやキックを受けた結果、こうなったんですが、こういうことってよくあるんですか? 少なくとも、自分はないんですが……」

「そう言われると、ちょっと考えづらいって答えになるね。何か、木や鉄の棒で殴られたとか、そう言われた方が納得できるよ」

 実際、可唯の攻撃を受けた時、翔は何かしらかの武器で攻撃されたような感覚があった。ただ、可唯がグローブや靴に細工をしていたとは思えなかった。それは、可唯が「ハンデなし」と言う前、普通に攻撃を受けても、異常を感じなかったからだ。

 そして、可唯が「ハンデなし」と言った後、特にグローブや靴を変えるといった、不審なことはしていなかった。それにもかかわらず、その後の攻撃は異常で、ほとんど防御が役に立たないような状況に追い込まれてしまった。

 鉄也の話では、可唯がジークンドーという格闘技を使っていたとのことで、今後ジークンドーについて調べるつもりだ。ただ、恐らくジークンドーを理解できたとしても、可唯を理解することはできないだろうと翔は感じていた。

 それから、翔はレントゲンを撮ってもらった。そして、ドクターはレントゲン写真を見たうえで、自らの見解を説明した。

「骨折などはないし、いわゆる打撲のようだね。できれば、何もせず安静にしてほしいと言いたいけど、そういう状況じゃないということは、わかっているからね。本当は良くないけど、治療よりも、普段通りに動かせるよう、痛みを抑えることを優先するよ」

「痛みを抑えるのと、治療って違うんですか?」

「全然違うよ。痛みというのは、その部位をあまり動かさないでほしいっていう、身体からのサインだから、安静にするというのが一番の治療法だよ。あと、どう動かすと痛むかってことがわかれば、自然と痛まないような動きをすることができるからね。痛いという感覚は、本来そのままにするべきなんだよ」

「さっき、腕を冷やしてもらって、多少痛みが引いて、動かせるようになったんですが、それが良くないってことですか?」

「患部を冷やすこと自体は、悪くないよ。ただ、患部を冷やしたり、反対に温めたり、時には痛み止めを打つなんて治療を受けた患者のほとんどは、長期的な痛みといった形で、症状が長引くんだよ。というのも、さっき言った通り、痛めた部位を動かさないようにするっていう、一番の治療法をしないで過ごすことになるからね」

 ドクターの話を聞いて、翔は上手く受け入れることができなかった。ただ、否定することもできなかった。

「普段から、正しい姿勢や正しい身体の動かし方を意識したり、それと適度な筋肉をつけたり、あとはストレッチもいいね。そうしたことで予防するのが、一番なんだよ。その点、翔君は筋肉の付き方もいいし、今回みたいにどこかを痛めたとしても、治りが早いと思うよ」

「そうなんですか?」

「よくある話だけど、人によっては痛みがあるのに無理やり身体を動かして、悪化させたり、時には別の部位を痛めたりなんてこともあるからね。でも、翔君は身体の動かし方も自然だから、そうしたことはないだろうし……だから、できれば無理せず安静にしてもらいたいというのが、私の本音だよ」

 その話は、これまで冴木から習ったことと共通した話だった。冴木から習った時は、あくまで戦闘時の話として認識していた。ただ、戦闘時に限らず、自然な動きというのは、普段から意識するべきことなのだろうと翔は感じた。

「ただ、患者の要望に応えるのも、医者の役目だからね。何か大会があって、どうにか痛みを抑えてほしいとか、そんなお願いをされることもあるからね。今回も、そうした形で、痛みを抑えるようにするよ」

「ありがとうございます」

「まあ、痛み止めといった薬は使わないで、RICEライスという、最低限の対処にするよ。さっきも言ったけど、翔君は身体の動かし方が自然だし、それで十分というか、むしろそれで痛いと感じたら、間違った動かし方をしていると意識するようにしてね」

「はい、わかりました」

「ああ、でも、もう遅い時間だし、先にシャワーを浴びてもらった方がいいかな。軽く汗を流す程度にして、あまり患部を温めないようにしてね。こうした時、患部を温めるのは良くないからね」

 そんなドクターの指示に従う形で、翔は軽くシャワーを浴びた。その際、ここは単なる診療所でなく、キッチンや浴室といった、普通に暮らせる設備が整っていることや、ドクターがここで暮らしているようだということを知った。

 そのため、元々は冴木の治療目的で来たものの、潜伏するうえでも適した場所だと翔は感じた。

 そして、シャワーを浴び終わった後、翔は改めて腕を冷やしてもらった。それから、適度に圧迫することを目的とした包帯を巻かれた。

「あと、翔君は普段からストレッチなどをしているみたいだけど、腕のストレッチは控えてね。というか、腕を無理に動かすこと自体、避けてほしいかな」

「それも良くないんですね」

「あと、寝る時とか、腕を心臓より上にした方がいいから、後でいくつかクッションを渡すよ。少し違和感とかがあって、寝づらいかもしれないけど、我慢してね」

「はい、わかりました」

 そうして、ドクターの処置が終わったところで、翔はまた美優と冴木がいる部屋に入った。

「腕、大丈夫?」

「ああ、こうやって圧迫した方が楽になるらしい。包帯をしないといけないほど、ひどい怪我ってわけじゃないから、安心してくれ」

 美優が心配した様子だったため、翔は簡単にそんな説明をした。すると、美優は安心した様子を見せた。

 それから、翔は冴木に目をやった。

「冴木さんは、眠り続けているよ」

「そうか。さっきシャワーを借りたんだ。美優も借りたらどうだ?」

「でも、私は……」

「思い詰めてもしょうがないし、一旦サッパリしてくるのもいいんじゃないか?」

 そこまで伝えると、美優は納得したように頷いた。

「それじゃあ、すぐに浴びてきちゃうね」

 そうして美優が部屋を出て行くと、代わりに翔は椅子に座り、冴木に語り掛けた。

「冴木さん、やはり美優は、自分の父親が誰なのか、気付いていると思います。ただ、それは俺から言うことじゃないので、冴木さんが美優に言うまで、何も言わないでおきます。だから、俺からもお願いします。冴木さん、目を覚ましてください」

 そんな言葉を伝えたものの、やはり冴木が目を覚ますことはなかった。それを確認したうえで、翔は息をついた後、続けた。

「美優のこと、俺に任せてくださいなんて言ったら、きっと怒りますよね? それに、自分一人では、美優を守り切れる自信がありません。ただ、美優を守りたいという気持ちは、冴木さんにも負けません。これも言ったら、怒りそうですね」

 そう言うと、翔は軽く笑った。

「自分と美優は、必ず生き残ります。そして、冴木さんも一緒に生き残ってください。命を懸けて、無茶をして……このまま目を覚まさないなんて、絶対に許しません。美優の言った通り、『おまえに美優は渡せない』なんて言ってきても構いません。ただ……」

 そこで翔は軽く間を空けた後、真剣な表情で、真っ直ぐ冴木を見た。

「俺が美優とずっと一緒にいること、必ず許してもらいます。いつか、自分一人で美優を守れるようになります。だから、冴木さん、見守っていてください」

 それは、美優の父親である冴木に、交際や、それこそ結婚の許可をもらっているかのようだった。それほど強い決心を自分が持っていることを自覚して、翔の中でいつの間にか美優の存在が大きくなっていたことを、改めて感じた。

「自分一人では、美優を守り切れる自信がないと言いましたが、冴木さんが目を覚ますまで、どうにか頑張ってみます。だから、早く目を覚ましてくださいね」

 その後も、翔は繰り返し、冴木に語り掛けた。ドクターの話では、こうすることで脳を刺激して、意識が戻る可能性が高まるとのことだった。

 思い返してみれば、一年前、三ヶ月近く寝たままだったところから目を覚ました時、自分のいた部屋では、ラジオの音声みたいなものが流れていた。もしかしたら、そうすることで意識が戻りやすくなると考えてのことだったのかもしれない。今更ながら、そんなことを翔は考えた。

 そうしていると、美優が戻ってきた。美優は、すぐに戻ることを優先したようで、髪が濡れたままだった。そんな美優を見て、翔は少しだけドキッとしてしまった。

「冴木さんの様子は、どうかな?」

「まだ眠ったままだ。だが、色々と話をすることができた」

「どんな話をしたの?」

「男同士の話だから、美優には教えない。反対に、美優は冴木さんにどんな話をしたんだ?」

「翔が教えてくれないなら、私だって教えないよ」

 そんな風に言い合った後、翔と美優はお互いに笑った。

 美優は、翔と両思いだと知ったからか、どこか表情が変わったように見えた。それは、安心したような、穏やかな表情だった。

「美優、さすがに髪はちゃんと乾かした方がいいんじゃないか? 夏とはいえ、風邪を引いたら困るだろ?」

「大丈夫、ちゃんとタオルで拭くよ」

 その後、冴木から近い位置に置かれた椅子を美優に譲る形で、翔は移動した。そして、そうした翔の思いを察した様子で、美優は冴木の近くに置かれた椅子に座った。

「あの……はっきりさせた方がいいと思って……」

 急に美優は改まった様子で、そんなことを言い出した。

「何だ?」

「えっと、キスとか、エッチなこととか、そういうのは、全部解決した後にしようね」

「……ん?」

「いや、私は今すぐしたいけど、今ここでっていうのは……」

「そりゃそうだろ。というか、そんなことを考えていたのか?」

「え? おかしいのかな? 私、恋愛とかも初めてで……あれ? 私、もしかして空回りしている?」

 浮かれているというか、むしろ混乱している様子の美優を見て、翔は笑った。

「俺だって、恋愛経験はほとんどない。だから、二人で話し合って、少しずつすり合わせていこう」

「え、でも、翔は……えっと……」

「ああ、春翔のことを気にしているなら、ちゃんと話した方がいいな。といっても、既に話したことだが、俺にとって春翔は、幼い頃からずっと一緒にいる、家族だった。だから、ずっと家族でいるため、事実婚とはいえ、結婚もした」

 翔は、ただ今の気持ちを正直に口にしていった。

「俺は春翔のことが好きだ。その気持ちは、今も残っている。そのうえで、美優のことが好きなんだ。美優と春翔を比べて、どっちが好きかとか、そういうことでなく、美優を好きな気持ちと、春翔を好きな気持ちは、全然違うもので、比べることができないんだ。悪い、上手く説明できないな」

「ううん、そんなことない。ちゃんと伝わっているよ」

 美優が真剣な表情でそう言ってくれたため、翔は笑顔を返した。

「俺が緋山春来だということを、美優が気にしているのもわかっているつもりだ。ただ、今の俺は翔だ。それに、また緋山春来として生きることになったとしても、別の誰かとして生きることになったとしても、その時の俺を好きでいてほしい。俺も、その時の俺として、美優のことを好きでいる」

「うん……うん! すごく嬉しい!」

 そう言うと、美優は嬉しそうに笑ったまま、目から涙が零れた。そんな美優を見て、翔も嬉しくなった。

「……まったく、いつまで話しているんだ? ……寝られないだろ?」

 そんな声が聞こえて、翔と美優は冴木に目をやった。

 冴木は、目を覚ました様子もなく、寝たままだった。ただ、さっきの声は、冴木のものに間違いなかった。

「冴木さん!」

「ドクターさんを呼んでくるから、美優はここにいてくれ」

 そうして、翔は部屋を出た。それから、各部屋を回り、ドクターを捜した。

 そして、明かりのついた部屋を見つけると、翔はドアをノックした。

「ドクターさん、いますか?」

「ああ、ちょっと待ってね」

 そんな声がした後、ドクターが部屋から出てきた。

「どうしたのかな?」

「あの、冴木さんが……」

 そう言いかけたところで、翔は部屋の中が目に入り、驚きのあまり言葉を失ってしまった。

 ドクターがいた部屋は、科学の実験で使うような器具が並んでいて、それこそ何か科学の研究をしている部屋のようだった。

「ああ、驚かせちゃったかな? ここで薬の分析などをしているんだよ」

「確か、研究室というんですよね? 初めて見たので、驚きました」

「医者は薬の分析なんて本来しないんだけどね。私はここで薬の分析などもしているんだよ。それで、さっき薬の分析を頼まれて、それを進めていたところだよ」

「そういえば、ここに誰かが来るって話をしていましたね」

「それより、何か用があったんじゃないかな?」

 そんなドクターの質問を受けて、翔は当初の目的を思い出した。

「冴木さんが何かを言って、ただ今も寝たままで、どういう状況なのかわからないので、見てもらえないですか?」

「それはいい兆候だね。すぐに見るよ」

 そうして、ドクターと一緒に翔は戻った。

 その後、具体的に冴木が何を言っていたか。どんな様子だったか。そうしたことをドクターは確認した。そのうえで、ドクターは穏やかな表情を見せた。

「寝ているか起きているかわからない、いわゆるまどろみと呼ばれる現象だったと思う。簡単に言えば、寝言みたいなものだね。ただ、周りから掛けた声に反応したということだし、いい兆候だよ」

「それじゃあ、このまま語り掛けた方がいいですか?」

「いや、冴木さんは寝たいかのような発言をしたわけだし、少し休ませた方がいいと思うよ。もう遅い時間だし、美優ちゃんと翔君も休んだ方がいいよ」

「でも……」

 納得していない様子の美優を見て、翔は口を開いた。

「美優、ドクターさんの言う通りだ。今後も何があるかわからない。だから、休める時に休もう」

 そう伝えると、美優は頷いた。

「うん、翔がそう言うなら、そうするよ」

「というか、二人とも夕飯もろくに食べていないよね? 何か軽く食べるかな?」

「ああ、それなら用意してあるので、大丈夫です。確かに、お腹も空いているので、何か少しだけ食べます」

 その後、翔と美優は軽食を取った後、元々用意してもらっていた休憩室に入った。

「何か、両思いとわかってから、部屋で二人きりって、緊張するね」

「何もしないから、安心しろ」

「私って、そんなに魅力ないの!?」

「いや、そうじゃないって!」

 そんなやり取りをして、翔は思わず笑ってしまった。

「俺は、美優と一緒にいるだけで、ただただ安心できるんだ。今は、それだけで十分だ。だから……その……さっき美優の言ったことは、色々と解決した後にしよう」

 言いながら恥ずかしくなってしまい、翔は美優の顔を上手く見ることができなかった。ただ、見なくても、お互いに似たような顔をしているのだろうということはわかった。

「うん……じゃあ……そのうちね」

「ああ……そのうちな」

 それから、お互いに何も話さない、妙な空気になってしまった。

 ただ、そんな空気がむしろおかしくなり、翔は笑った。そして、美優も同じように思っていたようで、ほぼ同時に笑った。

 そして、翔と美優は笑顔で見つめ合った。

「美優、おやすみ」

「翔、おやすみ」

 それから、翔と美優はお互いにまた笑った後、それぞれのベッドに入った。

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