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TOD  作者: ナナシノススム
後半
272/284

後半 38

 翔は、途中でバイクを拾うと、可唯から指示された城灰高校を目指していた。

 ただ、色々思うところがあったため、まだ時間に余裕があることを確認したうえで、翔は途中、廃墟に寄った。

 この廃墟は、いつも可唯と手合わせをする際に使っていた場所だ。それだけでなく、ライトやダークの者達に会う際、変装するために使っていたメイク道具などもここに置いてある。

 そして、翔は、ムースタイプの髪染めで髪を赤く染めた後、オールバックにセットした。それから、ファンデーションで全体的に色白にしたり、切れ目になるようにアイラインを引いたり、顔にメイクをしていった。

 それは、これまでライトやダークの者達に会う際にしていた変装と同じだ。ただ、これまでつけていたカラーコンタクトだけは、目を傷付けるリスクなどを考えて、つけなかった。

 そうして、メイクなどを終えると、翔は廃墟を後にして、またバイクに乗った。そして、改めて城灰高校を目指した。

 それから少しして、翔は城灰高校に到着した。可唯に指示された時間通りで、丁度日の入りの時間帯のため、辺りは薄暗くなり始めていた。

 翔はバイクを降りると、入口に向かった。その途中、職員室を含め、どこも明かりがついていないことを確認して、誰もいないのだろうと感じた。ただ、そんな状態にもかかわらず、入口は開いていた。また、可唯の言った通り、セキュリティは切られているようで、中に入っても、特に何の反応もなかった。

 そのまま翔は階段を上がると、屋上に向かった。学校の中は暗く、いつもと違った雰囲気のため、多少の戸惑いはあった。それでも、ただ階段を上がり続けた。

 そうして、屋上に到着すると、そこには既に可唯がいた。

「ラン、時間通りなんて、偉いやないか。てか、メイクしてきたんやな」

 可唯からそんな風に言われて、翔は軽く息をついた。

「ここは、翔にとって、大切な友人達と一緒に昼食を取った場所だ。そして、それは今後も変わらない」

 今後、あのような時間を送ることは恐らくないだろう。何より、考太はもういない。そうした思いから、翔は翔として、ここに来たくなかった。

「今の俺は、翔じゃない。ランだ」

「せやったら、緋山春来として来れば良かったやないか」

「……それも知っていたんだな」

「わいは情報通やから、全部わかってんねん」

 思い返せば、堂崎翔という別人として過ごすようになってから、そこまで時間が経つ前に、可唯は翔に話しかけてきた。それは、緋山春来が堂崎翔として生きることになった経緯についても、知っている可能性があるかもしれないと感じさせた。

「ほな、早速始めるで」

 そう言うと、可唯がボクシンググローブを投げてきたため、翔はそれをキャッチした。

「俺が銃などの武器を持ってくる可能性は考えなかったのか?」

「ランは、そないなことせんやろ。わいから聞きたいことがようさんあるんやし、正々堂々と来るしか選択肢はないやろ」

 そう言われて、翔は一切否定することができず、言葉に詰まってしまった。

「図星みたいやな。ランはわいのことを理解してくれとるけど、わいもランを理解しとるんや」

「言っただろ? 俺は可唯のことなんて、何も理解していない」

 そう言いつつ、可唯の言う通りで、翔は銃だけでなく、警棒すら持ってこなかった。また、防弾チョッキも着てこなかった。

 こうした、可唯に見透かされているかのような状況は、翔にとって気持ち悪いものだった。ただ、自分のするべきことは変わらないと頭を切り替えると、翔はグローブをつけた。

「せや、これを忘れとったわ」

 そう言うと、可唯はスマホを操作した。すると、可唯が用意したのか、屋上に置かれたライトが点灯して、周囲が明るくなった。

「色々と準備したんやけど、大変やったんやで?」

「可唯が勝手にしたことだろ? 俺は感謝なんかしないからな」

 そんな翔の言葉に何も返すことなく、可唯はグローブをつけた。

 一方、翔は足首を回しながら手をブラブラとさせた。

「準備はええか?」

「ああ、大丈夫だ。ハンデなしでいかせてもらう」

「ほな、『ケンカ』を始めるで?」

 そう言うと、可唯はふらふらと身体を揺らしながら近付いてきた。それに対して、翔は鉄也から習ったL字ガードに構えた。

 これまで、翔は可唯と手合わせをして、一度も勝ったことがない。それどころか、相手にすらならなかった。ただ、鉄也や冴木から様々なことを教えてもらった今なら、どうにか可唯を相手にできるかもしれない。

 そんな希望を胸に、翔も可唯との距離を詰めていった。

 そうして、あと一歩進めば、こちらの攻撃が届きそうな距離まで近付いた瞬間、可唯は一気に距離を詰めると同時に右腕を振った。それは、フックというより、ただ腕を大きく振り回す感じで、隙だらけだった。

 ただ、翔は様子見も兼ねて、回避と防御に集中していたため、カウンターなどで反撃しようという発想すらなく、後ろに下がって攻撃をよけた。

 それに対して、可唯はそのまま距離を詰めると、今度は隙の少ない左フックを放ってきた。翔はそれを右腕でガードすると、牽制するようにジャブを放った。

 しかし、可唯は上半身を反らすようにして、その攻撃をかわした。それだけでなく、上半身を反らしたままパンチを放ち、それがカウンターのような形で翔の頬を捉えた。

 その直後、可唯は後ろに下がって距離を取ると、笑みを浮かべた。

「最初の攻撃を当てたのは、わいやったな」

「まだ一発もらっただけだ」

 そう言いつつも、翔は良くない状況だと感じた。というのも、これまで何度も可唯と手合わせをしたものの、こちらの攻撃が真面に当たったことはほとんどないからだ。そして、今回もそうなってしまうのかと、不安になった。

 ただ、そんな後ろ向きな考えではダメだと頭を切り替えると、翔は可唯に近付いていった。

 翔が牽制するようにジャブを出すと、また可唯は上半身を反らしてかわした。それが何度か続いた後、また可唯は翔の攻撃を回避すると同時に攻撃してきた。ただ、今度はグローブで弾くようにして攻撃を防いだ。

 そして、可唯が上半身を反らしてかわすならと、翔は攻撃の軌道を途中で下げて、それこそ地面に叩きつけるように腕を下ろした。

 その攻撃は可唯の上半身に当たり、そのまま可唯は倒れた。しかし、倒れると同時に可唯がキックを放ってきて、それが腹部に当たると、翔は苦しそうに咳をしながら後ろへ下がった。

「やるやないか。ほな、これはどうや?」

 可唯は、ほとんどダメージがないようで、すぐに立ち上がると、距離を詰めてきた。それから、左手が翔の目の前に来るよう、左腕を真っ直ぐ伸ばしてきた。

 翔からすると、すぐ目の前にグローブがあり、妙なプレッシャーを与えられているような感覚だった。何より、ただただ邪魔で、それを払いのけようと、翔は左フックで可唯の左手を弾いた。

 次の瞬間、可唯が一気に距離を詰めると同時に右フックを放ってきて、それを真面に受けてしまったため、翔は追い打ちを受けないよう、後ろに下がった。そうして少し距離が開いたところで、可唯はまた左腕を真っ直ぐ伸ばしてきた。

「これ、悪魔にも有効やったから、おすすめやで」

 そんな可唯の言葉に返事をすることなく、翔は一定の距離を取りながら、どう対処しようかと考えていた。

 人は、目の前に何かを突き出されると、距離感がわからなくなってしまう。この仕組みは、護身術などでも使われていて、例えばナイフを持った通り魔に遭遇した時、カバンやタオルなどを前に突き出すだけで、相手の攻撃を狂わせることができると言われている。

 よく見ると、可唯は真っ直ぐ腕を伸ばすだけでなく、軽く曲げている時もあった。それは、お互いの距離が一定でないことを表していて、思ったより近いこともあれば、反対に遠いこともあるということだ。

 それを理解したうえで、翔はまた払うように可唯の手を弾いた。その直後、可唯がまた攻撃してきたものの、それにも反応して翔は防御した。

 この時点で、翔と可唯の距離は近く、むしろ翔にとっては近過ぎる距離だった。そのため、距離を離すと同時に翔はキックを繰り出した。しかし、そのキックは、可唯に防御されてしまった。

「ほな、ウォーミングアップはここまでにして、こっから十割でいくで」

 可唯はそう言うと、体勢を低くした。

 これまで、可唯は自分の実力をどれほど発揮しているか、割合で言うことがよくあった。ただ、十割と口にするのは、初めてのように感じた。

 可唯は一気に距離を詰めてくると、腹部やももを狙った攻撃を繰り出してきた。それに対して、翔も体勢を低くすると、防御や回避に専念した。

 その時、可唯が不意に体勢を崩して地面に手をついたため、反射的に翔は攻撃しようと防御を緩めてしまった。次の瞬間、可唯は逆立ちをするような体勢からキックを繰り出してきて、それが翔の顔面を捉えた。

 そのまま翔はよろめきつつ後ろへ下がったが、すぐに可唯が迫ってきたため、咄嗟に構えた。

 可唯はまた体勢を低くすると、翔の膝当たりを狙って腕を振ってきた。それをかわすように翔は後ろへ下がると、少しでも可唯を近付かせないようにしようとキックを放った。しかし、そのキックは簡単にかわされてしまい、すぐ目の前まで可唯を近付かせてしまった。

 その直後、可唯は腕で翔の脚を抱えると、そのまま勢いよく押してきた。結果、翔は体勢を崩されて、その場に倒れてしまった。

 こちらだけが倒れている状態では、このまま一方的に攻撃を受けるだけだ。そのため、翔は地面を転がるようにして少しでも可唯との距離を開きつつ、その回転した勢いを利用して立ち上がった。

 ただ、ろくに構えることすらできない間に、可唯はすぐ目の前まで迫ってきていた。そのため、翔はどうにか距離を取ろうと後ろに下がった。すると、背中にフェンスが当たった。

 それは、端まで追い込まれてしまったことを表していたものの、体勢を崩していた翔にとっては、むしろ助かった。翔は、フェンスに当たった反動を利用すると、突進するように可唯に迫った。

 それはかわされてしまったものの、そのまますれ違うようにして、翔は可唯と距離を取った。そして、どうにか体勢を立て直すと、また構えた。そんな余裕のない翔に対して、相変わらず可唯は余裕の表情で近付いてきた。

 また可唯は体勢を低くして、下半身への攻撃を狙っているようだった。そう思っていると、突然側転をしてきて、翔は驚きつつも横へよけた。

 しかし、側転の勢いを殺すことなく、そのまま回転するように可唯が足払いをしてきて、翔はまた倒れてしまった。ただ、今度はすぐに立ち上がると、ジャブで牽制して可唯を近付かせないようにした。そして、この一方的な展開をどう打開すればいいかと、頭を働かせた。

 これまで、翔は、可唯と手合わせをしただけでなく、可唯が他の者と「ケンカ」しているのを見たこともある。そのため、多少は可唯の動きを覚えただけでなく、時には可唯の動きを真似したこともある。ただ、可唯の対策は、何も思い浮かばなかった。

 可唯は小柄で、決して格闘技に向いた体格というわけではない。ただ、低い体勢を取られると、こちらは下の方へ集中する必要があり、やりづらいと感じてしまう。

 さらに問題なのはトリッキーな動きで、下の方へ集中していると、逆立ちしながらのキックや、側転など、顔を狙った攻撃が突然くる。その対処が特に大変で、どうしても不意打ちを受けてしまう。

 そうして頭を働かせつつも、何の対策も出ないまま、また可唯が迫ってきたため、翔は思考を中断させた。

 可唯がまた翔の膝を狙うように腕を振ってきたため、翔は後ろへ下がりながら、一定の距離を保っていた。しかし、そうして下の方へ集中していると、突然可唯がジャンプしつつの回し蹴り――旋風脚せんぷうきゃくを繰り出してきて、それを真面に受けてしまった。

 そうして、翔が軽くよろめいていると、可唯が目の前まで迫ってきた。そして、可唯がパンチを放ってきて、咄嗟に翔は両手を上げた。

 次の瞬間、翔は自然と身体が動き、気付いた時には、可唯の方が地面に倒れていた。ただ、翔が追い打ちをする前に、可唯は立ち上がると、距離を取った。

「やるやないか」

 一瞬、翔は何が起こったのか、わからなかった。ただ、冷静になっていくにつれて、冴木に教えてもらった合気道の動きが自然とできたのだろうと気付いた。

 思えば、可唯の話をした時、可唯は無駄な動きが多いという結論になった。それでも可唯がこれだけ強いのは、大きな実力差があるからで、その認識は恐らく正しい。ただ、単に可唯が強いというだけでは、説明できないことがあるような気がした。

 それを踏まえて、これまでのことを振り返った時、可唯を相手にした者は、翔も含め、可唯のトリッキーな動きに、ただただ翻弄されていた。そして、その結果、可唯よりも無駄な動きをしてしまっていた。そのことに気付くと、翔は少しでもリラックスしようと、足首を回しながら手をブラブラとさせた。

 そうしていると、可唯はまた低い体勢のまま近付いてきた。ただ、翔は可唯に合わせて体勢を低くすることなく、自然な体勢のまま、可唯を待ち受けた。そして、可唯の攻撃を寸前の位置でかわした後、キックを放った。すると、可唯はそれを受けつつ、後ろへ下がった。

 思えば、これまでサッカーをやる際、地面を転がるボールを扱うからといって、体勢を極端に低くすることはほとんどなかった。そもそも、体勢を低くすると、それを維持するだけでも大変で、それによりキックなどもやりづらくなってしまう。そう考えて、翔は自然な体勢を維持するように意識した。

 すると、可唯がまた不意を突くように、旋風脚をしようとしてきた。それに翔はすぐ反応すると、むしろ可唯の方へ近付き、可唯を突き飛ばすように両手を伸ばした。結果、攻撃を受けることなく、可唯を吹っ飛ばすことができた。

 ただ、可唯は余裕の表情で、すぐに迫ってきた。そして、側転をしてきたため、翔はまた横によけた。それだけでなく、その直後に繰り出された足払いは、ジャンプしてかわした。

 しかし、ジャンプしたことで多少体勢が崩れた瞬間、可唯が迫ってきて、パンチを繰り出した。ただ、それも冷静に弾くと、翔は可唯の脚にキックを放った。

 そのキックは真面に当たり、可唯がわずかながら体勢を崩した。その瞬間、翔がパンチを放つと、それが可唯の顔面を捉え、可唯は後ろへ大きく吹っ飛んだ。

 これまで、可唯の顔面に攻撃を与えることができたことなど、ないに等しい。ただ、可唯を殴った右手に、殴ったという感触がなく、翔は息をついた。

 可唯は攻撃を受けた瞬間、わざと後ろへ飛ぶことでダメージを軽減したようだ。つまり、これではほとんど可唯にダメージを与えられていない。そうしたことを理解して、翔はまた構えた。

 そうしていると、可唯が急に笑い出した。

「やるやないか。ラン、随分と変わったんやな。いつも自信がなくて猫背やった奴が、ピンと背筋を伸ばすと別人に見えるってのと同じやな」

「何の話だ?」

「さあ、何やろな?」

 可唯の言葉は、何か大きな意味を持っているように感じたものの、今の翔に考える余裕はなかった。

「ほな、こっからは、わいもハンデなしでいくで」

「十割と、ハンデなしは同じじゃないのか?」

 可唯が負け惜しみのようなことを言っているのかと思い、翔はそう返した。

「全然ちゃうで?」

 そう言うと、可唯はこれまでと違い、右半身を前に出す、いわゆるサウスポーの構えを取った。そして、身体を解すかのようにその場でステップを踏んだ。

「……ああ、確かに違うようだな」

 可唯の動きを少し見ただけで、一切の無駄がなく、先ほどまでとは明らかに違うということがよくわかった。

 そのため、ここからが本番だと判断すると、翔は深呼吸をした。

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