後半 24
この時間は渋滞などもほとんどないため、翔達の乗る車は、足止めを受けることなく、走り続けることができた。
とはいえ、赤信号の時は強引に通過するといった形で、常にリスクがあった。
「冴木さん、この後はどうしますか?」
「今、考えているところだ。とにかく、運転に集中させてくれ」
冴木の余裕がなさそうだったため、翔は質問を止めると、自ら頭を働かせた。
車でバイクの追跡から逃れるのは難しい。警察の乗る、いわゆる白バイが多くの車を検挙していることからも、それは明らかだ。
急ブレーキをかけるなどして、この車に激突させるといったことも案としてはあった。しかし、最初に冴木が用意した防弾仕様の車と違い、この車は普通の乗用車のようだ。そうなると、衝撃による故障のリスクもあり、安易にその選択はできなかった。
「冴木さん、銃を貸してくれませんか?」
その時、美優はそんなことを冴木に伝えた。
「何をするつもりだ?」
「銃で攻撃して、向こうを転倒させることができれば、逃げられますよね?」
冴木は、美優の案を否定できないものの、認めたくもないといった様子で、複雑な表情だった。
「銃の使い方を教えてもらっただけなので、自信はないですけど、何もしないよりいいはずです」
「確かにそうだが、車に乗った状態で、何かを狙うというのは難しい。それにここは街中だ。関係ない人に当たる危険だってあるから、許可できない」
「だったら、人の少ない所へ行ってくれませんか? それならいいですよね?」
「いや、しかし……」
冴木は、どうやって美優を説得しようかと悩んでいる様子だった。そして、翔は、冴木の心情を何となく理解すると、自分から提案することにした。
「美優、その役目は、俺に任せてくれないか?」
「え?」
「冴木さんも同じだと思うが、俺は美優に銃を使わせたくないんだ。それに、俺も銃は使える自信がある。だから、俺に任せてほしい」
「翔が銃を使うことも、俺は許可したくない」
「冴木さん、自分は、この三人で生き残りたいんです。だから、一人で抱え込まないでください」
冴木は、人を殺す覚悟を持つため、自らの命を懸けているようだった。それは、翔や美優が人を殺してしまう可能性を少しでも減らしたいという思いもあってのことだろう。そう思って、翔はそんな言葉を伝えた。
「私も同じです。冴木さん、今度チェスを教えてくれるって、約束しましたよね?」
美優も翔と同じ気持ちのようで、そんな言葉を伝えた。すると、冴木はため息をついた。
「……ここに銃が入っているから、それを使え」
そう言うと、冴木は助手席の前にある、収納スペースを指差した。
「銃は翔が使え。これは美優に使わせたくないという意味でなく、翔の方が使いこなせると思っているからだ」
「それじゃあ、自分が借ります」
翔は、助手席に移ると、ダッシュボードの収納スペースに入っていた銃を取り出した。
「マガジンは装填していないから……」
「大丈夫です。わかります」
銃は、マガジンを抜いた、いわゆる弾切れの状態だった。そのため、翔は一緒に入っていたマガジンも取り出すと、それを銃に装填した。
「こっちの準備は大丈夫です」
「それじゃあ、人通りの少ない道を目指す」
「あ、待ってください。行ってほしい場所があるんですが、先に確認しておきたいことがあるんです。だから、少し待ってください」
そう伝えると、翔は圭吾に連絡した。
「ランか? どうした?」
「今、大丈夫ですか? あと、スピーカーに変えます」
「ああ、こっちは大丈夫だ。それで、どうした?」
「悪魔とケラケラの襲撃を受けて、どうにかケラケラからは逃げられましたが、今もバイクに乗った悪魔に追跡されている状態です。それで、確認したいんですが、圭吾さんから譲ってもらったバイクは、自分が指示した場所に置いてくれましたか?」
「ああ、ランの指示した場所にバイクを置いておいたぞ」
「ありがとうございます。冴木さん、それなら、この場所を目指してください」
そうして、翔は冴木に、ある場所へ向かうよう、指示を出した。
「あと、圭吾さんに聞きたいことがあって、バイクのどこを攻撃すれば、不具合を起こすなどして止めることができるか、教えてくれませんか? どうにかして、悪魔が乗っているバイクを止めたいんです」
「バイクを攻撃するなんて、最低の行為と言いたいが、しょうがないか。悪魔が乗っているバイクには、かなりレアなパーツが使われてる。俺が調べた限り、乱暴な運転でも耐えられるよう、特に衝撃の対策をしてるようだ。だから、ちょっとやそっとの攻撃では、ダメージを与えられないぞ?」
「銃で攻撃する場合はどうですか?」
「バイクを銃で撃つなんて、人として最低の……」
「後でいくらでも怒っていいです。だから、どうすればいいか教えてください」
圭吾のバイクに対する愛は知っているため、そうした言葉を伝えた。それに対して、圭吾は大きなため息をついた。
「タイヤがパンクすれば、真面に運転できなくなるというのは、車や自転車などと同じだ。それに、タイヤに何かチェーンのような物を絡ませるのも有効だ。とにかく、タイヤを中心に攻撃すればいい」
「思ったよりも単純ですね」
「そうでもないぞ。都市伝説に近いが、パンクしないタイヤというものがあるらしい。それを使ってる場合、銃で撃ってもパンクさせることは難しいかもしれない」
「だったら、どうすればいいですか?」
「そこに何があるかを教えてほしい。それを聞いて考える」
圭吾にそう言われて、翔は冴木に目をやった。
「冴木さん?」
「え、ああ……冴木だ。車に常備するよういわれている物なら、大体ある。ただ、今は運転に集中したい。翔、そこにある物を順番に言ってくれ」
その時、翔は冴木の様子がどこかおかしいと気付いた。冴木は、運転に集中しているというより、集中できない状態の中、どうにか運転しているといった様子だった。
ただ、それを指摘するのは逆効果に感じて、翔は言わないでおいた。
「それじゃあ、自分が見ます。銃と銃弾……ハンマーに、これは発煙筒ですかね?」
「翔、こっちにも色々あるよ?」
この車は、いわゆるトランク一体型のようで、後部座席からトランクの中が確認できるようだった。
「わかった。すぐに確認する」
そうして、翔は後部座席に戻ると、すぐにトランクの中を確認した。
「三角表示板ですかね? それと、ジャッキに……レンチなどが入った工具箱に……牽引ロープなどもありますね」
「それだけあれば十分だ。あまり教えたくないが、バイクは障害物の影響を受けやすいんだ。それこそ、小石程度でも影響を受けることがある。だが、悪魔の乗るバイクは高性能だから、その程度だと、ほとんど影響がないだろう。だから、本格的にバイクの動きを止める、いわゆる悪用厳禁の悪戯のようなものを教える」
圭吾の言い方から、本当に教えたくないのだろうと思いつつ、翔は話を聞き続けた。
「やり方は単純で、車輪に何かを絡ませればいい。自転車で大きな枝を踏んだ時など、それが引っかかって、車輪が上手く動かせなくなった経験はないか? それと同じことをバイクで起こせばいい」
「理屈はわかりますけど、バイクに乗っていて、そんなことが起こった経験はないですよ?」
「それは、バイクの車輪の回転数が自転車よりも高いだけでなく、そうした障害物を避ける仕組みが車輪やタイヤなどにあるからだ。自転車の場合、それこそ横から車輪に棒を差し込むだけでも、車輪をロックして転ばせることができるだろ? だが、さすがにそれはバイクじゃ通用しない。バイクは優秀だからな」
「すいません、こっちは結構切羽詰まった状況なんです。バイクが優秀なことはわかっているので、どうすればいいかを簡潔に教えてください」
圭吾に悪いと思いつつ、翔がそう伝えると、電話越しにもかかわらず、圭吾の不機嫌そうなため息が聞こえた。
「たく、しょうがないな。まず、牽引ロープに工具を固定するんだ。コツは、車輪に絡みやすそうな物を複数固定することと、固定する際に一定の距離を取るようにすることだ。そうすることで、ロープそのものを車輪に絡めやすくなる」
「わかりました。早速やります」
「具体的には……」
それから、翔は圭吾から具体的な説明を聞きながら、牽引ロープに工具を固定していった。
「あと、車輪を直接狙うんじゃなくて、フロントフォークに引っかけるようにするんだ。そうすれば、タイヤに絡まなくても、フロントフォークを故障させることで止められる可能性がある」
フロントフォークというのは、バイクの前輪を支えつつ、車体の衝撃を抑えるパーツだ。
「いや、だが、悪魔が使っているパーツはかなりレアだから、故障させるのは……」
「さっきも言った通り、後でいくらでも怒ってください」
「たく、後でホントに怒るからな? 牽引ロープの最後には、工具箱のような、ある程度、大きくて重い物をつけるといい。タイヤをロックできなくても、引っかけることさえできれば、重い物を引きずることになるからな。フロントフォークにダメージを与えられるはず……だが……言ってもしょうがないな。具体的にどうすればいいか、順に説明する」
圭吾は渋々といった様子で話を続けた。
「フロントフォークに引っかけるといっても、そう簡単じゃない。それに、悪魔はバイクに詳しいようだし、こちらが何をしようとしているか、すぐに気付くだろう」
「だったら、別のことで気をそらせばいいですよね? そのために、銃を使います」
「確かに、それは良さそうだ。まあ、ランは器用だからな。とにかく俺の知識を伝えるから、それを自由に使ってくれ」
それから、圭吾は様々なことを話してくれた。
「俺が言えるのは、それぐらいだ。だが、大丈夫か? ライトやダークをそっちにやることもできるぞ?」
「この状態を維持できるかどうかも厳しい状況です。だから、ここは自分達でどうにかします」
「わかった。気を付けろよ?」
そうして、翔は通話を切った。
「どうするか、決まったか?」
一緒に話を聞いていたはずなのに、冴木は何か考える余裕もないようだった。そのことを心配しつつ、翔は考えをまとめた。
「まず、今の状況だと悪魔が近いので、この周囲を回ってください。それで、銃で牽制するなどして、少し距離を取りたいです」
「確かに、それがいいな。それで、どこかしらかに当たって、バイクを止めてくれるのが一番いいが、それは希望的観測過ぎるか」
「そうして距離が空いたら、自分だけ車を降ります。それで、銃を撃って悪魔を牽制しつつ、至近距離まで近付いたところで、圭吾さんが指示した通り、この牽引ロープをバイクに引っかけるようにします」
翔が何を言っているのか、冴木は理解するのに少しだけ時間を使った。
「待て! 車を降りるというのは、どういうことだ!?」
そして、冴木は驚きというより、怒っている様子でそう言った。
「圭吾さんも言っていましたが、5メートル程度の牽引ロープを車輪に絡めるというのは、難しいです。様々な案をもらいましたが、至近距離からという方法が現実的です」
「仮に、それで上手くいったとして、翔はどうするんだ? その後、この車に乗るのは難しいだろ? 一人で残るつもりか?」
「私も反対だよ。だって、危険過ぎるよ」
冴木だけでなく、美優も心配している様子で反対した。ただ、翔の考えは変わらなかった。
「安心してください。自分は冴木さんと違って、命を懸けるなんてことはしません。必ず死ぬことなく逃げて、後で合流します」
翔は、冴木に対する皮肉も込めつつ、そう伝えた。
「具体的に、どうするつもりだ?」
「この辺りの廃墟、結構詳しいんです。というか、美優は見覚えがあるだろ?」
「……ダークの人達に襲われた時、逃げた場所だよね?」
「ああ、その通りだ。冴木さんは知らない話ですが、廃墟から廃墟へと移ることで、追跡を回避するのに、何度か利用している場所なんです。それで移動した後、自分は圭吾さんが用意してくれたバイクに乗って、すぐ離れます。だから、悪魔がこちらを追ってきても、逃げ切る自信があります」
それは、嘘でなく、本当にそう思ったうえで伝えたことだ。それが冴木と美優に伝わったようで、二人は複雑な表情を見せた。
「わかった。タイミングなどは、翔に任せる。俺は指示した通りに動く」
「はい、お願いします。美優、大丈夫だ。安心しろ」
心配した様子の美優を安心させるため、翔は笑顔を見せた。すると、美優は強く頷いた。
「うん、約束だよ?」
「ああ、約束する」
それから、降りた後も話ができるよう、翔はイヤホンをつけたうえで美優と通話を繋ぎ、その状態を維持することにした。
「それじゃあ、ここから銃で牽制します」
「ああ、頼んだ」
そうして、翔は狙いを定めると、悪魔に向けて銃を撃った。しかし、冴木の言った通り、動く車の中からだと、上手く狙いを定めることができなかった。
とはいえ、悪魔はこちらを警戒した様子で、少しだけ距離を取った。
「それじゃあ、さっき言った場所で、少しだけ速度を落としてください。無理やり降ります」
「わかった。翔、必ず後で合流するからな」
「はい、それじゃあ……お願いします」
そうして、冴木が速度を緩めたタイミングで、翔はドアを開けると、地面を転がるようにして、車から降りた。
そして、どうにか勢いを止めつつ立ち上がると、翔は悪魔の乗るバイクに銃を向けて、何度も撃った。その銃弾は、何発か悪魔の身体などに当たったようだが、バイクを止めることはなかった。
そうした行動によるものか、悪魔は、翔のことも排除するべき敵だと強く認識した様子で、真っ直ぐ向かってきた。それこそ、翔を轢き殺そうと思っているようだった。
ただ、それは翔の思惑通りだった。
バイクが目の前まで迫ってきたところで、翔は牽引ロープの先に付けた工具を、投げるというより、投げ落とすといった形でバイクにぶつけた。
すると、その工具は狙った通り、二本あるフロントフォークの丁度間に入った。
それから、翔は咄嗟に身体を振って、バイクをかわした。それと同時に、牽引ロープのもう一方の先に付けた工具箱を蹴り飛ばした。
その直後、複数の金属音が鳴ると、バイクの前輪が固定されたようで、バイクは宙返りをするような形で吹っ飛んだ。
そして、そのまま悪魔はバイクから落ちつつ、地面を転がった。
その瞬間、翔は倒れた悪魔に追い打ちをかけようかといった考えを持った。
「翔、早く逃げて!」
ただ、そんな美優の言葉を聞いて、翔はすぐに走り出した。
車を降りる際に転がったため、入る予定の廃墟とは、想定したよりも離れていた。そのため、翔は廃墟に向かって、それなりの距離を走ることになった。
そうして廃墟を目の前にした時、銃声が響くと同時に、翔は背中に衝撃を受けた。そのため、軽く転びそうになったものの、どうにか廃墟の方へ入った。
「翔、大丈夫!?」
「……ああ、防弾チョッキに当たっただけだ。これ、ちゃんと効果があるんだな。千佳に感謝しないとな」
背中を殴られたような感覚はあったものの、千佳からもらった防弾チョッキのおかげで、怪我は負っていないようだった。それだけ確認した後、翔は発煙筒に火をつけると、廃墟の中に向けて投げた。そして、煙が上がる中、その横を走り抜けた。
そうして、発煙筒の煙が悪魔の視界を遮っている間に、翔は、廃墟から廃墟へと移りながら移動していった。
そのまま悪魔から逃げ切ることができたようで、翔は圭吾が用意してくれたバイクまで辿り着くと、すぐにその場を離れた。
「バイクに乗れた。美優と冴木さんは、大丈夫か?」
「うん、私達も離れたよ」
「それじゃあ、どこで合流するか決めるか」
そんな風に冴木が言ったものの、翔は迷いを持った。
「待ってください。悪魔やケラケラが、こちらの潜伏先を特定した理由がわかりません。なので、一旦別行動を取りませんか? その間に、自分は、これまで行けなかったセレスティアルカンパニーへ行って、光さんなどから話を聞きたいです」
「それもいいが……美優、すまない。運転を代わってくれないか?」
冴木は、どこか弱弱しい声だった。
「冴木さん、どうしたんですか? 冴木さん!?」
「すまない。一旦止める」
姿は見えないものの、そうした会話から、何が起こっているか、翔は何となく察した。
「翔、どうしよう? 冴木さんの様子が……」
「美優、すぐに合流するから、それまで運転を頼む。大丈夫だ。すぐに行く。通話を繋いだまま指示を出すから、それに従ってくれ」
「……うん、お願い」
「大丈夫だ。安心しろ。だから、そんな不安げな声を出すな」
翔は美優を励ますように声をかけた後、美優達と合流するため、指示を出しながら、バイクを走らせた。




