後半 09
千佳は、目を覚ました時、自分がどこにいるのか、しばらく理解できなかった。
ただ、昨夜の経緯などを思い出すと、突然涙が溢れてきて、そのまま声を上げてしまった。そうしていると、慌てた様子で鈴が部屋に入ってきた。
「千佳ちゃん、大丈夫だよ! だから、落ち着いて!」
そう言うと、鈴は、千佳を抱き締めた。
「だって、孝太が……」
「うん、辛いし、受け入れられないよね。でも、それでいいんだよ。我慢しなくていいからね」
そんな優しい言葉をかけられて、そのまましばらく千佳は泣いていた。
そうして、永久に涙は止まらないだろうかと思っていたものの、不思議なもので、自然と涙は止まった。
「落ち着いたら、少しでもいいから、何か食べてくれないかな?」
「食欲ないです」
「うん、そうだと思うけど、消化のいい、お粥とかを用意するから、頑張って食べてよ」
「すいません、今はいいです」
「でも……」
その時、スマホが鳴ったため、鈴はすぐにスマホを取り出した。
「ちょっとごめんね。もしもし? うん……え、もう来てくれたんだね。うん、二人とも通してあげてよ」
それだけ話すと、鈴はスマホを切った。
「千佳ちゃんの話し相手になってもらおうと、声をかけていた人がいるんだけど、早速来てくれたみたいだよ。千佳ちゃんと同い年だし、話も合うと思うから、会ってくれないかな?」
「でも……」
「実は、千佳ちゃんと同じような境遇で、その時の話を聞いてほしいと思っているんだよ。人助けと思って、お願いできないかな?」
「……わかりました」
本当は、会いたくないといった気持ちの方が大きかったものの、そこまで言われてしまい、千佳は断れなかった。
「それじゃあ、行ってくるね」
そう言うと、鈴は部屋を出て行った。それから少しして、鈴と一緒に、制服を着た二人が入ってきた。一人は女子で、パッと見た印象として、スタイルも良く、キレイな人だと感じた。そして、もう一人は男子で、大助ほどじゃないものの身長が高いと感じた。
「二人とも、学校へ行く前に来てくれたみたいだよ。本当にありがとう」
「いえ、私達が今すぐ来たいと思って来たんです」
「俺も同じです。てか、孝太が死んだって……」
「待ってください。まずは私に任せてくれませんか?」
女子は、座っている千佳に目線を合わせるように、その場に座った。それに合わせるように、男子もその場に座った。
「二人に任せてもいいかな?」
「はい、大丈夫です」
「それじゃあ、私は部屋の外にいるから、何かあったら、すぐに言ってね」
そう言うと、鈴は部屋を出て行った。そうして、部屋の中は三人だけになった。
「まず、自己紹介をしましょうか。私は、万場朋枝です。朋枝と呼んでください。それで、彼は……」
「俺は、尾辺隆だ。隆と呼んでくれ。よろしくな」
会った時から、千佳は二人をどこかで見たような気がしていた。ただ、こうして名前を聞いてみたものの、いつどこで見たのか、思い出せなかった。
「えっと、千佳さんと呼んでもいいですか?」
「あ、うん、千佳でいいよ」
「私は、結構前から鈴さんのお世話になっているんです。実は、小さい頃、私は母などから虐待を受けていたんです。隆君など、同級生のみんなが助けてくれて、母とは離れて暮らすようになったんですけど、私はすっかり自信を失ってしまったんです。それで、鈴さんのカウンセリングを受けるようになったんです」
その話は、本来なら隠したいことのように感じた。しかし、朋枝は、ただ普通の昔話をしているような口調だった。
「カウンセリングを受けているうちに、私は少しずつ自信を持つようになって、それから縁もあって、トモトモという名前で、モデル活動を始めたんです。最近では、CMやドラマにも出ています」
「あ、だからどこかで見たことがあると思ったんだ。テレビとか雑誌で、見たことあるよ」
「本当ですか? ありがとうございます。嬉しいです」
朋枝は嬉しそうに笑顔を見せた。それから、千佳は隆の方へ顔を向けた。
「多分、練習試合とかで、お互い見かけてるんじゃねえか? 俺、赤兎高校のサッカー部に入ってて、城灰高校と練習試合をやったことがある。そこで、おまえのことを見かけた気がする」
「確かに、そうかもしれない」
二人のことをどこかで見た気がしていたものの、それがどこでだったかわからず、千佳はモヤモヤしていた。それがこうして解決して、モヤモヤが消えた。
「それなら、緋山春来君のことも知っていますか?」
不意にそう聞かれて、千佳は戸惑ってしまった。
「うん、孝太から話を聞いて……孝太……」
孝太から春来の話を聞いた時のことを思い出すと、自然と千佳の目から涙が零れた。
「ごめんなさい。そんなつもりではなかったんですけど……私も、一緒に泣いてもいいですか?」
「え?」
何を言われたのか、上手く理解できなくて、千佳は朋枝に目をやった。そして、目に涙を浮かべる朋枝を見て、理由はわからないものの、どこか心が穏やかになった。
「一年前、春来君と、春翔ちゃんという、大切な友人二人を亡くしました。それで、私だけでなく、隆君も、そのことを整理できなくて、色々と鈴さんに話を聞いてもらったんです」
「俺と朋枝だけじゃねえ。春来を尊敬してた後輩で、英寿って奴がいるんだけど、そいつなんて学校に行かなくなるほど、荒れちまったんだ。まあ、鈴さんとかが色々と動いてくれて、また学校に行くようになったけどな」
「今回、千佳さんが私達と同じように、大切な人を失ってしまったと、鈴さんから聞きました。だから、話をしたいと思って、来たんです。今すぐ、気持ちの整理をつける必要はないと思います。ただ……そうですね。お友達になれたら、嬉しいです」
同じような辛い経験をした人同士が集まり、お互いに思いを伝え合うというのは、それだけで気持ちが軽くなるものだ。そうしたことを感じて、千佳は笑顔を作った。
「うん、ありがとう。孝太のこと……ホントに悲しい。ただただ悲しい。もういないなんて、信じられない」
「私もそうです。今でも、どこかに春来君と春翔ちゃんがいるように思うこともあります。でも、会えなくて……本当に悲しいです」
そんな風に話す朋枝の目からは、いつの間にか涙が零れていた。また、朋枝だけでなく、顔を隠しているものの、隆も泣いている様子だった。
「話すことで、気持ちが整理できることもあります。だから、聞いてもらってもいいですか?」
「うん、いいよ」
「さっき話しましたけど、私は虐待を受けていました。そんな私を助けるため、中心になって色々としてくれたのが、春来君と春翔ちゃんなんです。その時のことは、今でも感謝してもし切れないです。それから、私は転校したんですけど、高校でまた一緒になって、再会したんです」
朋枝は、ゆっくりとした口調で、話を続けた。
「私は、春来君のことが好きでした。でも、春来君と春翔ちゃんがお互いを思い合っていたので、二人を応援することにしたんです。それで、二人が結婚すると報告してくれた時は、本当に嬉しかったです」
「結婚?」
「籍を入れることはできない年齢でしたけど、事実婚という形で、二人は夫婦になることを選んだんです。そのことが嬉しくて、心から祝福したんですけど……そのすぐ後、春来君に命の危険があると言ってきた人がいて……それから、春来君だけでなく、春翔ちゃんも学校に来なくなって……春来君の家で火事があったとか、両親が亡くなったとか、そんな話があった後、春来君と春翔ちゃんが亡くなってしまったんです」
それは、言葉にするのも辛いようで、朋枝は途切れ途切れといった形で、話していた。
「ガス爆発を起こした建物にいて、それに巻き込まれたといった話でしたけど、その前に命の危険があるといった話もありましたし、何があったのだろうかと、色々調べました。でも、結局何もわからなくて……今も気持ちの整理がついていないのは、それが原因かもしれないです」
そこまで話を聞いて、千佳は上手く話せないかもしれないといった不安を持ちつつ、口を開いた。
「何があったのか、少しだけ説明できるかも」
「え?」
「その……孝太が殺されたのも、それと関係があることなの」
「は!? 孝太が死んだとは聞いてたけど、殺されたって、どういうことだよ!?」
隆が強い口調で迫ってきたため、千佳は驚いてしまった。
「隆君、待ってください! 千佳さん、驚かせてしまって、すいません。ただ……その話、詳しく聞かせてほしいです」
「でも、上手く話せるか、わからないし……」
「ゆっくりでいいですから、話してください」
そう言われて、千佳は気持ちを落ち着かせると、話すことにした。
「TODっていうのがあって、それは毎月あるみたいなの。それで、ターゲットに選ばれた人が死んだら、賞金が手に入る人がいて、その人達がターゲットを殺そうとしてきて……今、私の友達の美優が、ターゲットになってるの。それで、孝太と私は何かできることはないかって、色々やってたんだけど、翔から危険だって言われて、距離を置くことにしたの。あ、翔っていうのは、同じクラスの男子で、今は美優を守るため、美優と一緒にいるの」
こんな説明で通じるだろうかと思いつつ、千佳は話を続けた。
「それで、孝太と私はTODから距離を置いてたのに……昨日の夜、孝太が何か気付いたみたいで、それを報告しようとしたら、何かスマホが壊れちゃって、だから直接伝えるために、走って行っちゃって、私は転んじゃって、少し遅れて追いかけたんだけど、そしたら、孝太が……」
その時のことを思い出して、千佳は言葉に詰まってしまった。そんな千佳を、朋枝は落ち着かせようとしてくれたのか、優しく抱き締めた。
「大丈夫です。辛いことを話させてしまって、すいませんでした」
朋枝の言葉を受けて、千佳は胸が温かくなった。そして、まだ話さないといけないことがあると、自分を奮い立たせた。
「春来って人は、一年前のTODでターゲットに選ばれて、それで殺されたって聞いたよ。だから、孝太は何かできることがあるならしたいって……孝太は春来のことをライバルと思って、亡くなった後も、ずっと追いかけてたみたいだから……」
「話してくれて、ありがとうございます。そう……そんなことがあったんですね」
朋枝は、色々と思うところがあるようで、噛み締めるようにそう言った。
「朋枝、そのTODとかいうの、調べてくれねえか?」
「ああ、うん、ちょっと待ってください」
そう言うと、朋枝は千佳から離れて、スマホを操作し始めた。
「待って! 危険だよ! だって、それで孝太は……」
「俺は、春来と春翔に恩があって、いつか必ず恩を返すって約束したんだ。でも、二人とも勝手に死にやがって……今更だけど、これが二人への恩返しになるなら、どんな危険があっても構わねえ」
「私も、隆君と同じ気持ちです」
そんな二人を見て、どこか孝太と重なる部分があった。そのため、千佳は少しでも二人の力になろうと思った。
「TODって、普通に調べても何も出てこないよ」
「確かに、何もわからないですね」
「今、スマホが壊れちゃって、私も調べ方がわからなくなっちゃったんだけど、何か特殊なネットワークを使わないといけないみたい」
「朋枝、どうにかできねえのか? 芸能界みてえなとこにいて、そういう話とか聞いたことねえのかよ?」
「ちょっと、わからないですね」
その時、何故、隆はスマホを使わないのだろうかといった疑問を持ち、千佳は自然と隆に目が行っていた。そんな千佳に気付いたのか、朋枝は軽く笑った。
「隆君、スマホを持っていないんです」
「え?」
「意外ですよね」
「しょうがねえだろ。親がスマホ嫌いで、買ってくれねえんだよ」
「でも、バイトをして自分で買うと言っていたじゃないですか」
「シューズとか、そっちに金がかかって、余裕がねえんだよ。てか、そんなことどうでもいいから、とにかくTODについて調べてくれよ」
「ちゃんと調べています。でも、いくら調べても何も出てこないんです」
朋枝と隆のやり取りを見ていると、千佳はこれまであったことを少し忘れて、自然と笑みが浮かんだ。
「ダークって不良グループ、知ってるかな? その人達は特殊なネットワークを使ってて、それを使えば、色々とわかると思うよ」
「確か、英寿が一時期入ってた、ライトって不良グループのライバルだったな」
「そういえば、周りを見張ってる人、いなかった? その人達、ライトやダークの人だから、頼んでみたら、聞いてくれるかもしれないよ?」
「確かにいたけど……いや、他に当てがあるから、そっちにお願いする」
そんな話をしていたら、鈴が部屋に入ってきた。
「朋枝ちゃん、隆君、そろそろ学校に行った方がいいんじゃないかな?」
「あ、もうこんな時間だったんですね」
「ああ、そうだな。まあ、多少遅刻するぐれえなら、問題ねえだろ」
「問題ありますよ。それじゃあ、千佳さん、私達は行きますね。でも、また話をしたいので、連絡先を……そういえば、スマホが使えないんでしたね。それじゃあ、私の連絡先を教えておきます」
そう言うと、朋枝はメモとペンを取り出して、自分の連絡先を書くと、それを千佳に渡した。
「スマホが使えるようになったら、ここに連絡してください。それまでは、鈴さんを通して連絡しますね」
「うん、わかった。私も、もっと話したい」
千佳の言葉に対して、朋枝は嬉しそうに笑顔を見せた。
「それじゃあ、行きましょう」
「いや、ちょっと待ってくれ」
部屋を出ようとした朋枝に対して、隆は、真剣な表情で千佳の前に立った。
「死んだ奴のことばかり考えて、くよくよしてるだけじゃ、どうにもならねえだろ? だから、ありきたりな言葉かもしれねえけど、俺は死んだ奴の分まで、精一杯生きようと思ってる。千佳も、そうするのが一番じゃねえか?」
「隆君、今そんなことを言っても、まだ整理がつかないと思います」
「整理なんてつけなくていいんだよ。とにかく、俺達は生きるしかねえだろうが」
そんなことを言った隆に対して、朋枝は呆れた様子を見せた。
「千佳さん、すいません。隆君も悪気はないので……」
「ううん、ありがとう。うん……私もそう思うよ」
そう言うと、千佳は必死に笑顔を作った。
「それじゃあ、行くか」
「……はい。それじゃあ、千佳さん、また絶対に話しましょうね」
「うん、よろしくね」
そうして、朋枝と隆は部屋を出て行った。
それから少しして、千佳は大きく息を吐いた。
「鈴さん、何か食べたいです。食欲はないですけど……何か食べたいです」
そんな千佳の言葉を受けて、鈴は嬉しそうに笑顔を見せた。
「うん、実は話している間にお粥を作ったから、こっちで食べてもらおうかな」
それから、千佳は鈴と一緒にリビングへ行くと、出されたお粥を口に運んだ。
食欲がなく、食べているというより、ただ食べ物を口に入れて飲み込んでいるといった感覚だった。
それでも、千佳は隆の言葉を思い出しつつ、食べることで、精一杯生きようと強く思った。




