後半 08
交代で監視を続けていた翔達は、気付けば朝を迎えていた。
そうして、全員が起きたところで、監視は続けつつ、それぞれで朝食を取っていた。
「ちゃんと休めたか? こんな状況だが、だからこそ休める時に休んだ方がいい。少しでも寝られそうなら、寝た方がいい」
「その言葉、そのまま冴木さんに返したいです。もっと休んでください」
「俺はいつもこんなもんだ。むしろ、いつもより休めているぐらいだから安心しろ」
その話の真偽はわからなかったものの、翔自身もあまり休んでいないはずなのに、眠いという感覚はなかった。それは、今の状況による緊張感などが関係しているのかもしれない。そして、自分と冴木がどこか近付いているのだろうかと感じつつ、それは言葉にしなかった。
「私も大丈夫です。あ、私は食べ終えたので、監視、代わりますよ」
そんな風に言った美優は、少ししか食べていなかった。
「美優、もっと食べた方がいい」
「ごめん、食欲がなくて……」
「翔の言う通りだ。食欲がなかったとしても、食べることは大事だ。苦しいかもしれないが、もう少しだけでいい。食べてくれ」
「……わかりました」
翔と冴木の言葉を受けて、美優は押し込むようにパンを口の中に入れた。
それから、美優が監視することになり、翔は冴木にあるお願いをすることにした。
「冴木さん、昨夜話した通り、また合気道を教えてもらえませんか?」
「ああ、わかった。といっても、もう翔に教えることはあまりなさそうだが……」
「悪魔を相手にした時、逃げるべきだというのは、もう理解しています。ただ、どうしても相手をしないといけなくなる時もあるかもしれません。それを想定して、何をするべきか知りたいんです」
「難しいお願いだな……。だが、それは俺も考えていたことだ。それに、翔から一年前の話を聞いて、いくつか思うところもあったんだ」
冴木は、そんな前置きをしつつ、話を続けた。
「あくまで、逃げることが大前提だ。だが、何かしらかの理由で逃げるのが難しい時、悪魔を相手にしないといけなくなるだろう。その際は、俺と翔で相手をして、少しでも美優が逃げる時間を稼ぐ」
「待ってください! その時は、私も一緒に戦います!」
美優は強い口調でそう言った。そんな美優に対して、冴木は首を振った。
「美優、監視に集中しながら聞いてほしい」
「あ、はい」
「美優がそう言うのはわかっていた。だが、今話しているのは、悪魔から逃げられない状況になった時の話だ。はっきり言わせてもらうが、美優がいなくて、俺と翔の二人だけなら、逃げられる可能性が高いと思っている。これは、美優が足手まといというわけじゃなくて、悪魔の標的が美優だからだ」
冴木は、遠回しな表現でなく、強い口調でそう伝えた。
「これまで、篠田やセーギが殺されているから、確かに俺や翔も危険ではあるだろう。だが、美優が逃げてくれれば、悪魔はそちらに意識が向くはずだ。それが隙になって、俺と翔にとっては有利な状況が作れるわけだ」
どこまでが本心で、どこからが強がりだろうかと思いつつ、翔は冴木の言う通りだと感じた。
「だから、俺と翔を助けると思って、美優は逃げてほしい」
「……わかりました」
納得していない様子だったものの、否定する言葉が見つからなかったようで、美優は素直に受け入れた。
「それで、俺と翔で悪魔を相手にすることを想定して、何をすればいいかを順に説明する。まず、パワードスーツを着ているのか、デーモンメーカーのような薬で強化しているのか、わからない部分もあるが、悪魔は関節を普通に動かしていただろ?」
「確かに、そうですね」
「だから、その関節への攻撃は有効かもしれない。といっても、関節技が決まるとは思えないし、そもそも何の保証もない考えだ。例えば、関節を狙って銃を撃ったところで、そこも防弾になっている可能性すらあるかもしれない」
「それじゃあ、どうすればいいんですか?」
「少なくとも、曲がるということは、曲げることもできるはずだ。だから、関節を狙って相手を転ばせることはできるだろう。これは、翔が一年前にしたことと似ている」
そう言われたものの、一年前に悪魔を相手にした時は、ただただ必死で、ほとんど翔の記憶に残っていなかった。
「だが、二人で相手をするとなれば、さらにできることは増える。何より大きいのは、どちらかが背後を取りやすいことだな。お互い、そのことを意識したうえで……実際にやった方がわかりやすいだろう。翔、背中を向けてくれないか?」
「はい、わかりました」
何があるのだろうかと思いつつ、翔は冴木に背中を向けた。その直後、冴木が背後から膝を蹴ってきた。
そんなことをされて、当然のように翔は体勢を崩すと、床に手を着いた。
「いきなり何をするんですか?」
「悪かったな。だが、実際に受けてもらった方がわかりやすいと思ったんだ。今、俺は軽く蹴った。だから、痛みとかはないだろ?」
「はい、確かにそうですが……」
「それでも、そうやって簡単に体勢が崩れただろ? これは、悪魔にも通用するはずだ。当然、その時は手加減なんかするな。思い切り蹴ってやれ」
関節を狙うように言われた時、その意味を翔は上手く理解できなかった。ただ、実際に自分で受けてみて、悪魔を相手にするうえで、これは有効かもしれないと感じた。
「当然だが、背後から攻撃するには、相手の背後を取る必要がある。そのためには、あえて囮になるといった動きも必要になる。といっても、翔は空間把握能力が高いし、サッカーの経験もあるから、何の問題もなさそうだな」
「そうだとしても、何の打ち合わせもなく、いきなり合わせられる自信はないです」
「そうだろうな。だから、どうだ? 改めて、俺と手合わせをしないか?」
それは、あまりにも予想外の提案だったため、言葉を失ってしまった。
「ここでやるわけにもいかないだろう。美優、俺と翔は外に出るから、何か異常があれば、すぐに知らせろ」
「あ、えっと、はい、わかりました」
美優の驚いた様子を確認しつつ、翔は頭を整理した。
「本当に、自分と冴木さんで手合わせをするんですか?」
「お互いに何をするかわかっていた方が、連携も取りやすい。そのためには、手合わせをするのが一番だ。だが、お互いに怪我をしないよう、手加減はしよう」
本当に手合わせをするのかといった驚きは残りつつ、これまでも可唯と手合わせをすることで、自身の実力が向上したという自覚はあった。また、冴木を相手に自分はどこまでできるのかといった思いもあり、翔は頷いた。
「わかりました。お願いします」
「それじゃあ、外に出よう」
そうして、翔と冴木は外に出た。そこまで整備されていないこともあり、辺りには雑草などが生えていて、芝生のようになっている。それは、倒れても怪我をしにくいといったメリットがあり、手合わせをするのに適していた。
それから、翔と冴木はお互いにストレッチなど、軽いウォーミングアップをした。
「準備はいいか?」
「はい、お願いします」
「そういえば、さっきは手加減をしろと言ったが、翔は本気でも構わない」
「え?」
「大丈夫だ。お互いに怪我がないようにする」
それは、冴木なら本気の翔を相手にしても、怪我を負うことはないという宣言だった。それを受けて、翔は足首を回しながら手をブラブラとさせた。
「わかりました。ハンデなしでいきます」
「それじゃあ、いつでも来い」
翔は、鉄也に教わったL字ガードに構えた。
一方、冴木は拳を握ることなく、両手を軽く上げただけの構えだった。ただ、隙が一切なく、どう攻めればいいか、翔は迷ってしまった。
「来ないなら、俺から行く」
そう言うと、冴木は拳を握り、こちらに向かってきた。それに対して、翔は冴木に習ったことを思い出した。それは、自分がどの距離で戦うべきかといった意識を持つことだ。
単純な体格差では、冴木の方が大柄だ。そのため、こちらが攻撃できないところから一方的に攻撃されてしまう可能性がある。しかし、むしろその距離よりも近付くことができれば、反対にこちらが有利な状況を作ることができるかもしれない。
そんな意識から、冴木の攻撃が届きそうな距離まで近付かれたところで、翔の方から踏み込むように距離を詰めて、パンチを繰り出した。しかし、冴木はそんな翔の動きを予測していたようで、拳を開くと、翔のパンチを受け流した。それにより、翔はそのまま前に転んでしまった。
「大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」
翔は立ち上がると、深呼吸をした。
今のは、完全に攻撃を誘われ、まんまとしてやられた形だ。そのことを理解しつつ、翔は不用意な攻撃を控えようと意識した。
その直後、冴木は一気に距離を詰めると、いくつもパンチを繰り出してきた。そのため、翔は冷静に防御に徹した。
そうしていると、不意に冴木は手を前に出しながら、さらに近付いてきた。それは、柔道のようにこちらの胸倉を掴むなどして、投げるつもりなのだろうと判断すると、それを止めるように翔は冴木の腕を掴んだ。しかし、次の瞬間、関節を決められつつ、気付けばその場に倒されてしまった。
それでも翔は諦めることなく、倒れたまま蹴りを繰り出したが、冴木はそれを腕で受けつつ、距離を取った。
そして、翔はすぐに立ち上がると、今度はパンチでなく、蹴りを中心に攻めることにした。それは、蹴りならリーチが長いため、冴木とのリーチ差を埋めることができると思ったからだ。しかし、冴木は翔の蹴りを単に受けるだけでなく、むしろ翔の脚を攻撃するように弾いた。
そうして、脚に痛みを感じたところで、翔は攻撃をやめると、距離を置いた。
これまで、冴木から様々なことを教えてもらって、時には手取り足取りといった形で、多少なりとも対峙したこともある。しかし、こうして手合わせをしてみて、翔は何をすればいいのかわからなくなってしまった。
「思考を止めるな。そんなんじゃ、美優を守れない」
「……わかりました」
冴木の言葉を受けて、翔は頭を切り替えようと思い、深呼吸をした。
冴木は、防御が主体で、こちらの攻撃を誘っては、カウンターのように反撃するのが基本的な戦術のようだ。だからといって、こちらが防御に徹すれば、一方的に攻撃を受けるだけだ。そう考えると、翔の攻撃も防御も、冴木には通用しないということになってしまう。そんなネガティブな思考を翔は捨てると、L字ガードから、デトロイトスタイルに切り替えた。
デトロイトスタイルは攻撃的な構えで、フリッカージャブという軌道の読みづらいジャブで相手を牽制するのが特徴だ。そんな翔の行動に対して、冴木は距離を取りつつ、こちらのジャブの軌道を観察していた。それは、このフリッカージャブにも対応しようといった意図が見えて、翔は戸惑った。ただ、攻撃の手は止めなかった。
そうしていると、冴木がこちらのフリッカージャブを弾くと同時に、距離を詰めてきた。そのまま、胸倉を掴まれ、投げられそうになったところで、翔は咄嗟に右拳を振り下ろして、冴木の腕を攻撃した。
そうして、翔は胸倉を掴む冴木の手を振りほどくと、距離を取ると同時に蹴りを繰り出した。ただ、その攻撃も冴木には通じず、また弾かれてしまった。
その直後、冴木が腕を下ろした。
「もう十分だろう。ここまでだ」
「いえ、まだ……」
「これは勝負じゃない。お互いの動きを知るという目的は、十分果たせただろ?」
冴木の言う通りと思いつつ、まさに手も足も出ない状況だったため、翔は悔しいという思いを強く持った。
「俺は、相手のしたいことをさせないよう、意識している。だから、やりにくかっただろ?」
「はい、何をすればいいか、わからなくなってしまいました」
「翔は、オーソドックスというか、素直な動きだから、俺にとっては読みやすい相手になるんだ。だが、それを無理に変える必要はない。前に話した通り、時々トリッキーな動きを入れるぐらいでいいだろう。今回で言えば、途中でデトロイトスタイルに変えたのは、良い案だった」
「でも、通用しませんでしたよ?」
「そんなことない。ここで止めたのは、お互いに怪我をしない保障がなくなったからだ。このまま続ければ、必ずどちらかが怪我をする。そう思って俺は止めた。だから、今回は翔の勝ちだ」
そんな風に言われたものの、このまま続けた時、怪我をするのは自分だっただろうと翔は感じた。というのも、途中で関節を決められた時、冴木が本気を出せば、そのまま骨を折られているはずだった。そうしたことを理解しているため、何も言えなかった。
「それじゃあ、本題に入ろう。俺と翔で悪魔を相手にする場合、俺が囮になるのがいいだろう」
「どうしてですか?」
「さっき言った通り、俺は相手のしたいことをさせない。そうして、悪魔の注意をこちらに向けたうえで、翔が悪魔の背後から攻撃を仕掛けるんだ。当然、悪魔が翔に意識を向けることもあるだろう。そうなれば、今度は俺が背後から悪魔の動きを止める。とにかく、正攻法とか、正々堂々とか、そんなことは忘れろ。二対一の時点で、こちらの方が卑怯なんだ。だから、卑怯に、汚く、悪魔を相手しよう」
それは、いわゆる手段を選ばないということだ。そうしたことを受けて、翔はある疑問を冴木にぶつけることにした。
「冴木さんは、悪魔をどうやって止めようと思っていますか?」
「どういう意味だ?」
「その……自分は、もう復讐など考えていません。それは本当ですが……悪魔を止める手段、殺す以外に何がありますか?」
そんな質問をぶつけると、冴木は複雑な表情を見せた。
「その質問には答えられないが、その代わりに言いたいことがある。もしも、悪魔を……いや、悪魔に限らず、誰かを殺さなければならない状況になった時、それをするのは俺だ」
「え?」
翔は、冴木の言葉の意図がわからず、言葉を失ってしまった。そうしていると、冴木はため息をついた。
「人を殺すというのは、一線を超えることだ。だが、誰かが一線を超えなければならなくなった時、それは俺がやるべきだろう」
「待ってください。冴木さんは、今まで……」
「ああ、俺は今まで人を殺したことはない。だが、それは運が良かっただけだ」
「そんなことないと思います。相手を殺すことなく、無力化してきたということですよね? 今、冴木さんと手合わせをして、そうしたことを感じました」
それは、お世辞などでなく、本音そのものだった。ただ、冴木の表情は浮かないままだった。
「俺は、堅気の人間じゃない。銃を所持していることもそうだが、多くの罪を犯している。それなのに、殺人という罪だけ犯していないのは、それさえしなければ普通と変わらないと思いたい、俺の弱さだ」
それから、冴木は真剣な表情になった。
「昨夜話した通り、翔は自分の幸せを考えてほしい。だから、どんな状況でも、人を殺さないでほしい。さっきも言った通り、人を殺すという、一線を超えた行動を取るのは、俺が引き受ける」
そんな冴木の言葉に、翔は何も言えなかった。そうして、少しの時間が過ぎたところで、冴木は穏やかな表情を見せた。
「そろそろ戻ろう。実際に悪魔を相手にする時、どうすればいいか、助言もあるからな」
「あ、はい」
そうして、結局、何も言えないまま、翔は冴木と一緒に中へ戻った。




