後半 06
目を開けると、見慣れた景色がそこにあった。
いつも春来と春翔が一緒にいた、公園のベンチ。隣に目をやると、今日も春翔がいた。
ただただ幸せな時間。しかし、これが何なのか、すぐに気付いてしまった。
「これは夢だ。もう春翔はいない」
そう伝えると、春翔は寂しそうに笑った。
「ううん、私はもう少しだけ一緒にいるよ。だって、私のこと、まだ必要でしょ?」
その質問に、答えることはできなかった。
答えはすぐに出た。自分にとって、春翔は、今でも必要な存在だ。
しかし、そう答えてはいけない気がして、言葉が出てこなかった。
翔は目を覚ますと、身体を起こした。そして、目に残った涙を拭った。
それから、いつの間にか寝てしまったことに気付きつつ、今見たばかりの夢を思い返した。
過去のことを話したから、あんな夢を見たのだろうか。そんな風に思ったものの、それは違うとすぐに自覚した。なぜなら、春翔と一緒にいる夢をこれまで何度も見ているからだ。
それは、春翔が夢の中でだけ会いに来てくれるといった、いいものではなくて、ただ自分の思いや悩みなどが見せている幻覚と変わらない。その証拠に、目を覚ますと、春翔がいないということを改めて自覚して、いつも悲しくなってしまう。そして、自分はまだ何も変わることができていない、弱いままなのかと不安になる。
「……嫌な夢だ」
そのため、春翔と一緒にいる夢を見た後は、いつもそんな感想になってしまう。
それから、翔はスマホで時間を確認すると、まだ交代する予定の時間より早かったものの、ベッドから出た。そして、美優の寝顔を軽く見た後、寝室を出た。
そのまま、翔は冴木がいる場所へ行った。
「冴木さん、交代します」
「早くないか? もう少し休んでいていい」
「十分寝られたので、大丈夫です。それに、冴木さん、ほとんど休んでいないですよね? 今後も何があるかわかりません。きっと、自分だけでは対処が難しいこともあるはずです。だから、少しでも休んでください」
「わかった。それじゃあ……」
その時、冴木と目が合った。同時に、冴木はどこか驚いたような反応を見せた。
「冴木さん?」
「……少し話さないか? 隣に座れ」
そんな風に言われた理由がわからなかったものの、翔は素直に従って、隣に座った。
ただ、冴木は少しの間、特に何も話さなくて、沈黙が走った。
「……あの?」
「自分が何者かと悩むことは、俺もある。翔は、別人として生きることになった分、尚更悩むこともあるだろう。だが、おまえはおまえだ。春来だった自分も、今翔として生きている自分も、全部おまえだ。どちらも否定するな」
まるで心を見透かされているような感覚を持って、翔は戸惑った。
「何で、そんなことを言うんですか?」
「……俺が言うことじゃない。鏡……丁度いいな。窓に映った自分を見れば、すぐにわかるはずだ」
冴木に言われるまま、翔は窓に目をやった。外が暗いため、窓は鏡のように自分の姿を映していた。そうして、窓に映った自分の顔を見て、思わず息を呑んでしまった。
そこに映っていたのは、整形した後の顔を初めて見た時と同じで、ただ顔が違うだけの、緋山春来だった。自分に自信がなくて、弱いままの自分。消したはずの自分。それが、今もここにいた。
「いえ、こんなの……」
「弱い自分を否定するな」
冴木は、強い口調でそう言った。
「俺は弱い。それは、一人になることを選択したからだ。そのことを後悔しているが、否定はしない。この弱い自分も自分だと受け入れるようにしている。それが、本当の意味での強さになると思っているからだ」
翔は、強くなると決めた時、冴木のようになりたいと思った。そんな冴木が自分自身のことを弱いと言ったため、驚いてしまった。
「翔は、俺に似ているんだ」
「それは、自分が冴木さんのようになろうとしたからだと思います」
「まず、俺なんかを参考にするなと言いたいが、今言ってもしょうがないな。それに、元々、俺達は似ていたように感じるんだ」
そう言われたものの、翔はそんな実感が一切なかった。
「特に一人で抱え込んでしまう、悪いところがよく似ている。俺も人のこと言えないが、悩みなどを吐き出さずに一人で考え込んだところで、いい結果にはならない。もっと自分自身を表に出していい」
「でも……さっきも話しましたが、自分が緋山春来だという事実は、どんな危険を招くかわからないので、隠す必要があります。だから、自分自身を表に出すということは、できません」
「その考えが、そもそも正しいのか? 緋山春来を隠す必要、俺はない気がするんだ」
そう言われて、翔は何も言えなかった。冴木の言う通り、初めから自分が緋山春来だと言っていたら、孝太は早い段階でTODと距離を取って、命を落とすことはなかったかもしれない。そんな考えを持つと同時に、自分が緋山春来だと知ったことで、命を落とすことになったんじゃないかという考えも消えることがなく、答えは出なかった。
「まあ、俺も美優に言えていないことがあるから、人のこと言えないな」
翔が黙っていると、気を使うように冴木はそんなことを言った。そうしてまた冴木の弱さを見たところで、確かに自分と冴木は似ているかもしれないと感じた。
「前にも言いましたが、美優は冴木さんが父親だと気付いていると思います。だから、そのことを伝えるべきじゃないですか?」
「父親らしいことなんて一度もしたことがない、こんな俺が父親だなんて、そんな確信を持たせたくないんだ」
「美優は、冴木さんが父親だと知って、きっと喜ぶはずです。上手く言えませんが、冴木さんは、立派な父親だと思います。命を懸けて美優を守ったり、美優がこんな自分に好意を持っていることを心配したり、父親らしいと思います」
そんな言葉を伝えると、冴木は苦笑した。
「そう言うなら、父親らしい質問をしてもいいか?」
不意にそんなことを言われて、戸惑いつつも、翔は頷いた。
「答えたくないなら、答えなくていい。翔は、美優と春翔を重ねたり、比べたりしているのか?」
冴木はそんな質問をした後、複雑な表情を見せた。
「美優は、恐らくそう思っている。それで悩んで……辛くなっているように見えるんだ。他の誰かと重ねられたり、比べられたりするというのは、嬉しいことじゃないからな」
「はい、わかっています。でも、自分は美優と春翔を重ねたり、比べたりしたことは、一度もないです。美優から言葉をもらって、春翔のことを思い出すことはありますが、美優と春翔は違います」
それは、すんなりと言葉にできるほど、本心そのものだった。それを受けて、冴木は嬉しそうに笑顔を見せた。
「その言葉、美優に伝えてほしい。きっと喜ぶはずだ」
「そうですかね?」
「あと……改めて質問する。翔は美優のことが好きなのか?」
そんな質問をされて、翔は戸惑った。ただ、真摯に答えるべきだと思って、少しだけ間を空けた。
「……前に話した通り、大切に思っています。ただ、好きかどうかというと、まだ答えが出ていないです。それに……」
この時、翔はある不安を持っていた。そして、そのことを伝えることにした。
「自分が近くにいることで、美優を危険に晒してしまうかもしれない……もう、危険に晒しているかもしれないと不安なんです」
「どういうことだ?」
「今回のTODで美優がターゲットに選ばれたのは、自分のせいかもしれません」
そう伝えると、冴木は複雑な表情を見せた。それを見て、翔は察した。
「冴木さんも、そう思っているんですね」
「いや、そんなこと……嘘をついてもしょうがないな。その可能性もあるとは思っている。翔をTODに深くかかわらせることを目的に、美優をターゲットに選んだのかもしれない」
「そうだとしたら、本当に申し訳ないことをしたと思います」
「そんな風に自分を責めるな。翔だって被害者の一人だ。責めるなら、こんなTODなんてものを開催している者を責めろ」
「……そうですね。ただ、今後もこうした形で美優を巻き込むことになるなら、一緒にいるべきではないと思うんです。そうした考えがあるので、美優のこと、好きかどうかとか、今は全然考えられないです」
翔は、今思っていることを正直に伝えた。それに対して、冴木は少しの間、何を言おうか迷っている様子で、黙り込んだ。
「堅気じゃない俺が言うのも何だが……自分の幸せを考えてほしい。そのためにも、TODを潰すという翔の願いが叶うよう、俺も全力で協力する。そして、それが達成した後でもいい。美優とどういった関係を築いていくか、考えてくれ」
「ありがとうございます。でも……そもそもの話で、自分なんかが相手でいいんですか?」
「そんなこと言うな。美優が自分で選んだ人と結ばれてほしい。そう願うのは、当然のことだろ?」
そんな風に返されて、翔は軽く笑った。
それから、少し間を置いた後、冴木は軽く息をついた。
「それじゃあ、俺は休ませてもらう。監視の方、頼んだ」
「はい、わかりました」
そうして、冴木は寝室へ行った。それから、翔は監視カメラの映像を注視するようにした。
その後、少し経ったところで、美優がやってきた。
「先に任せちゃって、ごめんね」
「いや、まだ予定の時間じゃないだろ? 俺が少し早く起きただけだ」
「私だって、守られているだけじゃ嫌なの。だから、今度は起こしてよ」
「いや、休める時に休んだ方がいいんじゃないか?」
「その言葉、そのまま翔に返すよ」
そう言われて、翔は返す言葉がなかった。それから、美優は隣に座り、一緒に監視カメラの映像を見始めた。
そして、また少しだけ時間が経った後、翔は先ほど冴木と話したことを思い出しつつ、口を開いた。
「その……急に何を言っているんだと思うかもしれないが、俺は美優と春翔を重ねたり、比べたりしていないからな。美優と春翔は違うし、今、俺は美優と向き合っているつもりだ」
「急にどうしたの?」
「そういう反応になるよな。だが、さっき冴木さんと話して、伝えるべきだと思ったから、伝えたんだ。別に無視してもらっても構わない」
「無視なんてしないよ。だって……そう言ってくれて、嬉しい。ありがとう」
美優は噛み締めるように礼を言った。その様子は、本当に嬉しそうに見えた。
それから、美優はどこか気を使うような様子を見せた後、口を開いた。
「春翔さんのこと、少し聞いてもいいかな? 嫌なら、何も聞かないんだけど……」
「嫌なんかじゃない。大丈夫だ」
「ありがとう。それじゃあ……翔は命を懸けて誰かを守るってこと、すごく否定しているけど、それは春翔さんのことがあったからなのかな?」
その質問に対して、どう答えるべきか、翔は少しだけ迷ってしまった。
「上手く話せるかわからないが……元々、命を懸けて誰かを守るというのを否定していたのは、春翔だ。それで、春翔の言う通り、残された人が悲しむからって理由に、俺も納得していた。それなのに、何で春翔が俺のことを守ったのか、よくわからない」
「私はわかるよ。私も春翔さんと同じように、命を懸けて翔を守りたいって思っているよ。それだけ、翔のことを大事に思っているの」
「その気持ちは嬉しいが……俺は、春翔に生きていてほしかった。そのために、俺が死ぬことになったとしてもだ。それは、美優に対しても同じように思っている。俺のせいで美優が死ぬことになるなんて、俺は嫌だ」
強い口調でそう伝えると、美優は困っているような表情になった。
「確かに、私も孝太や篠田さん、セーギさんが亡くなったこと、本当に悲しいよ。でも、それで自分を責めるのは違うと教えてくれたのは翔だし……それだけじゃなくて、ただ悲しいと思うだけなのも、何か違う気がするの」
美優は、言葉を選びながら、そんなことを言った。
「亡くなってしまった人の分まで生きるとか……ううん、そんな軽い言葉じゃなくて、上手く言えないけど、それだけの価値がある人にならないといけないと思っているの。それで、命の危険があるのに、私のために行動してくれたことを、心から感謝できるようになりたいの」
その言葉は、今でも春翔の死を受け入れられていない翔にとって、色々と考えさせられるものだった。
「確かに、美優の言う通りかもしれない。俺は、今でも春翔が生きていて、それこそ、いつも一緒にいた公園に行ったら、普通にいるんじゃないかなんて考えすら持っている。だが、ちゃんと春翔の死を受け入れたうえで、命を懸けて俺を助けてくれたこと、心から感謝するべきなんだろうな」
そんな風に言葉にすると、どこか心が軽くなったように翔は感じた。そして、先ほど冴木に言われた通り、自分自身を表に出すことの大切さのようなものを自覚した。
「だが、やはり命を懸けて誰かを守るということを、俺はしないし、否定したいと思っている」
「うん、それでいいよ。私は翔を否定しないよ。でも、私は命を懸けて翔を守りたいって気持ちも否定しないよ」
「美優がそう言うなら……俺もその気持ちを否定できないな。むしろ、それだけ俺のことを大切に思ってくれて、感謝している。ありがとう」
「どういたしまして」
過去の話をした後、どこか美優は翔に気を使っている様子だった。それは、春翔のことなどを気にしてのことだったのだろう。ただ、こうして話してみて、そうした思いが少し晴れたのか、自然な笑顔を見せてくれた。
その瞬間、翔は思わず自分の胸に手を当てた。そして、大きくなった胸の鼓動を感じた。
それが何を意味するか翔は気付きつつも、今伝えるべきじゃないと考えると、それを言葉にすることはなかった。
「監視すると言っても、ただ映像を見るだけだからな。もっと色々と話してもいいか?」
「うん、私も話したい」
そして、こんな状況ではあるものの、美優と一緒に過ごすこの時間を、翔は心から大切だと感じた。




