後半 01
きっとこの先も、私と同じか、それ以上に春来のことを大切に思ってくれる人がいるから、その人の思いに応えてあげて。その人のことを大切にしてあげて
7月13日(金)
翔が話を終えた頃には、もう日が変わっていた。
「死んだはずのターゲットが生きている。その事実が、どんな危険を招くかわからなかったから、自分が緋山春来だということは、ずっと隠してきたんだ」
そう言いつつも、翔は気になっていることがあった。
「だが、孝太は俺が緋山春来だと気付いていたように感じた。それが原因で、孝太は殺された可能性がある。そうだとしたら、孝太が死んだのは、俺のせいだ」
「そんなことない! 翔のせいじゃないよ!」
「だったら、美優のせいでもないんだ」
美優は、孝太が殺されたことについて、自分のせいかもしれないと自分を責めていた。ただ、翔の言葉を受けて、強く頷いた。
「うん、そうだよね」
それは、強がりもあったかもしれない。それでも、美優が自分を責めることをやめてくれて、翔は安心した。
その時、冴木が軽く息をついた。
「春来……」
「自分は、翔です。さっき言った通り、死んだはずのターゲットが生きているという事実が、どんな危険を招くかわかりません。だから、今後もそのことは隠し続けるつもりです」
遮るようにして翔がそう言うと、冴木は苦笑した。
「それじゃあ、これは独り言だ。一年前、逃げたことをずっと後悔していた。今更謝っても何にもならないが……本当にすまなかった」
そう言うと、冴木は頭を下げた。
「……それじゃあ、自分も独り言を言います。一年前、冴木さんが逃げてくれたから、今、美優を守ることができるんです。だから、心から感謝しています。ありがとうございます」
「……そうか。ありがとう」
冴木は、どこか救われたかのように、穏やかな表情になった。
「だが、色々と気になる点がある。まず、死を偽装したうえで、別人として暮らすというのは、普通できないものだ。篠田と知り合いだったと聞いて驚いたが、だからこそ、俺だけでなく篠田でも気付かなかったという事実が、ありえないことのように思えるんだ」
これまで、あまりにも様々なことがあっただけでなく、復讐することだけを考えてきたため、翔は一つ一つを深く考えることなく、ただそれを受け入れ続けてきた。しかし、冴木の言葉を受けて、色々と思うところがあった。
「確かに、こうして話してみて、自分も疑問を持ちました。というより、今まで疑問を持たなかったことがおかしいですね。日下さんなど、警察の人が自分の死を偽装してくれたわけですけど、その後、自分を保護しただけでなく、整形までしたのはどこの誰なのか、わからないです。それに、自分がリハビリをする際にいた場所も、そこにいたヌルという人物も、詳細はわからないです」
「一応、証人保護プログラムという、命の危険のある重要な証人を別人にするといったものはある。だが、翔が受けたものは、それとも違う……いわゆる裏の人間が絡んだものだろう」
「そうかもしれません」
「だとしたら、堂崎団司についても、もっと調べた方が良さそうだ。人身売買をしている時点で論外だが、どういった経緯で翔を引き取ることができたのか、ちゃんと調べる必要があるだろう」
「堂崎家が異常だということは、ずっと思っていましたが、復讐することだけを考えていたので、無視していたんです。ただ、今回のTODが始まる前に、お手伝いをしている伊織から少し話を聞きました。伊織は幼い頃に両親を亡くして、児童養護施設で育ったそうです。それで、恐らく伊織も買われた形で、堂崎家で暮らすことになったんじゃないかと思います」
そこまで話したところで、翔は、ふと伊織のことが心配になった。今思えば、伊織は監視役だったのかもしれない。そうだとしたら、翔のことを一切監視できていない現状が、何かしらかの形で伊織に被害を与えている可能性がある。
「翔、全員を守るなんて不可能だ。今は、美優を守ることに集中しろ」
その時、伊織を心配する気持ちを察したのか、冴木からそのように言われて、翔は苦笑した。そして、冴木の言う通りだと納得した。
「短い期間とはいえ、堂崎家で暮らしていた翔がわからないんだ。調べるにしても、俺や他の奴に任せてほしい。それで、翔は、この件について何も考えなくていい」
「……わかりました」
冴木の言う通りだと思って、翔は素直に従った。
「ところで、聞きたいことがあるんですが、改めて、今自分達が悪魔と呼んでいる人物について、どう思いますか?」
「考えは変わらない。相手にしないで、とにかく逃げるべきだ。復讐しようなんて、絶対に考えるな」
「はい、もう復讐は考えていません。ただ、美優を守るために、できることはしたいんです」
そう言うと、冴木は複雑な表情を見せた。
「一年前と違って、あいつは銃などの武器も扱えるようになっている。それだけでなく、何かしらかの理由で人並み以上の身体能力もあって……前に言った、サイボーグみたいだという表現は、本当にその通りだ。それに、こっちは武器を使わないと……武器を使っても、あいつにダメージを与えるのは難しい。本当に厄介な相手だ」
そのように言われて、翔は絶望感を持った。ただ、冴木は複雑な表情ながらも、話を続けた。
「だが、だからこそ銃などで攻撃してもいいといった考え方はできる。ほとんど意味がないといっても、あの時だって、多少なりとも衝撃を与えることで、足止めできただろ?」
「あの時って、いつのことですか?」
冴木が何の話をしているのかわからなくて、翔は質問した。それに対して、冴木はどこか戸惑った様子を見せた後、息をついた。
「すまない、翔の知らない話だったな。話を戻すが、ダメージが通りづらいといっても、多少の衝撃はあるはずなんだ。これは、警棒などを使う場合でも、同じように考えることができるだろう。それにこれは前にも話したが、合気道などを活用して、相手を転倒させることで、足止めはできるはずだ」
「合気道は、前に教えてもらっただけなので、また、教えてほしいです」
「ああ、いいだろう。だが、もう遅い時間だ。いつまた襲撃があるかわからないから、交代で休憩を取ろう。最初に決めた通り、先に翔と美優が休んでくれ。その間、俺が監視する」
「あ、待ってください!」
冴木の提案に対して、すぐに美優が反応した。
「その……まだ眠れそうにないですし、もっと翔と話したいことがあるので、翔がいいなら、先に私と翔が監視します」
美優は、冴木と翔に気を使うような雰囲気で、そう言った。それに対して、翔は頷いた。
「わかった。俺は構わない。冴木さん、自分達が監視するので、先に休憩を取ってください」
「そう言うなら、先に休ませてもらう。ただ、俺は仮眠を取るだけでいいから、一時間程度で交代する。それじゃあ、それまで任せた」
冴木が、翔と美優を二人きりにしようといった気遣いをしてくれたことは、十分過ぎるほど感じた。
そうして、冴木が寝室へ行き、翔と美優の二人きりになった。
一応、監視という重要な役目があるものの、ここへ繋がる道に設置された監視カメラの映像を見るだけのため、十分過ぎるほど話せる余裕がある。ただ、二人きりになってから少しの間、お互いに気を使い合ってしまい、翔と美優は何も言えなかった。
そんな沈黙を破ったのは、美優だった。
「翔、ごめんなさい。私、何も知らなくて……翔を傷付けたり、悲しませたり、辛い思いをさせたりしていたよね?」
不意にそんなことを言われて、翔は戸惑った。
「いや、そんなことない。何で、そんなことを言うんだ?」
「だって……私が翔のことを好きって伝える度に、きっと翔は春翔さんのことを思い出していたと思うから……」
美優の言う通りだったため、翔は少しだけ答えに困った。ただ、自分の気持ちをそのまま伝えるべきだと思って、真っ直ぐ美優を見た。
「美優と初めて真面に話したのは、美優が捨て犬を拾った時だったな。あの時、俺はライトに近付く機会すら得られないで、焦っていたんだ」
当時、翔は学校から帰った後、いかにも不良といった雰囲気の服に着替えて、夜の街を徘徊していた。しかし、ライトに近付くことはできないでいた。
「そんな時、学校の近くに捨てられた犬がいて、みんな注目していたが、俺も気になったんだ。だが、俺は復讐することだけ考えていたから、無視していた。ただ、あの時は一人だったから、ほんの少しだけでも構いたくなったんだ」
それは、以前助けられなかった捨て犬のことがあったからだ。
「だが、さっきも話した通り、堂崎家は異常だから、飼うという選択はできなかった。それで、結局俺は昔と変わらず、何もできないと落ち込んだんだ。その時、話しかけてくれたのが、美優だった」
美優は、少しだけ驚いたような反応を見せつつ、翔の話を真剣に聞いていた。
「美優があの犬を飼うと言ってくれて、本当に嬉しかった。それに、誰ともかかわらないようにするつもりだったが、『ただ、近くにいたい』と言ってくれた美優のことを無視できなかった」
それは、春翔が自分に対して言ってくれた言葉と同じだったからだ。そのことを思い出しつつ、翔は続けた。
「美優が俺を変えてくれたと言ったが、それは、あの時からだったんだと思う。体育の授業でサッカーをやった時も、本気を出すつもりなんてなかったが、ハンデなしでやるべきだと思って、気付いたら勝手に身体が動いていた。それをきっかけに、孝太や千佳、大助などとも話すようになって……全部美優のおかげだ」
美優と話してから、自分が変わったことは自覚していた。というより、間違った状態から、直ることができたという方が正しいかもしれない。そんなことを翔は感じていた。
「美優の言う通り、美優から言葉をもらって、春翔のことを思い出すことがある。だが、それは春翔が言ってくれたのと、同じ言葉を美優が言ってくれるからだ。それで、悲しいとか辛いなんて思うことはない。思うのは……」
その時、翔は春翔が言ってくれた言葉を思い出した。というより、ずっと覚えていたのに、無視し続けていた言葉を受け入れた。
「美優が春翔と同じか、それ以上に俺のことを大切に思ってくれている。だから、春翔と同じ言葉を俺に伝えてくれているんだと感じて……俺は嬉しい。そして、そんな風に俺のことを思ってくれる美優のことを、俺も大切にしたいと思っている」
もしかしたら、春翔はこうなることがわかっていたのかもしれない。そう思うと、翔は、改めて春翔のことを特別だと感じた。
「翔、ありがとう。嬉しい」
美優は顔を赤らめつつ、笑顔を見せた。ただ、どこか複雑な表情でもあり、心から喜んでいるというわけではないようだった。
そうして、また翔と美優はお互いに何も話すことなく、ずっと沈黙が続いた。




