ハーフタイム 98
一人になった春来は、しばらく何の目的もないまま、車を走らせ続けた。
こうして公道を走るのは、当然初めてなものの、冴木の教え方が良かったのか、特に問題なく車を走らせることができた。ただ、実際に運転していると、それこそ夢の中にいるような気分だった。
信号待ちをしていた時、ふと春来はバックミラーに目をやると、春翔の姿を見た。その姿は、一見、穏やかに眠っているように見えるものの、一切呼吸することもなければ、微かな身体の動きすらなく、まるで人形のようだと感じた。
そして、春来は、ある目的を持つと、また車を走らせた。
そうして、春来が訪れた場所は、自分の家――正確には、自分の家があった場所だ。
家は、全焼といった形で、ただ真っ黒な瓦礫が残っているだけだった。また、火は隣にある春翔の家にも影響を与えたようで、全焼とまではいかないものの、大きく燃えた跡があった。
そして、当然ながら、そこに両親は残されていなかった。それでも、春来は家があった場所に向けて、謝罪するように深く頭を下げた。
それから顔を上げると、春来はまた車に乗り、その場を後にした。
そして、次に春来が目指したのは、最初に潜伏先として利用した場所だ。途中、迷いつつも、春来はわずかな記憶を頼りに、その場所に到着した。そこは、春来達が去った時と同じ状態のまま残されていて、電気もついたままだった。
そうして、春来は車を中に入れると、そこで止めた。
それから車を降りると、ここで殺されてしまった、志賀や、他のディフェンスに向けて、春来は頭を下げた。これも謝罪の意味で、一人一人に近付いた後、深く頭を下げた。
その後、春来は車の方へ戻ったものの、車に乗ることなく、そこで座り込んでしまった。
この時、もう自分のするべきことは全部終わった。そんな風に春来は思っていた。そして、それは、このまま死を受け入れるということでもあった。そんな風に考えると、ただただ恐怖を感じて、身体が震え出した。
そうしていると、車の音が近付いてきて、そちらに目をやった。誰かが自分を殺しにきたのかもしれない。そんな恐怖を持ちつつ、春来は動けなかった。というより、もう諦めに近い形で、動く気力がなかった。
それから少しして、一人の男性が中に入ってきた。そして、その男性は、驚いた様子を見せた。
「これは……? 君、大丈夫か!?」
男性は、こちらに駆け寄ってくると、春来の様子を確認してきた。それから、険しい表情で周りを見た。
「いったい、何があったんだ?」
「……そんなの、僕が知りたいです」
上手く頭が働かないまま、春来はそう言った。それに対して、男性は何か察した様子だった。
「私は、日下洋だ。刑事をしている。君は、緋山春来君か?」
日下という聞き慣れた苗字を言われたこと。不意に自分の名前を呼ばれたこと。それらが何を意味するか、上手く理解できないまま、春来は頷いた。
「はい、そうですけど?」
「今、君がTODのターゲットに選ばれていることは知っている。それで、私自身も、今回のTODに参加している」
そう言われたものの、春来は頭が働かず、意味がわからなかった。
「落ち着いて聞いてほしい。私は、オフェンスだ」
そこまで言われても、理解するまでに少しの時間がかかった。そうして、どうにか理解すると、春来は諦めるように笑った。
「だったら、僕を殺していいですよ。そうすれば、お金が手に入るんですよね?」
そんな春来の言葉を受けて、日下は、どこか悲しげな表情を見せた。
「そんなことを言わないでほしい。それに、私はどんな結果になっても、お金を手に入れることができるんだ」
「え?」
「志賀が協力してくれて、お互いにオフェンスとディフェンスで分かれれば、どんな結果になっても賞金が手に入る状況にしてくれたんだ。抽選だから運次第だったものの、実際に分かれることができた」
日下が何を言っているのか、相変わらず春来は理解できなかった。
「ルールを見た時から、こんなルールでいいのかと思っていたけど、おかげで私は確実に賞金が手に入ることになった。それに、ディフェンスで参加することになった志賀と連絡を取り合っていたから、ターゲットに選ばれた君が潜伏するだけでいいと聞いて、安心していたんだ」
日下は、春来の反応を待つことなく、話を続けた。
「ただ、君の家が燃やされただけでなく、両親まで殺されたと聞いて、私も協力すると言ったんだ。それは私だけじゃない。他にも協力してくれる同僚がいて、警察として君を保護する予定だったんだ。しかし、どういうわけか、君の家の火事について、警察などが動くことはなく、君にもかかわるなといった指示が出た」
それは、冴木や志賀が疑問に持っていたことだ。春来の家が燃えているにもかかわらず、パトカーや消防車は来ていなかった。それは、警察として春来にかかわらないよう、指示が出ていたからだとわかった。
「それだけでなく、その後すぐに志賀と連絡が取れなくなって、ずっと行方を捜していた。ただ、それも様々な妨害があって、ここまで時間がかかってしまった。何か深刻な状況になっていると想定していたけど、ここまでひどいとは思わなかった」
それから、日下は順に遺体を確認するように見た後、戻ってきた。
「さっき言った通り、私はオフェンスだ。それに、どんな結果になっても、私は賞金を手に入れることができる。それでも、私は君を助けたいと思っている。恐らく、ここは安全じゃないだろう。私と一緒に来てほしい」
そう言われたものの、春来は動こうと思えなかった。
「ほら、早く来るんだ」
「もういいです。僕は、このままここにいます。春翔と、一緒にいます」
そう言うと、日下は複雑な表情を見せた。それから、少し間を置いた後、口を開いた。
「私の娘は、泉というんだ。小学校の時、君達と同じサッカークラブだったと聞いている。というより、いつも泉が君達の話をしていたから、君達のことは多少なりとも知っているんだ」
「やっぱり、泉先輩の父親だったんですね」
日下という苗字を聞いた時から、その可能性を春来は考えていた。それは、泉から父親が刑事だと聞いたことがあったからだ。とはいえ、実際にそうだと聞くと、多少の驚きがあった。
「君達の仲も、泉から聞いている。だから、こんなことになって、自暴自棄になる気持ちもわかる。ただ、ここで君が死んでしまったら、何にもならないと思わないか?」
「え?」
「ここで死んだら、もう何もできなくなる。それは、彼女の死を無駄にすることにもなる。きっと、君にはまだまだやるべきことがあるはずだ。そのためにも、君はここで死ぬべきじゃない。何より、君は生きたいと思っているんじゃないか?」
それは、自殺を考えている人に対してする、一般的な説得のようなものだった。ただ、そんな言葉でも、春来の考えを変えるには十分だった。
そして、春来は、ある考えに浸食されていった。
「確かに、日下さんの言う通りです。僕がここで死んでしまったら、誰にも復讐できなくなってしまいますね」
春翔や両親だけでなく、志賀をはじめとしたディフェンスまで殺した「あいつ」。そもそも、こんなTODなんてものを開催している者。全員に復讐したい。そんな考えを春来は強く持った。
それは、春翔が最期に言った言葉を完全に無視するものだった。ただ、そのことに気付かないというより、考えないようにする形で、春来は間違った決心をしてしまった。
「僕は、こんなことを起こした全員に復讐します。そのために……生きたいです」
「それは……それでもいい。とにかく、ここを離れよう。この場所のことは、同僚に知らせておく」
日下は、何か言いたげな様子だったものの、それよりもここを離れることを優先したいと思っているようで、そのように言った。
それから、春来は立ち上がると、車のドアを開けて、春翔の姿を見た。そして、春来は、ふとポケットに手を入れると、そこに入れていた、春翔からもらったミサンガを出した。そして、それを強く握ると、心の中で、春翔に別れを伝えた。
その後、春来はついていく形で、日下の乗ってきた車に乗った。そして、日下は車を走らせた。
そうしてしばらく走ったところで、日下は話を始めた。
「私がTODに参加したのは、泉のためだ。君は知らないかもしれないけど、泉は幼い頃から病気で、たくさんのことを我慢してきたんだ」
「詳しくは知らないですけど、あまり良くないというのは、先輩から聞きました」
「手術を受けられれば、普通の日常生活ぐらいは送れる可能性があるんだ。ただ、その費用が高額で、だから私はTODに参加したんだ」
そう言った後、日下は軽くため息をついた。
「君は、泉にとって強い支えになっていたと聞いている。だから、私も君に感謝している。それがまさか、このような形で会うことになるとは思わなかった」
それは、春来も同感だった。それからまた少しだけ間をあけた後、日下は何か決心するかのように息をついた。
「これから何をするか説明する。私達は、あらかじめ準備を進めていて、ある廃墟に爆弾を仕掛けているんだ。これからそこへ行く」
そんな説明をされたものの、春来は意味がわからなかった。
「その廃墟には、一般的に知られていない地下通路があるんだ。そこから脱出した後、爆弾をリモコンで起爆させる。そうして、君は廃墟で発生したガス爆発に巻き込まれて死んだことにする」
「そんなこと、できるんですか?」
「これだけだと、遺体が出ないということで、不審に思われるだろうけど、既に建物には身元不明の遺体が置いてあるんだ。それに、検死をする人にも協力してもらって、遺体は君のものだといった結果を出してもらうことになっている。そうやって、君の死を偽装する」
ここまで聞いて、ある程度のことを、春来は理解した。ただ、それに何の意味があるのかまでは、わからなかった。
そうした春来の疑問に答えるように、日下は話を続けた。
「TODは、制限時間内にターゲットが死亡すれば、オフェンスの勝利という形で終わる。だから、ターゲットの死を偽装することができれば、そこで終わらせることができるはずだ。仮に後で偽装だったと判明しても、制限時間を過ぎてしまえば、オフェンスが君を殺す理由はなくなる。そうした方法で、ターゲットを守ろうと準備していたんだ」
「志賀さんが、何か準備していると話していました。ただ、詳しいことは教えてくれなくて、それが何なのか、具体的にはわからなかったんです。でも、そういうことだったんですね」
「君の死を偽装するのは、TODが終わるまでの一時的なもので、丸一日もない。ただ、色々と騒ぎにはなりそう……というより、もう騒ぎになっているか」
「……そうですね」
現状、春来の家で火事があったことと、春来と春翔が学校に来ていないこと、この二つぐらいしか、身近な人を含めて伝わっていないだろう。それでも、日下の言う通り、既に騒ぎになっているだろうと春来も感じていた。特に、隆や朋枝を中心に、何が起こっているのかと心配しているだろう。
そうしたことを理解したうえで、春来には伝えておきたいことがあった。
「これまで何があったか、話してもいいですか?」
「……ああ、是非聞かせてほしい」
それから、春来はこれまでのことを話した。その際、特に「あいつ」のことを詳しく話した。それを、日下は運転しながらなものの、真剣に聞いてくれた。
「あるオフェンスが、あいつのことを悪魔みたいだと言っていました。ただ、それは大げさでなく、僕もそう思いました。何というか……ただ、人を殺すこと、それ自体が目的なんだろうと感じたんです」
「話してくれて、ありがとう。ただ、そうなると厄介だ」
「僕もそう思います。だから、追加でお願いしたいことがあります」
それから、春来は少しだけ間を置いた後、口を開いた。
「僕の……緋山春来の死を、一時的でなく、もっと長く……それこそずっと偽装し続けることはできませんか?」
「どういうことだ?」
「あいつは、賞金など関係なく、僕を殺すことが目的なんだと思います。だから、TODが終わった後も、僕の死を偽装し続けてくれた方が、僕は動きやすくなります。その間に、僕は全部に復讐します」
「……今後のことは、どうなるかわからない部分もある。ただ、君がそう言うなら、私は力になる」
「ありがとうございます」
それから、しばらくの間、春来と日下は特に会話を交わすことなく、沈黙が続いた。
ただ、そうした中でも、車は移動し続けていた。その途中で、春来はある違和感を持った。
「日下さん、時々速度を落としているのは、何か理由があるんですか?」
そんな質問をすると、日下は驚いた様子を見せた。
「そんなことにまで気付くなんて、驚いた。今は、君の姿をなるべく監視カメラに映すようにしているんだ」
「え?」
「こうすることで、君がどこにいたか……最終的にガス爆発のあった建物にいたといった証明にする」
こうした話を聞いて、そこまで準備していたのだろうかといった驚きもありつつ、春来はどこか納得できないことがあった。そして、その理由が何なのか、すぐに気付いた。
「日下さんは、今後どうするつもりなんですか? 今まで聞いた話だと、日下さんが僕を殺したということになる可能性もありますよね?」
その質問に対して、日下は苦笑した。
「その通りだ。だから、私は姿を消す」
「そんなの、泉先輩が……」
「私は泉が手術を受けられれば、それでいい」
それは、本心から出た言葉だろうと感じて、春来は何も言えなかった。
そうして、しばらく移動した後、日下は息をついた。
「よし、監視カメラに映るのは、これぐらいで十分だろう。目的地はすぐ近くだ。このままそちらに向かう」
「はい、わかりました」
そう答えた直後、春来は何か嫌な気配を感じて振り返った。そして、バイクに乗った「あいつ」の姿を確認した。
「日下さん、すぐに逃げてください! あいつが来ました!」
「たく、タイミングが悪い……いや、違うか。あいつは監視カメラを使って、君がどこにいるか特定しているのかもしれない。だとしたら、監視カメラに映るようにしたのは、失敗だった。ただ、ここで離れるわけにもいかない。このまま行く」
そうして、日下は車の速度を上げた。ただ、「あいつ」は振り切られることなく、ついてきた。
「車を止めたら、すぐに降りて走る。あらかじめ準備をしておけ」
「わかりました」
その時、春来はポケットからミサンガを取り出して、強く握り締めた。それは、こうすることで、春翔が力を貸してくれるかもしれないといった思いを持ったからだ。
そうして、日下の運転する車は、ボロボロになった建物のすぐ近くに止まった。
「降りたら、建物まで走れ!」
そんな指示を受けて、春来は車を降りた。そして、日下と一緒に建物に入った。
「あいつもすぐに来るから時間がない! このまま地下通路に入れ!」
そうして、日下に案内される形で、春来は走った。
「ここだ。この中に……」
次の瞬間、春来は日下に突き飛ばされるようにして、部屋の中に入った。それと同時に銃声が鳴った。
日下は、春来に続くようにして部屋に入った後、ドアに鍵をかけた。その直後、その場で膝をついた。
「日下さん?」
そこで、春来は日下の腹部から溢れる血に気付いた。それは、日下が銃弾を受けたことを表していた。
「日下さん!?」
「地下通路の入口はここだ」
日下は、よろよろと歩きつつ、床にあった取っ手を引っ張り、そこを開けた。
「見ての通り、私はゆっくり歩くことしかできない。だから、君……春来君が先に行くべきだ」
不意に名前を呼ばれて、春来は戸惑った。
「……あの?」
「いいから行け!」
怒られているような感覚を持ちつつ、春来は地下通路に入った。
「そうだ。懐中電灯を忘れていた。これを持っていけ。ちゃんとつくか確認しろ」
「はい、大丈夫そうです」
日下から受け取った懐中電灯を春来がつけたタイミングで、「あいつ」がドアを破ろうとしているのか、大きな衝撃音が響いた。それだけでなく、それによってドアが破損して、今すぐ「あいつ」がここに入ってきてもおかしくない状況だと理解できた。
「早く、日下さんも……」
「私はここまでだ。春来君、とにかく逃げろ。私の死も無駄にするな。君は生きろ」
そう言うと、日下は地下通路へと続く道を閉ざした。
「日下さん!」
春来は、どうにか開かないかと全力で押したものの、ビクともしなかった。ただ、そこで待つわけにもいかないと判断すると、地下通路を進んでいった。
しばらく進んでいくと、途中から上り坂になっていた。そうしたことを確認しつつ進んでいくと、ドアがあったため、そこを抜けた。すると、一切使われていない様子の古いトンネルに出た。その後も懐中電灯の光を頼りに進んでいくと、外に出られた。
その直後、春来は何か嫌なものを感じて振り返った。すると、トンネルの奥から迫ってくる光が目に入った。
次の瞬間、トンネルの出口であるこの場所に向けて、爆風が溢れて、春来は吹っ飛ばされた。
それから少しして、春来の視界には、春翔からもらったミサンガがあった。そして、いつの間に落としてしまったのだろうかと思いつつ、それに手を伸ばして、しっかりと握り締めた。
そうして、次第に春来の意識は遠のいていった。




