ハーフタイム 87
部活を引退して、いわゆる燃え尽き症候群になる暇もなく、春来達は高校受験に向けて動き出した。
「春来と春翔は、どの高校に行くんだ?」
「歩いて行けるし、近くの赤兎高校を志望しているよ」
「私も同じだよ。ただ、私の方はちょっと成績が怪しいんだよね……」
「だったら、俺も一緒だ。近いからそこにしてえんだけど、模試の結果からすると、怪しいみてえなんだよ」
春来、春翔、隆は、同じ赤兎高校を志望しているものの、春翔と隆は、合格ラインよりも偏差値が低く、厳しいと言われているそうだ。
「春来はA判定なんでしょ? もう余裕じゃん」
「いや、でも、安心はできないよ」
一方、春来は模試の結果、合格圏だった。これは、試験当日に相当なミスをしない限り、合格するだろうとのことだった。
「学は、私立の高校に行くんだよな?」
「はい、両親が通っていた高校に行こうと、前から決めていたんです」
「やっぱり、サッカーは、やめちまうのか?」
学は、ずっと前から志望校を決めていたそうだ。それだけでなく、高校ではサッカーをやらない予定とのことだった。
「はい、両親からは、サッカーを続けたいなら続けてもいいと言われているんですけど、僕は将来、父と同じようにIT関係の仕事に就きたいので、高校に入ってからは、そちらに集中したいんです」
「学君のパパ、IT関係の仕事なの?」
「はい、そうなんです。知っていますかね? インフィニットカンパニーという会社に務めていて、いつか僕も同じ会社に入りたいと思っています」
「俺は前から聞いてたけど、やっぱりもったいねえと思うんだよな。まあ、これは春翔も同じだけど、サッカーを続けた方が絶対にいいって」
「まあ、誰かに言われてとかじゃなくて、学が自分で決めたことなら、応援しようよ」
「そりゃあ、応援はするけど、俺はもっと学とサッカーがしてえよ」
隆は、学を応援したいという思いもありつつ、納得できないのか、複雑なようだった。
「そう言ってもらえて嬉しいです。でも、サッカーを続けるべきなのは、僕ではなく、隆さんや春来さんのような、特別な人だと思います」
「は?」
「どういうことかな?」
隆と春来が聞き返すと、学は笑った。
「やっぱり、二人とも自覚していないんですね。僕は、サッカーが好きで、特別なものでもあります。でも、サッカーにとっての僕は、特別じゃないんです」
「いや、学だって、特別じゃねえかよ。あれだけ大会で点を決めて……」
「それは、隆さんや春来さんがいたからです。僕よりすごいストライカーは、大会でもたくさんいました」
「でも、学は俺より器用だし、このまま続ければ、それこそ特別なストライカーになれるだろ」
「器用とか、不器用とか、そういうものじゃないんです。上手く言葉にできない、特別なものが隆さんと春来さんにはあります。一緒にサッカーをやって、そのことを強く感じました」
そんな風に話す学は、嬉しそうな表情だった。
「そう感じたからこそ、何の後悔もないまま僕はサッカーをやめて、元々持っていた夢を目指そうと思えるんです。隆さん、春来さん、本当に心から感謝しています。ありがとうございました」
その言葉を、完全に理解したわけではなかったものの、学の満足げな表情を見て、否定する言葉は何も出てこなかった。
「わかった。でも、学とサッカーをする機会が、もう一生ねえとは思わねえからな。何かの時に、また学と一緒にサッカーができると信じてるからな」
「僕もそう思っているよ。気分転換とかでもいいから、またサッカーがしたいと思った時、僕達を誘ってよ」
そんな風に伝えると、学は笑った。
「はい、ありがとうございます」
そうして、学だけが別の高校を目指す中、春来達は高校受験に向けて、様々なことがあった。
その一つが三者面談で、具体的にどの高校を志望するかというのを、保護者と一緒に担任の先生と話し合った。
春来と春翔は、春来の父親が来てくれて、先に春翔が三者面談を受けることになった。春来はその次で、教室の外に置かれた椅子に座って、自分の番を待っていた。
そうして待っていると、予定していた時間よりも少し遅れたところで、春翔と父親が出てきた。ただ、春翔は、浮かない表情だった。
「春翔、大丈夫かな?」
「うん……やっぱり合格するの、厳しいみたいで、もっと受験対策をした方がいいって言われちゃったの」
「大丈夫だよ。僕も協力するし、一緒に頑張ろうよ」
「……一緒になれたら、いいんだけどね」
春翔は、複雑な表情を見せつつ、そんなことを言った。ただ、その意味が春来にはわからなかった。
「次は春来だね。春翔ちゃん、一緒に帰りたいから、少し待ってもらってもいいかな?」
「うん、じゃあ、待っているね」
そうして、春翔を廊下に残して、春来は父親と一緒に教室に入ると椅子に座り、三者面談が始まった。
担任の先生は、春来の志望校や成績を確認しつつ、話を始めた。
「春来君は、赤兎高校を志望しているみたいだけど、もっと上の高校を目指す気はないかな?」
「上の高校って、どういうことですか?」
「春来君、高校でもサッカーを続ける予定だよね? だったら、サッカーの強豪校に入るのはどうかな? 春来君は、大会で活躍したから、スポーツ推薦を受けられるし、きっと合格できると思うよ」
その後、先生からいくつか高校を紹介されたものの、春来としては、考えを変えるつもりはなかった。
「僕は、勝つことだけが目的じゃなくて、みんなと一緒にサッカーを楽しみたいんです。だから、こうした強豪校と言われる高校に入るつもりはないです」
「えっと……それなら、もっと偏差値の高い高校を目指す気はないかな? 春来君は、偏差値も高いし、もっと上の高校でもいいと思うよ。例えば、学君が志望している……」
それから、先生は偏差値の高い高校をいくつか紹介してきた。ただ、それを聞いても、春来の考えは変わらなかった。
「僕は、赤兎高校を志望します」
「……それは、春翔ちゃんや隆君と一緒だからかな? さっき、春翔ちゃんにも話したけど、この人と一緒になりたいからって理由で、高校を選ぶ必要はないと思うよ。学校が変わっても、続く関係はあるし……」
そんな話を聞いて、先ほど春翔が複雑な表情だった理由を、春来は理解した。
春翔も同じ話をされて、春来が別の高校を志望するかもしれないと、不安になったのだろう。そこまで理解して、春来は自分がどうしたいか、はっきりと決まった。
「僕は、春翔と同じ高校に行きたいです。春翔は合格するかどうか厳しいとのことですけど、だったら僕が勉強を教えます。先生の思いを色々と感じましたけど、それでも考えを変える気はないです」
春来が強い口調でそう伝えると、先生はため息をついた。
「わかったよ。それじゃあ、先生も全力で応援するね」
そうして、春来の志望校が確定したうえで、念のためといった形で、滑り止めの高校なども決めて、春来の三者面談は終わった。
春来と父親が廊下に出た時、春翔は不安げな表情で待っていた。
「えっと……」
何を言えばいいか迷っている様子の春翔を前に、春来は笑顔を向けた。
「春翔と同じ、赤兎高校を志望することにしたよ」
「え?」
「ただ、春翔は合格できるか厳しいってことだから、これから僕が春翔に勉強を教えようと思うんだけど、いいかな?」
そこまで伝えると、春翔は満面の笑顔を見せた。
「そんなの、私がお願いしたいよ! 春来、一緒に合格しようね!」
そんな春翔を前にして、父親の前なのに、春来は春翔を抱き締めたいと思ってしまった。そして、そんな思いを否定するのではなく、大切に心の奥に仕舞った。
それから、春来達は勉強に集中する日々が続いた。とはいえ、基本的には春来と学が、春翔と隆に教えるといった形だった。
それは、休み時間だけでなく、放課後や休日に誰かの家に集まり、いわゆる勉強会をするといった形でも行われた。
そうして、時間はあっという間に過ぎていき、年が変わってから少しして、推薦入試が始まった。
推薦入試は、言葉通り学校が推薦した生徒が受けられるもので、これまでの成績と、当日の面談によって合否が決まるものだ。この推薦入試を、春来、春翔、隆の三人は受けることができた。
そして、推薦入試の合格発表がある日、春来達は三人揃って結果を確認しに行った。
「掲示板みてえなのに載るんだよな? だったら、誰が全員の番号を見つけられるか、勝負……」
「いや、ここで勝負するのは、さすがにおかしくないかな?」
「いいじゃねえかよ。てか、俺の番号、多分ねえだろうし、こんなことしねえと真面に見られねえよ」
「わかったよ。まあ、言われなくても、僕はみんなの番号を探すつもりだったし、構わないよ」
そんなやり取りを春来と隆がしている中、春翔は緊張した様子で、特に何も言わなかった。
そうして、春来達は合格した人の受験番号が載った掲示板を前にした。
「それじゃあ、せーので顔を上げるからな」
「うん、いつでもいいよ」
「じゃあ、せーの!」
そうして、春来達は顔を上げた。その瞬間、春来は二人の受験番号を見つけた。ただ、いつまでも見つけることのできない、もう一人の受験番号を探し続けた。しかし、いくら探しても、それを見つけることはできなかった。
「俺、合格してるじゃねえか! それに、春来の番号も……」
そう言いながら、こちらに顔を向けた隆は、何かを察した様子で、顔を下に向けた。そうして、少しの間、春来達はお互いに何も言えなかった。
「私だけ不合格みたいだね。大丈夫! 春来と隆君と同じ高校に入るため、もっともっと勉強を頑張るから!」
推薦入試で合格したのは春来と隆の二人で、春翔は不合格だった。そのことを受け入れたうえでも笑顔の春翔を前にして、春来も笑顔を返した。
「うん、また勉強を教えるよ」
「てか、俺も頑張って勉強したのに、意味なかったじゃねえかよ」
「確かにそうだね。じゃあ、ここで不合格になったのは、むしろ良かったかもしれないね。これまで勉強してきたこと、全部無駄にしたくないもん」
その言葉の中には、強がりもあったかもしれない。ただ、春翔らしい言葉だと、春来は思った。
「それじゃあ、早速帰って勉強しようか」
「うん、お願い……あれ? 春来と隆君は、何か手続きとかあるんじゃないの?」
「そうだよ! これで無効にされたら大変だからな!」
「じゃあ、僕と隆は行ってくるから、少しだけ待っていてくれないかな?」
「うん、じゃあ、あの辺りで待っているよ」
そうして、春翔は校門の近くに向かった。その姿を見て、春来は心配になり、追いかけようとしたものの、隆がそれを止めた。
「一人にしてやろう。春翔なら、大丈夫だ」
「うん……そうだね」
それから、春来と隆は色々と手続きをした後、戻った。
春来と隆がいない間、春翔は泣いていたのか、目が赤かった。ただ、そのことに触れないまま、春来達は赤兎高校を後にした。
それから少しして、学も志望校に合格した。そうして、春翔だけが志望校に合格していないといった状況になった。
その後、春翔は連日夜更かしをするほど、受験勉強に取り組んだ。春来や両親は、体調を崩さないかと心配したものの、春翔の強い熱意を感じて、何も言えなかった。
とはいえ、やはりそれが良くなかったのか、学力検査による受験を二日後に迎えたところで、春翔は寝込むほどの風邪を引いてしまった。そんな春翔の看病をするため、春来はずっと春翔と一緒にいた。
「春来と一緒の高校に行きたい。春来と離れたくない」
ベッドの中で、春翔はずっとそんなことを言っていた。
「だから、もっと勉強しないと」
「春翔は、十分過ぎるほど勉強したよ。絶対に合格できるから、今は休んでよ」
「無理だよ。このままじゃ不合格になって、春来と同じ高校に行けないよ」
「そんなことないよ。絶対に大丈夫だから」
風邪を引いているせいか、春翔はいつもと違い、自信を失っている様子だった。そんな春翔に対して、いつもと逆な形で、春来はポジティブな言葉を伝え続けた。
ただ、これまでこんな弱気な春翔を見ることがなかったため、春来は多少の戸惑いを持っていた。
春来にとって、今でも春翔は特別だ。これまでずっと、春翔が引っ張ってくれたから、春来は前に進み続けることができた。
そんな春翔が足を止めそうになっている。そう思って、春来は春翔の背中を全力で押そうと思った。
「もっと自信を持って、今は休んでよ。大丈夫だよ。僕は春翔と一緒にいるよ」
そう伝えると、春翔はどこか安心したような表情になった。そして、これまで寝られていなかったものの、今すぐにでも寝そうなほど、うとうとし始めた。
「春翔、お休み」
その様子を見て、春来はそんな言葉を送った。それに対して、春翔は目を閉じたまま、笑顔になった。
「お休み。春来、大好きだよ」
「え?」
春翔の言葉に春来は驚き、聞き返そうと思ったものの、自然と落ち着いた呼吸になり、眠ってしまった春翔を前にして、何も聞けなかった。
そして、春翔の寝顔を見つつ、春来は笑顔を向けた。
「うん、僕も春翔が大好きだよ」
春翔の言った「大好き」と、春来の言った「大好き」は、恐らく意味が違うだろう。そう思いつつ、春来はその言葉を口にした。
春翔は、二日かけてすっかり元気になり、いよいよ受験当日を迎えた。ただ、その表情は不安げだった。
「最後に、全然勉強できなかった。私、合格できないかも」
そんな春翔の頭を、春来は撫でた。
「これまで、春翔が努力してきたこと、僕は知っているよ。絶対に大丈夫だから、自信を持ってよ」
「……うん、ありがとう」
そうして、春来は春翔を見送った。
学校の方は、登校する生徒も少ないため、短縮授業になっているだけでなく、ほとんど自習だった。そんな中、春来は春翔のことだけをずっと考えていた。
「春来の方が緊張してどうするんだよ? 信じて待ってやろう」
「そうですよ。春翔さん、きっと合格しますよ」
隆と学に励まされたものの、春来の不安は消えなかった。ただ、どうすることもできない今、ただ春翔の合格を祈った。
その後、合格発表を迎えるまでは、どこかそわそわした空気を感じつつ、日々を過ごした。
そうして、合格発表を迎えた日。春来は学校をサボって、春翔と一緒に赤兎高校へ向かった。
「春来、学校はいいの?」
「ほとんど自習だし、僕も結果が気になるから、一緒に行くよ」
「ありがとう。不安だし、一緒にいてくれて嬉しい」
試験を受けた感想として、春翔は全力を出したものの、わからない問題や、後で間違ったことに気付いた問題があったそうで、不安な様子だった。そのため、春来が一緒に行くことで、少しでも安心したいようだった。
そうして、春来と春翔は、赤兎高校に着くと、合格した人の受験番号が載った掲示板に向かった。ただ、そこで春翔からお願いがあった。
「春来、最初は私だけで番号を確認してもいいかな? ちゃんと、自分の目で確認したいの」
「うん、いいよ」
そして、掲示板の前に立つと、春来は顔を下に向けて、春翔が確認するのを待った。
春翔は、しばらく何も言わなくて、それはとても長い時間のように感じた。
「春来……?」
「うん」
春翔から声をかけられて、春来は春翔に顔を向けた。春翔は、半泣きといった感じの表情だった。
「春来も、見てくれないかな?」
「……うん」
もしかしたら、春翔の受験番号が見つからないのかもしれない。そんな風に感じつつ、春来は掲示板に目をやった。
その瞬間、春来は春翔の受験番号を見つけた。
「春翔の受験番号、あったよ!」
そう言って、春翔に目を戻すと、春翔は目に涙を浮かべつつ、笑顔を見せた。
「うん、あるよね!? 私、合格したんだよね!?」
その時、春来は勝手に身体が動いて、春翔を抱き締めていた。
「春翔、おめでとう」
「……うん、ありがとう」
そうして、春来、春翔、隆は、三人揃って赤兎高校に合格した。




