ハーフタイム 78
都大会は、夏休みに入ってすぐに始まるとのことだった。
それまでの間、春来達は最終調整といった形で、ウォーミングアップに近い練習を続けた。
また、春翔の両親が旅行へ行く日も決まり、春来達の二回戦を見た後、そのまま出発するとのことだった。これは、二回戦で強敵である沼萩中学校と対戦することが決まり、絶対応援に行きたいと考えたのがきっかけだ。そのうえで、まとまった休みを取り、旅行へも行くことにしたそうだ。
「何か、僕達の都合に合わせてもらったみたいで、ごめんね」
「そんなことない。仕事も落ち着いている時期だし、丁度いいと思ったんだ」
「その代わり、二回戦の後、準決勝まで応援に行けなくて、ごめんなさい」
「ううん、会場も近くないのに、何度か応援に来てくれるだけで嬉しいよ」
春翔の両親だけでなく、春来の両親、さらには多くの同級生も応援に来てくれるとのことで、当日は盛り上がるだろうといったことが想像できた。これは、一年前、絵里が書いた記事の反響が、今も続いていることも関係しているようだった。
そうして始まった都大会の一回戦。桜庭中学校は、危なげなく勝利した。その結果、孝太のいる沼萩中学校と対戦することが確定した。
二回戦は一回戦の翌日で、春来達は連日の試合となる。一方、沼萩中学校はシードで、都大会としては、これが初戦だ。そうした疲れの差などを周りは心配していたものの、むしろいいウォーミングアップになったという意見もあり、どちらとも言えなかった。
「みんな、わかっていると思うが、今日が一番厳しい試合になると言っても過言じゃない。十分に気合を入れろ」
「はい、わかりました!」
試合前のミーティングで、顧問から話を聞いた後、全員で力強く返事をした。とはいえ、これは一年前から全員が認識していたことだ。
というのも、沼萩中学校は、去年の都大会で優勝している。しかも、その優勝は、当時一年生だった孝太の活躍によるものだ。そんな沼萩中学校が、今年も優勝候補になっているのは当然のことで、自然と全員が意識していた。
「それと、例の策についてだが、最終的に緋山の判断でやるかやらないかを決めろ」
それから、顧問は春来にそんな言葉を伝えた。これは、春翔が策を提案してから、何度も伝えられていたことで、この日を迎えるまでにどうするべきか、春来はずっと考えていた。そして、春来の中では、もう考えが固まっていた。
「もう決めています。キックオフがこちらになったら、絶対にやります」
どちらがキックオフを行うかというのは、試合前のコイントスで決まる。とはいえ、コイントスに勝利したチームは、キックオフか、攻撃する方向か、どちらかを選択することができるため、コイントスに負けても、相手が攻撃する方向を選択すれば、こちらがキックオフを行うことになる。
そして、結果は、コイントスに勝利した沼萩中学校が攻撃する方向を選択したため、桜庭中学校がキックオフを行うことになった。つまり、コイントスの結果など関係なく、必然的にこちらがキックオフを行うという条件はクリアできた。
それから、各チームで円陣を組もうと移動する際、相手の一人が春来の方へ近付いてきた。
「緋山春来だよね?」
「……何で、僕のことを知っているのかな?」
「有名だからだよ。てか、知らねえわけねえじゃん」
「それを言ったら、高畑孝太だって、有名だと思うけど?」
そんな風に言うと、孝太は笑った。
「お互い、注目されると色々対策されて困るよね。まあ、対策されたとこで負けねえけど」
「僕達だって、負けるつもりはないよ」
「てか、今日が実質決勝じゃね? そう思って、全力でいくよ」
「こっちも手加減なんてしないよ。ハンデなしでいくからね」
試合前で気持ちが昂っていたからか、春来と孝太は、初対面にもかかわらず、お互いに挑発するような言葉を伝え合った。
それから、各チームで円陣を組んだ後、それぞれが自分のポジションについた。そうして、あとは試合開始のホイッスルを待つだけだった。
二年生になってから、春来がキックオフを行うことが増えて、地区予選でも基本的にキックオフを行ってきた。そして、今回も春来がキックオフを行うことになっている。
ただ、今回、春来はいつもよりもボールから離れた位置に立った。
そして、ホイッスルが鳴った直後、春来はボールに駆け寄った。
「まずい! シュートだ!」
相手の中で、唯一気付いた孝太がそんな風に叫んだものの、春来は構うことなくボールを勢いよく蹴った。そのボールは、相手全員の頭上を、山なりに飛んでいった。そして、ゴールポストを掠めつつ、吸い込まれるようにして、ゴールに入った。
それは、試合開始から数秒の出来事で、何が起こったのか、多くの人が理解できていないようだった。
それから少しして、大歓声が上がった。
これが、春翔の提案した策で、キックオフと同時にゴールを狙う、いわゆるキックオフシュートや、キックオフゴールと呼ばれるものだ。
最初にこれを提案された時は、できるわけないと思った。しかし、受け取りづらいロングパスを出すのと変わらないといったことを、春翔だけでなく学からも言われて、それならできると春来は判断した。
また、試合開始時、相手のキーパーは少しでも身体を動かそうと、ゴールから離れる癖があることも、この策を選択する決め手になった。
とはいえ、相手が油断している時でないと、ほとんど効果のない奇襲戦法ということは理解していた。また、不意を突いたとしても、止められる可能性が十分あるとも思っていた。それがここまで上手く決まり、春来自身も驚いた。
「まだ始まったばかりだ! 逆転すればいい!」
その時、孝太が叫んだのを聞いて、春来は深呼吸をした。
「みんな、この1点を守ろうとか、そんな意識だと負けると思う。まだ同点だと思って、勝ちにいくよ」
そして、春来の言葉で、味方全員が気持ちを切り替え、試合に集中したようだった。
こちらが点を決めたため、今度は相手のキックオフで、それは孝太が行うようだった。そして、試合再開のホイッスルが鳴り、孝太はボールに触れた。
孝太は左右に振りつつ、緩い速度でドリブルを始めた。それに対して、春来は立ちはだかるように、孝太の前に立つと、意識を集中させた。
孝太は足を止めると、どこか余裕があるというか、楽しそうな表情を見せた。その直後、孝太の視線が動いたのを確認して、抜けようとしているのだろうと判断すると、春来はボールを奪って止めようとした。
しかし、ボールがあるはずの場所にボールがなくて、春来は意味がわからないまま、足を止めてしまった。その間に、孝太はステップを踏むようにして、数メートルほど横へ移動した。次の瞬間、ワープしたかのように、ボールは孝太の足元にあった。
完全に足を止めた状態から春来が走り出すまでの間に、孝太はドリブルを始めていた。春来は必死に追いかけたものの、既に追い付ける距離ではなかった。
孝太はラインギリギリを進み、ゴール近くまで行くと、ゴール前に向けてパスを出した。そこには相手のストライカーがいて、パスが通ったら、あっさりとゴールを決められていただろう。
しかし、隆がパスを妨害すると同時に、そのままボールを勢いよく蹴ってクリアしたため、どうにかゴールを守ることができた。
「隆と、それに学もいるのを忘れてたよ。ホントに強敵じゃねえかよ」
そう言いつつも、孝太は余裕な様子だった。
一方、何が起こったのかすらわかっていない春来は、戸惑いしかなかった。
「春来、孝太はヒールリフトをやってた」
春来がボールの方へ向かう前に、隆はそんな言葉をかけてきた。ヒールリフトというのは、踵を使ってボールを蹴り上げるトリックプレーだ。ただ、それ自体はこれまで何度も体験したことがあるため、普通はすぐに気付くはずだ。
しかし、今回の場合、ボールがワープしたかのように見え、何をされたのか全然わからなかった。そんなことは初めてのことで、やはり異常だった。
とはいえ、考えている暇もなく、春来はボールの方へ向かった。というより、孝太を追いかけた。
その後も、春来達は苦戦しっぱなしで、ほとんどの時間、孝太達にボールをキープされ続けた。そうした中で、春来は少しでも孝太が動きづらいよう、様々な形で妨害を仕掛けた。とはいえ、トリックプレーを封じるために少し距離を取ったり、孝太の進路を塞いだり、その程度のことしかできなかった。それでも、どうにか点を決められることなく、前半を進めていった。
しかし、前半終了間際、不意にゴールを目指した孝太を止めようとした際、突然靴紐が切れて、春来は体勢を崩した。その結果、孝太をフリーにしてしまった。
孝太は、自らゴールを狙うかのように真っ直ぐ向かっていった。それに対して、どうにか止めようと隆が孝太の前に立ちはだかった。
次の瞬間、孝太は横へパスを送った。そこには、誰にもマークされていない、相手のストライカーがいた。
そうして放たれたシュートをキーパーも止められず、ゴールを決められてしまった。
結果、前半は1対1の同点で終わった。同点といっても、こちらは最初の奇襲でどうにか取った1点だけで、試合の展開などは完全に沼萩中学校が圧倒していた。
そのことを全員が認識しているようで、もう負けてしまったかのように、落ち込んでいた。
「わかってたのに、また変な誘導をされた。マジでやりづれえな」
「孝太さん、さらに強くなりましたね」
孝太と対戦した経験のある、隆と学も、どこか諦めている様子だった。
「ごめん、僕が孝太を止められなくて……」
「いや、春来は十分過ぎるほど孝太を止めてる。それより、靴紐が切れるなんて、不吉だな」
「不吉というより、不幸だよ」
春来は、新しい靴紐を結びながら、そんなことを言った。というのも、定期的にシューズを交換していることもあり、これまで靴紐が切れたことなど、一度もなかった。それがこの場面で起こるなど、不運でしかなかった。
「まあ、これがなくても、点を決められるのは時間の問題だったと思うよ」
これまで何の対策も浮かばなかった時点で、こんな結果は予想できていた。しかし、実際に対戦してみて、ここまでの差があると知り、どうにもできないという現実を突き付けられているようだった。
そして、それは顧問も同じのようで、特に有効な助言などもなかった。
そんな状態で、後半が始まる時間が近付き、春来達はフィールドへ向かった。
「みんな、いつもと全然違うじゃん!」
その時、そんな春翔の声が聞こえて、春来達はそちらに目をやった。
「いつも通り、チームプレイ重視だよ! そうすれば、きっと勝てるよ!」
みんなが自信を失っている中、春翔だけは変わらず、勝てると自信を持っている。それは、どこか春来達に希望を与えるものだった。
「うん、まだ負けたわけじゃないもんね」
「ああ、そうだ。最後まで全力でやらねえと、春翔に怒られるな」
そして、春来達は、穏やかな表情でそれぞれのポジションについた。
そうして、ホイッスルが鳴ると、孝太のキックオフから、後半が始まった。
ただ、試合の展開は変わらず、ほとんどの時間、孝太がボールをキープして、春来はどうにか抜かれないようにすることしかできなかった。こうなると、春翔の言うチームプレイなんてできない。
ふと、そんな風に思ったことが、きっかけだった。そして、チームプレイができないのではなく、そもそもやろうとしていない自分自身に、春来は気付いた。
思えば、この試合、春来はずっと孝太だけを意識していた。それは、自分が孝太を止めないといけないといった使命感のようなものからだ。そして、それは隆や学など、他の人も同じで、基本的に孝太は春来に任せるといった形になっていた。
そのうえで、春来が孝太を止められずに抜かれてしまった後、いつでもサポートに入ろうと、結局全員が孝太に意識を向けた状態になっていた。そうしたことに気付くと、春来は深呼吸をして、孝太だけでなく、周りに意識を向けた。
そうしてわかったのは、まず、孝太のポジションは、ラインに近く、攻めにも守りにも影響が少なそうな場所だということだ。少し窮屈で、自ら前線に行くことはまず難しい。また、仮にこちらがセンター付近でボールを持っている時、こんな場所にいたらディフェンスも難しいだろう。
それは、こちらがボールを奪ったところで、上手く攻められないという意味でもある。そんな場所にいる孝太に、春来達は意識を向けてしまっているわけだ。
その間、沼萩中学校の他のメンバーは、一人で数人をマークするようなポジション取りをしていた。それはつまり、仮に孝太からボールを奪っても、すぐ他の人の妨害が入るということだ。こんな状況で、ボールを奪えるわけがなかった。
つまり、春来達が孝太達に苦戦しているのは、単に強い弱いという話じゃない。全員が孝太に意識を向けてしまうことで、思い通りのプレイをしていないことが理由だった。
そのことに気付くと、春来は、大きく息を吸った。
「みんな! 僕が一人で孝太を止めるから、みんなは他の人にも意識を向けて!」
自分が気付いたことを伝えても、上手く伝わらないだろう。そう判断して、とにかくみんながいつも通りのプレイを意識するよう、そんなことを春来は叫んだ。
それに対して、孝太は笑みを浮かべた。
「じゃあ、一対一の勝負ってことかよ? 舐められたもんだ」
そんな風に言われつつも、春来はそこまで孝太に意識を戻さず、あくまで周りに意識を向けた。そして、先ほどと違い、一人を一人がマークするといった状態になっていることを確認した。
これは、孝太がどこかへパスを出そうと思っても、容易に通すことはできないことを表していた。ただ、ここで孝太に抜かれてしまったら、結局みんなの意識はまた孝太の方へ行ってしまうだろう。
そんなことを思いつつ、どう動くか待っていたら、孝太の視線が動いた。ただ、その先は他の人がいて、そこを進もうとすれば、敵だけでなく味方すら邪魔になる方向だった。
そう気付いたからか、春来は自然と身体が動き、孝太が進みたいであろう進路を塞いでいた。すると、いつの間にか目の前にボールがあった。
そうして、春来はわずかに早くボールに触れると、初めて孝太からボールを奪った。
ただ、孝太も意地があったようで、必死に追いかけつつ足を伸ばしてきて、春来は転んでしまった。その結果、孝太のファウルとなった。
春来は、すぐにボールを受け取ると、自らがフリーキックをすることにした。そうして目視すると、みんながいつも通りのポジション取りをしているのがよくわかった。そのうえで、部長であり、キャプテンでもある先輩に向けて、春来はボールを蹴った。
そのまま、春来は孝太を無視して、ゴールを狙えるようなポジション取りをした。それに対して、孝太の方がこちらに合わせるように、マークしてきた。それは、春来にとって好都合で、引き続き孝太の進路を妨害しつつ、いつでもボールを受け取れる位置にいるよう、意識した。
その間、キャプテンはどうにかボールを前線へ運ぼうとドリブルしたものの、途中でボールを奪われ、そのままカウンターを食らう形で、こちらのゴール近くまでボールを運ばれた。ただ、春来は何の心配もしていなかった。
ゴール前、隆は相手のカウンターに合わせ、むしろこちらが不意を突くような形でボールを奪った。その直後、隆から春来にパスが回った。そうして、春来がボールを受け取ったところで、孝太が立ちはだかった。
これまで、春来がボールを持った状態で、孝太を相手にすることはなかった。ただ、それはこの場面で孝太を抜けば、かなり有利な状況を作り出せるということでもあった。
しかし、孝太が視線すらフェイントに使っていることに、先ほど春来は気付いた。そんな孝太を相手に、一対一で戦うつもりなど、一切なかった。
そう意識した瞬間、ゴールへと繋がる線が、春来には見えた。それを信じると、孝太と勝負することなく、フリーになっていたキャプテンにパスを送った。
キャプテンはボールを受け取ると、またゴールを目指してドリブルした。そして、先ほどボールを奪われた相手を抜くと、ゴール近くまでボールを運んだ。
そんなキャプテンと並行して、春来もゴールに向かっていた。そして、キャプテンは相手に囲まれると、春来に向けてパスを出した。
ただ、春来は孝太から徹底的にマークされていて、普通にボールを受けたら、恐らく奪われてしまう状況だった。そうした中で、春来はキャプテンのパスをダイレクトに蹴り、そのまま学に向けてパスを出した。
このダイレクトパスは、相手の意表を突き、学はほとんどフリーの状態でボールを受け取った。そして、キーパーと一対一の状況の中、シュートを放った。
そのボールは、相手のゴールネットを勢いよく揺らした。
「まだ負けてねえ! すぐにまた返せばいい!」
そんな孝太の叫び声を聞いて、春来はゴールを喜んでいる場合じゃないと気付いた。
「まだ終わっていないよ! みんな、絶対に勝つよ!」
そうして、また孝太のキックオフから試合が再開された。
相変わらず、孝太は視線もフェイントに使いながら、どうにかして抜こうと様々な策を講じてきた。それに振り回されつつ、春来はどうにか進路を妨害したものの、ボールを奪うのは困難だった。
そうして時間が過ぎていく中で、ほんの一瞬だけ、春来の集中が切れてしまった。その隙を突かれる形で、孝太が急にドリブルを始め、横を抜かれてしまった。
ただ、そこには隆がいて、どうにかボールをクリアした。
その直後、試合終了のホイッスルが鳴った。
そうして、桜庭中学校は、沼萩中学校を相手に、2対1で勝利した。




