ハーフタイム 67
卒業式当日。
春来はカジュアルなスーツ、春翔はジャケットと、二人とも大人っぽい格好に着替えた。
「何だか、変な感じだね」
「春来は身長もあるし、似合っているじゃん。私なんて、妙に背伸びしているみたいで……」
「そんなことないよ。春翔も似合っているよ」
何気なくそんなことを言うと、春翔は少しだけ顔を赤らめた。
「……ありがとう」
「ほら、二人ともそろそろ行かないと、遅刻するわよ」
「僕達も後で行くからね」
両親達からそんなことを言われつつ、見送られる形で、春来と春翔は学校へ向かった。
学校に着くと、みんな普段と違った大人っぽい服装で、お互いにどこか照れ臭いと思いつつ、いよいよ本当に卒業を迎えるといった、よくわからない気持ちもあり、それぞれが複雑な表情だった。
卒業式自体は、去年とほとんど変わらないというか、どこか実感がなかったからか、ほとんど覚えていない。
覚えていることといえば、春翔が卒業生代表として答辞を読んだ際、途中で泣き出してしまい、それでもどうにか最後まで話したこと。そんな春翔の答辞を聞いて、多くの卒業生だけでなく、在校生まで泣き出してしまったこと。そして、春来も別れを意識して、目に涙を浮かべたこと。それぐらいだった。
そうして、卒業式が終わると、各教室で最後のホームルームがあった後、謝恩会という、保護者と一緒に、お世話になった先生への感謝を伝える、お別れ会のようなものがあるとのことだった。
ただ、それが始まるまで、少し時間があるとのことで、昨年同様、卒業生達は校庭に出ると、後輩も含め、思い思いに話をした。
「先輩、卒業おめでとうございます!」
春来達のところには、サッカークラブの後輩だけでなく、様々な後輩が挨拶をしにきた。それは、異学年交流や各イベントに参加したことが理由のようだった。
「連絡先、交換してくれませんか?」
「ああ、ごめん、僕はこういうの苦手で……」
「春来に伝えたいことがあるなら、私に連絡してくれれば、伝えるよ!」
そうした形で、春来は基本的に後輩達と連絡先を交換することなく、代わりに春翔が連絡先を交換した。
そうしていると、謝恩会の時間を迎え、残念そうにしている後輩達に別れを伝えると、春来達卒業生と、その保護者、先生達は体育館に集まった。
そうして始まった謝恩会では、テーブルに並べられた料理をバイキング形式でそれぞれ食べたり、卒業生の出し物として、これまで習った歌を合唱したり、先生に関するクイズ大会があったり、そんな感じだった。
それは二時間ほどで終わり、いよいよ本当にこの学校とお別れする時を迎えた。そのことをみんな自覚しているようで、春翔を含め、多くの生徒が泣いていた。
そして、保護者と先生は、最後に生徒達だけの時間を作ろうとしてくれたようで、体育館から出ていった。そうして、生徒達だけが残る形になり、それぞれが思い思いに仲の良い人と話をし始めた。
「春来、少しいいかしら?」
そんな中、春来は結莉に話しかけられた。
「うん、いいけど?」
「春来、ありがとう。色々なことが実現できたのは、あんたのおかげよ」
「いや、僕がしたことなんて、誰でもできる普通のことだし、色々なことを実現したのは、結莉と春翔だよ」
「うん、最後だし、はっきり言わせてもらうわ」
そう言うと、結莉はどこか怒った様子を見せた。
「春来は、自分が特別だと自覚するべきよ」
「いや、僕なんて……」
「私の話を最後まで聞きなさい!」
そんな風に強く言われて、春来は言葉に詰まった。
「春来の近くには春翔がいたから、気付かなかったのもわかるわ。だって、春翔は特別だもの。でも、春翔だけじゃないわ。緋山春来、あんたも特別よ」
すぐまた否定しようとしたものの、最後まで聞くように言われたため、春来は黙って話を聞き続けた。
「ずっと春翔と自分を比べて、春翔には勝てないと決め付けて……もう、春翔に勝っていることがたくさんあるのに気付かなくて……自分が普通だと思い込むことは楽かもしれないけど、あんたが楽した分、周りが不幸になっていることに気付いてほしいわ」
結莉の話は、否定したいことばかりで、上手く受け入れられなかった。ただ、こんな瞬間を、これまで何度も経験してきたことを、春来は自覚していた。
それは、自分に自信を持ったり、自分を理解したり、そうしたことが今もできていないということを表していた。
「一つ質問するわ。あんたは、私のことを特別だと思っているかしら?」
不意にそんな風に聞かれて、戸惑いつつも、春来はすぐに答えを出した。
「うん、マスメディアに関する知識とか、人を誘導するやり方とか、僕よりすごいと思うし、何より結莉は自分自身に注目を集めるため、そうしたことを活用できる人だし、春翔とは違った、特別だと思うよ」
「それじゃあ、そんな特別な私がはっきり言うわ。あんたは、私の特別を普通にして、たくさん奪っていった。そのことを自覚しなさい」
そう言われたものの、春来は意味がわからなかった。
「えっと……」
「あんたは、その場の空気とか、気配とか、そういったことを敏感に感じ取ったうえで、常に的確に動いているわ。それは、あんたがいつも一歩引いていたからで、私や春翔にはできない、特別なことよ」
「いや、そんなのは誰でもできる普通のことで……」
「そうやって、あんたは他の人ができない、特別を普通にしてしまっているのよ。私は、そんなあんたに、強い怒りを持っているわ。そして、私だけでなく、春翔もそうだし……はっきり言って、これまで春来とかかわった全員が、何かしらか思うところがあったはずよ」
そんなことあるわけないと思いつつ、結莉からここまで強く言われて、春来は段々と否定できなくなっていった。しかも、こんな時にいつも否定してくれる春翔が、今は何故か近くにいない。ふとそのことに気付いて、春翔を探すと、春翔は隆と奈々と一緒にいた。
「本当は私でなく、春翔が伝えるべきことなのよ。まあ、これから春翔にも一言だけ伝えるわ」
「えっと……どういうことかな?」
「それについて、春来は考えなくていいわ。とにかく自覚してほしいことは、緋山春来が特別だということ。ただそれだけよ。あんたにできること、あんたがすること、全部誰でもできる普通のことだなんて考えないで。それができない人や、必死になってようやくできる人にとって、それは特別なの。それをあんたが簡単にできるからって、誰かにとっての特別を普通にしないで」
結莉の話を全部理解したわけではない。ただ、自分に自信が持てないこと。自分のことを理解できていないこと。自分にできることは、誰でもできる普通のことだと思っていること。それらが、間違っているのかもしれないと、春来は自覚した。
「最後だからって、はっきり言い過ぎたかしら?」
「ううん、言ってもらって、良かったと思うよ。ありがとう」
「……全然伝わらないと思ったけど、少しは伝わったみたいだし、全部伝えて良かったわ。ああ、でも、もう一つだけ伝えたいことがあったわ」
そう言うと、結莉は笑みを浮かべた。
「奈々の告白の返事、まだよね? 学校も変わるし、ちゃんと今の気持ちを伝えてあげて」
「いや、その……」
「答えを伝えてなんて言っていないわ。今の気持ちを伝えてほしいのよ」
「……うん、わかったよ」
春来がそう言うと、結莉は笑顔を見せた。
「それじゃあ、今度は奈々をここに来させるわね」
それから、結莉は春翔達と一緒にいる奈々の方へ行くと、奈々の背中を押しつつ、こちらに来ようとする春翔の腕を引っ張るといった、遠目から見ても明らかに揉めている状況を作り出した。
そんな状況の中、奈々だけが春来の方にやってきた。
「えっと……結構時間も経ったし、また言うね。私は、緋山春来君のことが好きです」
奈々は顔を赤くしながら、改めてそう言った。
「ありがとう。こんな僕を……いや、違うのかな?」
先ほど、結莉に言われたことを思い出し、春来は言葉に詰まった。
「うん、学校も別々になっちゃうし、付き合うとか、そういうのは無理だってわかってるから……」
「いや、そうじゃなくて……奈々は色んな人と仲良しで、誰とも仲良くなる気がなかった結莉とまで仲良しで、それだけたくさんの人と仲良しの奈々が、僕のことを好きって言ってくれて……僕は特別なんだなって思うよ」
みんなと仲良しの奈々だったら、こんな普通の自分なんかを好きになるなんておかしい。もっと他の人を好きになるはずだ。そんな考えをどこか持っていて、これまで奈々の気持ちにしっかり向き合ってこなかった。そのことを自覚して、しっかり奈々の気持ちに向き合おうと思った瞬間、すぐに答えは出てしまった。
「でも、僕は奈々に対して……他の人に対してもそうなんだけど、好きって……恋愛の好きって気持ちがなくて……だから、奈々と付き合うとか、恋人になるとか、そういったことはできなくて……その、ごめんなさい」
これで、上手く断れたのだろうかという不安しかなかったものの、春来はどうにか自分の気持ちを伝えた。
それに対して、奈々は目に涙を浮かべつつ、笑顔を見せた。
「振られちゃったけど……ちゃんと考えてくれてありがとう。私は、緋山春来君を好きになって良かった」
「こちらこそ……麻空奈々、僕を好きになってくれて、ありがとう」
それから、春来と奈々はお互いに何も話すことなく、この時間を送った。
そして、こうした生徒達だけの時間も終わってしまい、いよいよ本当に別れの時が来た。
「それじゃあ、みんな、いつかまたね」
「うん、いつかまた」
この時、誰が言い出したという感じでなく、それぞれが「さよなら」ではなく、「いつかまた」と挨拶をして、お別れした。
その後、春来と春翔は、両親達と一緒に家へ帰った。
「今夜は、御馳走だからね」
「唐揚げと肉じゃがもあるよ」
「ありがとう!」
今夜は、それぞれの好物もある、豪華な夕飯とのことで、春来と春翔は喜んだ。
「あ、でも……春来、着替えた後、少しだけ公園に行かない?」
卒業を迎え、何人かと別れることになり、春翔は何か思うところがあるのだろう。そんな思いを察して、春来は頷いた。
「うん、いいよ」
「あまり、遅くならないようにしなさいね」
「うん、わかっているよ」
そうして、春来と春翔はそれぞれ自分の家で着替えた後、家の外でまた合流した。その春翔の手には、サッカーボールがあった。
「何だか、久しぶりに春来と二人でサッカーがしたくなったの」
思えば、春来と春翔の二人だけでサッカーをすることは、いつぶりだろうかというほど、ほとんどなくなっていた。そんなことを思いつつ、春来は春翔の提案を受けることにした。
「うん、いいよ」
それから、二人はいつも通り、近くの公園へ行った。
「春来、ワンオンワンで私と勝負して」
「うん、やろうか」
そうして、春来達はいつも壁当てに使っていた壁をゴールに見立てた、ワンオンワンをすることにした。
「手加減したら、許さないからね」
「わかっているよ」
「あ、でも、キーパーがいないからって、遠くから山なりのシュートを打つとか、そういうズルは禁止だからね!」
「それ、いいね。いつか誰かにやってみようかな」
そんな冗談を交えたやり取りをした後、春翔が攻める側、春来が守る側でワンオンワンを始めた。
春翔の言った通り、キーパーがいないため、春翔は無理やりでもシュートを打てば、基本的に勝てる状況だ。ただ、そうした勝ち方でなく、あくまで春来のディフェンスを抜いたうえで勝ちたいようで、正面から相対する形になった。
春翔は、身体を揺らしてどちらに行くかわからないようにしたり、自分が行こうとする方とは反対に足を向けたり、様々なフェイントを重ねながら、どうにか抜けようと試行錯誤してきた。
そんな春翔に抜かれないよう、春来は意識を集中させた。それは春翔も同じのようで、しばらく左右に移動しながら、お互いに警戒し合うといった状態が続いた。
次の瞬間、春翔は無理やり抜けようと考えたようで、一気に近付いてきた。その際、春来は春翔の視線に注目して、どちらに抜けようとしているのか予測しようとした。
しかし、春翔は視線を向けた方とは逆に向かい、完全に裏をかかれてしまった。そうして、抜けられそうになったものの、春来は切り返すように地面を蹴ると、そのまま脚を伸ばした。
その結果、春来の足先がボールに触れて、軌道が変わった。春翔はそれに戸惑いつつ、どうにかボールをキープし続けようと、ボールの軌道に意識を向けた。
そうして、春翔から自分への意識が一瞬だけ外れたことに気付くと、春来はまた地面を蹴り、ボールでなく、春翔の方へ身体を近付けた。そうすると、春翔は驚いた様子で、春来を避けるように身体の重心が傾いた。
それは、無意識に働いた防衛本能のようなもので、真っ直ぐボールを目指していれば、二人の身体がぶつかることなく、春翔の方が先にボールに追いついていた。しかし、ぶつかるかもしれないといった恐怖心から、春翔は、ほんのわずかに身体の重心がズレた。その結果、春来は春翔に並ぶことができた。
そうなると、身長差がそのまま勝敗を分ける形になり、春来は身体を使って春翔をブロックしつつ、ボールを奪った。
「僕の勝ちだよ」
「うん、私の負けだね」
春翔は、笑顔で自分の負けを認めた。その瞬間、春来は、負けず嫌いの春翔が負けたのに笑顔だったことに、驚きを感じた。
「じゃあ、次は春来が攻める番だよ」
「ああ、うん」
そうして、春来は戸惑いつつも、ボールをスタート地点の方まで移動させた。
「それじゃあ、行くよ?」
「いいよ!」
春翔の返事を受けると、また春来は意識を集中させた。そして、キーパーだけでなく、何人かディフェンスもいる状況を想定したうえで、ゴールに見立てた壁に目をやった。
その瞬間、春来はゴールへと続く線のようなものが見えた。そして、それを信じて、ゴールの方へ向かっていった。
結果、春翔のディフェンスを意図も簡単にかわすと、春来はシュートを打つことなく、そのままゴールの方へ向かっていった。そうして、ゴールの目の前まで来ると、軽くボールを蹴るだけで、春来が勝利した。
「春来、ありがとう」
この時も、春翔は負けたにも関わらず、嬉しそうな様子で、笑顔だった。
「疲れちゃったね。休憩しようか」
「うん、そうだね」
そして、いつも通り、春来達はベンチに座った。
「春来、ありがとう」
「いや、さっきも礼を言っていたけど、これぐらいのことならいつでもできるよ?」
「そうじゃなくて……春来がいてくれて良かった。生徒会のことも、生徒会長になれたことも、全部春来のおかげだよ」
「いや、それは春翔が頑張ったからだよ。というか、生徒会選挙で、僕は結莉の応援をしていたんだけど?」
「そうだけど……生徒会長に立候補するの、一度は取り消したけど、やっぱりなりたいと思えたし、実際になれて良かった。これは、春来が生徒会に入って、すぐ近くで応援してくれたからだよ。だから、本当にありがとう」
「別に僕は……」
そこで、春来は誰でもできる普通のことをしただけだと伝えるつもりだった。ただ、結莉などから言われたことを思い出して、違う言葉を伝えることにした。
「春翔のため、僕にできることができたなら、嬉しいよ」
そう伝えると、春翔は嬉しそうに笑った。
「うん! 私のしたいことを、全力で応援してくれて、本当にありがとう!」
「どういたしまして」
それから、春翔は少しだけ間を置くと、決心した様子で、口を開いた。
「何度も言うけど……これまで、春来は私のしたいことを自分のしたいことにしてくれて、全力で応援してくれて、本当にありがとう。でも、今度は私が春来のしたいことを応援したいの」
「え?」
春翔が何を言っているのか、春来は上手く理解できなかった。そんな春来に対して、春翔は話を続けた。
「私、中学校に入ったら、サッカー部のマネージャーになる! それで、春来と一緒に、大会で優勝するって夢を叶えたい!」
そんな強い決意をぶつけられて、春来は戸惑った。
「いや、でも、春翔は女子サッカー部とかで活躍できると思うし、もったいないんじゃないかな?」
「もう決めたの。春来が私にしてくれたように、春来のため、私にできることをしたい。だから、中学校でも春来と一緒だね」
春翔の決心が固いようで、春来はこれ以上、否定しないようにした。それに、中学校では、春翔と部活が別々になると思っていたため、また一緒にいられると聞いて、素直に嬉しかった。
「うん、じゃあ……お願いしようかな」
「私、マネージャーとして、一緒に頑張るからね!」
それから、春来と春翔は、中学校に入ったら何をしたいかといった話から、小学校の思い出など、様々な話をした。
そして、それはいつまでも終わらず、いつも通り、春翔の両親が迎えに来たところで、ようやく終わった。
「そうだ。ちゃんと言っていなかったね。春来、卒業おめでとう」
帰る時、春翔の方から、そんな風に言ってきた。それに対して、春来は笑顔を返した。
「うん、ありがとう。春翔も、卒業おめでとう」
「ありがとう」
六年間通った、小学校を卒業した。そのことを改めて実感しつつ、春来達は家に向かった。




