17 流るる侭に…
周瑜side──
深い──深い闇。
上も、下も、右も、左も…
自分がどんな状態かさえも判らない闇の中。
普通なら気が狂ってしまいそうな状況なのに…
私は安らぎを感じている。
これが“死”だろうか。
…否──そうではない。
この安らぎが何なのか私は知っている。
これは“温もり”だ。
生命の根幹。
内より溢れ出す生きる源。
穏やかで、優しく、暖かな日溜まりの様に包み込む。
私に染み渡る。
この“温もり”が在るから私は安心出来る。
何も心配要らない。
そう感じている。
信じている。
だから、なのだろうか。
闇の中に在って夢を見る。
それは幼き日の記憶。
初めて戦場と人の“死”を目の当たりにした夜。
母の腕に抱かれていた夜。
死を恐れる事は恥
そう言う人も居るでしょう
けれど
死を恐れぬ者には
生の儚さは解らない
命の尊さ
命の儚さ
命の愛しさを
貴女は忘れないで
母の声が谺する中──
夢は闇に沈み、闇は光へと融けてゆく。
「……ん……ぅ……」
目蓋を開けると窓から差す日の光が眩しい。
右手を翳し、陰を作る。
「冥琳、起きたの?
気分はどう?
身体の具合は?
食欲は有る?」
朱然が傍らから覗き込み、矢継ぎ早に訊いてくる。
声や口調こそ平静を装っているが顔は不安気だ。
つい僅かばかりの悪戯心が顔を覗かせたが、今は場の空気を読んで自重する。
ゆっくりと上半身を起こし深く呼吸をする。
「そうだな…気分は良い
食欲は普通だ
身体は…」
右手を、左手を開閉させて感触を確かめる。
倦怠感は有る。
だが、それは本の僅か。
また、今までとは違い嫌な気怠さではない。
そして、胸の感覚。
呼吸に辛さは無い。
ずっと感じていた“重さ”が無くなっている。
それだけで、理解するには十分だった。
「…私は、生きている…
生きて…いるんだな…」
自分の身体を両腕で抱き、実感すると涙が溢れる。
朱然が私を抱き締めると、より強く実感出来た。
暫し、抱き合い互いの存在を確かめた。
離れ際には苦笑。
照れ臭かった。
気を取り直し朱然を見る。
「少し相談なんだが──」
私は決意を告げた。
──side out
夜が明け、既に街は人々の往来が有った。
現代で言えば通勤ラッシュだろう。
そんな中を馬車を動かして移動する。
──と言っても、今の俺は荷台で漢升の膝枕にて寝て居る有り様。
(怠い、異常な程に怠い…
まさか氣の枯渇が此処まで影響するとは…)
いや、冷静に考えれば当然なんだが。
氣は生命の根幹。
使い切れば死に至る。
勿論、最後の一線を越えた訳ではなかったが限界まで使い果たせば当然の結果。
正に、身から出た錆。
限界まで使った為か、氣は使用不可能な状態。
身体が練氣そのものを拒否している。
無理矢理やれば出来るとは思うが…止めておく。
碌な事は無いだろう。
まあ、命に別状は無い。
しかし、辛い。
何が辛いって、自分の事が殆ど自分で出来無い。
着替えだけは死守したが、食事も移動も三人頼り。
介護される人達の気持ちが嫌と言う程解った。
「…急がずとも宿で休んだ方が良かったのでは?」
手綱を持つ興覇が振り向き訊いてくる。
因みに、興覇の丁寧口調は自分に対してのみ。
漢升達には今まで通り。
主従になったかららしいが変えなくていいと言ったら“夫婦となれば考えます”と返された。
政治家の“善処します”と同等に都合が良い。
「そうしたい所だけど…
のんびりしては居られない状況だろ?
“前例”も有るしなぁ…」
軽く溜め息。
自業自得とは言え、何度も繰り返せば学習する。
一体、何が良いのか。
頭上では漢升が苦笑。
まあ、自分では判らない事だろう。
「でも…無駄な様ですよ」
儁乂の言葉に顔を顰めつつ漢升に身体を起こして貰い前方を見る。
「随分と早いですね
まだ、何の礼もしていないと言うのに」
其処に居たのは周瑜。
朱然も一緒だ。
しかも“荷物”付きで。
「…はぁ…一応訊くが…
どういうつもりなんだ?」
「貴男が言った通り…
私の“全て”を捧げます」
迷いの無い周瑜の言葉。
その瞳に宿る意志も本物。
「名家の跡取りが揃って?
恨まれそうだな」
「私の人生です
例え、親で有っても文句は言わせません」
答えたのは朱然。
成る程、此方も本物だ。
「それに些細な問題です
貴男の子を、私達が成せば済む話でしょう?」
そう言って微笑む周瑜。
妖艶さを感じさせる。
隣の朱然は真っ赤。
初々しい事だ。
「御答えを」
周瑜が真摯に問う。
彼女達の人生だ。
どうするかは自由。
だが、主従となると自分に決定権が生じる。
(…儁乂同様、断っても、無駄だろうな…)
忠犬的なオーラが有る。
特に朱然は。
「後悔するなよ?」
「今、貴男に付いて行かぬ事の方が悔やまれます」
そう返す周瑜に苦笑。
その反応で悟った様で屈み臣下の礼を取る二人。
「姓名は周瑜、字は公瑾
真名は冥琳…
我が知謀を以て貴男に」
「姓名は朱然、字は義封
真名は珀花…
我が心血を注ぎ貴男に」
『永遠に仕え、従わん事を此処に誓います!』
漢升の支えを離れ気合いで二人の元へ歩み寄る。
そして、二人の頭を撫でる事で“洗礼”とする。
「その“志”、我が魂魄に確と受け取った」
「宜しくお願いします」
「不束者ですが…
宜しくお願いします」
その言葉に笑顔で頷く。
ただ、朱然の台詞が気持ち“重い”と感じてしまったのは男としての性か。
新たに二人を加え、江陵を後にした。
“問題も無い為、宿に戻り休んでは?”と意見も出た訳だが…今更だ。
興覇達にも言った呼称や、真名の件を説明。
序でに自分の現状も。
申し訳無さそうな公瑾だが何処か嬉しそうだった。
僅かに紅潮した頬と耳先は敢えて見なかった事に。
「しかし、良く判ったな
江陵は東西南北全てに門が有り、船も含めれば六通りの選択肢になる
“どう”推察した?」
漢升の隣に座り、倦怠感の身体を休める公瑾に訊く。
「先ず、紫苑が居る事から西から来た可能性が高く、西への可能性は消えます
また東への船は暫く出ない事を知っていたので…
私達を避けるなら東は無く加えて南も薄い
よって、北の一択に」
「成る程な…
まあ、お前の才器を見ればこれ位は読めるか
手を入れた訳でもないし
唯一、俺が読み違えたのはお前が予想以上に行動力が有ったって事だな」
「貴男のお陰です
倦怠感は多少なりとも有りますが、普通に動けます
寝たきりでは無理でした」
そう微笑みながら返す公瑾に苦笑する。
頑張り過ぎた様だ。
「…二つ、宜しいか?」
「ん?」
改まった、真剣な面持ちで訊ねる公瑾。
漢升は勿論、馬車の座席に座っている三人も気付き、此方に耳を傾けている。
「一つ目ですが、起きたら目が…視力が以前より良くなっていたのですが…
これは?」
「ああ、序でにな
眼鏡を掛けて見難い様なら新調するまで外しとけ
逆に目を悪くするから」
「そうでしたか…」
頷いた公瑾はずらしていた眼鏡を外す。
ただ、違和感が有るらしく目元を気にしている。
「二つ目ですが…改めてと言うべきでしょうね
何故、私を助けようと?」
成る程、と公瑾の目を見て納得する。
あの時の本の僅かな逡巡に気付いていた様だ。
多分、誤魔化しても追究は終わらないだろう。
前もそうだったし。
小さく溜め息を吐く。
頭上では漢升が妙に優しい微笑みを浮かべているので軽くジト目で見る。
クスッ…と笑われた。
「どんな理由を口にしても自己満足なのは確かだ
お前達を助けた事実もな
だが、それをどう思うかはお前達次第だ
俺の理由は必要無い」
捨て置く様に冷淡な感じで言うが…大して動じない。
何故、こうも頑固なのか。
「…はぁ…全く…
これでも人を見る目は有るつもりだ
稀代の才器有る者が舞台に立たず消えるのは惜しい
その才器が花開く時を見てみたいと思ったからだ」
「…その者が、敵になったとしても…ですか?」
「それはそれで楽しみさ
抑、各々抱く理想や信念が違えば道は違う
同じ理想や信念を抱いても辿る道が違えば、至る頂は異なるもの…
自分と違うから敵、なんて言うのは愚かな事だ
違うからこそ、互いを高め刺激し合える
其処から学ぶ事は、決して少なくない
…とまあ、こんな感じだ
これで満足か?」
「はい、十分に」
心底嬉しそうな公瑾。
照れ隠しに背を向けると、前の三人と目が合う。
誇らし気な微笑の興覇。
感涙状態の儁乂と義封。
仰向けに戻り、目を瞑る。
慣れない雰囲気に居心地が悪くて仕方無い。
唯一の救いは顔を隠す様に置かれた漢升の掌か。
そう思っていると腕の中で抗議する様に動く。
ああ、飛雲の存在もな。
そう胸中で思いながら頭を撫でてやると満足したのか大人しくなった。
(…俺も寝るか…)
する事も、出来る事も無い現状ではそれが妥当か。
兎に角、氣の回復に専念し身体の“休眠状態”を解く事が先決だ。
(賊徒の百や二百なら俺が出るまでも無いだろうが…
“澱”だけは何時・何処で現れるか判らない
今後は“保険”を用意して置くべきか…)
静かに思考しながら意識を深く沈めていった。
太陽も中天に至る頃…
水辺に馬車を止め、昼食を採っていた。
氣が回復した為、身体にも活力が戻った。
とは言え、まだ自分で食事が出来る程度だが。
「そう言えば、華佗という医者はどの程度の腕だったのですか?」
川魚を捌きながら、儁乂が公瑾に訊く。
「治療を受けた訳ではないので判断に困るが…」
「名が広まり過ぎて実力と差が有るのではないか?」
悩む公瑾に、興覇が辛辣な言葉で返す。
聞き流す訳にはいかない。
「興覇、噂だけで判断するのは愚行だ
それと、華佗の名誉の為に言っておくが…
華佗が言ったのは、治療が不可能で有って、治療法が無い訳じゃない」
「どういう事ですか?」
山菜を切っていた義封が、手を止めて訊ねる。
「華佗の流派の技法は氣を用いる医術だ
しかし、病巣の状態により必要となる氣の量が違う
公瑾の場合、華佗が自分の命を代償にしても治療する事が出来無い程だった
もし仮に自分の命を代償に治療出来るのなら、迷わず実行している
彼奴は、そういう男だ」
「…お知り合いですか?」
「俺が氣を教わった相手が他ならぬ華佗だ
まあ、友でも有るが」
漢升の質問に答えながら、思い出して小さく笑う。
それを聞いて罰が悪そうな興覇の頭を“気にするな”と撫でてやる。
「抑、華佗の流派の技法でなければ、公瑾の病を治す事は粗不可能だ
本来は門外不出の技法だが特別に伝授して貰った時は“手札”を増やす意味合いの方が強かったけどな」
そう考えると、世の中何がどうなるか判らない。
実に不思議な物だ。
「飛影様と華佗殿では既に力量が逆転していると?」
「当時は氣の量も華佗の方が多かったが、それは発現して間が無かった為…
今は俺の方が多いからこそ公瑾を治せた訳だ
知識・技量は一概には比較出来無いな
経験は…活殺でみれば俺、医者としては華佗だろう
今だから言えるとしたら…
恐らく、俺以外に治療可能な者は居なかったな
余命の内では、だけど」
漢升に答えながら思う。
公瑾が華佗の診察を受け、その後、俺が華佗を助けて氣を学んだ。
興覇・漢升・儁乂を助け…
“澱”との戦い…
そして義封と出逢い公瑾を助ける事になる。
全てが繋がっている。
偶然か、必然か…
知る術は無いだろう。
しかし、それは些細な事。
大切なのは“現在”に在り生きている。
それだけだ。
姓名字:朱 然 義封
真名:珀花
年齢:20歳(登場時)
身長:167cm
愛馬:雪霞
白毛/牝/四歳
髪:真っ白、尻に届く位
ストレート
天然のウェーブ有り
眼:紺碧
性格:
真面目で努力家、責任感が強く、仲間思い。
ただし、世間知らずな所や直情的な一面も有る。
備考:
母・朱治は淮南郡太守。
母から“見聞を広めよ”と言われ、幼馴染みの周瑜の旅に護衛を兼ねて同行。
指揮経験は無いが、知識は母や周瑜より教授。
剣を主体とした近距離型。
速さを重視。
一撃必殺より連続性を重視した戦い方をする。
家事技能は良家の子女には珍しく高い。
◆参考容姿
久寿川ささら【ToHeart2】
姓名字:周 瑜 公瑾
真名:冥琳
年齢:22歳(登場時)
身長:173cm
愛馬:茶紋
栃栗毛/牝/五歳
備考:
母・周異は廬江郡太守。
“不治の病”を患い治療の為に“華佗”を探し旅に。
幼馴染みの朱然を誘う。
若くして才覚を発揮。
地元では容姿も相俟って、“美周嬢”と呼ばれる。
鞭という癖の強い武器を、手足の様に扱う中距離型。
間合いを重視し、己の間に相手を引き込む戦法を得意としている。




