9 狐の考察
大蜘蛛を見据え逆手に持つ曲剣を構える。
今度は先に仕掛ける。
地を蹴って疾駆。
正面から突っ込む。
大蜘蛛は二対の四脚の爪で突いて来て──
四つの爪が身体を貫く。
だが、俺は不敵に笑う。
『さて、この中から本物を当てられるかな?』
大蜘蛛の周囲に突如として現れた複数の自分が言う。
いつの間にか、辺りを深い霧が包み込んでいる。
これが、この子の能力。
氣を糧に“幻霧”を生む。
直接的な攻撃性は無い。
しかし、五感を撹乱させる能力は驚異だ。
現に大蜘蛛は戸惑う。
存在形態が妖魔である以上“五感”に依る。
しかし、相手も流石。
直ぐに此方の氣を探る。
だが、猶予は与えない。
八つの脚を断ち切り胴体を落とし動きを封じる。
脚の再生には数秒。
だが、それで十分。
右手に持った曲剣を頭部へ降り下ろす。
それを大蜘蛛は鋏角で受け止める。
僅かな膠着。
その間に脚が再生を終え、大蜘蛛が身体を起こす。
だが、鋏角は曲剣を捕まえ放す気配は無い。
大蜘蛛が嗤った気がする。
大蜘蛛が前側三対の六脚を振り上げた。
その瞬間──
“左手”に握られた翼槍が大蜘蛛の額を穿つ。
「灼き滅ぼせ」
静かな命令に翼槍は応え、瞬時に大蜘蛛の身体を覆う大火を生む。
甲高い断末魔を上げつつも抵抗を見せる大蜘蛛。
脚を動かし、此方に攻撃を仕掛けて来る。
しかし、翼槍の炎が一切を許さない。
禍々しい赤黒い氣が四肢の彼方此方から漏れ出すが、炎がそれを浄化するが如く焼き尽くす。
次第に大蜘蛛は、その姿を失い赤黒い氣の塊となり、炎に融ける様に燃える。
その炎の中、少女が佇む。
あの時に見た苦痛に歪んだ表情とは違う…
穏やかで晴れやかな笑顔。
少女が此方に向かい両手を差し出すと掌の中に四つの物体が生じた。
一つは、球状に纏められた銀色の紬糸。
三つは、サファイアの様な直径1cm程の青い珠晶。
何方らからも、強く清廉な氣を感じる。
それらがゆっくりと此方へ浮遊してくる。
助けた“御礼”と解釈し、曲剣を仕舞い、右手の掌に氣を集め、浮かせたままで受け取る。
にっこりと笑う少女。
…ありがとう…
その一言を遺し、炎と共に現世より消えて逝く。
「汝に安寧の眠りを」
目蓋を閉じ、左手の翼槍を振るい燐火を舞い踊らせ、葬送の儀とした。
少女から受け取った物を、自分の影の上に落とす。
すると、それらは地面には触れる事は無く、影の中に沈んで行く。
「取り敢えず保管、と…
“影”が使える様になって本当に助かるな」
“影使い”と呼ばれる力で“術”に因る物と、自身の魂に宿る資質に因る物とが有るが、自分は後者。
それ故に使用出来た。
尤も“絳鷹”も同じだが、その顕現に“触媒”を必要とはしない。
だから、氣を使えない状態だった当初は使用出来ず、不可能だと思っていた。
また、翼槍や曲剣の存在も気付くに至った要因だ。
“氣を糧として発現する”
その事実が鍵になった。
「…まあ、倉庫としてしか使えないんだが…」
具現化・使い魔化は不可能だったが、“閉じている”以上は仕方無い。
最低限、影の拡大が出来、倉庫になるだけ御の字だ。
「さて、黄忠は…」
意識を失ったままの彼女は未だに目覚めていない。
傷は塞ぎ、出血も止めた。
幸いにも大蜘蛛には大して氣を奪われた様子は無く、命に別状はない。
(とは言え、連れて戻る訳にも行かないな…)
仮説だが、韓玄による罠でこうなったのなら、意識が戻るまでは迂闊には永安へ近付けない方が良い。
となると、彼女が目覚めるまでは此処で待つしかないだろう。
(その間に整理するか…)
黄忠に外套を掛け、手近な木に背中を預けて座る。
脳裏に先程の少女の気配を思い返す。
それは“懐かしい”物。
良く知っている存在。
(あの少女は“御霊”──つまり、所謂“精霊”等に近い存在だった…)
しかし“現世”に存在する事は出来無い。
それ故に消えて逝った。
それは当然の事だ。
“世界”が閉じている上に“そう”在る様に“理”は定められている。
抗う事など出来はしない。
だが、少女の存在は嘗て、この世界には“精霊”等が存在していた証だ。
(他にも少女の様な存在が居るのか?)
いや、可能性は低い。
存在出来無いが故に少女は現世を離れた。
存在出来るなら少女が去る必要は無い。
それに少女の魂の行き先は“輪廻の輪”か“世界”の何方らかだろうが…
“精霊”に近いと考えれば“世界”に還った可能性が高くなる。
“世界”の一部で在る故に逃れられない事だ。
今の“世界”に“精霊”に類する存在が現存するとは考え難かった。
ならば、少女はどうやって存在していたのか。
その鍵は、禍々しい気配に有るだろう。
(恐らくは…今のこの世界では“氣”が全ての根源になるんだろう)
華佗は氣を扱う為に必要な事は“感じられる事”だと言っていた。
それは術者の資質と同じ。
全ては“それ”に因る。
そう考えると翼槍や曲剣の“能力”も理解出来る。
この子達は所謂“魔法具”“呪具”の類いで、媒体に“氣”を用いる事で能力を発現させる。
“影使い”の力も同じ。
だから、限定では有るが、使用可能なのだろう。
違う様に思えるが“器”に“氣”を入れる事で能力を発現させるという点では、同じ原理になる。
尤も、この子達の様な物が他にも在るとは思うが数は多くないだろう。
さて、今回の少女の場合はどうだろうか。
少女自身は自らの意思では存在出来無い。
しかし、“別の要因”──“禍々しい気配”に因って存在していた。
実際には“囚われていた”のだが。
(あの時感じたのは死…
とても“生ける者”の持つ氣じゃなかった…)
今思い出しても背筋が凍る思いだ。
(“アレ”は何なんだ?)
大蜘蛛は少女を“宿媒”に存在していた。
“妖魔”の様に“堕ちた”訳ではない。
少女は存在を形作る“核”として必要だった。
そう考えると“アレ”は、それ自体では存在出来無い或いは形を成せないという事になる。
(…あれ程の存在が?)
だとするなら、“アレ”は“世界”の“理”に準ずる存在の可能性が高い。
“歪み”の可能性も有るが“世界”が“力の均衡”を失った時に生じる存在。
“この世界”で生じるとは考え難い。
そうなると“穢れ”の線が濃厚だろう。
“穢れ”は“自然存在”が何らかの要因に因って本来とは異なる状態になる事。
(“アレ”が“穢れ”だとするなら元は何だ?)
あれ程の力の気配を持ち、尚且つ“世界”の一部たる“自然存在”となると数は絞り込める。
但し“向こう”での存在で考えて、だ。
(情報が足り無さ過ぎる
早合点は危険だな)
“次”が無いとは限らず、有る可能性に備える。
それが今すべき事。
(“手札”を増やす上で、氣の研鑽は必須だな
幸い“術”から色々と応用出来るからな)
当面の課題を認識する。
その時、黄忠の氣に変化が生じたのを感じた。
「……っ…ん……」
小さく声を漏らす黄忠。
ゆっくりと目蓋が開く。
「……此処は…私は……」
「此処は永安の南の山中
貴女は傷を負い、気を失い倒れていました」
彼女の呟きに対し答えると此方を向く。
それを見て立ち上がると、歩み寄る。
「…貴女は?……傷?…」
失血した影響も有るのか、ゆっくりと身体を起こし、ぼんやりとした様子で額に右手を当て記憶を手繰る。
「……確か……──っ!」
自分に起きた事を思い出し状況に気付いた様だ。
だが、流石に経験値が違うらしく冷静になる。
「貴女が助けてくれたのね
ありがとう」
そう言って微笑む彼女に、此方も笑顔で返す。
「身体の方は如何ですか?
一応、処置はしましたが」
「少しだけ、気怠い感じがするけれど問題無いわ」
「そうですか」
鍛えられた故の丈夫さか。
素直に感心する。
「所で、何が遇ったのか、御聞きしても?」
「それは…」
真相の追究をすると彼女は俯き口籠る。
急かす事はせず、待つ。
「…そうですね、貴女には知る権利も有ります
それに貴女なら判断を誤る事は無いでしょう」
思ったよりも早い決意。
一度逢っていた事が決断を早めたかもしれない。
「貴女と逢った後…
私は賊討伐に出たのですが其処に賊は居らず…」
其処で唇を噛み、黙る。
展開は読めるが口に出さず彼女の言葉を待つ。
「……私は率いていた兵に背後から攻撃されました
その後、崖下に落ちた事を利用して離れましたが…
血を流し過ぎたのでしょう
途中で意識を…」
その後、俺が発見して助け今に至る、と。
負っていた傷も背中と右腕だった事からも不意討ちを受けた事は判っていたが、兵の全てが裏切ったか。
「これからどうします?
首謀者は太守の韓玄…
その下で働き続けられる訳有りませんよね?」
「…そう、ですね…」
韓玄の名を口にした事には驚いていたが、何処か納得した様に静かに俯く。
「恐らく、貴女が死んだと兵士達は思って永安に引き上げているでしょう
此処に来るまで誰にも遇いませんでしたから
其処で提案が有ります」
「…提案、ですか?」
「此処で俯いているよりは建設的だと思いますよ
どうするかは貴女次第です
取り敢えず、聞くだけでも聞いてみませんか?」
「これで全部か?」
「…みたいだな」
甘寧の事に室内を確認して頷き返す。
表には栗花が馬車を引いて待機している。
「しかし、急だな
船の方は大丈夫なのか?」
「寧ろ、船に合わせてだ
今日を逃すと次は明後日
無駄に足止めされる訳にはいかないからな」
そう話しながら荷を持って部屋を後にする。
「明後日か…
私からすれば一日でも早く凌操を弔ってやりたいから構わないがな」
「そうだな
それに明後日は天気が崩れそうだしな」
「……そうか?」
馬車の荷台に荷を積む横で甘寧は空を見上げる。
天候によっては空に予兆が現れている事も有る。
だが、今は晴天。
風も湿ってはいない。
「目には見えないな」
「…氣、か」
俺の一言で直ぐに正解へと至れる辺り、“慣れた”と言えるだろう。
「人には感じられなくても自然界には“それ”を感じ反応する者も居る
その反応を見て雨が降ると予想しただけだ」
そう言いながら、甘寧から荷を受け取り積む。
「簡単に言うが氣を扱え、尚且つ、そう言った知識を有していないと不可能だ」
「まぁ、そうだな」
甘寧の的確な指摘に苦笑を浮かべる。
「さて、行くか」
「ああ」
栗花の手綱を引いて歩く。
街中で馬車に乗っていると何か起きた時に動き辛く、また事故の原因にもなる。
そう言った点に気を付ける事も旅人には必要。
無用なトラブルは回避して然るべきだ。
「僅か二日の滞在か…
永安はどうだった?」
「そうだな…」
甘寧は憂いを帯びた表情で空を見上げ、暫し考える。
「多くを失い、私は生きる事に迷っていた…
そんな中で訪れた此処には多くの者が、日々を平凡に生きている
複雑では有るが…
“そういう事”なのだと、私は気付いた
お前の言った様に、結局は“生きている者”だけが、“死”に囚われるのだと」
悲哀が消えた訳ではない。
しかし、それでも生きると決意した様だ。
「本当の死は忘れ去られた時に訪れる
お前が生き、自らの意志を次代・後世へと継ぎ続ける限り、死にはしない
“生きている”お前だけが出来る事だ」
「…そうか…そうだな…」
噛み締める様に頷く甘寧。
再び空を見上げる。
だが、その表情は穏やかで力強く見えた。




