後悔と祈り
私たちはアイギスに乗り、上空からクロドメールの行軍が見渡せるくらいの高度で護衛を続けた。
敵国のボルディア軍の大半は土壁の向こうだが、少人数の偵察隊が、空からそこかしこに発見できた。茂みや木立の陰などだ。ただ、睨みさえ利かせていれば手出しはしてこない。こちらが圧倒的な大軍だし、何より最強生物と言われている白竜のアイギスがいるのだ。ちょっと接近して脅すだけで、散り散りになって逃げてくれた。見た目が強そうって素晴らしい。
「アイギス、ありがとう。この撤退作戦はアイギスがいてくれるだけで、すごく安全になってるよ」
シウがアイギスに優しくねぎらいの言葉をかける。口を開けば小競り合いを始める関係に思っていたので、私はほお、とシウとアイギスを交互に見た。とは言ってもアイギスの背中に乗っている状態なので、彼の顔は見えない。
「私が人々の命を守るお役に立てて嬉しいです。私はかつて、無意味に大量の人を殺しましたから」
答えるアイギスの声は、しんみりとしていた。アイギスは以前、大切な人を殺された復讐として多くの人々を焼き払った。襲ったのは主に軍隊だったせいなのか、眼下のクロドメール軍の姿に過去を思い出してしまったようだ。
「それを言うなら、僕も前世の記憶を思い出す前は戦争に荷担していたし、国の勝利のためとたくさん人を殺したよ」
「シウ様は今は人間の体じゃないですか。私なんて、この巨体ですよ。簡単だからこそ、やってはいけない。竜族の誇りだとご存知じゃないですか」
「ああ、でも……」
「いえ、私は……」
口を挟まないでいると、シウとアイギスは揃って暗く落ち込んでしまった。やっぱりふたりで会話させるとろくなことにならない。
「ちょっと」
仕方なく私は、急いで慰める言葉を考えた。ふたりに後悔が不要とは言わないけれど、慰めだってあっていいと思う。
「誰しも完璧じゃないよ。神でさえたくさん間違いを犯しているんだから、そんなに落ち込まなくていい。そもそも全部、うっかり屋の神のせいでシウとアイギスの人生というか、竜生がめちゃくちゃになったんだ」
私は横にいるシウの背中を叩き、アイギスの背中もぽんぽんと叩く。とても丈夫なアイギスの鱗だが、感触とその意味合いくらいはわかってくれるだろう。
「うん、慰めてくれてありがとう」
「ありがとうございます」
しかし、ふたりに覇気は全く戻らなかった。全然どうにもならなそうなので、私は最強の手札を使うことにした。
「わかったよ、神に言って詫びの何かをもらおう。諸悪の根元の神に、私が直接伝えるぞ。ほら」
私は両手を組んでお祈りのポーズを取った。私は神に直接作られた身なので、基本直通なのである。
「えっ、いいよ! もうサミアがいてくれるだけで!」
「私もこれ以上ないほどサミア様に良くしてもらってるのに、文句なんてありません!」
また神に頼ってしまったが、シウは慌てて私の両手を剥がした。アイギスもぐらぐら左右に揺れて、祈りを阻害しようとする。
「ふん」
かなり無理やりながらシウとアイギスは元気になった。ついでに恥ずかしいことも言われたので今度は私が無口になった。
何度か休憩を取りながらも全速で軍は進み、夕方となった。目標としていた、ほどよく開けた平地に到着したので、日が沈んで暗くなる前に夜営の準備を始める次第となった。
アイギスと共に周囲を探ったが、7万のクロドメール軍に勝てるような危険な大軍は見当たらなかった。それに一度、平野に戻って見に行ったけれど、私の造った土壁は少しも壊されていない。追って来ることは不可能と言っていいだろう。
「じゃあ、僕たちは行こうか?」
「うん」
実のところ、私たちは夜営にまで付き合う気はない。一緒に夜露に濡れて野宿をしたからって、クロドメール軍の苦労は減らない。という合理的な判断のもと、モノラティの港町に戻るつもりでいる。
そして今夜こそダニーロのレストランで、おいしいものを食べるのだ。
「シュローダー卿にひとこと言ってくるね。サミアはこのまま待ってて」
低空飛行するアイギスの背中から、シウがいきなりピョンと飛び降りた。低いとは言っても、建物2階くらいはありそうなのに、相変わらずの人間離れした身体能力で華麗に着地する。
「シウは詠唱なしだからいいなあ」
私はアイギスに乗ったまま、ぼんやり高みの見物を続けていた。
すると、夕食の炊き出しをしている人たちが、何やら集まって相談している様子が目に止まった。アイギスも気になったのか、泳ぐように真上へと移動する。
どうやら道中の小雨に濡れ、調理に使う炭が湿気って使えないようだった。何度も着火の魔法を唱えているが、すぐに消えてしまう。魔導師を呼べとか、どうせ来てくれないなどと揉めていた。
「あれくらい、手伝った方が良さそうだな」
なぜ魔導師が来てくれないかは知らないが、私が手伝うのは簡単なことだった。レストランでおいしいものを食べる前の、軽い罪滅ぼしにはなる。
「私が炎を噴きますか?」
おそらく冗談だと思うけど、アイギスがとんでもないことを言う。鍋と食材を高火力の炎で丸ごと黒焦げにするのは大罪だろう。
「いや、私が降りて何とかしてくる」
風魔法でふわふわしながら降りると、浮いている私にみんなの注目が集まった。
私がシウの婚約者だとは、拡声魔法を使って全軍に告げてはいない。それは流石にいかがなものかとシウでも自重しているのだ。それでも撤退時の巨大な土壁を作り出したことや、白竜のアイギスに乗っていることから、私は腕利きの魔導師には見えているはずだった。
「手伝うよ」
「は、はい?!」
そんなに声は小さくなかったと思うけど、話しかけた兵士に声を裏返して聞き返される。しかも顔に穴が空くんじゃというくらいに凝視された。
「調理を手伝うよ。火が点かないんだろ?」
私はやけになりながら、火の精霊を何体か呼び出した。
「ちょ、調理に火の精霊を? しかもこんな、同時に何体も?」
調理担当の兵士たちは、一気に集まってきて精霊に炙られたみたいに顔を赤くして驚いた。もちろん、いつも呼んでいる仲良しの火の精霊たちは、危ないことをしない。鍋の様子を見ていい感じの火加減にしてくれるだけだ。
「移動中は携行食だったし、夜くらい温かいものを食べないと大変だろう。ほかに火を使う料理はあるか?」
「は、はい、大変ありがとうございます」
言葉遣いが変な兵士たちに頼まれるがまま、私は火の精霊を追加で呼び出した。別に労力は何ということもない。
ただし、続々と集まってきた兵士たちがやけに近寄ってくる。その上熱い視線が絡みつくようだった。シウが彼らを『野獣』だなんて呼んでたけど、確かに町中では感じたことのない、下から上まで舐めるような目つきだ。
少ないながらも聖女や女性魔導師だってちゃんといて、女性を何ヵ月も見てないって訳じゃないのに何なんだろう。
「じゃあ、あとの調理は火の精霊に言ってくれ。魔力は私が多めに先払いしてある」
アイギスのところに戻ろうとすると、背が高い兵士が私の行く手を阻んだ。
「あの、お名前をお聞きしてもよろしいですか?」
「サミアだけど」
「優しいあなたにぴったりのかわいいお名前ですね。先ほどは天使が舞い降りたかと思いました」
「どうも……」
天使は言われたくない表現上位だし、これは面倒そうな人だ。どうやって切り抜けよう、と困っていると目の前の彼は、突然脅えたように顔を引きつらせた。
「サミア、あんまり優しくしたら惚れられるから気をつけて」
いつの間にか、鬼気迫る殺気を迸らせ、シウがすぐ後ろに立っていた。




