記憶の全て
着替えて戻ってきたシウが、顔を洗った私を見て苦笑を浮かべた。
「何かおかしいか?」
「いや、魔法の使い方ひとつ取っても、主とサミアじゃ違うよね。本当に今まで気付かなくてごめん」
確かにセシオンはきっちりとした魔法術式を組み、明朗会計で精霊に魔力を支払っていた。私は精霊が欲しがるだけ適当に魔力をあげてるが、いつも呼んでてお得意様なのか、実はそんなには魔力を取られない。
「サミアはめちゃくちゃ精霊に愛されてるんだなとは思ってた。ほら、サミアが7年眠っていた森は精霊の足跡たくさんあったし。天使っていうか、神の御子ってそういうもの?」
「それは……」
ドクン、と頭の血管が脈打ったように、体の奥深くに鈍い痛みが響く。同時に痛みからの本能的な逃避なのか、強烈な眠気が私を襲った。
「ど、どうしたの?」
膝の力が抜けて倒れそうな私を素早く支え、シウは慌てていた。でもシウの顔を見られないくらいに、目蓋が重い。
「何だか、急に眠い……」
「大丈夫?!」
「うん、眠いだけだから、そこのベッドで寝てもいいか?多分だけどもう魔王兵は来ないから」
私は奥にあるだろうベッドの方向を力なく指差した。内扉で仕切られているので見たことはない。
「もちろんいいけど」
遠くなるシウの声を薄ぼんやりと聞いた気がした。私はどうしても目を開けられず、暗闇に吸い込まれるように意識を手放した。
◆
目を開けると、豪華な天使画の描かれた天蓋があった。4隅の柱には、赤い幕が垂れ下がっている。
シウの私室のベッドってこんなにロマンチックな感じだったのかと私は髪をかき上げる。清潔な、肌触りがさらさらの寝具が気持ち良かった。ふと視線を横に向けると、シウが軽く丸まって寝ているのが目に入る。
「えっ……」
私は悲鳴になりかけた声を何とか抑え、体を起こした。別にシウのベッドだから、シウが寝てるのはいい。添い寝してるのもいつものことだ。
でもまだ婚約中の身なのに、色んな人の目もあるクロドメール国の王城内で一緒のベッドで寝るのは如何なものか。特にシウの妹のカタリーナに知られたら、絶対に騒がれてしまうだろう。
「ちょっとシウ! 起きろ!」
「ん……」
私が激しく揺さぶると、シウは焦点の合わない紺碧の瞳を開き、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「あれ? サミアを見守ってるつもりが、いつの間にか寝ちゃったみたい。ごめんごめん」
「今何時だ?」
「時計ならあるよ」
高級そうな宝石が嵌め込まれた置き時計が、ベッドサイドに置かれていた。
「ああ、あれから3時間が経ったみたい。もう夕方だね」
それ程寝過ごしてはいないが、昼寝にしては寝過ぎてしまった。窓にかけられている、分厚いカーテンは完全に日の光を遮ってくれていて、小さなランプだけが室内の明かりになっていた。
「まずい、早く部屋を出ないと誤解される……」
私が慌ててるにも関わらず、シウはゆっくり伸びをしから聞いてきた。
「誤解って?」
「何でわからないんだ?!」
急いで内扉を抜けてソファなどがある隣の部屋に向かうが、ドアの音に立ち上がる人影に私は固まった。カタリーナが、ふーんみたいな顔でこちらを見つめていた。
「あらあらサミア様、髪の毛が乱れてますわよ。ドレスもしわくちゃですわ」
どこかで聞く小姑のようにカタリーナは腕を組んでいる。私は手ぐしで髪を整えてみるが、後ろから、やはり髪を乱したシウが出てくるので無駄な努力かもしれない。カタリーナは険しく眉をひそめながら、赤面した。
「もうお兄様! お仕事を放って何をされてるのですか!! それだから私が様子を見てきてと頼まれるのです! でも部屋には防音魔法をかけてあるし、それで寝室を開ける勇気はございませんもの、全く、早くお仕事に戻って下さいね!!」
「違うんだ、カタリーナ!」
私の叫びも空しく、カタリーナは早足で部屋を出て行ってしまった。いくら何でも何事かわかったシウが、あわあわと手で口を覆う。
「僕、心配で付き添ってただけなのに、ちょっと寝てたらみんなはそんな風に考えるの?!」
「さあ……」
私も頭を抱えるが、それよりも大事なことを思い出していることに気がついた。
いつも抱えていた寂しさや孤独感が消え、私がサミアとして生まれる前の記憶が、しっかりと自分のものになっている。そう、私の親は誰あろう創造神だ。
マルクス教皇は正しかった。私はこの体に入って生まれる以前、天界と呼ばれるところでのんびり暮らしていたのだ。別に何をするでもなく、ぼんやり風景を眺めるのが好きなのはそのせいだろう。
しかし今はそんな場合じゃない。私が果たすべき使命と、方法を思い出したからだ。
「……シウ、ディミウスの居場所がわかった」
「魔王の居場所が?」
シウも頭を切り替えたのか、真面目な顔をした。そうとも、多少の誤解はどうでもいい。
「ああ。私が7年間眠っていた森で、私の模倣をして力を蓄えているだろう」
「今行く?」
「いや、派手な戦いになるだろうから周辺の人々を避難させたりと準備をしてからだな」
魔王は、もう私にとっては悪の魔王ではない。ディミウスという私にとって、兄のような存在だった。だから私の心を準備をしたいのもあった。
「そうだね、明日にでもゼイーダ国王に相談しようか」
ピクニックの約束のような軽さでシウは提案した。その軽さが、私をいくらかは救ってくれる。




