とある合意
「えっ、シウさん?!」
坂道を上ってダニーロのレストラン前に着いたのは、ランチの時間とディナーの時間の合間くらいだった。丁度店の外に出て来ていたダニーロの妻、シェリーが私たちを発見して、明らかに動揺してように口に手を当てる。
「まさかサミア……さん?! えっ、シウさんが寂しさに堪えかねて良く似た女性を捕まえたとかじゃなくサミアさん?!」
「ああ、私は急に成長したんだ。シェリー、シウの面倒を見ててくれてありがとう。心配かけたな」
「その喋り方はサミアさんよね! あらまあ、すっかりきれいになっちゃって!! ちょっとダニーロ!!」
シェリーは大声でダニーロを呼びながらレストランの奥へと駆けていく。すぐに出てきたシェフ服のダニーロは、私を見てあんぐりと口を開けた。
「そ、そんなことって?!」
10歳から17歳くらいへの成長は劇的で、人を驚かすには十分ということが良くわかった。ダニーロは何度も視線を私の頭から爪先まで往復させて、はぁ、などと感嘆のため息をつく。
「いやその、サミアさんのことは勝手ながら、孫だったらいいなという気持ちで見てましたから、成長の早さに感情が追い付かないというか、途中経過を見ていたかったというか」
「わかります!!」
シウがダニーロに素早く、激しく同意した。
「僕も戸惑ってます」
「何だ、私が大人だと不満なのか?」
「そうじゃないよ、でもあんな……」
思い出してはいけないことを思い出したのか、シウの頬が赤く染まりつつある。暴力は良くないのに、また背中を殴りたくなって私の手に力が入った。
「まあまあ、サミアさんが元気みたいだからいいじゃないの。丁度、店が中休憩になったから、そちらに行くところだったのよ。すごいわねえ、魔法で一瞬で橋を架けたのは私もここから見たわ。さあ中に入ってちょうだい」
シェリーが、みんなを取りなしてレストランの扉を開き、中へと誘った。でも私は断ろうと手のひらを見せる。
「今は休憩時間だろう。顔だけ出すつもりだったんだ。夜にまた来るよ」
「いいからいいから、暑いし飲み物くらい飲んで行ってちょうだい」
長年接客担当のシェリーは距離を詰めるのがとても上手い。ダニーロが料理のプロなら、シェリーは接客のプロと言える。ごく軽く背中を押されると、私たちは自然と店内に足を踏み入れ、適当な席に腰かけていた。
カラカラと氷の音が涼しげなレモネードを出され、私とシウは揃ってグラスを手に取る。外は汗ばむ陽気だったのだ。動きが揃ったまま喉を鳴らして飲んでいると、向かいに座ったシェリーがくすくす笑い、ダニーロと目を見合わせた。
「ふふ、こうして並んで座ってるのを見るとお似合いの二人ね。前のサミアさんだと、小さすぎて例え婚約でも正直どうかと思ってたけれど今なら全然問題ないわね」
「ん?!」
レモネードを噴き出しそうになって私は変な声をあげた。
「婚約って?」
シウは最初の頃こそ結婚しようなどと迫ってきていたけれど、私が拒否したことで今はその問題はうやむやになっているはずだった。ダニーロたちにも、私とシウは縁あって行動を共にし、クロドメール国を目指す旅の途中としか話していない。けれどシウは横でげほげほ噎せているので、今こそ背中を叩くべき時なのかもしれない。やってくれたな。
「え? サミアさんが寝てる間に、あの白竜ちゃんがクロドメール国とのやり取りをしてくれて婚約……シウさん、もしかして勝手にお話を進めたの?」
眉を下げて心配そうなシェリーを前に、私の脳内で色々な考えが白竜並みの超高速で巡る。
「いや、寝ぼけてたみたいだ。婚約はもちろん、合意していた。なあシウ?」
膝の上で拳を握りしめているシウの手に、私の手を重ねた。ビクッと震えて、シウは純情な少年のように耳を赤くした。
「いや、あの……」
「うん?」
私はなるべく自然に優しく笑った。大丈夫、大体わかっていると伝えるために。だってシウは理由もなく、自分勝手に物事を進める悪いやつじゃない。
恐らくゼイーダ国王からの、私の身柄要求がうるさかったからやむを得ず婚約をしたのだろう。
シウは正式には、クロドメール国の第一王子アンブロシウスだ。他国の王子の婚約者ともなると、ゼイーダ国側は強く出られなくなる。
特に私は、1ヶ月もの間消息不明だったのだ。一緒にいたシウに殺害などの容疑がかかっただろうが、婚約のカードは強い。大国クロドメールの王子が、既に死んだ相手と婚約などするなどあり得ない。
まあ私が目覚めてからここに来るまで、シウからその報告がなかったのは誉められないが、寛大な私は二人きりになってから叱ろうと決めた。今は嫌みで甘ったるい声を出す。
「シウと晴れて婚約できて嬉しいな」
「う、うん、僕も嬉しい」
「ふふ……」
笑みを深める私に、シウはつられて照れた笑みを浮かべた。
「おおっ、見せつけてくれるな!! じゃあ今夜はサミアさんの復活祝いと、婚約のお祝いをしなきゃいけませんね! うまいものを用意しておきますから!」
「ええ、若い二人が幸せそうで何よりだわ」
ダニーロが快活に笑い、胸を叩いた。シェリーは目敏くテーブルの下で手を繋いでいる私たちの手を覗き込み、ダニーロを肘で小突いていた。
ひとまずダニーロのレストランを出て、私とシウは話が出来そうな公園に向かった。適当な木陰のベンチに座ると、つい威圧的に足を組んでしまう。
「やってくれたな?」
私の低い声にシウはきゅっと長身を縮めた。
「ごめん」
「それは何に対しての謝罪だ? 勝手に婚約したことか? それとも、話す時間は十分にあったのに黙ってたことか?」
シウに詰問しながら、私は私自身に問う。なぜこんなに怒っているのか?
私の中の、普段あまり表に出さないごく普通の少女の部分が答えた。だって、婚約なんて人生の一大事は、ちゃんとシウの口から聞きたかった。本当に結婚はしないとしても、だ。
「両方、ごめん。サミアが知ったらすぐに破棄しろって言いそうで言えなかった」
「どうせ、私を寄越せとゼイーダ国王がうるさいから、問題を収めるために婚約したんだろ? すぐに破棄しろとは言わない」
「サミアは賢いね。さっきの一瞬で、そんなにわかってたんだ?」
「わかるよ」
「でも、僕の気持ち全部はわかってないよ」
少し寄せた眉の下で、濡れたシウの瞳が木漏れ日を反射してキラキラ光っていた。座っていても、私の背丈が伸びた分以前より顔が近く、シウの整った顔の威力が高い。
「勝手に婚約したことは悪かったけど、怒られるのはつらいし悲しい。僕との婚約ってそんなに嫌? さっき、ダニーロたちの前で喜んでくれたのって全部演技?」
「それは……」
真摯に見つめられると、さっき水分補給したばかりなのにもう喉の奥がひりつき始める。私はシウに悲しそうにされると弱い。
「婚約は別に嫌じゃない。ちょっと早いかなとは思ってたけど。怒ってるのは、ほかの人から婚約したって聞かされるのが嫌だったから」
半ば怒った口調で、私はどさくさに本心を伝える。シウは上目遣いになったまま、胸を上下させて深呼吸をした。
「じゃあ、改めて言うよ。僕と結婚してくれる?」
「はっ?!」




