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眠りの始まり

 ダニーロ一家は日が沈み始めた頃に帰って行った。差し入れで早めの夕食を済ませた私たちは、古城3階のバルコニーの手すりにもたれ、ぼんやり海を眺める。何もしない贅沢を味わっているのだ。


 この離島は四方を海に囲まれているから、水平線に太陽が完全に沈むまでの黄昏時がとても長い。海に消えかけの太陽光が反射して、世界はみんな薄青いベールに包まれる。シウの白銀の髪なんかは、すっかり青に染まって見えて神秘的だった。


「なあ、さっきダニーロの話を聞いて何を考えていたんだ? 随分と感銘を受けていたようだったが」

「そう見えた?」


 ふふっと謎を深めるようにシウは笑い、黙りこくってしまった。私はそれ以上何も聞かず、また海を眺める。シウは無口なタイプではないが、毎日一日中一緒いるから、沈黙はよくあることで気を遣うことはない。


「……親ってさ」


 ぽつりとシウが言う。私は群青の海から視線をずらし、シウの横顔の高い鼻から薄めの唇、調和の取れた(おとがい)までのラインを目でなぞる。シウの造形美は、横から見ても称賛に値する。


「子どもが何も出来なくても、生きてるだけで嬉しいものなのかな」

「ああ、ダニーロがそんなこと言ってたな。そうなんじゃないか?」


 私は親になったことがないから知らないけど、自分の子はとにかくかわいいものだと聞く。シウみたいに美形の子だったら特に嬉しいだろう。


「母上が、僕に対してそうだったらいいなって思ってた。僕は母上にたくさん迷惑かけちゃったから」

「迷惑と言っても、シウが6歳のときまでだろ? まだまだかわいいだけじゃないか」

「白竜は子育てなんかしないからさ。むしろ母上が6年も愛情を与えてくれた価値を、覚醒してから思い知ったよ」

「なるほど」


 白竜の雌は4個か5個の卵を生み温めるが、そのうちひとつでも孵ったら巣を離れてしまうという。あとはきょうだいで生き残りを賭けた戦いだとか。それに比べたら人間は、乳を与えおしめを変え、教育を受けさせ、あらゆる面倒を見る。シウが感謝しきりのことから、シウの母君は王妃であっても乳母任せにしない、愛情深い人だったのだろう。私もセシオンも捨て子だったので、ちょっとだけ羨ましくもある。


「あのね、サミア。君が何も出来なくても好きだよ」

「は?」


 謎の思考回路でシウは恥ずかしいことを言ってくる。今の話から何がどうしてそうなったか知らないが、かあっと顔に血が上る感覚がした。


「僕は、君の強くて優しいところ好きだけど、そうじゃなくてもちゃんと好きだよ。何の能力も持ってなくても、何もしなくても愛してるよ」

「バカ、何を言ってるんだ。私はシウに産んでもらった覚えはないぞ」


 どうやらシウは、シウの母君がシウを愛したように私を愛していると言いたいのかもしれない。とんでもない理論だ。シウは快活に笑った。


「わかってるよ。でもこういう何もしない時間って、いいじゃない。僕はサミアがいるだけでいつだって幸せ」


 私は涙が出そうで、鼻の奥がつんと痛くなった。だってそれは、セシオンがずっと欲しかった言葉だ。どうしてシウはそこまでわかるんだろう。セシオンへの愛の深さが成せる業なのか。


 セシオンは捨て子として拾われたけど、類い稀な魔力や才能によってすぐに大勢の人々に愛されて敬われた。だけどそのままのセシオンを愛する人は誰もいないように感じていた。


 私だってそう。シウは私がセシオンだと思ってるから、好きだと言ってくれる。


「ねえ、君はいつも、誰かの為に動いてる。自分の幸せには無頓着で、むしろ不幸になろうとしてるようにすら見える。前世では勇者だとかみんなに期待されてそうせざるを得なかったかもしれないけど、もういいんだからね。ゴブラン公爵にはこの地を豊かにするって約束したけど、そんなのやらなくてもいいよ。黙ってればわかんないよ」


 シウの大きな手が私の冷えている手を取り、包むように握った。道義的にひどいことを言ってるけど、声は子どもに言い聞かせるように優しい。この話の結論としては、シウは私が長い眠りにつくのを止めたいのだと理解した。


「約束を違えるのは趣味じゃない」


 手を離して、私はきっぱりと言いきった。私が辛うじて胸を張れるのは、せめて誰かの役に立ったときだ。亡くなったテーネスと同じように、私はきっと生きる意味を探している。


 シウは悲しげに笑い、何も言わなかった。




 ◆



 翌々日には、鍛冶屋に頼んでいたシウの槍の強化は終わった。実戦で使ってみると、目論見通りにそのままで魔王兵と戦えるだけの魔力があった。なのでクロドメール行きの船が出るまでの10日間、私は長い眠りについて地脈の流れを整えることにした。


 眠る場所は、魔王兵が湧いて城が壊れても危険がないよう、古城内部ではなく広大な庭の敷地のうちの、生垣迷路を眠る場所に選んだ。


 なお、生垣は誰にも手入れされないまま伸びに伸び、ひとかたまりのブロッコリーのようになっていたので適当に刈り込んだ。


「じゃあな、しばしの別れだ」

「うん……」


 私は寝やすいように楽な寝間着姿で、シウを見上げた。直前になってまた反対してきて、目を真っ赤に充血させたシウは力なく返事をする。


「私がいなくても、ご飯はちゃんと食べるんだぞ。作り置きもしたけど、ダニーロたちにもシウの面倒を頼んであるから」

「サミアがいないと寂しくて食べられないよお」

「私と違って大人なんだろ、食べられるよ。あとメリッサの面倒もちゃんと見るように」

「メリッサのことは見るけど寂しいよ、離れないでよ」

「シウの感覚で言ったら10日くらい、瞬きの間だろ」

「いや、サミアがいないときっと時は止まり、1秒が永遠のように僕を苦しめる」

「ないない」


 私は大地の精霊を呼び出し、地脈の流れを探らせた。先日途中までやったときと同じく、やはり乱れて正常に流れていなかった。地脈とは、この星を巡る血液のようなものだ。体であれば、血液が滞った場所は栄養が行き渡らずに腐ってしまう。地脈が滞った場所は、負の障りによって生きるものに悪影響を与えてしまう。白竜が暴力的な衝動に駆られたり、不作によって同じ地に住む人同士が争った一因にはなっただろう。


 そうでなくとも、生きていれば時には間違いを犯すことはあるけれど。少しでもその可能性を潰し、悲しい出来事を減らしたかった。


 1本の地脈を引っ張り地上に上げると、それは意思を持ってるかのようにくねりながら黄金に輝いた。地脈の細い筋は何本も枝分かれして私に絡み付き、私自身の豊富な魔力と繋がりたがる。


「サミアはどうしてそんなこと出来るの?」


 地脈の強い光に照らされて、顔の陰影を濃くしたシウが不思議そうに眺めていた。答える前に私の目の前を光が覆い、私の意識は遠くなった。

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