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第99話 袋角とジャーキー

 春先の鹿という事で、まだまだ柔らかな袋角だったので頂戴しておいた。台所のテーブルにころんと置くと父が不思議そうに見つめる。


「角なんて何に使うんだい? あぁ、ジェシの誕生日の細工かな?」


 父の言葉に、首を振る。


「さいくにはやわらかすぎるの。わかいつのはおくすりになるの!!」


「薬……。効能は?」


「からだをぬくめたり、いたみをおさえるの。あと、ろうれいのおんなのひとのなやみにもきくの」


 鹿の袋角には鎮痛作用や更年期障害への効果がある。


「ほぉ……。そんな効能が……」


「それと、ぼっきしょうがいにもきくの。かいしゅんさようもあるの!!」


 私が告げた瞬間、ぶふぉっと父が噴き出す。何かを告げる前に母がてしっと袋角を奪い取ってへーっと眺める。


「若い人にも効くのかしら?」


「せいぶんてきにはおなじなの。じぞくじかんがのびたりかいふくがはやまったりするの」


 その言葉に母がきらんと瞳を輝かせて、そっと懐に袋角を仕舞い込む。ふぉぉ、そんなにいらない。返して欲しい!! 冷え性にも効果があるのに!! てちてちと母のお尻を叩くと冗談よと返してくれる。でも、あの目は本気だった。後で献上しておこう。

 良く分かっていないヴェーチィーはほへぇと首を傾げている。


「というわけで、ほんだいなの!!」


 母に枝肉から身を外してもらい、五ミリ厚程の肉片を大量に作ってもらう。これをソミュール液に浸ける。


「こんかいはちいさくしたのでひとばんでじゅうぶんなの!!」


 川魚の燻製で手慣れたのか、ささっと肉片を沈めて封印される。一仕事を終えたと皆が解散した後、私は薬研を棚から取り出して袋角を先から細かく切って挽き始める。これも車輪を開発したから生まれた物だ。それまでは擂鉢で擂っていたが子供の力では硬い物は擂れないし、熱が入る原因にもなっていた。薬研なら体重で潰せるし、熱も入らない。ごりごりと袋角を潰していると、人の気配を感じる。振り返ると、ヴェーチィーがじっと見つめていた。


「何をしているの?」


「おくすりつくるの」


 間髪入れず答えると、へぇぇっとぱぁっと明るい表情で見せて見せてと接近される。ぐわっと二人羽織りのように背中に負ぶさってきた状態でごりごりと潰し続ける。先の方は問題無いけど根元の方はまだ血が通っていて切ると血が滲む。乾燥させないと駄目だなとすぐに使えない部分を取り分けていると、後ろから興奮したようなふんすふんすという鼻息が聞こえる。


「爺みたい」


「じい?」


「お世話役の人。元気かな……」


 聞くと城での生活の際に面倒を見てくれた老齢の男性の事らしい。政情に関わらず世話の部分に関しては完璧で、何事も卒なくこなす人だったらしい。てきぱきと作業をしていたのをみて思い出したのだろう。


「あいたい?」


「ふふ。会いたいけど、まだ駄目。私、まだ、何も出来ていないから」


 ヴェーチィーの切ない独白に、少しだけ胸が痛んだ。



「じゃあ、これを煎じるのね」


 母と鼻をくっつけるような距離でこそこそ会話する。


「このくらいのりょうでじゅうぶんなの。おおくてもむだなの。そっこうせいはないからつづけるのがだいじなの」


「分かったわ。任せて」


 何を任せるのかは謎だが、母が小躍りしながら袋角を挽いた物を持って、ててーっと台所に駆けだす。ふむ、弟妹は思ったよりも早くお目にかかれそうだなとふぅっと溜息を吐く。



「つぎはかんそうなの!!」


 明くる日、ソミュール液から流水で二時間程塩抜きした物を焼いて食べてみたが、評価は上々だったので、魚と同じように紐に括って日陰の風通しが良い場所に干し柿のように吊るす。


「ふぅぅ、ひゃう!! ひゃう!!」


 足元では異常に興奮したラーシーがてちん、てちんと短い手足でジャンプしながら狙っているが、全く届いていないので大丈夫だろう。昨日出た鹿の大腿骨を洗ったものを差し出すと、ぎゅっと抱きしめてがじがじと噛み始める。もう、骨なのかラーシーなのか分からない。大きさ的にはどっこいどっこいだ。

 ころころと転がりながら興奮で振り切りそうに小さなしっぽをぶんぶん振り回す姿は愛嬌一杯で、家族総出でにこにこと眺めてしまった。



 また次の日、肉片がやや透明になったのを確認し、予備の燻製機に投入する。獣の脂はまた臭いが違うので魚とは別にした。

 父に頼みゆっくりと熱を入れてもらい、てとんてとんと水分と脂が落ちる音を聞きながら一時間程、燻ぶす。


「かんせいなの」


 薫香と肉の熟成を考えて、一晩寝かしたものを軽く炙り皿に盛る。鹿のジャーキーの完成だ。


 父が代表して、一切れをはむっと頬張る。


「ん……。思ったより柔らかい。それに噛んだ感触が気持ち良いな」


 もにゅもにゅと幸せそうにジャーキーを頬張る父を見て、母とヴェーチィーも小さく割いて口に入れる。


「あら、そのまま焼くよりも美味しいわ……」


「噛むとじゅわっと味が出るのが嬉しい……」


 二人にも好評そうなので、私もはむっとしがむ。噛んだ瞬間むにゅに近い歯応えから繊維質に到達した瞬間、唾液と混じり合った濃いソミュール液の塩気と鹿の熟成された出汁の旨味がじゅわっと口内に溢れる。はむはむと噛む度に千変万化する塩加減に夢中になってしがんでしまう。やや血合いに似た苦味にも臭みにも似た香りが逆に燻香と混じり合い、芳醇さを支える土台に変わっている。何よりもパサつきがちな鹿肉が干して燻製にする事によってくにゅりくにゅりと瑞々しい歯応えに変わるのは官能的にさえ思えてしまう。

 中々塩気のあるお菓子感覚のものなど食べる機会が少ないので、親子揃って止められない止まらない状態で、もにゅもにゅと食べ続けてしまう。


 気付くと、サンプルに炙った太ももの半分くらいの肉があっという間に消えていた。やや塩気に負けて白湯を飲むと一気にお腹の中で膨らむ。夕飯前だというのに皆でふへぇと座り込んでしまう。


「これは、中々腹持ちも良いね」


「持ち運びにも便利そう。塩漬け肉よりも手軽だわ」


「美味しいから、ずっと食べたくなるのは駄目だと思う」


 ヴェーチィーの恥ずかしそうな独り言に、皆で微笑みを浮かべてしまう。


「ゆうぼくちゅうでもてがるににくをたべられるの」


「そうだね。塩漬けだとすぐに食べられない。干した肉も味気ない。これは魚と同じく、別の物として販路が生まれそうだ」


「なら、しかをかるのはだいじょうぶなの。はらみはあぶらがおおいからそのままやくほうがいいの」


 私の言葉に父がこくりと頷く。


「部位によって使い道を変えよう。ある程度の狩猟数が見込めるなら、懇意にしているところに配って話を聞いてみるところからかな」


「なら!?」


「うん。最終的には売り物として流通させよう」


 父の言葉にわーいと喜びの声を上げた。テキサスゲートへの投資は父に報告していたので、諸経費を差っ引いた割合で収入が入る。これで自由になるお金が増えれば、もう少し大きな事が出来るかなと、残ったジャーキーを炙るように頼みながら酒を用意している父を苦笑で見つめた。

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