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第92話 みぞれ鍋

「うぅ……さむ……」


 吐いた息が微かに白く染まる。冬も少しずつ深まり始めている。朝晩はもう、凍り付かんばかりの寒さになっている。左右を見ると母とヴェーチィーが温もりを求めるように接近してきている。足元にはラーシーがくるりと丸まって暖を取っている。

 少しだけひんやりした母の頬にぬくぬくの手を当てると、気持ちよさそうにニンマリした表情を浮かべる。


「あら、早いのね……」


 目を覚ました母がぽやんと呟く。


「さむいの」


「もう冬も本番ね……」


 もう少し粘るのかなと思ったが、母はするっと布団を出て、うーんと背を伸ばす。ヴェーチィーを起すと、寒さに少し怯んでいたが、仲良く台所に向かった。二人が抜けたまだ温もりが残る布団でコロコロしていたら、横を見るとラーシーもコロコロしていた。



「ちゃむいねー」


 幼馴染ーズを交えた女の子集団がコタツムリになりながらままごとを楽しんでいる。ちょっとお行儀が悪いかなと思ったが、各家庭を優先して炭を配布しているのでしょうがないかと思い直す。窓に近づくと冷気が入り込んでくる。今年の冬も強烈だ。やはり平地の寒さは厳しい。ずっと海沿いにばかり住んでいたので、余計に堪える気がする。


「ティーダ、そといこうぜー!!」


 男友達に誘われて外に出て、鬼ごっこをしながら白い息を吐いていると、ちらちらと舞い落ちるものありけり。


「あら、今年も降り始めたのね」


 見守ってくれているお母さん方がそっと呟く。今年も雪がはらりはらりと舞い降り始めていた。



 雪が降り始めると、大きなイベントは無くなる。行商の人も大きめな商隊でもない限り、身動きが取れなくなる。駆け込みのように小さな商隊が捨て値で物を売り払ったら、村だけの静かな時間が始まる。今年は収穫も問題無かったし、冬の野菜類も順調に育っている。お魚の燻製は売る程あるし、身の締まった鰻は食卓に並び続けている。


「陛下からの注文もあるしな……」


 父が炬燵に足を入れながらのんびりと呟く。あの騒動の後、鰻の市場化は問題無く進んでいる。そろそろ鰻職人が王都でも活躍を始めているだろう。ただ、王族が食べる鰻はかなり上流から探しているようなのだけど、小柄なのと脂が少ないのであんまり美味しくないらしい。と言う訳で、この村の鰻が一番美味しいと言う事で、定期的に献上をしている。その分の利益もとんでもない事になっていた。


「川の恵みというのも侮れないわね……」


 母の言う通り、村の主要産業化している。王のお墨付きもあるので、王都で売り出したとしても高値で捌けそうだし、そもそもこの村が鰻料理発祥の地と言う事で買い求めたいという話もちらほら出ている。


「もう少し煽ってもいいかな……」


 父としては冬場のタンパク質不足を待ってから、商隊を作るつもりらしい。今だと物珍しさだけで話が来ているけど、冬の厳しい時期なら生の鰻は天恵というほどの価値を付けるだろう。兵達も護衛の訓練を頑張っている。


「じっちくんれんとしてもいいの……」


 天板の上で、柑橘類の皮を紅葉のような手で剥き、はむりと頬張る。王都から入ってくる荷物も増えた。この甘みのある柑橘類も遠く東の産物らしい。


「ふぉ、しゅっぱ」


 三人に分けて、皆できゅうっと唇を窄める。冬のビタミン補給は重要なので、果物が入ってくるようになったのは嬉しい。


「それもティーダとヴェーチィーのお蔭だね」


 父がそっと手を伸ばして、私とヴェーチィーの頭を撫でる。燻製を何としても手に入れたい遠方の隊商がわざわざこの村まで来るようになったというのもあるし、目端が利く商人はヴェーチィーを擁した父が権勢を握るかもしれないと損を覚悟して接近してくるようになった。禍福は糾える縄の如しと言うけど、今のところは大きな問題は起こっていない。

 ヴェーチィーと顔を見合わせて、にこにこと微笑む。


「そろそろ夕食の支度ね」


 母とヴェーチィーが立つのに合わせて、私もひょいっと立ち上がる。


「ぼくもつくるの!!」


 そう告げると、三人が微笑ましい物を見るように温かい表情を浮かべた。



「こんさいをすりつぶすの!!」


 木製のおろし機というものは存在している。水気のある大根やニンジンに似た柔らかい物はそちらですりおろし、芋に近いものはすり鉢で擂り潰していく。


「何を作るのかしら?」


 母が首を傾げて、ニンジンを擂り潰している。


「みぞれなべなの!!」


 スープ鍋を食卓まで持ってくる事はあるが、厳密に鍋料理というものは存在しない。うちでは水餃子が偶に出るようになって忌避感は無い。それをもう一歩進めて鍋料理を普及していこうかなと。

 葉野菜とお肉を入れてくつくつと炊いた後に、すりおろした野菜を彩に合わせて流して蓋を閉じる。そのままそっと食堂まで運んで炭の五徳の上に乗せる。


「湯気が気持ち良いな」


 寒かった部屋が徐々に温もるにつれて、美味しそうな香りを伴った湯気が、部屋に充満する。


「そろそろいいの!!」


 ぱかっと母が蓋を開けると、大量の湯気の中には、鮮やかな擂った野菜の幕。その奥からお肉がくつくつと揺れている。


「おだしでたれをうすめて、たべるの!!」


 水餃子の時のタレから酢を抜いた物に出汁を入れて、野菜と肉をついでもらう。


「では食べようか」


 父の言葉を合図にはむっと頬張る。


「温かいな……。それに美味い……」


 はふはふと父が頬張ると、母もニコニコと微笑む。


「場所によって味が変わるもの面白いわね。手間もかからないし、野菜も沢山食べられるわ」


「甘い……。こっちは深い味わい……。ふふ、楽しい。お祭りみたいね……」


 ヴェーチィーも熱で頬を赤らめながら、食べている。


「すみをむだにせず、ふゆでもあたたかいものがたべられるの!!」


 私が告げると、父がほほぅと唸る。この日から村の中では鍋料理が流行り始める。確かに炊事の熱源と部屋の熱源を分けるのは勿体ない。その風習が広がり、食卓で仕上げて温かい物を供する文化が育っていくのだった。


「ふへぇ、あつい……」


 念入りに重ねられた服を脱ぎ、ほっと一息を吐く、私。他の家族も似たようなものだ。


「美味かったな……」


 父の言葉に、皆が頷く。


「あたたかいものをみなでたべるのがおいしいの!!」


 私の言葉を家族が温かい瞳で見つめてくれた冬の一夜だった。

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