第87話 帰還
その夜、豪華な食事に舌鼓を打って両親と一緒に布団に潜り込む。いつもはすぐに寝付けるのだけど、今日は目が冴えてしまう。
「眠れないのかい?」
そっと顔を寄せて頭を撫でてくれる父の方を振り向く。
「ヴェーチィー、かわいそうなの……」
幾ら家族に迷惑をかけていた相手とは言っても、親から捨てられるところまでを想定していた訳では無い。それに、話を聞く限り、国王の不備に巻き込まれただけの哀れな子供という印象が時間が経つにつれて強まり、それが胸の中でしこりになっている。
「うん……。ティーダ、もう一つ黙っていた事がある。これは国王陛下としか話していないので、あの場では言い出せなかった」
要は一旦ヴェーチィーを安全な場に逃がしてから、綱紀粛正を行うというのが裏の裏の目的らしい。長年の慣習や、ちょっとずつ歪められていった政を立て直すのは長い時間がかかるし、その際に標的や祭り上げられそうな相手が身近にいるのは都合が悪いのだそうだ。
「他の王族の方々は成人しているから、王都から離れるように伝えられているよ。それにね……」
ヴェーチィーも情緒が安定して、教育が成ったと父が見極めた段階で王族に戻れるそうだ。
「ふぉ、けっこんしなくてだいじょうぶ?」
私が問うと、後ろからくすっと笑いが漏れる。
「ティーダ、心配しなくて大丈夫。私達がティーダを守るもの」
きゅっと優しく抱きしめられると、幼い体は安心したのか、すぅっと眠りに誘われる。
四日ほど王都にて親子三人で待っていると、ヴェーチィーの一行が到着する。到着と同時に登城命令が出たので、皆で向かう。
「よってヴェーチィーより継承権を剥奪、その身をディーの預かり子とする」
初めて国王に謁見した玉座の間にて、国王の命によりヴェーチィーに沙汰が下される。青い顔でわなわなと震えているヴェーチィーとは別に、従者や教育係も捕らえられていく。これから手口や仲間の経路を確認されて芋蔓式に綱紀粛正がなされるとの事だ。出来れば初めから説明して欲しかったなと、平伏しながらぶつぶつと愚痴ってしまう。
ヴェーチィーの用意にまた三日程かけた朝、ようやく村への帰還となる。
王族の門出とは思えないほどにがらんとした空間に放心したヴェーチィーがよろよろと侍女に支えられながら、こちらに進んでくる。ふと後ろの方を見ると、偉丈夫と背の低い人間がすうっと馬を連れてヴェーチィーに近づき、ぼそぼそと耳打ちする。すると、はっと顔を上げたヴェーチィーが泣きながら背の低い人間と抱き合う。預けられた馬を引きながらこちらに向かってくるヴェーチィーは先程までの幽霊のような姿ではなく、悲しく、寂しそうではあるが、しっかりと大地を踏みしめていた。
七歳のヴェーチィーは馬も問題無く乗れるのだが、今の精神状態では不安なため、一緒に荷馬車に乗り込んだ。行きとは違い、暇な時間で車軸も精度を出してもらったり、綿の詰まったクッションをたっぷり下賜してもらったりと中々快適になっている。
その一角に蹲り、頭を体育座りの中に埋めているヴェーチィーを見ていて不安になる。そっと抱いてくれる母の方を向くと、にっこりと頷かれるので、てちてちと這ってヴェーチィーの元に向かう。
「おねーたん、だいじょーぶ?」
殊更にあざとく可愛らしさを出しながら、顔を見上げると昏かった表情に戸惑いが浮かぶ。
「いちゃいの? だきしめるの!!」
私がそっと膝を抱きしめると、がばっと抱きしめられる。ふぉぉと思っていると、嗚咽が漏れ始め、大きな慟哭に変わる。いつまでも続く涙をそっと拭い続けた。
「ティーダ」
「なに、おねえちゃん?」
「ううん、何でもない」
家に着くまで離れなかったヴェーチィー。
色々と溜まっていた事をぽつりぽつりと話し始めたので、カウンセリングのように聞き手に回っていたが、落ち着いてくると普通の良い子だった。体が動くようになると慣れないながらも両親を手伝う。そんなヴェーチィーを実の子のように気遣いながら、歓迎する両親。
話を聞いている限り、きちんと人間らしく扱ってくれたのが自分の両親と父だけだったので、父を慕っていたようだ。恋愛感情というより、家族を求めている感じに近かったのだろう。そう考えると、あの立場そのものがヴェーチィーにとってあまり望まない立場だったのかもしれない。
結局、十分に父性も母性も与えられると分かると、今度は私にベタベタし始めたのは計算外だった。余程にきちんと話を聞いてくれる相手と言うのが周りにいなかったのだろう。
「ティーダ、喉が渇いたでしょ?」
「だいじょうぶなの。じぶんでのめるの!!」
「偉いわね……ティーダ。よしよし」
「ふぉぉ!!」
てーっと逃げると、きゃっきゃと楽しそうに追いかけてくるヴェーチィー。コンパスの差は絶望的でぎゅっと捕まえられて、そっと抱き上げられる。
「可愛い……」
「ふぉぉ、いそがしいの!! かえってきたから、やることあるの!!」
「手伝う?」
「なれていないから、やすむの!!」
「優しい……」
きゅっと抱きしめられて、助けを求めるように両親の方を向くが、苦笑を浮かべながら二人共荷物を見分して、村人達に分けている。
そりゃ身の危険は無いけど、助けてぇぇ。と思ったところではっと気づく。もしかして無茶をする私のストッパーとして考えているんじゃないかと、ヴェーチィーの顔を見上げると……。
「嫌?」
物凄く悲しそうな表情を浮かべているので、ぐでぇと力を抜いて、ふるふると首を振る。
ふぉぉ、変な鈴が首に付いたぁぁぁ!!




