5. 潮騒
私がこれまで重ねてきた生態系研究ですでに明らかになっていることがある。それは転生に至るまでの長さだ。
動物の場合は数年程で次の転生が巡ってくるが、人間・妖精・魔族に関しては最短でも十五年の期間を要する。進化をした魂ほど次の世へ引き継ぐ情報も多くなる為と考えられる。
もちろん全ての魂が等しく尊いことに変わりはない。しかし一度人の形を為した魂が動物霊に戻ることはまずあり得ない。何故ならば退化にあたるからだ。
ユキのように、許されざるカルマを背負ったがゆえに同じ試練を繰り返す“停滞”のパターンこそあれど、進化はあくまで進化の方向しか選べない……かつて私が論文にて発表したこれは、今や研究者たちの間で周知の事実となっていることであろう。
この研究結果に基づいて考えるならば、逢引転生の発端と称されるあの二人も二度同じ世に生まれている可能性が高いと推測できるのだ。再び巡り合ったのが五十年後、しかも同じ傷痕まで持って。
その間にアストラルでの生涯を介しているとなると、いくらなんでもスパンが短すぎる。それも二人揃ってだなんていくらなんでも不自然と言わざるを得ない。
重篤状態になった肉体から抜け出した幽体がそのまま戻らぬという事態がこのときにも起きたのか。それとも逢引転生の代償なのか。
優先されたのは一体どちらだったのか……そこが未だに不鮮明なところだ。
横浜市内を回るくらいなら難なくこなせそうなほど馴染んだ肉体。愛用のパンプスを履いた足で軽やかに繰り出したナツメはまず一つの場所を目指した。
潮騒が一層激しさを増すあたりでナツメは歩みを止めた。その手には地図がある。
これから更に向かうは、海沿いのバス停から一本。歩いて行くには難しいが仮住まいのアパートからそれ程の距離でもないところだ。
(もしや……)
時折ガタンゴトンと大きく揺れるバスの車内にて流れ行く海沿いの景色を眺めていた。その間にも常に一つの予感が脳内を占めていた。
転生を挟んだ遠い記憶だから確かではないけれど……
“次は~横浜市美術資料館~”
“横浜市美術資料館~”
前へ吸い寄せられる感覚が間近まで迫った停車のタイミングを知らせる。この頃にはもう随分と確かな感覚となっていた。
(やはり)
「お降りの方ー?」
運転手のやや訝しげな声が車内に響き渡るまで次にすべき当たり前の動作を忘れてしまっていたくらいだ。窓越しにありありと存在している光景へあまりに見入ってしまって。
そう、いくら遠い記憶とは言ったって、ここは前世の私にとって実に馴染み深かった場所。ハマの破天荒ががむしゃらに足掻いた末に辿り着いた場所。
皮肉にも、最も遠ざかろうとしていたかつての母から与えられた助け舟。夏呼と寄り添い、ユキを迎え入れた、愛も葛藤も繰り返したかつての我が家が……今やこんなことになっていたなんて。
今、立ち尽くすナツメの見上げる先には紛れもない元秋瀬邸が在る。資料館と名を変えはしたものの、その煉瓦造りの外観は遠い昭和初期の世へとみるみる誘ってくれるくらいの原型を保っている。
「それで、だったのか」
地図の片隅に記されたメモ書きに向かって視線を落とたナツメが頷いた。
管理人は磐座家。
資料の調達は柏原運輸。
こうして目前にしてみれば尚更偶然ではないとわかる。秋瀬と所縁のあるこの二つの家が何かを守ろうと……
いや、もしかすると隠そうとしていたのではないか……というのが、班長ナツメと副班長ブランチが共に導き出した可能性であった。
問題は何が秘められているのか。
秋瀬夏南汰の亡き後は、夫婦となった夏呼とヒナ兄、そして夏南汰の忘れ形見である娘が三人で住んでいたと聞く。
更にヒナ兄が戦死した後は、ナナコが秋瀬の実家に引き取られ、夏呼が一人でこの屋敷を守ってきたそうだ。
母娘が引き離された経緯について私はヤナギに深く追求することが出来なかった。いいや、むしろ聞かずともある程度の推測くらいはつくからであった。
息子二人を亡くした立場である秋瀬家は跡取りを必要としていたに違いない。
体裁を重視する厳格な父ならやりかねない。
きっとナナコに婿を取らせようとしたのだろう。時期跡取りの妻として相応しい作法を身につけさせようと実家に呼び寄せたのだろう。
我が子に対する独占欲の強い母ならやりかねない。
何処の馬の骨ともわからない、などと判断された夏呼はきっとよそ者扱い。母から相当辛く当たられた可能性も十分に考えられる。
なのに独りで耐えた。戦乱の世の中で、最愛の男も、夫も、娘も、ありとあらゆるものを失った孤独の中で。
それでも……
――愛する人たちに巡り逢うことができた、私の生涯は幸せでした――
と、切なげな微笑みを浮かべながらも確かに言い切った。
……これだからヤナギには頭が上がらないのだよ。
銀縁の奥で瞳を伏せたナツメは、深い深いため息の後に歩き出す。
いつまでも感傷に浸っている訳にもいくまい。今は追求することこそが責務であると自身に言い聞かせて、懐かしき門の奥へと進んで行った。
入場料はあるがさほど高い金額でもない。そもそも物質世界滞在者には滞在期間に応じた最低限の資金が天界から与えられている。
にも関わらず、この場を突き止めた部下は中へ進むことは出来なかった。行動を起こそうとしていた前日に原因不明の高熱に浮かされて幽体世界への帰還を余儀なくされたのだ。
報告を聞く限り、何か見えない力に遮られているように思えてならなかった。その部下も本来の世界に帰ってくるなり、嘘のように熱が引いたからだ。
我が身にも何が起こるやも知れぬと、歩みを進めるナツメの身体も緊張に強張っていく。
病は気からとはよく言ったもので、そう考えているだけでも気分が優れぬような気がしてくるのだが……
「……何も起こらぬな」
ナツメは拍子抜けしたように呟いた。人気のほぼ無い空間には実に平穏な時が流れているように思える。
いいや?
もっと先に凛と冴え渡る空気を感じる。遮られるどころか強力な磁力に引き寄せられているようだ。ナツメの歩調はいよいよ速度を増していく。
美術資料館というだけあって、薄暗い館内の壁面には息を飲むくらいの美しい装飾品や、凝ったアンティークの間接照明、歴史を感じさせる輸入展示物がずらりと並んでいる。
珍しいもの好きはカナタの頃から健在のはずだ。それなのにうわべだけ眺めるようにして進んでいった。
目的はただ一つであると感覚が、身体で微風をきるごとに確信へと変わっていった。
はぁ……
はぁ、はぁ、はぁ……
一体いつから走り出していたのだろう。
ごく自然に向き合った展示物の前で、ナツメは両の漆黒を大きく見開いた。
古びた分厚い書物がガラス越しの更に奥にて、守られるように透明のケースに納まっている。当然ながらそれに触れることは出来ない。だかしかし。
『シャーマン一族の歴史と掟』
見ることならできる。防御の匣の周りをぐるりと囲むように貼り巡らされた絵画と解説文の中で……
“愛の荒波へ果敢に挑む海神の子孫”
「磐座家」
紐は音も立てずに解けていく。




