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2. 新樹



 事の経緯を語るにはもう二年程前まで遡らねばならぬ。


 このような三十路みそじ手前になる前……いや、それでも二十七だからな。少なくとも蝶よ花よと持て囃されるよわいではなかった上に、晴れて生物研究班“班長”の称号を手に入れたのだから初々しさなど更に遠いものとなったのは自然な流れと言えよう。


 それで良い。やはり私は人様に手を焼かせるよりかこちら側の方が性に合っていると思えたのだから、やはり、良いのである。



 いくつになっても子ども扱いされていたカナタもようやく一人前と認められて満足したのだろうか。出たり入ったりしていた不安定な波長もすっと眠りに着くように私の中で落ち着いたのだ。





 そして来たる同年の四月中旬。ここで新たな冒険が幕を開くこととなった。


 いや、正確には再びと言おうか。少なくとも私にとってはだな。



 班長に就任して間もないナツメの元にやってきた生物保護班所属のガタイの良い青年が物質世界フィジカルへ行きたいと切り出したのがきっかけだ。ナツメにその経験があることを何処ぞで耳にしたのではないかと考えられる。


 目的は生態系研究であると、青色の真摯な眼差しの青年が言う。しかし本当は



「お前もそろそろ昇進したい頃か」


「…………っ!」



 強面ながらも実にわかりやすい。デカデカと浮かんだ“図星”の二文字に思わず吹き出したナツメはまず一つを彼に与えた。


「あちらでの名が必要だな。場所は?」


「ああ、動きやすいのは治安の良い日本だと考えたんだが……」


 日本、と聞いて一つの案を思いついた。


(そういえば此奴こやつの本名は……)


 うむ、やはりそれが良いと一人頷いたナツメが切り出す。


「では柏原と名乗れ」


「は? なんで」


「もとよりお前の名はそこから来ているからな」


「あ、あぁ? 別にいいけど、誰から取ったんだよ?」



 怪訝に首を傾げたその若者に真意は告げないままであった。私がこの名に並々ならぬ思い入れを持っていることも。



――迅さん。



「ふふ、貴方にちょっとばかり似ているからな。しかし貴方とは違って不器用な奴だ。見守ってやってはくれぬか」



「なんか言ったか?」


 ドアの手前で振り返った青年の眉間のしわはいよいよ三本となった。知らぬ者が見たら喧嘩を売っている……いや、それどころか喰い殺されると恐れおののいてしまいそうな獣じみた目の彼に至って平然と首を横に振って見せた。


「いや、なんでも」


 話せば長くなる。しかも面識の無い、物質世界の、更に明治生まれの燻し銀の話などされても困るだけだろうと受け流しておいた。



 子孫を見届けてようやく枯葉を落とすゆずり葉の姓を御守りとして与えてやった後は、煮え切らない表情のままのそいつにもう一つを与えてやる。



「愛と情にはくれぐれも気を付けろ。あの世界は侮れない迷宮ラビリンスだ」



 ニヤリと笑って見せると対する強面は真っ赤に染まって精一杯と思しき強がりを響かせた。



「女漁りをしに行く訳じゃねーしっ! くっそ、今に見てろよ」


(おっと、これはまた青くさい)



 づかづかと威勢良く出て行く大柄な背中を眺めながらナツメは一人感傷に浸ったりなどした。身の丈に合わない不良のような姿で下駄を鳴らして闊歩していた……そうだ、カナタもなかなか青くさかったではないか、と。




 繰り返す輪廻転生が招いた運命の悪戯いたずら


 生死を彷徨った磐座冬樹の幽体がこちらへ渡って春日雪之丞となり、更に悲劇的な死を遂げるという騒動が起きたというのに、未だなお物質世界への干渉は続いている。


 無謀ではあるまいか? 確かに一度はそのような議論も為されたのだが、結局は必要なことであるとの結論に我々は辿り着いた。


 輪廻を動かす一族“磐座家”の存在を知っているナツメはなおのことすんなりと理解へ至った。事実この二つの世界は共に支え合わねば成り立たない。ただ片方は前世の記憶を持たぬ世界であるがゆえにおおやけにしてはならぬというだけのことだ。



 今回柏原と名付けた部下が申し出たのは長期滞在。具体的に言うと一週間以上の滞在を我々は長期と呼んでいる。これこそが再びと呼べる冒険であった。



 そもそも幽体のみで存在している我々が肉体を纏って生活をするというのは体力を著しく消耗する行いであり、当然ながら容易なことではない。


 卓越した体力と精神力があると天界に認められた者だけが、一時的に幽体の耐久性を上げる申請を出して物質世界へと赴いていく。この限度が約一週間。どちらも特に卓越しているという訳でもなかった私がこれを成し遂げられたのは肉体を馴染ませる期間付きの長期滞在であったからこそだ。


 春から編入してきた大学生……と見せかけて、実は冬の間、約一ヶ月半はずっとあの横浜市内のアパートでほぼ寝たりの生活を続けていたのだよ。私もそれ程に命がけだったのだ。



 しかし今回の青年は違う。


 今に190センチを超えるであろうというくらいの長身に逞しい身体。肉体が馴染むまでの期間も私ほどはかかるまい。



 そして気休めかも知れぬが我々の想いを託してある。


 カシワの木をもじった彼の本名『D・オーク』……英語にした際のDaimyo oak(ダイミョウ・オーク)の略だ。彼は研究所前に置いていかれた捨て子だったからな、本名はあったのがどうかさえ不明である。


 そしてこれは苗字にあたる部分なのだが、名付け親はあのマドカさん……いや、むしろ樹さんだ。私もつい最近知ったのであるが。



――お兄様を助けてくれた恩人の名前を与えようと思ったの――


――カナタくん、もちろん貴方にも感謝しているわ。だけどほら、あの子って赤ちゃんの頃からすっごく大きかったから迅様の方がしっくりくると思って――



 合点がいった後はゆっくりゆっくりと解きほぐされていった。



 迅さんと私に助けられ失意の生還を果たした。せめてもの償いとしてユキと哀しい契りを交わし、その数日後にユキが断崖から身を投げた。


 著しい精神的ショックを受けたみことさんは約一年程病床に伏せっていたそうだ。しかし……



――お兄様は負けなかったわ――



 いずれはしかと自らの足で立ち上がったそうだ。失った者たちの為にも自分なりにできることをしようと決意を新たにした彼の強さに胸が熱くなったことを今でも鮮明に覚えている。




 まぁそんな訳だ。遠い世界の遠い時代から持ち寄った数多あまたの想いを込めたのだ。きっと成し遂げてくれるだろう。



 ただ少しばかり引っかかるのが、常に刻まれたままの眉間のしわ……極力、人には頼りたがらず一人で考え込む性格だ。


 生まれながらの強面……幼少の頃から年上の者にまで“お兄ちゃん”と呼ばれてきた。甘えるということを知らない。


 二十一歳にして副班長を目指す強い向上心と責任感。意外と旺盛なサービス精神。常に周りの期待する何者かになろうとしている。ゆえにその印象は……



 “硬派”



 こういう奴が案外……と脳裏をよぎった私の予感は皮肉にも的を得ることとなってしまったのだ。





 物質世界フィジカル長期滞在へと踏み切ったそのわずか二ヶ月後。




 雨上がりの深夜、紫陽花の季節の六月中旬。


 蜂蜜色の月が見下ろす研究所前の草原に何かがデカデカとうずくまっているではないか。



 柔らかい大地にヒールの音は響かない。だからわざとらしいくらいに大きく踏み締めて近付いた。すっかり自分の世界に入り込んでいる彼にはこれくらい必要だろうと考えたナツメにはもうある程度の察しがついていて。



「どうした、柏原」


「…………」



「か、し、わ、ば、ら」



「……っ、その名で、呼ぶな……ぁ……っ!」




 まさかと思ったが奴は泣いていた。



 保護班で鍛え上げられた広い肩を震わせて、野太い声でおいおいと。はっきり言おう、可愛くはない。かつて同じ性であった私だってもう少し綺麗に泣いたものだと思いたいのだが。



物質世界フィジカルの女性に惚れたのか」


「どうしよう、俺……っ」



 未だかつて無いほどに恋い焦がれた相手と身を切る思いで別れてきたのだと彼は言う。滞在期間も本来なら半年だったはずだからおそらく事態の悪化を懸念して前倒しにしたのだろう。


 当然ながら惚れた彼女に理由は告げられない。自分が求められているのを知りながら突き放すようにしてその手を離した。深く傷付いた彼女は記憶こそ消してあるものの、たいぶやつれてしまっただろうと語った。



「俺も……本当は……」



――覚えていてほしかった。


 二人の思い出を消さねばならなかったのが悲しいと言うのを耳にして、ナツメの奥から深い深いため息が零れた。



 そう、やはりあの世界は甘美にして容赦の無い魅惑の迷宮ラビリンス


「言わんこっちゃない」


 如何なる強い信念をいだいていたとしても、侮ってはならぬ場所なのだ。



 呆れ気味に吐き捨てたものの私も深く反省していた。


 共に支え合わねばならぬのは物質世界と幽体世界だけにあらず。想いだけで全て乗り越えられるなど彼を馬鹿に出来ぬ程の青くさい発想であったと。感情と理論もまた共存関係になくてはならぬのだと改めて実感した私は、この件に関して可能な限り全力で協力しようと腹を括った。



 かくして私は知ることとなった。動き出したのもまた新たな世代ばかりではなかったのだと。



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